チョコミントアイス

蘇我稲目・蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿
これらの名前は自ら名乗っていたものでしょうか?
蔑称に近いものがあるように思えます。
本当は別名だった可能性はありますか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

記紀の中で本名が隠されている者に聖徳太子と蘇我氏がいます。



聖徳太子には「厩戸皇子」とか「豊耳皇子」という名があったという意見もあると思いますが、厩の前で生まれたから「厩戸皇子」とか耳が大きいから「豊耳皇子」などという名を貴人に付けるでしょうか。あだ名ならともかく本名には付けないでしょう。
蘇我氏については質問の通りで、そんな蔑称は親も本人も付けないと思います。

何故蘇我氏の名に関する質問に聖徳太子が出てくるかとお思いでしょう。
私はこれらが同一人物で、しかも九州王だったと考えています。

何故なら、
1.聖徳太子を祀ったと言われる法隆寺夢殿にある救世観音像は天皇家や藤原家が祟りを封じ込めるために頭を杭で打ち抜いたうえ白布でグルグル巻きに巻いたとのことだが、厩戸皇子には天皇家や藤原家を恨む理由がない。(蘇我入鹿が山背大兄皇子を殺害したからという文章があるが、だったら蘇我家を滅ぼした天皇家や藤原家は恨まれるどころか感謝される筈。)

2.その救世観音像には「阿毎多利思比子」と書かれているが、これは隋書倭人伝に書かれている九州王の名である。

3.出雲の国譲りは譲ったのではなく、力ずくで奪われたのであり、大国主は船上で切腹させられたという話が神楽として残っている。

4.この大国主の御霊を鎮めるために建てた出雲大社の敷地の奥に蘇我社があり、この社は出雲大社より権威があると言われている。

5.大和王朝による大化年号より以前に九州年号があった。つまり九州王が日本全土の王であった。

6.大和王朝は645年から「大化」という年号が始まるが、突拍子もなく始まり、しかも「白雉」と続いた後断続的であり、九州年号の「大化」を50年遡らせるための小細工にしか見えない。

7.「大化」を50年遡らせたのは695年に行なった九州王の殺害を645年に蘇我入鹿を暗殺した話にすり替えるため。

8.では何故蘇我入鹿の暗殺をでっち上げなければならなかったのか。天皇家だけで考えれば本来九州王の殺害について黙り通すだけで良いが、九州王の殺害に功績があった中大兄皇子と中臣鎌子の功績を讃える必要があり、悪人蘇我入鹿暗殺をでっち上げた。

9.蘇我入鹿は「林太郎天皇」と呼ばれ、天皇だったという話があるが、これに対して「近江天皇」という呼称もあり、蘇我入鹿は近江で天皇だったのではなく、別の場所で天皇だったと考えられ、他の状況から九州王が妥当。

10.蘇我馬子は豊浦大臣と呼ばれていたが、「豊浦」とは山口県にあり、神宮皇后が立ち寄った場所。「豊浦」は大和にもあると言う人がいると思うが、「浦」は海岸であり、大和には該当する場所がなく、大和の「豊浦」は辻褄を合わせるためにつけたに過ぎない。
11.持統天皇は「春過ぎて、夏来にけらし白妙の、衣干すちょう天の香具山」と歌い、これが「天女の羽衣を奪う」=「政権を奪う」歌と言われているが、天智天皇の娘であり、天武天皇の妃である鸕野讚良(うののさらら)は常に政権側であり、誰から政権を奪うのか。九州王から奪う以外考えられない。
これらを総合すれば聖徳太子=蘇我入鹿=九州王になりませんか。

この他にも、

12.出雲の国譲りは神話ではなく、695年以降の九州王からの政権奪取において北九州か出雲で国譲りを迫り、九州王を切腹させた。

13.記紀に出雲神話が多いのは国譲りを「神話」と思わせるための小細工。

だと考えています。

いずれも状況証拠だけで物証に欠けますが、700年以降に急に記紀を編纂したり、それまであった文書を集めて焼いたりしたことから考えると十分にありえる話だと思います。
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其の通りで、名字自体も創作です。

大国主の系統を時代別に寸断して別の勢力の様に誤魔化しているのです。但し全てが嘘では無い為混乱が生じています。稲目の別名は馬背、馬子は正しい。馬子は葛城姓で蘇我葛城臣とも。蝦夷は毛人でも同じ読みで漢字は蔑称。入鹿も蔑称。入鹿は鞍作とも呼ばれ鞍作姓と考えられます。馬子は葛城県を欲していますから元々自らの領地が天皇家の直轄地に成ったとも推測出来ましょう。
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ちゃんと反応してくれて、安心しました。

ただ、質問が多過ぎるので、消化不良になりませんか?
 回答については、No.1さんの答えでよいと思います。門脇禎二氏は、1925年生まれ。京都府立大学名誉教授。京都府立大学学長などを歴任した日本古代史の大家です。一般人にも読み易い著書を多数執筆されています。日本史に興味があるようでしたら、氏の著書を幾つか読まれることをお勧めします。Amazonにあるもののうち、この件に直接関係あるのは、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4642050 …
(『蘇我蝦夷・入鹿』吉川弘文館)です。他に、読み易いものとしては、次のものがあります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140012 …
(『出雲の古代史』NHK出版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140013 …
(『飛鳥 その古代史と風土』NHK出版)
などがあります。パソコンもよいですが、読書の習慣も身に付けてください。
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稲目、馬子は知りませんが、蝦夷、入鹿については、蔑称説は聞いた事があります。

蝦夷は実は毛人(読みは同じエミシ。「上宮聖徳法王帝説」でそう呼ばれている為)、入鹿は鞍作(日本書紀での別名)が本当の名前、という説です。

門脇禎二(学者の名前)なんかがそう説いていたと思います。必ずしも定説とは言えません。(蝦夷でも毛人でも、結局は蔑称にも思えるが、毛人は、蔑称で呼ばれるような状況でもない人物についている例もあり、そもそもエミシを蔑称と思うほうが間違っているのではないか、とかです。入鹿の方も、蔑称と本当に考えるべきなのか、という疑問もあります。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/22 21:41

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