自分の感覚と、他人の感覚は、一致しないと思うのですが、それはどうやって説明するのでしょうか?それは、「内的な経験」っていうものにも関係があるのですか?実は、「内的な経験」もよく分からないです。未熟者ですみません。哲学には、詳しくないので、何か具体的な例をあげて教えていただけると嬉しいです。お願いします。

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A 回答 (11件中1~10件)

前回自分の考えを述べたつもりなので、hamachihamaguriさんの私の考えを教えてくれという要望にそってるか今一つ自信がないですが、一応補足してみます。



前回述べた通り私は、自分の感覚と他人の感覚が一致するかしないかと判断する時に他人が感じている感覚そのものを知る必要があるならば、一致するとか一致しないとかという判断をすることはできないと思っています。
しかし、他人の感覚を知るという事が、他人の感覚そのものを知る事ではないという事ならば話は別だと思います。常識的には「このコーヒー甘いね」「富士山は綺麗だ」「太陽が沈んでいく」等の発言を他人がした時、他人の感覚を知ったといえますよね。それは、それぞれの発言に応じた感覚を他人がもっていることを基本的には疑わないからこそ可能なことだと思います。この見解にたてば、自分と他人の感覚を容易に比較することできますし、自分の感覚と他人の感覚は一致しない(ことがある)という結論は妥当だと考えます。
私だってそういう常識を持っているので、自分の感覚と他人の感覚は一致しない(ことがある)と思っています。ただ、デカルトがやったようにあえてその常識を疑うことはできます。それはこんな具合です。ある人が「このコーヒー甘いね」と言っているが、本当は苦いと感じているかもしれない、その人が嘘をいっていないという保証はどこにもないように思える。そもそも、すべての発言に嘘の可能性はあるのだから、他人の発言を聞いたからといって他人の感覚を知ったことにはならないのではないか、と。
このように、他人の感覚を知る証拠(発言や振る舞い等)が信頼できないかもしれないと疑いはじめると、他人の感覚を確実に知る事が不可能なことのように思えてきます。それを避けるためには間接的に知るのではなく、直接他人の感覚そのものを知れば良いように思えますが、それは不可能に見え、その結果たどりついたのは前回のような結論です。

上でだらだら述べていたことで結局何が言いたかったかというと、他人の感覚を知るということをどういうふうに考えるかによって答えが変わる可能性があるということです。それをどう考えるかというだけで論争になって当然のテーマだと思いますが、今回それが主要な疑問になっていないので、便宜的に他人の感覚を知るという事に懐疑的な立場で意見を述べてみました。

これで私の考えを言った事になればいいのですが...

ところで、hamachihamaguriさんは大学の講義かなんかで哲学に触れたんでしょうか?
余談ですが私は人生の4分の1年程前に、大学で哲学専攻している、という域には達していない程度の学生でした。そういう人間のボンクラ哲学観ですから聞き流してもらって結構ですが、哲学好きな人が増えると嬉しいのでちょっと語っちゃいます。通常人の意見を尊重するというのは非常に大切な事だと思いますが、こと哲学に関してはそれよりもむしろ、相手の意見の弱いところを常に探すツッコミマシーンになるくらいの姿勢がちょうど良いと思います。相手が教授だろうがなんだろうがボケてんなと思ったら「ナニイッテンダカワカンネーヨ」「ンナ、ワケネーダロ」とツッコミをいれてあげれば、きっと顔を真っ赤にして喜んでもらえると思います(「サイキンノガクセイハオトナシクテツマンナイ」なんてのたまってる人多いから、悪意のない批判って結構受けがいいものです)。経験不足のうちはいくらツッコミいれても軽く返り討ちでしょうが、実力アップの最高の近道じゃないかと思いますし、やってて面白かったです(少なくとも私は)。ここで疑問をぶつけるのも悪くないとは思いますけど、やっぱり直に議論するのは面白いですよ、仲よくなるし。
とりあえず手始めに推定哲学六級のこの私をツッコミ倒して、是非六級の取得を狙って頂ければ幸いです。絶妙のツッコミをいれてもらえれば、私もボケ甲斐があるというものです。
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この回答へのお礼

たびたびのお返事、恐縮です。私は、哲学には、大学で初めて触れました。しかも、福祉の専門学校に通いながら、通信教育の大学課程を卒業しようというタイプです。だから、いつもは、専門学校に通っていて、そこで、講義(?)を受けるので、ディスカッションというものがなく、先生が、一方通行的にしゃべっているだけなので、倫理を習っていない私には、異次元の世界のようです。でも、クラスには、日常生活の会話からして、哲学っぽいことを話す男子が1人いて、対話すると、ちんぷんかんぷんです。彼は、実力的なツッコミをいれるので、先生は、いつも、たじろいでいます。私も、まだ、哲学の時間があるので、微妙なツッコミを入れられるように頑張ります。また、このサイトに寄ったときは、よろしくお願いします。本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/01/29 21:20

たびたびすみません。



自分と同じような考えのヒトがいないかなぁ と思って、いろいろ検索しました。

人によって色が違って見えるかも知れない。
http://www.geocities.com/law_shoumona/060.htm
人種によって色が多少でも違って見えるとすればちょっと驚きです。

物体に「本当の色」はないのでは。
http://homepage1.nifty.com/katte-genki/iro6.html
この方は色覚異常がある方のようで、そのため一層説得力があります。

やっぱり昔、こんなことを考えた哲学者がいた。
http://www.linkclub.or.jp/~y-kodama/html%83t%83@ …
ウィトゲンシュタインという超有名な哲学者だそうです。

やはり同じことを考えるヒトはいるものですね。
ウィトゲンシュタインは、ひょっとすると、hamachihamaguriさんの最初の質問
「自分の感覚と他人の感覚は一致しない」ということをいろいろ考えた人かもしれませんね。
私は哲学には本当に詳しくないので、恥ずかしながら初めて聞いた名前でしたが、哲学の先生は当然ご存じだと思います。彼の哲学を踏まえて質問したのかも。
いろいろ検索して調べて、先生に質問すると、良いツッコミになるのでは。

では。
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この回答へのお礼

ホームページまでかきこんでいただけるとは・・・。ウィトゲンシュタインさんとは、初めて知りましたが、私の最初の質問をいろいろ考えた人かもしれないということで、覗いてみます。たびたびありがとうございました。

お礼日時:2002/01/30 20:07

どうも。

管理者からはお叱りを受けそうですが、
現在のこの掲示板は自分にとってたいへんためになっているので
しつこくてすみませんが再度投稿します。

周波数の問題ではなくて、色のイメージの問題です。

>ただどんな赤かというふうに感覚の深い部分に入るとひとそれぞれでしょう

まさにその通りで、「赤いもの」を見て、「赤いね」「そうだね赤いね」と
一致しても、本当は「どんな赤か」というのはひとそれぞれでしょう。

ですから、極端な話、「自分にとっての赤い物」を、
他の人がどんな色に見ているかは分からないのです。
「深い赤」なのか「青っぽい赤」なのか、それとも実は「緑」なのか・・・

たとえ彼が、その色を私にとっての「緑」に見ていても、それは分かりません。
彼はその波長の光をきちんと区別できます。いわゆる「緑」と混同しません(彼は「緑」もまた別な色に見えているのです)。
そして彼は、その色を「赤」というように教わってきましたから、その色を
「赤」といいます。
「赤いね」「そうだね赤いね」両者の発言は絶望的に一致します。

繰り返しになりますが、この世の中の物体の色に、「本当の色」はありません。
私達はある波長の色を「赤」、別な波長の色をそれぞれ「緑」とか「黄」「青」
というふうに見なしています。

が、「赤い」物体は、別な生物から見たら「別な色」かも知れないのです。

繰り返しになりますが、紫外線しか出さない黒い物体の色は「本当は何色」ですか。
われわれ人間にとって黒でも、ある種の昆虫にとっては「きちんとした別な色」です。
物体に本当の色は無いのです。
わたしたちは、それを、その光の波長の違いを、
自分たちの目と脳で色のイメージとして区別しているのです。

では。
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この回答へのお礼

「赤いね」「ようだね赤いね」両者の発言は、絶望的に一致します―――感覚は違っても、ちゃんと解釈できる。ってことですよね。多分。自分たちの目と脳で、色をイメージとして区別しているということは、精神と、脳のつながりもあるってことですかねぇ・・・。

お礼日時:2002/01/30 20:15

赤と緑について その2



●赤を緑と感じているかもしれない。
 ということは赤の周波数が脳のなかで緑にシフトしていると考えられます。
 わかりやすく周波数の低い「音」を例として考えてみましょう。

 Cの音(440hz)を聞いて脳のなかで441hzにトランスポーズ
 しているとします。そこで倍音のC880hzを聞くと
 脳の中では881hzにトランスポーズすることになります。
 440と880は心地よい和声ですが 441と881は不協和音になります。
 みんな心地よく聞いているということは
 脳の中ではトランスポーズされていないということです。

●このように 知覚情報が脳のなかで何らかの手がくわえられれば
 それによる感覚のちがいも発生するわけです。

 この設問は脳神経の研究者かバーチャルリアリティの研究者が
 詳しいと思います。
 哲学することの意味もあるとは思いますが・・・。
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赤と緑について



●感覚の集合の中の知覚としての赤と緑を考えてみましょう。

 もし赤の波長を知覚できなければその人にとっては赤は黒です。
 明度しか知覚できない人にとってはグレーです。
 赤を緑と呼ぶのはその人の自由ですが
 赤という波長は赤固有のものであって事実です。
 したがって赤という知覚の感覚は赤の波長を認識できる人々の間では一致します。

 ただどんな赤かというふうに感覚の深い部分に入るとひとそれぞれでしょう。

 三角形も三つの頂点を線分で結んだ図形とするなら感覚は一致します。
 目のレンズにゆがみがない限りにおいて・・・。

 このように脳への入力情報という観点でみれば一致する感覚はあるものです。
 もちろん一致しない感覚も多くあります。
 個別に考察してみるのもおもしろいかもしれませんね。
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どうも。

「赤」と「緑」(別に他の色でも構いませんが)についての私見を。

赤い三角形があったときに、
物が三角形に見えることと、物が赤く見えることは少し次元の違う話です。
三角形は、だいたいそんな形をしたものでしょう。
でも、「赤」はその物体の「本当の色」ではありません。
確かに我々の目(と脳)は、物体から出るさまざまな光の波長の違いを
色(色相)として区別しています。

でも、どうでしょうか。
それは我々がその波長の光を区別するのに、勝手に「色」というラベルを
貼り付けているということではありませんか。

白黒の世界しか見えないある種の動物に、
「本当の色」が見えなくてダメだなあ、と言えますか。

人間の「赤」を別な色に見ている生物がいたら、その生物に
「本当はこの色だぜ」という自信がありますか。

ある種の昆虫には、紫外線が見えます。
その昆虫が、赤でも、橙でも、黄でも、緑でも、青でも、藍でも、紫でも、
あるいはそれらの中間色でもない、
「人間には思いもつかないまったく違った色」に紫外線を感じているとすれば、
その色を体験したいなあとは思いませんか。

紫外線しか出さない物体があれば、その物体は我々にとっては「黒」ですが、
その昆虫にとってみれば「きちんとしたある色」です。
その物体の「本当の色」とは何ですか。

種としての違いがあるとすれば、
同じ種に属する個体間にも多少の(場合によっては大きな)違いがないと
言い切れますか。

では。
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●感覚が合う人もいれば合わないひともいますよね。

なぜでしょう?

 感覚とは脳の処理であることに着目しましょう。
 情報が入ってくる既存の情報と比較してその入力を位置づけしている。
 例:夕陽→比較→音楽が連想された
 この比較の部分の比較する順番がミソではないでしょうか?
 それ以外になにか思い当たりますか?

 つまり比較する優先順位が似ている人とは感覚が合うということかな。
 無意識で比較は行われてますからしかも超高速ですよね。
 でも比較なしで甘いも辛いも感覚できないですよね。
 最低でもあるなしの二段階比較はありますから。
 このレベルなら感覚は一致するでしょう。あたりまえですよね。
 あるなしの感覚は一致しますよね。
 複雑な感覚はやっぱり比較の順位のちがいですね。たぶん。

 尚赤が緑に見えるという感覚の違いはありません。
 色は波長であるので 波長が脳のなかで変わるということはないからです。
 もし変わるのなら病気です。医学で証明可能な範囲です。
 (色盲は認識できるスペクトルが狭い病気です。)
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この回答へのお礼

あるなしの比較で考えると、理解しやすかったです。最低レベルで、お話していただけるなんて思ってもいませんでした。ちなみに、赤が緑に見えるという感覚の違いはあるのだと思っていました。医学で証明されるなら、確実ですね。間違った解釈をするところでした。ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/29 21:28

坊主にくけりゃ袈裟まで憎い。


袈裟に責任はないけど、坊主に恨みがある人にとっては不快、良い経験のある人にとっては懐かしかったりありがたかったりします。

音楽が流れていて、うるさいと思うときと、リズムに乗りたいときがある。この感覚は人により、また、そのときの状態によって違う。
その曲によって、特に印象的な経験のある人には違った価値を加えて聞いている。
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この回答へのお礼

分かりやすいです。「内的な経験」についても分かりました。こんなすぐの回答、ありがとうございます。普通に考えればよいのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/28 18:02

哲学はよくわかりません。



高校の時、絵の授業で、みんなで同じモチーフで絵を描いていたら、
美術の先生が、「よく、見てごらん。白いポットの影の部分、
青っぽい色が隠れているように思わないか?」
そー言われると、影の部分が青いような・・緑のような気がしてきました。

レモンも単なる黄色ではなく、影の部分も、黒ではなく・・・。

そうこうするうちに、出来上がった絵は、みんなオリジナリティな色に富んでいて、同じモチーフの絵を描いても、色を感じる感覚の表現が、こーも違うものなのか・・と感心したことがあるのを思いだしました。

いろんな色をつかって、ポットを描いているんだけど、でも、
それは白いポットなんだろーな・・ってわかるし。
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この回答へのお礼

「白いポットなんだろーな・・・」って、思いますよねぇ。自分は、描いたものが「白い」と思っているのは確かだけど、みんなの、オリジナリティーにあふれる「白い」も、白なんですよね・・・。やっぱり、感覚は違うってことですよね。不得手な哲学なのでしょうけど、答えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2002/01/28 18:08

単なる一般人ですが、思い付きを書きます。



「内的な経験」という言葉は何かの本で使われた用語でしょうか?
たぶん「太陽が沈んでいる」と発言した時に、その発言を引きだしたような体験そのものの
ことだと理解しますが、hamachihamaguriさんが言う自分の感覚と他人の感覚が一致しないと
いう時の「感覚」という言葉で表しているものと同じ意味でしょうか?
もし、同じ意味でつかっているならば自分の感覚と他人の感覚が一致しないと説明するのは
不可能だと思います。
自分の感覚と他人の感覚が一致しないと言うには、自分の感覚と他人の感覚を比べる必要が
あります。しかし常識的にいって自分が他人の感覚を体験することはできないのですから、
そもそも一致しているとか一致していないとか比較ができません。
他人の振る舞いや発言から、自分の感覚と他人の感覚が一致してないのではないかという推測
はできるでしょうが、それはあくまで推測であって、自分の感覚と他人の感覚が一致しない
という結論を導き出すことはできないと思います。
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この回答へのお礼

言われてみて、初めて気が付きました。「自分の感覚と他人の感覚が一致しないという結論を導き出すことはできない」ということを。そうですよねぇ。比較ができませんものね。答えは、いろいろある。ってことですかね・・・。もしよかったら、FFMANさんの考えを教えてください。

お礼日時:2002/01/28 18:14

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中学校で習う理科の感覚神経と運動神経の違いが分かりません。

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http://ameblo.jp/sennsaiisiki/entry-10293747759.html

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その場合、「他人=私の、創造物」になります。

これらのケースでは・・・・・
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と、いくら、言っても・・・・?

◎=外の円の自分+内の円の他人、ですから、いくら、自分の内側の人達(この記事を書いている<私>の分身、創造物)が、~~~~が正しい、と言っても・・・・・・
「え?その意見って、所詮、自分の内側の心、意見でしょ?」ってなってしまいます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんというか、「神=創造神=創造する人間が、地球人口の60億人分の現実が存在する」という考えに、矛盾があるように思えるのです。(これが質問でもいいかも)

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今思いついたイメージは、、、◎=<外側の自分>+<内側の他人>と簡潔化できる点です。

もしも、この世で唯一、<私>だけが本物で、創造神?wというか、創造する人、存在だとすれば、(この時点で考えは異常なものにもなりますが)
この世に存在するのは、◎、だけ、になります。唯一の私と、その他の存在、人、自然など。

しかし、この世に存在するのが、「人それぞれが創造神で、パラレルワールド」ならば、
◎◎◎◎◎◎・・・・・60億個の、◎、が存在することになります。
これが、正しいのでしょうか?(質問)


んーーーーーー・・・・・・・今他の考えとして、思いついたのは、
◎◎・・・・と多くあるとして、人間分の現実世界が存在するとして。
要は・・・・・・・・今頃気づきましたが・・・・「自分と他人との、接点」ですよね。
自分と他人との、それぞれの現実世界の接点。3次元世界の、会話でもあり、2次元世界でのこのBBSなどの書き込みでも。(丁度、今夜オバマ大統領がBBSで質疑30分あったそうです。)

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それぞれの世界・・・。

・・・やっぱり、どう考えても、◎は1個しかないように思えます。
<自分>以外の人は、<自分の創造物>ではない、、、とすれば、解決できるのかなぁ?・・・。

ただ、人の肉体、は、全員、素粒子で?出来ているわけだから、<私も私の創造物>とも言えますが。
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それにしても、私が何故、こういった疑問を持つのかというと、幻覚体験が多かったからです。
アニメ観ないと思われる女性が、映画館で見かけたり。(上映前と上映後にいたが、幻覚のようだ。ちなみに幻覚=本物の現実と完全一致します。)
また、幻覚=幻視+幻聴などに分けられますが、殆どの人は幻聴体験です。
(以下は読まなくてもいいです)

1,ミルクティー廊下にこぼしてなかったのに、廊下にこぼれていた、とか。(親が発見したので、幻覚とは言い難い。幻覚=人間1人の現実変化。)
  これなんか、完全に、物理法則無視しています。
 あるのは・・・・・「過去の記憶を、今、に移動させた」ようです。まぁ、幻覚みたいな感じですが・・・。
当時2010年時点からの2-3年前に、廊下に現実に私はこぼしてしまったのでした。左手にカップ持っていたので、位置確認したところ、完全一致しました。このことから、過去の現実を、今の現実にコピー・ペーストしたものと思われます。
これは、こぼれたミルクティー=モノ、です。

2、上記さっき書いたが、映画館の女性。知っていた女性。これまた、私がその女性をその2010年の1-2年前に会っていたので、その過去の私の現実を、今の現実世界に、写したものでした。
こっちの場合は、女性=人間の女性であり、生きていた、わけです。モノじゃないです。

3,ネット上の記事が明らかに私と関係あった内容。=ネット上の内容そのものが、私の創造物である証拠?

4,私のPCの中の動画の変化(動画内容そのものが別の動画に変化した。見たこともないモノもあった・・・)、C/Dドライブの表示が、「大きいもの」「小さいもの」になっていたこと。=私の潜在意識の考え?・・・。これまた、変化ですが、動画などは、幻覚のようなのに、そのまま残ります。幻覚体験はすぐに治るのに、こっちは治りません。

5,今もHDDにありますが、動画再生時間が、1分丁度としても、5分ぐらい流れるようなもの。(シークバーがLASTまで移動しても動画再生される)

6,笑っていいともに、(TV)、アニメの超電磁砲の、佐天涙子、が出ていたこと。完全にそっくりで、2次元を、3次元に具現化したようなもの。同様に電車からゲーム内の敵の石像も一瞬見えたり。

7,幻覚の建物があったこと。A(本物)→B(幻覚の建物)→A(本物)と変化した。
  幻覚とは?触れないものだ。しかし、私は、Bの取っ手を回して入り、階段を登り、暖かいシャワーを浴びることができた。しかし、中に男性が5人以上も寝ていたが、ずっと起きなかった。(私が操作、創造しているようであった。)古い赤い携帯電話もあった。クリスマスツリーもあった。写真もあった。小さいゴミ箱もあった。何故かまつぼっくりが数個あった。行ったのは、2010年3月10日頃だから、12月にクリスマスツリーを買ったのだろうか?・・・。カプセルホテルとしては、今よりボロいようだ。(男性を上から見れた)
また、シャワーを浴びてから、外へ出たが、頭はすっきりしたままだった。幻覚のシャワーならば、時間経過と共に、元に戻る=頭が油っぽくなるはず、だが、そうはならなかった。これは現実感があった。
ファミリーマートの幻覚の建物もあった。入ってすぐ右に謎の機械があった。ATMでもない。10 100 1000 10000の表示。幻覚にしては・・・異常過ぎる。店員3人ぐらいに、多くの客もいた。新聞の日にちは合っていた。雑誌もあった。当然、食料もあった。完全に本物だった。

8,手をゴニョゴニョさせていた人々がいた。これは私の脳の異常のようでもあるが、私が操作しているようでもあり、私が創造していたようでもあった。

などなど・・・。これらのことからも、「ただの幻覚ではなく、世界で唯一の幻覚体験」と思われるし、マリファナなどでもないし、
◎=自分が唯一の創造する人で、他の人は私の創造した存在、と、思ってしまいます。。。
質問はタイトルや、◎についてです。
結局、<私が存在する>のはわかりますが、<他人が存在する>のか?と。

http://ameblo.jp/sennsaiisiki/entry-10293747759.html

さて・・・・
<この記事を投稿した、自分=私>が、宇宙を創造している。(とします。本当かなぁ?・・・・。。。)

その場合、宇宙は地球があり、人間がそこに住んでいて、<私にとっての、他人>がいます。

その場合、「他人=私の、創造物」になります。

これらのケースでは・・・・・
<この記事に返信している、<あなた>や、2chやこの教えてGOO等などの、ネット上の<他人>>も、「私=この記事を投稿した自分の、創造」なのでしょうか?

と...続きを読む

Aベストアンサー

これが、正しいのでしょうか?(質問)

少なくとも60億の60億乗個の◎が存在はするはず・・・ということでしょう。

あなた次第、あなたの自由と言うことなんです。

あらゆるあなたの変化に60億のすべてが追随しています。
しかし、あなたは、その一つしか現実にすることができません。しかも今だけです。
過去も、未来も一切ありません。
完全なまでに自由なのですが不自由を楽しんでいるのがあなたということになるんです。

Q日本語学習者です。 二字熟語ですが、音音、訓訓、音訓、訓音の組合せの割合は何でしょうか。 自分の感覚

日本語学習者です。
二字熟語ですが、音音、訓訓、音訓、訓音の組合せの割合は何でしょうか。
自分の感覚では「音音」が圧倒的に多いですが、数字で見れば分かり易いのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。

たぶん、訓訓、音訓、訓音 「音音」を抜いた組み合わせというのは、数えるほどしかないのではないでしょうか。日本人は、そうした特殊なものは、つとめて覚えるようにしているのだろうかと思います。

訓訓
紅葉(もみじ)、時雨(しぐれ)、黄昏(たそがれ)、相撲(すもう)のような当て字に近いもの。
一日(ついたち)、晦日/三十日(みそか)、一昨日(おととい)、昨日(きのう)、明日(あした)のように慣用句
手紙(てがみ)、真水(まみず)、素足(すあし)など、日常・身近な用語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%9F%E5%AD%97%E8%A8%93

音訓は、いわゆる「重箱読み」と言います、
重箱(じゅうばこ)、縁組(えんぐみ)、台所(だいどころ)


訓音は、いわゆる「湯桶読み」と言います。
湯桶(ゆとう)、手本(てほん)、身分(みぶん)

これらは、文字で覚えるのではなく、耳から入って覚えるものだと思います。

Q実は時間の流れが、自分と他人で逆ですか?

実は時間の流れが、自分と他人で逆ですか?

たまーに、そう思うことがあります。

つまり、他人からすると、

「どんどん文字が消えていっている。」

ではないでしょうか?

つまり、未来=特異点であり、宇宙が閉じてしまうのです???

また、宇宙誕生の前は、完全だったそうですが、どうなのでしょうか?

「全てが私と逆の世界」がある可能性。

だから、ソードアート・オンライン人気あるのかな?OP1で、鏡が出ますので。

これは、極めて重要な質問なので、真剣に答えて下さい。。。・・・^^;

Aベストアンサー

あなたはベンジャミンバトンですか?

それとも自分と他人との定義が違う?
貴方が他人、他人は他人、差別化は不可能です。


時間の流れが逆流することは、とりあえずは日常ではありません。
頭の血が逆流することは時たまあるようですが、それも心理的なものでしょう。
それとも
貴方がたまたまとなりの反世界の鏡像を垣間見ているか、覗見する機会を得たとか。

>他人からすると、

「どんどん文字が消えていっている。」ではないでしょうか?

  つまり、未来=特異点であり、宇宙が閉じてしまうの

これは違います。
宇宙の膨張が天辺に達し、収束へ転じたのでしょう。
すべての現象が同時に巻き戻しされるわけですから、頭の血が文字通り逆流し始めます。

みなが同時に反転現象を始めるのですから、貴方一人が異常に築くのは可笑しいと思いますが、その時はアメリカからのリセッションがはじまるわけですし、その兆しは起り始めているといえないこともありませんね。

ご参考になれば。

Q不思議な夢 実際に触れた感覚

夢を見ていて
夢の中の人と触れることってありますよね

握手したり

腕を組んだりとか・・・・

その握手とか腕を組んだりした感覚が
実際に人に触れたときと同じ感覚なんですよね

そういうのってありますか?

昨晩に見た夢が本当に実際の
触れた感覚と同じだったので不思議で不思議でたまらないんです

詳しく書くと

寝ている布団の中で
横に誰かがいて
握手をしてきて腕を組まれたんです

起きてる間隔と寝ている感覚がまざっているときだったので
不思議でたまりませんでした

Aベストアンサー

私の場合は起きている時ですが
ものすごく鮮明に記憶がよみがえる時があります

人、風景、会話の内容、何を着ていたか、においなどなど

起きている時ですからあわててメモをします

脳のほうで、何かの刺激でしまってあった記憶が
よみがえるんでしょうね

但し、二度とよみがえることはありません

つまり
本来はすべてを記憶しているが
ただあまりに膨大なので
なにか思い出すサインがあるんでしょうね
それが何かもわかりません

質問者さまのそのリアルな感覚も
その記憶を思い出す何かのサインがあったんでしょうね

Q自分の感覚が多数派意見と違う

どうも、世の中の多数派的考えに添えないところがあるようで、こういう自分の性向をどう考えたらいいものだろうと思います。

例えば、ここでした質問で
「地球外知的生命はいるか」
「勘違いの回答にお礼をするほうがいいか」
というのがあるのですが、私は地球外知的生命はおそらくいない(私は何の信仰もない無心論者です、科学的な確率論からそうだと思います)し、勘違いの回答なんて、質問を丁寧に読んでいない証拠なのだから、お礼の必要などないという感覚なのですが、多数派意見と言うのは、地球外知的生命はいるし、勘違い回答にもお礼をすべきだと言うのです。
また、おそらく違った事象についても少数派的感覚を持っていると思います。で、私は私の考えのほうがやっぱり正しいと思っているのです。
これはささいなことのようで、なにか世の中と言うものに不信感と言うか親和性の薄さを感じます。
どう考えたらいいんでしょうか。

Aベストアンサー

今日は。

私はご質問者様のその意見に賛同します。
個人的には地球外生物はいると思いますし、御礼の必要もあると思いますが、私はそれが個性だと思います。後述にそれが正しかった例を挙げます。

出る杭は打たれる的な世の中では社会的な刺激が全く無くなりますし、その杭は必ずしも少数派とは限らないと考えます。
では仮に地球外生物がいると全員が信じたとしましょう。
それで終わりです。
何の追求もありません。何の研究もしないでしょう。

帰納法的に考えれば間違った知識も全ての人が信じてしまいます。

有名な話ですがガリレオが天動説を唱えた時、これはご質問者様の言われる「少数派」であったのはご存知ですよね。
しかし実際は合っていました。

これは反対意見が重要な意見である事を証明していると考えます。
それ無しに人はここまで良くも悪くも成長は出来なかったと思います。
貴方は貴方の考えを貫いて頂ける事を私は希望します。

Q感覚で決断

感覚に頼って決断すると遅くなる気がします。また感覚を狂わせるとうまくできない気がします。長い期間のものは感覚はやっぱり必要ですか。公共投資など最近巨費にかんじたり収益性もかんじません。感覚にたよって決断するのですが自信ありません。どうすればいいでしょうか。とくに今の時勢自信もてません。

Aベストアンサー

    1)感覚に頼って決断することの具体的なものは?
    2)長い期間のものとは?
    3)公共投資も色んなものがありますがどの公共投資?
    4)感覚で決断し、巨費を投入するってデイトレーダ?
    5)今の時勢とはどんな時勢?
このように具体的な、意味合いの理解なしに不特定多数に質問するのは間違いでしょう。
どういう役割を得たら、自信を得るか?これは具体策を感覚でなく、データーに基づいて分析すると、確たる裏づけになり、自信を持ち、その後、感覚を使い決定すること。

いまの感覚が、先に来るあなたの思考では、誰も説得できませんし、理解できませんよ。
文の構成も無茶苦茶、あなたの思考も無茶苦茶では。。。

Q科学における説明と日常的にひとが行う説明について

「科学における説明と日常的にひとが行う説明の相違点を述べよ」という大学のレポート課題について質問しますが、これは客観的な一般命題と、主観的な価値命題による差、ということでよいのでしょうか?

最初にレポートを提出した時は、
科学における説明は数学の定理のように客観的な説明であって説明者によりその内容が異なることは無く、対する日常的な説明は説明する人の背景知識や経験に依存するため説明の内容が異なることがある、と書きました。
結果は不合格で、科学における説明は経験にもとづくことはないのか?また、日常における説明は何でも説明になるわけではありません、といわれました。

以下のように直したいと思います。
 科学における説明 → 一般命題、AはBである、といった定義された公理のもとで体系が展開されるもので、主観を排した客観的法則を重んじ、ポパーのいう反証可能性を認めているため定理が改善されることがある。
 日常生活における説明 → Aはよい、わるい、といった定義の確立されていない価値命題であり、主観的な世界でしかその真偽を判定できないもの。

としました。
アウトラインはこれでよいでしょうか?
ちなみに文系教養科目の哲学ですのでそれほど専門的な内容を求めているわけではなさそうです。
よろしくお願いします。

「科学における説明と日常的にひとが行う説明の相違点を述べよ」という大学のレポート課題について質問しますが、これは客観的な一般命題と、主観的な価値命題による差、ということでよいのでしょうか?

最初にレポートを提出した時は、
科学における説明は数学の定理のように客観的な説明であって説明者によりその内容が異なることは無く、対する日常的な説明は説明する人の背景知識や経験に依存するため説明の内容が異なることがある、と書きました。
結果は不合格で、科学における説明は経験にもとづくこ...続きを読む

Aベストアンサー

「科学における説明」には正しいとされる根拠が必要です。
それゆえに証明をする形になると思います。
「日常的にひとが行う説明」には証明的説明もありますが手順的な説明もあります。
手順的な説明には根拠は必要ありません。

例えばオムレツの作り方は「日常的にひとが行う説明」つまり手順の説明(根拠は不要)は出来ますが
根拠を挙げての「科学における説明」は出来ないでしょう。
出来るとすれば何故この手順でこうしたらオムレツが出来るかのメカニズム的な説明になると思います。それは決して作り方ではありません。

また「どうしていつもブルーベリーを食べているの?」と聞かれたら
「目に良いから」と説明するのは
根拠を言っていますが科学的ではないので「日常的にひとが行う説明」でしょう。
「ブルーベリーに含まれるアントシアニンが目にいいから」と説明しても科学的なメカニズムを説明してないので「日常的にひとが行う説明」ではないでしょうか?
「目の網膜にあるロドプシンは光が当たる事によって脳に送られる伝達物質となり見えている映像を認識する事になります。
しかしこのロドプシンは光が当たると分解されロドプシンとしての働きが出来なくなります。
ブルーベリーに含まれるアントシアニンはこのロドプシンの再合成を助けるため目に良いとされています。」
と説明すれば科学的な説明になりますよね?(でも質問の答えとしてはズレているかも…)

素人なので「相違点はズバリこれ!」と指摘は出来ませんが何か参考になれば幸いです。

「科学における説明」には正しいとされる根拠が必要です。
それゆえに証明をする形になると思います。
「日常的にひとが行う説明」には証明的説明もありますが手順的な説明もあります。
手順的な説明には根拠は必要ありません。

例えばオムレツの作り方は「日常的にひとが行う説明」つまり手順の説明(根拠は不要)は出来ますが
根拠を挙げての「科学における説明」は出来ないでしょう。
出来るとすれば何故この手順でこうしたらオムレツが出来るかのメカニズム的な説明になると思います。それは決して作り...続きを読む


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