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米軍にとって“ヴェトナム戦争以来最大の銃撃戦”と呼ばれるブラックシーの戦いについて調べているのですが、皆様のご見解をお願いいたします。

1993年10月3日にソマリアの首都モガディシオで起きた大規模な市街地戦(ブラックシーの戦い)で、「もしも」この様になっていたとしたら、第2墜落現場(作戦コード・スーパー64)での米軍側の死傷者を減らすことは出来たと思いますか?

(1)、もしも、スーパー62の機付長が負傷せずにミニガンを撃ち続け最初の計画通り、Dボーイズの狙撃手ランディ・シュガート一等軍曹、ゲイリー・ゴードン曹長、ブラッド・ホーリングス一等軍曹の3名がスーパー64の墜落現場に降下し、自分たちとスーパー64の乗員で防御円陣を作っていたとすると、緊急車両隊が墜落現場に到着するまで群集を押しとどめることが出来たでしょうか?

(2)、また、(1)が無理だとするとCSARチームも仮に残っていたとしてスーパー64の墜落現場へ降下していたら、車両部隊が到着するまで持ちこたえられたでしょうか?

(3)、(1)(2)が無理な場合は、DボーイズとCSARチームで乗員を空き地に運び、計画通りにヘリに迎えに来てもらうことは可能でしょうか?

不謹慎な質問ですが宜しくお願い致します。

A 回答 (1件)

「釈迦に説法」になるが、まず前提と思うことをいくつか挙げてみた。



(a) 米軍は市街戦を嫌う。
伝統的に米軍は市街戦が苦手だった。民間人を巻き込んで殺傷すると国際法違反の疑いが起こるし、独特のノウハウが要る。また、市街戦は兵員の損耗も激しく、「世論の国」の米国としては継戦が困難になる。
とは言っても、始終戦争している米軍は、さすがに市街戦の経験も豊富になった。訓練にも熱心だ。それでも、市街戦は「やむを得ず巻き込まれるもの」、「積極的に行うべきでない統帥の外道」という認識ではなかっただろうか。もっとも、その代わりに無差別爆撃を多用したこともあったのだから、とにかく戦争は外道三昧であるが。
(b) 米兵は一時的にパニックになりやすい。
なぜかは分からないが、そのような事例がある。ただし、彼らはパニックから回復するのも早い。
(c) 市街戦では、机上で駒を動かすような考察はあまり役立たないだろう。
だからこそ、米国政府・軍幹部も市街戦を回避しようとする。

1993年10月3日のモガディシュで、米軍の目的はアイディード派幹部2人を拉致(逮捕)することだった。しかし、1時間もかからず終わる予定が、失敗して大規模な市街戦になってしまった。15時間に伸びて、双方に多数の死傷者を出した。
その時、もしもご質問の (1)~(3)のようになっていたとしたら、米軍側の死傷者を減らすことはできただろう。ただ、あくまで「もしも」の話に過ぎないわけで、現実には (a)~(c)のような事情もある。また、(1)~(3)について、それぞれ次のようなことも考えられる。

(1) 米兵に向かって、圧倒的多数のソマリア民兵と群集が、混じって押し寄せてきた。そもそも首都の市街地だ。米兵は包囲され、群集を挟んでソマリア民兵と撃ち合う形になった。火力は米軍が優位だが、このような状況ではソマリア民兵を撃退できず、あとからあとから押し寄せてくるだろう。
実際には、米軍はヘリ墜落や車両隊到着不能で次々に計画が狂い、ためらったが無差別に撃って民間人多数を殺傷した。これは国際法違反ではないか(民間人を楯にしたソマリア民兵も違反だが)。そうまでしても、なお苦戦した。
(2) CSAR(戦闘捜索救難)チームが降下しても、(1)のような状況下では防戦にてこずっただろう。車両隊はソマリア民兵に阻まれ到着不能だった。
(3) Dボーイズ(デルタフォース)とCSARチームの面子が揃っていたなら、乗員を空き地に運ぶ間くらいは、ソマリア民兵を抑え付けることが可能だっただろう。
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この回答へのお礼

早速の回答、ありがとうございます。

市街地で交戦規則を守り、武装したソマリア民兵と地上で戦闘を続けるのは難しいようですね。

非常に詳しい回答をありがとうございました。

お礼日時:2006/06/03 10:36

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