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葬式の時に49日と言う言葉を良く耳にしますが(45日?)なぜ49日なんでしょうか?
あと人の噂も75日と言う諺の75日は昔の中国の一季節が75日だったからと
前に何かで聞いたんですが本当ですか?
回答お願いします

A 回答 (7件)

参考にどうぞ。



参考URL:http://www.butsudanya.co.jp/49NichiAndHouji.html#2
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参考になります。



参考URL:http://homepage1.nifty.com/tadahiko/ZOKI/ZOKI-07 …
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49日



仏教用語・・人は死ぬとお釈迦様の弟子となり修養を積んで極楽浄土に行く準備をします。修養は7日ごとに段階を追って行われ7週間で卒業します。つまりお釈迦様の弟子となってあの世へ行ける資格を得る前に
49日間厳しい学習をするわけです。従って49日が過ぎるまでは亡くなった方は仏様ではありません。この間はお供えなどは「ご仏前」ではなく「ご霊前」と書きます。(昔曹洞宗のお坊さんに聞いた話)

人の噂も75日
四季の間には18日間の土用と呼ばれる期間があります。4x18=72日間ですが季節の長さは春夏秋冬
まったく同じではないので平均値を75日としたものです。つまり土用を入れると一年は5季節あることになります。現在は夏の土用だけが習慣として残りうなぎを食べたりします。人の噂は季節が変われば忘れ去られるものだという古人の教えです。単なる75日ではないところに注意。
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49日←服喪の期間、俗に言う「喪中につき・・・」


現代は亡くなった人は火葬しますがまだ土葬が当たり前だったころ土葬された肉体が腐敗し骨になるまでに49日要した(化科学的根拠に乏しい)期間とも言わてる、その間残された家族は喪に服さなければならい、49日の法要が済んで喪明けになる。
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確かに不思議ですね。


7日を1週間とするのはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係だと思うのですが、
仏教が7日単位という根拠がわからないですね。

七曜制が導入される以前は7日単位じゃなかったかもしれませんね。
生活の実情に合わせて7日単位にしてしまったのではないでしょうか。
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昔から人が死ぬことを「往生(おうじょう)」といいます。


往生は「往(ゆ)きて生まれる」という意味で、亡くなった時から死出の旅が始まり、四十九日後に他の世界に往って生まれ変わるという言い伝えにもとづいています。
故人が亡くなった日から数えて四十九日の間を中陰(ちゅういん)(中有(ちゅうう))といいます。
これは現世と来世の中間という意味で、死から新しい生へと生まれ変わるのに必要な期間で、四十九日目を満中陰といいます。
仏教では、死者が冥土に行くと、七日目ごとに閻魔大王を筆頭にした十王によって、生前の善行、悪行を問われ、審判が行われると考えられています。
また、この審判の日に遺族が供養することにより、そこで積まれた善業(ぜんごう)が故人にも及ぶと教えています。
亡くなった人のために善業(ぜんごう)を積み重ねることを追善といい、故人ができるだけ善い世界に生まれ変われるようにとの親族の素朴な願いから、葬儀のあと七日ごとに追善供養をするようになりました。
最初が初七日(しょなのか)で、この日に故人が三途(さんず)の川の畔(ほとり)に到着するといわれます。
川の流れは激流と急流、緩流の三種類あるため、緩流を渡れるようにとの願いを込めて営む法事です。
その後、二七日(ふたなのか)(十四日目)、三七日(みなのか)(二十一日目)、四七日(よなのか)(二十八日目)、五七日(いつなのか)(三十五日目)、六七日(むなのか)(四十二日目)、七七日(なななのか)(四十九日目)と続きます。
この間が忌中(きちゅう)で、閻魔大王の裁きを受けるという三十五日と次に生まれ変わる世界が決定するという四十九日には、いつも以上に心をこめて冥福を祈ります。

●四十九日の法要…
四十九日は、遺族、近親者、知人が集まり、忌明けの法要を行います。
日取りは皆が出席しやすい、直前の土・日曜日に行うことが多いようです。
菩提寺のご住職に読経をお願いして供養を営み、式が終わったら参列者を接待し、食事のあと引き出物をわたします。
この日に納骨を行うことも多く、法要のあと墓地に行き、ご住職の立ち会いのもとで納骨式を行います。
このあと忌明けの挨拶状を出したり、必要に応じて香典返しを送ります。
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他の方にした回答ですが…



 インドの死生観では「antara<長音>-dhava」という考えがあります。これを訳して「中有(ちゅうう」あるいは「中陰(ちゅういん)」ともいいます。死の瞬間(死有:しう)から次の生存を得る(生有:しょうう)の間までの生存をいいます。その期間は7日、49日、無限定など仏教経典や論書によって諸説有ります。また中有自体を認めない仏教学派もあります。
 特に『倶舎論(くしゃろん)』という論書では、中有は七日を一区切りとしてどこかに転生する、それでも転生できなければ最大7回、中有を繰り返して必ずどこかに転生すると。
 ですから7×7ですから四十九日を「満中陰」といいます。 葬送儀礼としては特に49日説に基づいて、7日ごとに仏事・法会を執り行い、その功徳と追善(死者に成り代わり生者が善事を行うという修行の一つ)によって、49日目(満中陰)に死者を浄土への往生や、善処への転生を祈ることが行われます。
 (インド思想・仏教に基づく説)

 一周忌・三年忌・三十三回忌などは、支那の儒教における「祖先祭祀」の影響を受けて、日本の仏事でも行われるようになりました。また道教では死後、冥官による裁きをうけるとして、仏教による中有思想と融合し(7×7)、さらには百ヶ日・一年忌・三年忌のこの期間に十王(閻魔王もその一つ)による裁きを受けるとします。
 この影響を受け日本では、十王の本当の姿は仏であるとの説が生まれます。
(支那思想・儒教、道教に基づく説)

 日本では、死者は定期的な祭りを行うことにより、生前の罪・穢れが清められ、災いをもたらす「荒魂(あらみたま)」から、幸いをもたらす「和魂(にぎみたま)」へと鎮められ、子孫を守る「神」へと昇華すると考えます。
 そして定期的な祭りにより、その力は強められると考えました。特に死んで間もない死者は、「穢れ」が大きいためより丁重なる鎮魂儀礼が必要とされ、仏教が日本に伝来すると、当時の日本人は仏教に対して「個人の救済」よりも「死者の鎮魂・滅罪」の力に期待を寄せました。そのため、日本では鎮魂儀礼に仏教が積極的にかかわるようになります。
 それは仏教は「罪を滅ぼしてくれる教え」だと、そしてその力によって「死者の魂が静まる」と理解したのでしょう。
 葬儀において死者に戒を授け、正式に仏教徒となった証として、法名を名乗りますが、これも受戒による滅罪の力を求めたことによるものでしょう。そのような「鎮魂のための定期的な祭り」が仏教化したものが「法事」ともいえます。
(日本思想・神道、民俗仏教、民間信仰に基づく説)

以上は概説ですのでこれ以外にもさまざまな死生観・信仰観にもよります。
 なお、 中有の期間は、もっぱら食べ物や香華の香りのみを食べるとされます。“四十九日までは飯・香や花を絶やさずお供えする”という信仰もこれに基づくものでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/07/03 05:05

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