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質問があります。西遊記に出てくる「二郎真君」は、「封神演義」に出てくる「楊ゼン」と特徴がそのものズバリ当てはまりますよね?哮天犬や三尖刀を持っていて、随一の美男子でしかも強い、という設定は、両方に当てはまっていると思います。やっぱり同一人物なんでしょうか?また、なぜ西遊記と封神演義は「ナタク」や「李精」等類似点がいくつかあるのでしょうか??教えてください。

A 回答 (6件)

類似点は、きりがないんじゃないかなー。


ヨウゼン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E8%81%96% …
ナタク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%BF% …
でも、ネットの世界は広いか、詳しく調べてる人もいるのかも。
私も楽しみにしてまーす。
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この回答へのお礼

ご返事ありがとうございます。
早速リンクしてくださったURLを開きました。いろいろ書いてあって参考になりました。またいろんなサイトさんを見てみたいと思います。

お礼日時:2006/03/22 22:05

と、言うよりも同じ中国神話の神々を登場させているのに


全くの別人が出てくるほうが問題ある気もしますが、
質問者さんが感じてらっしゃるように西遊記の二郎真君と
封神演義のヨウゼンは同一人物とするのが通説のようです。

特に二郎真君はナタクと並び非常に人気のある神様(仙人)なので
多くの中国の物語で登場しています。
となれば超有名な西遊記、封神演義の2作品で
登場しているのも当然といえるのではないでしょうか?

この回答への補足

ご返事ありがとうございます。つまり、ナタクや楊ゼンなどは中国神話のなかで信仰の強い、ポピュラーな仙人(神)の一人であるから、様々な中国の物語で登場することが多い、ということなんでしょうか。念押しのような補足質問ですみません;;

補足日時:2006/03/22 22:02
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>やっぱり同一人物なんでしょうか


この場合は同一人物だったと思います。(封神演義の方)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E8%81%96% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A5%9E% …
なお、封神演義と西遊記はどちらももともと演義、つまり、今でいうと講談のようなものが元になっているため、誰が作ったという話でもなくあえていえばよってたかって作ったようなものです。ですから相互に影響関係があるでしょうが、どちらからどちらとは言えないような気がします。
なお、那托の正式な読みは「なた」ですし、李精ではなくて李靖です。
また楊?は「ようせん」です。この点については
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/%7Enikaido/hous …
ちなみに私の読んだ中で最もかっこよかった二郎真君は井上祐美子さんの小説「長安異神伝」のシリーズに出てくるやつです。蛇足ですが。
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この回答へのお礼

ご返事ありがとうございます。
封神演義も西遊記も、時を経ていろいろ解釈や背びれ尾びれをつけながら語り継がれていったということでしょうか、相互に影響関係があるというのは納得しました。道理で類似点が多いんですね。
 読み方が違うのは知りませんでした。漢字も間違えてましたか、すみません。今まで誤った読み方が私のなかで定着していたので、ちょっと驚きました。
 いろんなところで登場する二郎真君、ぜひ「長安異神伝」も読んでみたいと思います。

お礼日時:2006/03/22 22:13

#3です。

失礼しました。那「托」じゃなくて口偏ですね。(文字化けして出ません。楊せんのせんの字も)
人の間違い追及するのなら自分も間違えるな、ってことで困ったもんですが。
前者は「たく」と読めますが後者は「た」です。
ちなみに水滸伝の八臂(はっぴ)那「た」、というのは綽名ですが。
#2さんが仰っているように道教神話は唐から宋にかけての頃にはある程度でき上がっていたようですから(もっとも後世にいろいろ追加されたり変形されたり。唐代の人物なんかも神様になったのがいます。李靖はほんとは唐の頃の実在の人物ですね。だから西遊記はともかく封神演義に出てくるのはちとあれですが)、そういう意味では共通する登場人物(というか神様ですね)があっても不思議ではないでしょう。ただし扱いはかなり違いますが。

この回答への補足

二度もお答えいただきありがとうございます。
そいういった道教神話というものは、ほぼ同時期に出来ている、ということなんでしょうか?その当時に信仰が強かったり人気があったりした神様や仙人、人物が、「西遊記」や「封神演義」などの多くの物語に登場してくるということになるんでしょうか。

補足日時:2006/03/22 22:16
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>道教神話というものは、ほぼ同時期に出来ている、ということなんでしょうか



いいえ。そもそも道教の始まりがいつごろか、というのは論争がありますし、一概にこうともいえないでしょう。たとえば女?あたりはひょっとすると漢民族の中国が成立する以前の神かもしれませんし、西王母なんてのも(かつて実在した形跡あり)穆王の時代、というのは西周のころですがどちらかといえば穆王に対する上位者としてふるまっていたと考える向きもあるようです。つまり漢民族が支配する以前の、また統一的な支配というのは実は秦以前にはなかった、というか周の時代の支配関係はかなり多民族的だったと思います。それを楚の勢力が統一して中国を作り出したのが秦漢王朝だったと思うのですね。ですから大体周王朝の後期くらいから、いろいろな民族の神話がまとめられ始め、未だなかった統一国家・統一民族の神話や思想が徐々に作られていくわけです。このあたりは
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015 …
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061495 …
にくわしいです。
その後、漢の時代にこういった思想や神話が体系として記録されるわけです。
後漢の末に五斗米道や太平道が起こったのが道教の教団として(少なくとも大規模なものとしての)始まりになります。
その後道士による宗門の道教と民衆の中の通俗的な道教に分裂しながら、神様の数がどんどん増えていくわけです。このあたりは日本でも似たようなことが起こっていますが。
前者の教団は教義上重要な神様、たとえば元始天尊などをつくりだし、後者の民間信仰が関帝聖君や二郎真君を作り出します。もっとも傑作なのがかの斉天大聖・孫悟空で、はじめから講談ないし小説の登場人物なのに、ついには神様になって祀られています。さしずめガンダム神か、いやむしろライディーン神でしょうかね。
というわけで千年以上にわたって連綿と作り出されてきた神様が道教にはいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E9%81%93% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99
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この回答へのお礼

またのご回答ありがとうございます。大変詳しく書いてくださり、とても分かりやすかったです。道教神話が出来上がってきたプロセスが理解できた気がします。こういった道教の動きを受けて、有名な神様や人気のある神様が様々な作品に多く登場してくるようになるんですね。
本当にスッキリしました。
 リンクしてくださった本も、時間を見つけて読んでみたいと思います。丁寧で親切なご回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/03/23 23:43

#2のものです。



ポピュラーというよりもヒーロー的な存在というべきでしょう。

おそらく今で言うところのドラマや映画を見ると
必ず中心的な存在で出てくるあの俳優といったところではないでしょうか?

モデルとなった人物の史実での活躍や
もともとの神話での活躍もあってのことだとは思いますが
「彼らが出てくれば話が盛り上がる」という
キャラクターと言うかカリスマ性があるのだと思います。
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この回答へのお礼

またの回答ありがとうございます。
なるほど、ヒーロー的存在だったんですね。俳優というたとえだとよく分かります。ヒーロー性から同じ神様がいろんな物語に多く登場するという要素もあるのですね。
 とてもためになりました。

お礼日時:2006/03/23 23:46

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