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 なぜ倭王武は雄略天皇の可能性が高いとされているのですか。
 彼の事績を調べていたのですが、朝鮮半島での対外遠征の記述はほとんど無く、政権内部の権力闘争や粛清が大半でした。明らかに国論が統一されてなかったような感じです。さらに、倭王武が中国南朝から都督や将軍号を貰っていたのですから、彼の宮殿があった場所は都督府と呼ばれていてもいいはずです。でもそのような記述は無く、畿内に一宮や府中のように地名として残っていません。
 通説で言われているように、当時の中国との冊封体制を伏せているのだとすると、なぜ朝鮮半島での対外遠征に対する言及が軽くふれられているのか説明できません。なぜ記述を徹底していないのでしょうか。
 また、稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた文字にはワカタケル(漢字は省略)と書かれていますが宮の名前が異なっています。
 一つ一つ検証してみたのですが、私は納得がいきません。こういうのを書くと馬鹿にする方がいるかもしれませんが、回答をくださる方、お願いします。

A 回答 (5件)

 横やりで失礼します。

「倭王」は日本を統一してなどいませんよ。統一と比定されるのは、律令的統治システムが導入された8世紀の話です。
 倭の五王の時代ならば、他の地域にも王権が個別に存在し、ヤマトの王家それらとの関係がどうだったのかを視野に入れて検討すべき問題ではありませんか?
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。統一とは、律令的統治システムがあってこそ言えるものなんですか。
 朝鮮半島に継続して遠征を行っていたわけですから、かなりの国力も必要だと思うのですが。とすれば、中央集権式ではなく封建式の統治を行っていたのかもしれないですね。もっと視野を広げないと解らないのかもしれないですね。

お礼日時:2013/12/01 16:49

倭王武=雄略天皇と確定されているわけではなく、あくまで可能性が高いと推定されているだけですが、質問者さまがいくつか指摘されているようなことは、倭王武=雄略天皇説を否定する根拠にはなり得ないと思います。



日本こそが世界の中心たる「中国」(日本書紀の雄略天皇7年条にも「新羅不事中国」とあります)であり、朝鮮半島の各国に対して日本に朝貢するよう要求し続けていた当時の日本の立場からすれば、(大陸の)中国王朝への朝貢はやむをえずしていることで、まったく誇れる話ではありませんから、遣使の記事が日本書紀に載ってないことや、宮殿を都督府などと称さないことは、ごく当然です。

また、ワカタケルの表記が一定でないことをもって「明らかに諱ではあり得ない」と結論するのも、無理があります。漢字は表音文字としても表意文字としても使われ、普通名詞、固有名詞を問わず、どのことばにしても、表記は一定ではありません。たとえば、藤原不比等は日本書紀の持統天皇3年2月己酉条では「藤原朝臣史」と表記されています。若君といえば、まだリーダーになる前の後継者に対して使うことばですから、「治天下」「大王」とされる人物に使っていることから見て、「ワカタケル」が若君を意味する普通名詞だとするのも無理があります。

たしかに、日本書紀はずっと時代が下ってから編纂されたものなので、宋書倭国伝などを参照して作られた可能性もありますが、質問者さま自身が言及しておられるように、宋書倭国伝と日本書紀は内容の関連性が希薄で、遣使年代と在位期間が矛盾しない(死の前年ですから、かなりギリギリですけど)のは倭王武と雄略天皇くらいで、系譜からみて興と推定される安康天皇、済と推定される允恭天皇ら、他はみな食い違っています。これほど関連性が薄いのでは、編纂上の参考にはしていないと見るほうが合理的です。倭王武から雄略天皇を創作したという考え方は、あり得ないとまでは断言できませんけど、非常に強引なこじつけといわざるを得ません。
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この回答へのお礼

 たびたびありがとうございます。実はですね。調べたんですよ。ウィキなんですが、日本書紀の天智紀に筑紫都督府という言葉があるそうです。更に、大宰府政庁跡に石碑がありまして、都府楼趾という呼び名で一般には知られているのですが、石碑には都督府楼趾と刻まれているそうです。本当かなと思いその他書籍に写された石碑の写真を虫眼鏡で注意深く観察しましたが、やはり都督府の文字が見えましたね。
 回答者さんのおっしゃる通り脱字してでも、事実を隠そうとしたようですね。私にはそう思えますね。
 これ以上やると議論になると思うので、打ち止めにしましょう。実はもっと聞きたい事があったのですが、そこまでの頭の回転がなかったので、後の祭りとなりました。申し訳ないです。

お礼日時:2013/11/29 12:40

根拠とされているのは以下の3つです。



(1)系譜が宋書倭国伝の記事と一致する
「済死、世子興遣使貢献」「興死、弟武立」「臣亡考済(※考とは父のこと)」といった記述から、武は興の弟で、済の子とわかります。雄略天皇は安康天皇の弟、允恭天皇の子ですから、系譜的に合致します。

(2)遣使年代が在位期間と一致する
倭王武の遣使は478年で、雄略天皇の在位期間は456年~479年(日本書紀による。古事記では489年崩御)ですから、晩年になるのがいささか不自然ではありますが、一応、合致します。

(3)名前が似ている
雄略天皇の名である「大泊瀬幼武(オオハツセノワカタケル)」が武と似ています。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 日本書紀はなぜ遣使の記事にはなぜふれないのですか。明らかに倭王家が統一していたのだからその記事を日本書紀に載せればいいだけのことだと思いますが。さらにワカタケルの表記の仕方はかなりありますよね。統一されてないのに、本当に彼一人の固有名詞なのですか。若君にみられる普通名詞じゃないのですか。明らかに諱ではないでしょ。日本書紀は二次資料ですし、後付設定できますよね。

お礼日時:2013/11/27 22:22

先ず、古事記・日本書紀に記載の、雄略天皇の別名<ワカタケ(ル)>が、古墳から出土した鉄刀剣の銘文(ワカタケル大王)に、ほぼ一致することから、ワカタケル大王≒雄略天皇との推定・定説が成立しました。



次に、関東と九州から、「ワカタケル大王」と読める鉄刀剣史料が発掘されたことが、「ワカタケル大王≒雄略天皇」の支配範囲が、少なくとも、関東(東)から九州(西)に及ぶことを、決定付けたわけです。

ここまでで、ワカタケル大王≒雄略天皇、ということ、および、その雄略天皇が、その時点までに、日本列島の半分・東西を広く支配していた、ということ、こういった推定がイメージできることになります。

次に、『宋書・倭国伝』に言う「倭王・武」が、上表文において、(主旨)「自分の祖先は、東西・海北の毛人・衆夷の国々を、計216か国、征服・平定してきた」、とあるのですが、その文言と雄略天皇事蹟、つまり、鉄刀剣の銘文から推定される雄略天皇の支配範囲(東西広域)と、上表文の内容(「武」の祖先たちによる東西への征服活動)と、両方がそのまま符合するため、倭王・武≒雄略天皇、と推定されているのです。

ちなみに、「当時の中国との冊封体制を伏せているのだとすると」、ですが、冊封関係を、あえて伏せる必要が、当時あったのかどうか、この説を唱える論者は、何もかも全く違う千年以上前のことを、「現代的な」思想・固定観念・先入観で、論断しているのであって、それは、歴史考証というものでは全くなく、非常に稚拙な考え方であるとしか思えないような言説、と言うほかはありません。

記紀は、朝鮮半島との関係、中国との関係、武烈天皇の暴虐、などなど、隠すことなく記述しているのですから、「伏せている」、などといった説は、全くの現代的スタンスによる邪推そのものであって、「史実」には程遠い言説ですので、ご注意願います。

参考

雄略天皇の別名
幼武<ワカタケ(ル)、日本書紀>
若建<ワカタケ(ル)、古事記>

出土鉄刀剣の銘文
「獲□□□鹵」<ワ□□□ル、九州・熊本県、江田船山古墳・鉄刀銘)
「獲加多支鹵」<ワカタケ(キ)ル、関東・埼玉県、稲荷山古墳・鉄剣銘>

『宋書・倭国伝』の「倭王・武」上表文
「昔より祖彌、躬ら甲冑を環き、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国」
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 伏せている説はあまり現実味はないのですね。少し気になったのですが、倭王武=雄略天皇ではなくてこれは倭王武=ワカタケル、ワカタケル=雄略天皇と一次資料、二次資料から導けると思いましたね。
 倭王武と雄略天皇の置かれた環境は、資料上では明らかに隔たりがあります。日本書紀の編者はここに目を付けたのかもしれません。名称を同じにすることです。日本書紀の記述は中国史書に登場する倭国王との対応について絶対に明記しないスタンスをとってます。
 そういえば、皆さん都督府については言及されないのですか。

お礼日時:2013/11/27 22:40

消去法です


倭の五王を一人ずつ当てはめていくと 残った「武」は雄略天皇に当てはまってしまいます

そもそもこのころの天皇は存在自体疑わしいですし
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この回答へのお礼

 ちょちょっと、消去法とはご無体な。ええ~、これも学問のうちなのでしょうか?

お礼日時:2013/11/27 22:44

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