
日本語作文の練習をしている中国人です。中国国内の雑誌を読んだあと、一文に関して感想文のようなものを書きました。私の書いた文章に不自然さを感じるのですが、どのように直したら良いものか、質問文も含めてご指導くださいますようよろしくお願い致します。
「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」とある雑誌でこの文が目に留まった。よくかみしめてみたら、作者の言ったとおりではないのだろうか。
あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ。いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めることと違うか。どのようなことをしても、途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。
あきらめるなんてそんなに簡単に言わないで、本当に。いかなる困難に遭っても。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
◆ご感想文の添削
1、【とある雑誌でこの文が目に留まった】
a.【とある】という語句には「○○と示されている」という意味もあります。
(使用例:「この論文の前半に○○とあるが、実際は△△ではないだろうか。」)
ご質問文の場合は、前後の文脈からそうでないことは判断できますが、
『「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ。(注:原文は中国語)」
とある雑誌でこの文が目に留まった。』
のように、【句点】と【改行】を使用したほうがすっきりします。
b.【この文が】(○)
他に色々書かれていた中で「特にこの文に注目した」というニュアンスを伝えたければ、その文を抜き出すという意味で、
『この一文が』(◎)とするとベターでしょう。
「その一言が気になった」などと似たような使い方です。
2、【よくかみしめてみたら、作者の言ったとおりではないのだろうか。】(△)
この書き方だと、「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ」ということが、よくかみしめなければわからないほど難しいことであったというニュアンスを含んでしまいます。
また、「作者が言った」という事実ではなく「言った内容」について述べるのですから、「言うとおり」としたほうが良いでしょう。
「ないのだろうか」の【の】の使い方も難しいところです。
「の」を使うと、【相手の理解力の無さを非難しているニュアンス】が強くなるのです。
例えば、明らかに正しい意見を述べているAという人がいたとします。
それにも拘わらず、中々納得しないBがいます。
CがBに対して、「Aの言ったとおりではない【の】だろうか」と、Bに対して「なぜそれがわからないのか」と非難のニュアンスを込めて発言するような場合です。
今回の原文のように特に反論が予想されない場合は、素直に『作者の言ったとおりではないだろうか』とするべきです。
まとめると、
『(少し)考えてみれば、作者の言うとおりではないだろうか』(○)のようになります。
さらに、
{『確かに作者の言うとおりかもしれない。』と軽く受けておいて、
『改めてよくかみしめてみた。』と続ければ}(◎)、その後には「かみしめた内容」が期待されることになりますから、後半の文章にも自然につながります。
3、【あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ。】(△)
a.まず、この文の骨子は「あきらめは解決能力の否定的な態度だ。」ということでしょう。
その中の「解決能力」に対する説明が、「自分が事務に対する」という構図です。
このように分解するとおわかりでしょうが、「自分【の】事務に対する」としたほうが良いでしょう。
b.また、「事務」というのは会社で帳簿をつけたりする机上の仕事という意味にほぼ限定される言葉です。
ここは「物事」としたほうが良いでしょう。
原文に忠実に添削すると、
『あきらめは自分の物事に対する解決能力の否定的な態度だ。』(○)
となります。
c.この文章の内容は、誰にでも通用する見解でしょうから、「自分」という語句が無くても不自然にはなりません。
却って軽快でわかりやすくなる場合もあります。
さらに、感想文全体の最後に強調される内容から考えれば、婉曲的に「否定的な態度」とするよりも「否定だ」と断定したほうが意図を明確に表現できるように思います。
まとめると、
『あきらめは物事に対する解決能力の否定だ。』(◎)
となります。
4、【いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めることと違うか】
a.【違うか】は話し言葉です。(しかも方言っぽい)
『違うだろうか』としたほうが良いでしょう。
また、この場合「いったんあきらめたら」ではなく『あきらめるということは』とする必要があります。
『あきらめるということは、完全に自分の失敗を認めることと違うだろうか』(○)
のようになります。
b.文頭の「いったんあきらめたら」という語句を生かすこともできます。
ただ、この場合は「違う」という言葉を使うと不自然になります。
『いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めることになってしまう(だろう)。』(◎)などのようにすると良いでしょう。
5、【どのようなことをしても、途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。】(×)
言いたいことは伝わりますが、この文章では△評価すらできません。
a.【途中で】と【急に】は意図する内容が重複しているように思います。
b.【と言ったらとても簡単】という場合、「言うだけでなく実行する場合は簡単ではない」事柄に対して使います。
「努力すればお金持ちになれる、と言うのはとても簡単だが、実際にやってみればそう簡単なことではない。」というような使い方です。
この場合「あきらめる」というのは言うのも実行するのも簡単ですから、【言ったら】という条件を持ち出すのは不自然になるわけです。
c.【その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。】
完全な間違いとは言いませんが、今回の文章の流れとしてこのような文末は不自然です。
『その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか、甚だ疑問です。』などのように後に続く言葉が必要でしょう。
さらに、あきらめたら、進歩したり腕が上がる【可能性は全く無い】わけですから、可能性としての「できる」ではなく、【結果として】本人がどうなるのかという視点に立った表現のほうが自然です。
『進歩するものか、腕が上るものか』などのように。
そして、「結果として」という意味を強調するために、『それで』という言葉を前につけます。
例えば、何かについて説明をした後、確認の意味で「それで(その内容で)君は本当にいいんだね。」などと言うような場合と同じ使い方です。
d.
この文全体をまとめると、
『どのようなことをしても、途中であきらめるのはとても簡単だが、それで本人は進歩するものか、腕が上がるものか。』(○)あるいは、
『どのようなことをしても、途中であきらめるのはとても簡単だが、それで本人が進歩したり、腕が上がったりすることはあるだろうか。』(◎)
のようになります。
6、【いかなる困難に遭っても】
折角、詠嘆調の構造になっているのですから、
『たとえ、いかなる困難に遭ったとしても』
とすると、語調も整えることができるでしょう。
ご存知だと思いますが日本人は俳句や短歌などに象徴されるように、「五・七調」が詠嘆的に耳に響きます。
「たとえ、いかなる/困難に/遭ったとしても」が「七・五・七」になっているということですが、文意に影響するものではありませんから、この辺はあまり厳密に考える必要はありません。
◆
冒頭のご質問文自体は、非常に難しい構成になっているにも拘わらず、日本人顔負けの完璧な文章になっています。
毎度お世話になります。
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。なぜ不自然に聞こえるのかまでも詳しく解説していただき非常に助かりました。とても理解しやすいと思います。大変参考になりました。とてもすっきりしました。
日本の方は「七・五・七」のリズムが感じられるのはとてもすばらしいと思います。恥ずかしいことですが、私はこの面ですごく鈍感で、ひらがなを一つ一つ数えないと、「七・五・七」のように合っているかどうか分かりません……
いつも応援していただき本当にありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
awayuki_ch さん こんにちは。
日本語の勉強はかなり進んでいるようですね。
日記は「隔日記」でも「週記」でも構わないと思いますよ。「手帳」の日々の記事欄を日本語で書いてみては如何でしょうか?いつの間にか立派な日記というか、行動記録帳が出来上がります。
それでは補足にお答え致します。
「事務処理能力」の中の「事務」は「書類の作成など、主として机の上で取り扱う仕事」のことのように聞こえるのでしょうか。抽象的な総称の意味のつもりなので、確認していただきたいです。
★私には例文の「あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ」に記された「事務」がどのようなものを指しているのか見当がつきませんでした。
→補足を読んではじめて「事務」が「抽象的な総称の意味のつもり」であることが判明致しました。しかし、「何を」抽象的に表現したものかがまだ判りません。
→もしかしたら会社内の事務一般などではなく、自分に任された業務、仕事のことなのでしょうか?それとも、オフィスで行なわれる一般的な仕事のことでしょうか?
→私が使用した「事務処理能力」の「事務」は、awayuki_ch さんの記述どおり「書類の作成など、主として机の上で取り扱う仕事」を表しています。
→もしも前者であれば、「任務」とか「業務」の言葉が該当するかもしれませんね。
★ここの「仕事」はたんなる「生計を立てるために従事する勤め。職業」のことではないでしょうね。
→職業の事ではありませんが、上に記しましたように「事務」が何を指しているのか判断できなかったための「仕事」という記述です。
とりようによっては「職業」とも取れます。awayuki_ch さんのおっしゃる「事務」がどのようなものかが判ればもう少し妥当な表現が出来るのかもしれません。
★「どんな」は話し言葉でしょうか。文章を書くときにわざと「どんな」、「こんな」、「そんな」を「どのような」、「このような」、「そのような」に変えるようにしています。ただ、「こんな」と「そんな」の後ろにつく内容を非難するニュアンスを出す場合、「こんな」と「そんな」のままにしています。たとえば、「こんな失礼な言い方」、「そんな最低な人」など。「どのような」と「どんな」は、基本的に言えば、書き言葉としてどちらを使ってもかまわないのでしょうか。
→たしかに「どんな」よりも「どのような」の方が丁寧な言葉遣いです。
ただし、「どんな」「こんな」等は、後ろに付く言葉、表現を選ぶものではありません。
「こんなきれいな」「こんな素敵な」など十分に使えます。
ここで「どんな」に変えたのはその前後の文章の表現との関連です。
→それは、「途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか」がそれほど丁寧な言葉遣いではないからです。
>【どのようなことをしていても、】中途で「あきらめた」と言うことはいとも簡単である。しかし、そのような発言を軽々しく口にする人間が、その後も進歩し、上達することなど、果たして出来るのであろうか。
★「ものか」を使いたかったのですが、ここで「ものか」を使うとやはり不自然な日本語に聞こえるのでしょうか。
→「ものか」をお使いになりたいのであれば、
→→→「どんなことをしていても、途中で急にあきらめた(あきらめる)と言うことは簡単である。しかし、【そんなことで】、その人間は進歩出来るのものか、また、腕を上げられるものか」とすれば大丈夫かもしれませんが、この文章には相応しい終わり方ではありません。
→→ただ、文末に「私には疑問である」とでも付け加えればどうでしょうか?
→「どんなことをしていても、途中で急にあきらめたと言うことは簡単である。しかし、そんなことでその人間は進歩することが出来るものか、また、腕を上げられるものか、私には疑問である」と。
●「この世でいちばん簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)と記された雑誌の文章に目が留まった。その文章を繰り返し読むうちに、私には作者の言う事がもっともなことに思えてきたのである。
あきらめというのは、自分の任務遂行(業務遂行)に対する義務を、完全に放棄する行為ではないだろうか。いったんあきらめてしまったら、それは完全に自分の失敗を認めたことになってしまうのである。
どんなことをしていても、途中で「あきらめた」と言ってしまうことは簡単である。しかしその後、その本人が進歩したり、腕を上げたりすることは出来るのであろうか。
私たちはいかなる困難に遭っても、あきらめるという言葉を簡単に使ってはならないのだと思う。
隅をつつくような質問で、本当に申し訳ありません。
→「隅をつつくような質問」とは言いません。
→「重箱の隅をつつくような質問」が正しい言い方です。
「この『ものか』は直感から言うとなんとなく不自然な日本語です」のようなご回答でも結構です。(この「結構です」は失礼な言い方になっていますか。「よろしいです」は危ないと知っていますが。もしここの「結構です」は失礼な言い方になりましたら、お先に申し訳ないと申しておきます。「良いです」なら安全でしょうか。)
→awayuki_ch さんは、丁寧な表現でお書きになりたいということですね?
→「・・・・のような回答でも結構です」と止めてしまうより、「・・・・・のような回答でも構いませんので、宜しくお願い致します」とか、「・・・・・のような回答でも結構ですので宜しくお願い致します」などと、最後に「宜しくお願い致します」を付加すると良いでしょう。
もしここの「結構です」は失礼な言い方になりましたら、お先に申し訳ないと申しておきます。
→【「結構です」は失礼な言い方になりましたら】ではなく、【「結構です」が失礼な言い方になるのでしたら】の方が良いです。
お先に申し訳ないと申しておきます。
→ここでは「お先き」の「お」は不要です。
→「先にお詫びを申し上げておきます」「お先にお詫びを申し上げます」
頑張りましょう。
この回答への補足
>補足を読んではじめて「事務」が「抽象的な総称の意味のつもり」であることが判明致しました。しかし、「何を」抽象的に表現したものかがまだ判りません。
あいまいな補足で本当に申し訳ありません。抽象的な意味なので、説明するのがとても難しいです。私のイメージしていた「事務」はもしかして「どんなことでも」の「こと」の意味に近いかもしれません。会社の仕事、業務のこととは限りません。「こと」、「物事」、「事柄」、「万事」、「すべてのこと」のあたりの書き方はいかがでしょうか。
ということで、次の一文にある「仕事」は私の意味ではないでしょうね。
>あきらめは、仕事を解決する能力を自らが否定するという態度と考える。
>お先に申し訳ないと申しておきます。→ここでは「お先き」の「お」は不要です。→「先にお詫びを申し上げておきます」「お先にお詫びを申し上げます」
「お」はいらないのでしたね。話し手に尊敬語を使うように聞こえますね。しかし、なぜ「お先に失礼します」、「お先にお詫びを申し上げます」に「お」があるのでしょうか。外国人の私にとっては、とても難しいです。
shigure136さん、こんにちは。
早速のご回答ありがとうございます。だいぶすっきりしてきました。補足文の間違えている表現までも指摘していただき大変感謝いたします。「隅をつつくような質問」の書き方は本当に恥ずかしいです。
手帳で日本語で書くんですね。実は、この二三年はすでにこのようにしています。しかし、手帳なので、普通長いことを書かないんですね。たとえば、このような感じ。「○さんとの打ち合わせ」、「○さんの送別会」「○○の件はまだ」など、非常に短い、省略された書き方が多いです。
No.8
- 回答日時:
拙文 ANo.1 への補足質問、ありがとうございます。
それでは、だらだら説明してみましたので、どうぞご笑覧ください……。「『悩んでもいいけど、迷ってはいけない』とある作家が小説で言っていました。」というネイティブの方の文をまねして作ったのです。
この「ネイティブの方の文」は、自然な日本語ですね。さて、主語(または主部)、述語(または述部)を、それぞれ S、V で表わすと、次のようになります。
S:ある作家が
V:言っていました
『悩んでもいいけど、迷ってはいけない』と
次に、awayuki_ch さんの例文を、ANo.1 の「補足質問」で示された意図を踏まえて分解すると、次のようになります。
「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」とある雑誌でこの文が目に留まった。
S:この文が
V:留まった
(どこから発してどこに留まったのか。「ある雑誌」→「(私の)目」ですね。「ある雑誌で」、「目に」は、V を修飾しています)
それでは、「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」は、何でしょうか? S でしょうか、それ以外でしょうか? これを、「●」で表わすことにします。
もちろん、内容的には「●」=「この文」ですが、文法的には「●」の直後の「と」は格助詞です。ここでは、
(文や句をそのまま受けて)動作・作用・状態の内容を表す。引用の「と」。(小学館『大辞泉』)
です。すなわち、“「●」と”は、V:留まった を修飾しています。ここまでの説明は、よろしいでしょうか。
詳しく言うと、「格助詞」は、
体言または体言に準ずるものに付いて、それが文中で他の語とどんな関係にあるかを示す助詞(小学館『大辞泉』)
です。awayuki_ch さんの例文では、“「●」と” の「と」は、「●」に付いて、「●」が「留まった」を修飾する関係にあることを示しています。「留まった」という動作・作用・状態の内容を、“「●」と” は表わしているわけです。
さあ、もうお分かりと思いますが、awayuki_ch さんは「●」を二重に使ってしまっているのです。
「●」←「この」文が
(主語「文が」の説明として使っていますね)
「●」と →「留まった」
(述語「留まった」の説明として使っていますね。awayuki_ch さんにその積もりがなくても、「と」を不用意にお使いになった結果、そうなってしまっています)
つまり、一つの文の中で、「●」の役割が二系統もある。これが、不自然さの原因です。
不自然さをなくすには、一系統にすることです。例えば、すでに ANo.1 で示した拙文を、例文1 としましょう。
例文1.「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」。とある雑誌でこの文が目に留まった。
「とある」が連体詞で、「或る」と同じ意味であることは、ご存知だと思います。この例文1 で、「●」の役割は、
「●」←「この」文が
の一系統ですね。また、表記について申しますと、かぎ括弧の前は一マス空けないのが一般的です(awayuki_ch さんは空けているようですが)。かぎ括弧が閉じる前には、句点は付けないのが普通です。これは、日本人でも知らない人が多いようです。次のサイトを参考になさってください。
作家でごはん!執筆の基礎
http://sakka.org/lesson/genkou_3.html
ここでは、
中国語)」
とある雑誌で
と改行するか、あるいは改行しないなら、
中国語)」。とある雑誌で
と書くことになるでしょう。
中国語)。」
と書くのは、良くないでしょう。
例文2.「悩んでもいいけど、迷ってはいけない」とある作家が小説で言っていました。(「補足質問」ネイティブの方の文)
この例文では、
「○」と → 言っていました
の一系統ですね。そのため、日本語として自然に感じられるのです。
さて、新たに2つ、自然に感じられる例文を作ってみました。
例文3.「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」という文が、ある雑誌で目に留まった。
ここでも格助詞「と」(引用の「と」)を用いていますが、
「●」と→ いう → 文が
の一系統だけになっています。
例文4.「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」と、ある雑誌に載っていたが、それが目に留まった。
一見、「●」に関して二系統あるように見えますね。しかし、これは重文であり、実質的には「載っていた。それが」で切れている二文を、くっ付けたものです。
これに対し、awayuki_ch さんの例文では、切れてない一つの文の中で二系統が錯綜しているので、不自然な感じを与えるのです。
ご存知のように、中国語は孤立語、日本語は膠着語なので(という分類法も古臭いそうですが)、日本語学習にあたっては「助詞」が難物だと言われています。
以上、理屈っぽくなってしまいましたが、awayuki_ch さんは大学出ということ(単なる学歴を言っているのではなく、大学で日本語を専攻したという意味)なので、理屈で説明する方がいいと思いました。日本語文法に関しては、私などよりお詳しいでしょう。ネイティブに、「理屈や文法じゃないよ、センス(微妙な感覚)だよ」などと言われたら、腹が立ちますよね。私も英語を勉強するとき、(ネイティブとしては特に英語能力が高いわけでもない)アメリカ人に、そう言われた経験があります……。
早速のご回答ありがとうございます。私の文のどこが不自然なのかよく分かりました。表記へのアドバイスにも感謝いたします。「。」が正しくない表記は始めて知りました。お勧めのURLもとても参考になりました。「お気に入り」に入れておきます。
本当にありがとうございました。「とある」の件はすっきりしました。
No.6
- 回答日時:
ANo.1 で回答を差し上げた者ですが、無駄話を少々……。
実は、日本語が下手な日本人は、少なくありません(私も含めて)。例えば、日本では漢字に「常用漢字」(1945字)という目安がありますが(現行のものは1981年内閣告示)、文化的な生活のためにはそれでは足りず、1000字ほどプラスして合計3000字くらい知っておいた方が良いと言われます。
そこで、「日本漢字能力検定」(略称:漢検)を見てみると、準一級がその3000字レベルに相当します。その下は二級で、出題範囲は「常用漢字すべて」と「人名用漢字285字(読み)」です。しかし、二級の過去問を見ると分かりますが、「常用漢字すべて」と言っても、読み書き問題にあまり難しい漢字は出ていません。1945字の中でも、簡単な漢字が出題される傾向があります。読み書き以外で、多様な難しい問題も出ますが、それらの配点を合計しても多くなく、全体の中で最大の配点割合を占めるのは、読み書き問題です。また、二級の合格最低ラインは、得点率約70%だそうです。つまり、大雑把に言って「常用漢字1945字から難しい漢字は除外して、読み書きができれば、二級合格の見込みあり」ということになります。
財団法人 日本漢字能力検定協会
http://www.kanken.or.jp/frame/f05.html
大修館書店 漢字文化アーカイブ
http://www.taishukan.co.jp/kanji/kanji_archive.h …
ところが、漢検二級の合格率は、例年わずか20%台です。要するに、日本人の多くは、(日本における文化的生活に対応する3000字どころか)2000字レベルの漢字さえ、満足に読み書きできないのです。辞書を引き引き(コンピュータの機能としての辞書も含む)、何とか誤魔化して世渡りしているのが実状でしょう。なお、偉そうに申している私は二級しか持っておらず、自慢にもなりゃしません……。
また、当代有数の日本語の名手である丸谷才一によれば、あらゆる人(インテリから勉強嫌いの人まで、日本語話者)が、あらゆること(高雅なことから卑俗な話まで)を日本語で扱えるようになったのは、何と昭和30年代が初めてだそうです。
その頃、出版社系の週刊誌が多数創刊されました。それ以前は新聞社系の週刊誌が多かったのですが、新規参入の各誌は、硬い話題から柔らかい話題までを出来るだけ多くの人に読んでもらうため、文章の書き方に工夫を凝らしました。その辺りから、「全国民的日本語」とも言うべきものが形を成してきたのだそうです。それより昔は、日本語といっても同時代で何種類かに分裂して並行しており、全日本語話者共通の架け橋となるような日本語は、行き渡ってなかったのです。昭和30年代ということは、まだ半世紀しか経っていませんね。今日私たちが当たり前のように使っている、いわば「全国民的日本語」は、意外と歴史が浅いわけです。日本語・文化に造詣の深い丸谷の説だから、駄法螺ではないでしょう(丸谷は英文学者・小説家・評論家)。なるほど、慧眼だと思いますね。
ただし、日本人が卑下することはありません。どこの国でも似たり寄ったりの事情があるようです。正しい英語を使えない(アメリカ生まれの)アメリカ人は多いらしいし、「文字の国」と言われる中国は、知識階級とそれ以外の懸隔が甚だしい時代が何千年も続き、文盲率が劇的に減少したのは、中華人民共和国建国後でしょう。
要するにですね、何を言いたいかというと、日本語能力(特に書き言葉)が awayuki_ch さんと「どっこいどっこい」の日本人も、少なくないということです。この Q&A サイトでは、そんな人が awayuki_ch さんの文章を「改悪」したあげく、「日本語では、こうします」と宣う恐れさえあります。まあ、その時は上手に受け流してください(私の拙い回答も含めて)。
プロフィールを拝見したところ、大学で日本語を専攻なさったということで、awayuki_ch さんの文章は基本がしっかりしています。流麗な日本語を自家薬籠中のものとする日も、遠くないことでしょう。
(アドバイス)
反語(「……ではないのか(否、何々だ)」)を使い過ぎる傾向があるようです。
「……的」を安易に使わないようにしましょう。
以上2点は、おそらく中国語起源の癖のようなものかも知れませんね。
また、日本語は複文(文の中に文がある)を作るのに適してない場合もあるので(英語のように関係代名詞などが無い)、怪しいときは重文や単文に展開しましょう。
単文、重文、複文、重複文
ttp://www.linkage-club.co.jp/Q&A/Grammar&Usage/G&U1.htm
Ganymedeさん、たびたびありがとうございます。漢検は難しそうですね。練習問題を見に行ってまいりました。日本語を勉強する中国人にとっては、漢字は一番楽な勉強と言えるかもしれません。日本語は、漢字を使うので字面でわかったような気がします。でも、中国語の意味と違う漢字も多いので、逆に邪魔になる場合も多いです。
私は毎日寝る前に日本語の小説を読んでいますが、作文の練習はまだ少ないです。外国語の勉強はというと、「聞く、話す、読む、書く、訳す」のどれでも重要な内容だと思います。貴重なアドバイスとURL(アドレスの文頭の「h」は抜けていますね。)をありがとうございました。大変参考になりました。これからもよろしくお願い致します。
No.5
- 回答日時:
【1】「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」とある雑誌でこの文が目に留まった。
先ず、このままの流れを尊重すると、
→「この世で・・・・・なのだ(注 )」と書かれたある雑誌の文章が目に留まった。です。
しかし、もう少し工夫すると、
→私は、「この世で・・・・・なのだ(注 )」と書かれた雑誌の文章が目に留まった。
【2】よくかみしめてみたら、作者の言ったとおりではないのだろうか。
・「かみしめる」という表現は?
・「~ではないだろうか」という表現も?
→「その文章を繰り返し読むうちに、私には作者の言う通りではないかと思えてきたのである。」
→「その文章を繰り返し読むうちに、私には作者の言う事がもっともなことに思えてきたのである。」
【3】あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ。
・この一文は全体を通して分かり難い文章です。
・「自分が」「事務に対する」などの表現も?
・ここでawayuki_ch さんがおっしゃりたい事は、「あきらめ」とは、「自分の事務能力を否定することである」ということなのでしょうか。
→あきらめとは、人間が自分の事務処理能力を完全に否定する態度だと考える。
→あきらめは、仕事を解決する能力を自らが否定するという態度と考える。
【4】いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めることと違うか。
・「あきらめたら」は、「あきらめてしまえば」
・「認めることと違うか」は「認めることと違うのではないだろうか」
しかし、ここは「認めてしまうことと同じなのである」の方が良いでしょうね。
→いったんあきらめてしまえば、自分で自分の失敗を認めてしまうことと同じなのである。
【5】どのようなことをしても、途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。
・「どのようなことをしても」は「どんなことをしていても」
・「あきらめると言ったらとても簡単だが」は「あきらめると言うことはいとも簡単だが」
・「進歩出来るものか、腕を上げられるものか」は、「果たして進歩出来るのであろうか、また、腕を上げることが出来るのであろうか」
そして、この表現は「果たして進歩したり腕を上げたりすることが出来るのであろうか」とする方うが良いと思います。
→どんなことをしていても、とつぜん途中であきらめると言うことはいとも簡単である。しかし、それでその本人は進歩したり腕を上げたりすることが出来るのであろうか。
【6】あきらめるなんてそんなに簡単に言わないで、本当に。いかなる困難に遭っても。
・ここだけ「話し言葉になっています。
→私たちはいかなる困難に遭っても、あきらめる等という言葉を簡単に使ってはならないのだと思う。
「この世でいちばん簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)と記された雑誌の文章に目が留まった。その文章を繰り返し読むうちに、私には作者の言う事がもっともなことに思えてきたのである。
あきらめというのは、自分の事務処理能力を完全に否定する行為ではないだろうか。いったんあきらめてしまったら、それは完全に自分の失敗を認めたことになってしまうのである。
どんなことをしていても、途中で「あきらめた」と言ってしまうことは簡単である。しかしその後、その本人が進歩したり、腕を上げたりすることは出来るのであろうか。
私たちはいかなる困難に遭っても、あきらめるという言葉を簡単に使ってはならないのだと思う。
質問文の添削です。
日本語作文の練習をしている中国人です。中国国内の雑誌を読んだあと感想文を書いてみました。私の書いた文章に自分でも不自然さを感じるのですが、どのように直したら宜しいでしょうか。質問文も含めてご指導くださいますようよろしくお願い致します。
日本語の勉強も読解から作文へと進み、大分佳境に入ってきたようですね。
少しでもお手伝い出来ればと思っています。頑張って下さい。
ますます
この回答への補足
>あきらめとは、人間が自分の事務処理能力を完全に否定する態度だと考える。
「事務処理能力」の中の「事務」は「書類の作成など、主として机の上で取り扱う仕事」のことのように聞こえるのでしょうか。抽象的な総称の意味のつもりなので、確認していただきたいです。
>あきらめは、仕事を解決する能力を自らが否定するという態度と考える。
ここの「仕事」はたんなる「生計を立てるために従事する勤め。職業」のことではないでしょうね。
>「どのようなことをしても」は「どんなことをしていても」
「どんな」は話し言葉でしょうか。文章を書くときにわざと「どんな」、「こんな」、「そんな」を「どのような」、「このような」、「そのような」に変えるようにしています。ただ、「こんな」と「そんな」の後ろにつく内容を非難するニュアンスを出す場合、「こんな」と「そんな」のままにしています。たとえば、「こんな失礼な言い方」、「そんな最低な人」など。「どのような」と「どんな」は、基本的に言えば、書き言葉としてどちらを使ってもかまわないのでしょうか。
>どのようなことをしても、途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。
「ものか」を使いたかったのですが、ここで「ものか」を使うとやはり不自然な日本語に聞こえるのでしょうか。隅をつつくような質問で、本当に申し訳ありません。「この『ものか』は直感から言うとなんとなく不自然な日本語です」のようなご回答でも結構です。(この「結構です」は失礼な言い方になっていますか。「よろしいです」は危ないと知っていますが。もしここの「結構です」は失礼な言い方になりましたら、お先に申し訳ないと申しておきます。「良いです」なら安全でしょうか。)
追加質問が多すぎて申し訳ありません。お時間があるときいつでもかまわないので、もう一度教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。
毎度お世話になります。
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。また、質問文の添削に感謝しております。大変参考になりました。同じ間違いをしないよう心がけます。
いつも応援していただき本当にありがとうございました。毎日寝る前に日本語の小説を読んでいますが、作文の練習は少ないです。以前は日本語で日記をつけていましたが、もう「月記」になってしまいました。反省しております……
No.4
- 回答日時:
>「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ」とある雑誌でこの文が目に留まった。
よくかみしめてみたら、作者の言ったとおりではないのだろうか。■「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ」とある雑誌でこの文が目に留まった。かみしめてみたが、作者の言う通りではないだろうか。
>あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ。
■「あきらめ」とは、義務を果たすに足る自らの能力を否定する態度である。
>いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めることと違うか。どのようなことをしても、途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、その本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。
■あきらめるということは、自分の失敗を認め、それに屈するということではないのか。
あきらめることは簡単だが、それで進歩は望めるのか。技量を上げることは出来るのか。
>あきらめるなんてそんなに簡単に言わないで、本当に。いかなる困難に遭っても。
■あきらめるなどと、簡単に言うものではない。
いかなる困難に遭おうとも。
少し訂正してみました。
質問文は、おかしくないと思います。
ご親切に訂正していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。繰返して繰返して読みます。また、質問文までもチェックしていただき心より感謝いたします。
本当にありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
「一文に関して感想文のようなものを」
・・・「ある文章について感想を」
こちらのほうが全体の流れからは自然に感じます。
「よくかみしめてみたら、作者の言ったとおりではないだろうか。」
・・・「気になったのでよくよく考えてみた。」
作者の言ったとおりと思ったかどうかは、後の文章で説明します。日本語では先に結論は提示しません。
「あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ」
・・・「『あきらめ』は解決能力の不足を現す。」
「自分が」という必要はありません。文章全体が自分に関することです。「事務に対する」も不要です。日本で事務といえばオフィスワークをさします。あきらめはオフィスワーク以外でも発生します。
「いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めることと違うか。」
・・・「『あきらめ』は自分に対する敗北である。」
おっしゃりたいことは判りますが、日本的な感じ方ではありません。
「どのようなことをしても、途中で急にあきらめると言ったらとても簡単だが、」
・・・「どんなことでもそうだが、あきらめることは簡単だ。」
ここでいったん文章を切ったほうが自然でしょう。
「その本人は進歩できるものか、腕を上げられるものか」
・・・「だが決して進歩はない。向上するわけがない。」
日本語では「主語の省略」が多く見られます。
「あきらめるなんてそんなに簡単に言わないで、本当に。いかなる困難に遭っても」
・・・「あきらめることは簡単だ。だからこそ、困難に遭ったときの最後にとっておくべきなのではないだろうか。あきらめることはいつでもできるのだから。」
急に砕けた調子になるので、拍子抜けします。ここまで力強い文体で来たので、最後まで通しましょう。また、日本語では「結論を最後に」します。問題となった文章を最後に繰り返すことで、より強調できると思います。
この回答への補足
>「一文に関して感想文のようなものを」・・・「ある文章について感想を」こちらのほうが全体の流れからは自然に感じます。
私の書いた「一文」は一つの文章という意味のつもりではなく、「。」で終わる一つのセンテンスの意味です。「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」という文のことを表したいのです。どのように直したら、自然な日本語に聞こえるのでしょうか。
>困難に遭ったときの最後にとっておくべきなのではないだろうか。
申し訳ないのですが、「とって」の箇所は少し理解しづらいです。この文の「最後にとっておく」の箇所はどのように読むのでしょうか。「最後にとって おく」なのか、それとも「最後に とっておく」なのでしょうか。「最後にとっておく」の意味を教えていただけないでしょうか。
以上の二箇所、もう一度教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。日本語では先に結論は提示しないのですね。書いてくださった文例も大変参考になりました。
本当にありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
>よくかみしめてみたら
前文によくかみしめない考えが必要。
>作者の言ったとおり
作者の言うとおり
>あきらめは自分が事務に対する解決能力の否定的な態度だ
事務? 表現的に使わないかなー。
少し分かりにくい文章でもあります。
>認めることと違うか。
違うのか。認めることになる。
>腕を上げられるものか。
技術か何を得ようとしていてあきらめた場合は、腕があげられないという表現でいいですが、何も書かれていないので、ちょっと違和感がありますね。成長できないとか、自分のためにならないとか、そんな表現がいいかな。
> あきらめるなんてそんなに簡単に言わないで、本当に
いきなり文体が違う感じする
あくまで私のセンスなので・・・
例文)
「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」とある雑誌でこの文が目に留まった。まさにそのとおりと、思わず頷いた。
あきらめは解決能力の放棄であり、自分の失敗を認めることでもある。どんなことにおいても、音をあげてしまうことはとても簡単だが、果たしてそれで本人に進歩があるのだろうか、成長があるのだろうか。
(あきらめずにもがくことで解決策が見つかるかもしれない。今日の失敗は成功への糧だ。前に進み続けることで新しい世界が手に入る、私はそう信じている。)
あきらめると、簡単に言わないでほしい。
いかなる困難にあっても。
感想:解決能力の否定と失敗を認めることで進歩できない因果関係が欲しいところです。
また、あきらめると簡単に言わないで欲しいのはなぜなのかもう少し強い理由があるほうがいいと思います。
と思って()を付け足してみました。
No.1
- 回答日時:
明らかに不適切なのは、2カ所だけだと思います。
「とある雑誌で」の前に、「。」が脱落しています。また、「事務」を「物事」に変えた方がいいですね。それ以外には、特に変な所は無く、人それぞれの「文体の個性」だと考えられます。例えば私は、次のように書いてみました。
「この世で一番簡単なことは、あきらめることなのだ(注:原文は中国語)」。とある雑誌でこの文が目に留まった。よく噛みしめてみると、作者の言うとおりではあるまいか。
あきらめは、物事に対する自分の解決能力を否定する態度だ。いったんあきらめたら、完全に自分の失敗を認めたことになる。どんなことでも、途中であきらめると言ってしまえばとても簡単だが、それで本人は進歩出来るものか、腕を上げられるものか。
あきらめるなんてそんなに簡単に言わないで、本当に。いかなる困難に遭っても。
この回答への補足
>「とある雑誌で」の前に、「。」が脱落しています。
ご指摘ありがとうございます。「。」は脱落したのではなく、わざとこのようにしていたのです。「『悩んでもいいけど、迷ってはいけない』とある作家が小説で言っていました。」というネイティブの方の文をまねして作ったのです。なぜ「。」を入れなければならないのでしょうか。まだ納得できないので、もう一度説明していただけないでしょうか。よろしくお願い致します。
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「事務」は中国語に影響されました。大変参考になりました。同じ間違いをしないよう心がけます。
本当にありがとうございました。
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