痔になりやすい生活習慣とは?

「和をもって貴しとなす」と言ったのは、和を保つことが日本人の第一義的な義務だと定めたわけでしょうか。
それとも、和を保つのを優先する民族だと、その性質を語っただけなのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

 十七条憲法は、役人(≒豪族)心得として発布されたものです。

これを守って仕事をしなさいよ、という訓示兼政治方針説明です。つまり、権利義務の規定でもなければ、文化人類学の論文でもありません。
 豪族と言いつつ、古代日本ではヨーロッパなどとは違って貴族階級と平民の間に民族性の違いがあるわけではありません。古事記で、ヤマトタケルノミコトが歌を詠んだら、それに対して従者の老人が歌を続けたというエピソードもあって、言語も共通だったことが分かります。ですから、この訓示で踏まえられている人々の性質とは、日本人全般の性質と言っても構わないでしょう。

 なお、当時「日本人という発想が無い」ということは、特に朝廷においては、あり得ません。
 当時の朝廷は朝鮮半島とも大陸とも交渉がありました。大陸伝来の仏教を信じる蘇我と日本のカミを奉じる物部の間で起きた日本では稀な宗教戦争的要素を持つ戦争に、太子自身が出陣してもいます。なにより、有名な「日出る処の天子、日没する処の天子に書を致す」という文書は、日本人としてのアイデンティティを明確にしてシナを中心とする柵封体制から脱出することを意味するものです。聖徳太子がそれを意識もせず意図もせずこんな文書を書くと考えるのは、無理というものです。

 ちなみに、全く偶然ですが、ついさっき、ご質問の内容を別の回答に書いたので、そのまま引用しましょう。本来、この程度の長さなら全文を学校で教えて欲しいものですね。引用したような誤解もされるのですから。

-- 引用ここから --
 和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為す。人皆党有り、亦達れる者少なし。是を以て、或いは君父に順わず、乍隣里に違う。然かるに上和らぎ下睦びて、事を論ずるに諧えば、則ち事理自ずから通ず、何事か成らざらん。

 簡単に言えば、「仲良くすることは大事だよ。むやみにとんがるものじゃない。人それぞれ立場があるし優れた人は少ないから、意見の対立が起こる。そういうときには上下の別なく仲良く話合いをしなさいよ。そうすれば出来ないことはないのだから」なんてことを言っています。
 ちなみにこの条を、単純に「従順に天皇に従え」と言っている、と思っている人もいますが、むろんそれは間違いです。
-- 引用ここまで --

参考URL:http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2222166
    • good
    • 0

「和を以って貴しと為す」を第一条にもってきたのは


義務でも、また優先する民族だと、その性質を語った訳ではないように思います。太子は幼い頃から豪族たちの争い、血で血を洗うような王位交代、我さえ良くば他は、どうなってもよいと云う考えでは、国として成立し得ない。だから、「和を以って……」は「願い」または
「理想」だったんではないでしょうか。先ずは、「和を以って……」でないと他の条文が意味なさないと感じられます。自分だけが良ければと云う国家、いまでもありますね?個人的にも……。
    • good
    • 0

まず、「十七条の憲法」という表現は誤り。

正しくは「憲法十七条」。ついでに言えば、「聖徳太子」というのは後世の呼称であり、当時は「厩戸王」。

そして、また、その後の表現を忘れがちなのが、今日の日本人であります。「人皆党有り。亦達る(さとる)者少し。是を以て、或は君父に順はず。乍隣里に違ふ。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論ふ(あげつらふ)に諧ふ(かなふ)ときは、事理自づからに通ふ(かなふ)。何事か成らざらむ」と続きます。

つまり、意見の違いを前提としているのであり、むやみに付和雷同せよと言っているのではありません。

厩戸王が言いたかったことは、人には意見の違いがあるが、議論を尽くせば正しい結論を得られるであろうということであり、議論抜きに上に従えということではない、と思います。
    • good
    • 0

天皇一派のインテリは当時仏教が文化みたいにかぶれていたし、法治国家を目指そうって、法律も外国から持ってきた律令をそのままやろうって思っていたわけ。

原本が英語の現憲法をありがたかる今の日本人と一緒だけど。そういうやつらは「ヤマト」、もともといる勢力は「和」なんですよ。歴史では豪族っていわれているもともとの支配層。
和をもって尊しとなすというのは、本当は律令による法治国家が理想なんだけど、みなさまお歴々の慣習は第一に尊重しますよって言う意味です。だから近代法治国家建設に協力してくださいって意味です。
和の勢力の方が強いし、彼らの協力無しでは上手くいかないので第一条で宣言しているんです。
    • good
    • 0

回答になっているかどうか、不安ですが・・・。


「ゴミ不法投棄禁止」「たばこのポイ捨て禁止」という張り紙や決まりがあるということは、「ゴミの不法投棄する人がいる」「たばこのポイ捨てする人がいる」ということがわかります。そんなことをする人がいなければ、そんな張り紙をしたり、決まり作ったりする必要はないはずです。つまり、「和をもって貴しとなす」と第1条にわざわざ定めているわけですから、おそらく、聖徳太子が十七条憲法を定めた当時の状況は、豪族間の権力争いなどがあったことが想像できます。(当時、史実として実際に豪族同士の殺し合いがあっている)いかがでしょうか?つまり、質問の答えとしては「第一義的な義務」になると思います。
    • good
    • 0

こんばんは。


日本人うんぬんではなく、豪族の心構えを説いたものだと思います。
豪族達の権力闘争がありましたし、
それによって朝廷が覆されないとも限らなかったでしょうから。
それに、当時は列島が統一されていたわけでもなく、
「日本人」という発想はまだなかったのではないでしょうか。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/tokyo/tanken/newpage126.htm
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q聖徳太子の「和をもって尊しとなす」の真の意味は?

日本人思想の根幹と思えるこの言葉、言葉通り「仲良きことは美しき哉」では有りませんが、この時代、大和民族・先住民族・渡来人等々、多様な民族の融和を促した言葉なのでしょうか?

  他民族から見れば迷惑な話かもしれませんが、この考え方が、アイヌ・熊襲・琉球併合となり、後の台湾・朝鮮併合へと続く、植民地化と言うより、名前や言葉を日本化して民族和合を図ったような気がしてならないのです。

Aベストアンサー

「和をもって尊しとなす」を当時の事情に合わせて、意訳すると「みんな日本人なんだから、細かいことでギスギスしないで、お互いを尊重しようよ」ということになると思います。

現在では、聖徳太子の実在そのものが疑われていますが、それはちょっと脇において、彼が生きた時代のことを考えて見ます。

彼の生きた西暦600年前後(7世紀初頭)というのは、日本史で言えば古墳時代から飛鳥時代に変わる時代とされています。

そもそも、古墳時代というのはヤマト王権が日本を統一国家にしていく過程の時代であり、西暦600年前後はヤマト王権がほぼ日本を統一して、朝廷として君臨し、対外的な呼称すら「倭」から「日本」へ変えていこうとした、「日本統一が成し遂げられて、日本として出発しはじめた」時代であり、遣隋使の派遣という対外的な政策・冠位十二階・十七条憲法などの国内政策そして仏教を取り入れて「日本」という国の基礎を確実なものにしようとしていたのが、聖徳太子をはじめとしたこの時代の人々であったといえます。

しかし、実際は新興宗教である仏教を取り入れ権勢を図ろうとする輩もいれば、神道(というより自分の部族の守り神)を信奉して仏教に頑なに反対する勢力、など、まだまだ「日本」という国の形がぜんぜん出来ていない、時代であったのです。

「このままでは、せっかく何代もかけて先代たちが国をまとめてきたのに、崩壊してしまう」という危機感が聖徳太子にはあったのでしょう。

「和をもって尊しとなす」というのは、○○部族民から「日本人」になろうという呼びかけであったことは間違いないと思います。当時としては、先住民族や渡来人だけでなく、まだ大和民族が出来ていなかった、ということです。

>  他民族から見れば迷惑な話かもしれませんが、この考え方が、アイヌ・熊襲・琉球併合となり、後の台湾・朝鮮併合へと続く、植民地化と言うより、名前や言葉を日本化して民族和合を図ったような気がしてならないのです。

あながち間違いではないと思います。ただ、他の侵略国、特にヨーロッパ諸国は「勝者の権利」を前提に「被支配者は支配するもの」でしたから「植民地化」がどれほど苛烈で過酷だったかは言うを待ちません。

日本のやり方がよかったかどうかは、分かりませんが、20世紀の帝国主義の時代であっても、日本は日本的な民族合併・民族和合を図ったのが面白いところでしょう。

「和をもって尊しとなす」を当時の事情に合わせて、意訳すると「みんな日本人なんだから、細かいことでギスギスしないで、お互いを尊重しようよ」ということになると思います。

現在では、聖徳太子の実在そのものが疑われていますが、それはちょっと脇において、彼が生きた時代のことを考えて見ます。

彼の生きた西暦600年前後(7世紀初頭)というのは、日本史で言えば古墳時代から飛鳥時代に変わる時代とされています。

そもそも、古墳時代というのはヤマト王権が日本を統一国家にしていく過程の時代...続きを読む

Q「17条の憲法」は本当に聖徳太子が作ったのですか?

「17条の憲法」や「冠位12階の制度」は、聖徳太子が制定したと学んできました。

しかしある本で、「これらを聖徳太子が制定したとはどこにも書いてない」とあり、ショックを受けました。
ではなぜ、これらは聖徳太子が制定したとされてきたのでしょう?

これらが制定された時期、聖徳太子が政治の実権を握っていたのは間違いないのですか?
蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?

Aベストアンサー

 聖徳太子って謎の部分が多い人なので、いろいろな説が生まれてきます。「<聖徳太子>の誕生」と言う本は(大山 誠一著)は、聖徳太子不在論争のきっかけとなった本で、聖徳太子の存在を否定するものは幾つかあります。だからといって 十七条の憲法冠位十二階を「蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?」と言うことにはなりません。#2さんの言うとおりです。もし、聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族がいたことは間違いないと思います。

 そこで、聖徳太子をもしもう少し調べてみてもいいようなら、実在していることを前提にしっかり書かれていながら、信仰としての聖徳太子についてもしっかり書かれている、岩波新書の「聖徳太子」(吉村 武彦著)がおすすめです。
 マンガでは私は、「日出処の天子」(山岸涼子)(白泉社)をおすすめします。日本の古代研究の第一人者梅原猛先生のお墨付きももらっているマンガです。聖徳太子が超能力者的に描かれていてウソの話が多すぎると言う意見もあるが、彼の伝説にそういう話は結構あって、その他当然つくられた話の部分もありますが、その当時の時代の雰囲気がつかめるおもしろい作品です。池田理代子さんの作品もいいですよ。
話がそれてしまいました。聖徳太子ってとてもおもしろい存在です。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/umayado/who/book/books.htm

 聖徳太子って謎の部分が多い人なので、いろいろな説が生まれてきます。「<聖徳太子>の誕生」と言う本は(大山 誠一著)は、聖徳太子不在論争のきっかけとなった本で、聖徳太子の存在を否定するものは幾つかあります。だからといって 十七条の憲法冠位十二階を「蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?」と言うことにはなりません。#2さんの言うとおりです。もし、聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族が...続きを読む

Q和を以て貴しとなす を英語で?

「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の言葉。
人とのつながりを大切にしましょうという意だと思うのですが、英語でカッコいいフレーズがあるのでしょうか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

二番です。
Putting Utmost Priority On Harmony !
Harmony is of [our] top priority.
Harmony is of utmost importance.
Harmony is of the highest preference.
Harmonizing Ourselves Comes First ! [*]

ものすごく堅苦しく
Harmony is to be valued.

私自身は[*]が好きだけど、後はお好みで!


人気Q&Aランキング