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・空想上の物語り(日本誕生神話)は712年の古事記が出来た時代より、もっと昔から語り継がれてたのでしょうか? ・伊勢神宮(内宮)って何年前に設立されたのですか? ・空想上の神(天照大神)って今から何年前に登場してた事になってるんですか? ・天照大神が日本の始まりというくらいですから、伊勢神宮が日本で最初の神社なんでしょうか? ネットで調べてるうちに矛盾が出てきましたので問い合わせたしだいです・・。

A 回答 (3件)

神道研究の専門家ではありませんが、似たような分野の研究しています。



>Q1.日本神話成立は古事記成立以前か?
古事記はそれまで口伝されてきたものを書き付けた物ですから、当然そういうことになるでしょうね。
でも、恐らくそんなに古くはないでしょう。

>Q2.内宮の設立は何年前か?
伊勢神宮のサイト(↓)で調べて下さい。
1300年前から式年遷宮やってると言ってますから、
今の場所にあるのはそれよりちょっと前でしょう。
存在自体は天皇家の氏神ですから、天皇家の成立の少し後からあったと思います。

>Q3.アマテラスは何年前からいたか?
古事記をよく読んで逆算していって下さい。
因みに神武即位はB.C660に設定してますよ。

>Q4.伊勢神宮は日本最古の神社か?
日本の始まりはいざなぎといざなみです。
古事記の最初に出ていませんか?
宇佐や出雲や大三輪や熱田や吉備の方が古いでしょうね。
特に出雲と吉備は別のグループの氏神ですから。

追伸:ネットの情報は信憑性が低いので政府機関や関連機関、専門家の書いた物以外は信用しないで下さい。
ネットで安易に検索する前に、古事記を読んで皇學館か國學院の教授の書かれた著作を読む事をお勧めします。

参考URL:http://www.isejingu.or.jp/index.htm
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伊勢神宮は20年に1度、本殿を真新しいものにすっかり建て替える(遷宮という)ことにより、千数百年前の建築様式が現代に伝わっているのです。


 伊勢神宮の建築様式というのは日本の建築でも独特のもので、他に例の無い建て方をされています。まず、柱が沈まないよう、更には安定させるために柱の下に置く基石がつかわれていいないのです。そして、その柱にも、棟木を支える棟持ち柱という独特な柱が有り、この柱はマレーシアなど赤道圏の地方に現在でも見られる様式のものでかなり古い時代に日本に伝わったもの考えられています。
 物を遺さず、そのせいさん手段を遺す伊勢神宮にあって、例外的に伝わっている物体があります。本殿の下にある心の御柱と、その上に祀られている御神体のやたの鏡です。
 このやたの鏡は直径6寸7分(約20Cm)の円形の凸円鏡で、白銅製、その鏡の裏には唐草文様が同心円状に入っており、中心に紐(ちゅう)と呼ばれる紐を通す輪がついている古墳時代の鏡と形状が非常に似ているものです。
 古事記にまとめられる前日本の神話は口伝により伝えられた訳で、口伝と聞くと反射的に大変怪しげなものに思うかもしれませんが、最後のアイヌの神話の伝承者知里ナミさんは3時間かかる口承を何十年たとうとも何十回繰り返そう一言一句狂わず、言語学者の金田一京助先生を驚かせたといいます。だから、稗田阿礼のような記憶術の天才が古事記を諳んじていたというはしもありうると考える学者もいます。
 また、古事記とは別に地方ではそこに受け継がれた伝承を風土記としてまとめています。これが、出雲国風土記や常陸国風土記ですが、これらの内容と付き合わせて研究されています。
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>Q:日本神話成立は古事記成立以前か?



日本の神話は、大和朝廷成立の過程で、諸豪族を征服・吸収していきますが、そうした諸豪族に伝わる神話や伝承も織り交ぜて1つの話となります。
またこの時代ですが、皇統が天智系から天武系に移り、識者によっては天智天皇と天武天皇が兄弟という点に疑問を呈する向きもあり、古事記自体に辻褄合わせを指摘する方もいます。
ですから成立は712年でも、それ以前から様々な形で語り継がれたと考えてよいでしょう。

>Q:空想上の神(天照大神)って今から何年前に登場してた事になってるんですか?

神話はともかく、「天の岩戸隠れ」は実際は248年9月5日と考えると辻褄が合います。
日本で初めて資料上に国が出来たのは資料で確認できるのは57年になります。
それ以降「皆既日食」は158年・248年・454年に起こりますが、「魏志倭人伝」と事件を付き合わせると「卑弥呼」の死が248年ですから、この年に何かあり、神話を構成するファクターになったと考えると自然な気がします。

Q:伊勢神宮が日本で最初の神社なんでしょうか?

これは完全に違います。
伊勢神宮は「天津神(あまつかみ)」という高天原の神々を祭った神社ですが、国譲りで有名な出雲などには「国津神」という土着の神々がおり、こちらの方が古いと思います。

1番の方が専門家としてご意見を述べられましたので、私は素人として自由な発想で考えてみました。
歴史の場合資料に書いてある事をそのまま信じるか、それともその資料の裏を読むかで意見が違ってきます。
例えば「卑弥呼=天照大神の原型」という意見など公式にはありません。
しかし前後の辻褄を考えていくとどうもそうではないかと考える方も多いようです。
はっきりしないのは古墳の発掘が出来ないのも一因ですが、歴史は柔軟な発想で考えるとよいですよ。
ネットの情報が違うのも個々の考えがあることと、単に間違えた資料を参考にしてさらに間違えたという事もありますから何ともいえません。
トロイの発掘なども自由な想像力の賜物ですから、そういう物とお考えください。
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