アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんにちは。はじめまして。私は24歳の普通のOLです。
もし専門家の方がおられましたら、是非ご回答頂きたいと思っております。
宜しくお願い致します。

昔見た風景や、体験した事、なんとなくボーッと考えていた事がふとした瞬間に
思い出されるのです。これは一体どういう心理状態なのでしょうか?
ソウマトウというほど、沢山頭の中で巡る訳ではないのですが、何か共通する
ものがあるような気がして心配です。死ぬんでしょうか?

ふとした時とは、決まってこんな時というのはなくて、まちまちです。
ふとした時に昔の風景などを思い出すのはよくある事なのは私もよくわかります。
ただ、今までとは何かが違うような感じがするので、ご相談させて頂いております。
何が違うのかは、上手く説明できないのですが、今までそういう時に
思い出しもしなかった風景を思い出す。思い出す頻度が激しい。
というところでしょうか。思い出して、別にイヤな気分になる訳ではありません。
むしろ、仕事で行き詰まっている時なんかは、癒されます。

これは私の推測なのですが、ちょうど、このような症状が出始めたのが
今の仕事を始めた頃です。この仕事というのは、一生やっていきたい仕事をやっと
見つけられた。と思い、今仕事を通じて勉強中なのですが、
学生の間全く勉強をしてこなかった私にとって、今までで一番頭を使っている
のではないかなぁ。と感じています。
今まで使われなかった脳が今フル回転して、パニックを起こし、情報を
どこにどうしまうのかに迷い、このような症状が起こっているのでしょうか?
それともこれは、何かの前触れなのでしょうか?

A 回答 (3件)

(専門家じゃないですがなんとなく経験者より)


十数年間完全に忘れていたこと、脳のいったいどこにこんな些細な記憶が十数年間とどまったいたのか不思議なくらいのことを、鮮明に次々と思い出すと死んでしまう・・としたら、私はとっくに死んでなきゃいけない。

パニックの逆だと思います・・。
脳の"メモリ"には限界があって、対処しなければいけない問題や精神的ストレス・苦痛がたくさんあるときは、記憶を思い出す余裕がなくなって、そういうストレスが解消された分、記憶を思い出す余裕が出てくるらしいです。

今はとても忙しいのでしょうけど、自分らしく生きているとか、自立したことで自分に自信が出てきたとか、気持ち的には解放されているのかも。

良いできことを思い出すのだとしたら、とてもいいことでしょうし、
つらいことを思い出すのでしたら、心に余裕ができて、思い出すことができるようになったのでしょう・・。
仕事で行き詰まったときにということは、無意識の脳が自動的に、空きメモリを利用して、ストレス解消をしているわけで、メンタルヘルス的にすごく健康だと思います。行き詰まった時に気持ちの切り替えができない人は病気になりやすいらしいです。

でも第六感とか虫のしらせも確かにあって、昔の友人と再会したりもあると思います。嫌なことが起きる前触れの第六感は、起こる直前(当日)にひどく気分が悪くなるものなので、今回のは違うと思います。
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  わたしは心理学の専門家ではありませんが、臨床心理なら、幾らか分かります(また、分からないものは、無責任なことをいうのは避けます)。
 
  >昔見た風景や、体験した事、なんとなくボーッと考えていた事がふとした瞬間に
  >思い出されるのです。
 
  これは、ご自身も仰っておられるように、ごく自然なことで、誰でも経験しますし、毎晩夢のなかで起こっていることは、こういう過程です(もっと多様ですが)。問題は、そういう経験をすることではなく、そういう経験に「注意が向く」、また「今までとは何かが違うような感じがする」、あるいは「何かの前触れなのでしょうか?」このように感じられ、考えられることが問題になります。
 
  勿論、生活環境が大きく変化すると、これまでは何気なく見過ごしてきたことが、意識の前面に出て来て気にかかるようになるというのは、一般によくあることで、特に、気にすることでもないと言えます。
 
  意識と無意識のダイナミクスから言えば、あることに意識的に集中していると、ふと意識が当面の課題から少し焦点をずらすと、その隙間に、進行している無意識の過程が入り込むことがあります。例えば、非常に多忙で、休みが取れない仕事をしている場合、この仕事が終わったら、温泉に行ってゆっくりしてとか、あの小説をお菓子を食べながら自由に読みたいとか、長く故郷にも帰っていないので、この仕事が終わったら帰省してみようとか……色々な想念が流れ込みます。
 
  無意識の運動は絶え間なく続いていますので、意識が無意識の流れをそれとなく感じつつ日々を過ごしている場合と、意識的課題に集中している場合とでは、無意識の流れの感じ方が違って来ます。意識的課題に集中していると、何か、その場に関係のない、エピソードのように無意識の活動内容が意識に流れ込みます。意識や自我は、当惑感を覚えます。いま起こっていることは、こういうことなのかも知れません。
 
  意識と無意識のダイナミクスでは、無意識は意識に対し「補償的」に機能することが多くあります。意識が、意識の課題に集中していると、無意識は、「そんなに、そのことに集中しないで、もっとのんびりと、別のことを思ってみてはどうですか? 例えば、こんなこともありましたね」というような感じで、当面の課題と一見関係のない情景を提示することがあります。「意識全体を広い状態」にという心の原理から、こういうことが起こるとも言えますし、現在の課題を、「もっと大きな、広い視野から眺めてみては?」と無意識(の貴方)が、自分に提案し、自分で自分をよりよい方向へと、模索している可能性もあります。そういう情景などが出てくると「癒される」というのは、意識が集中課題で喘いでいるのに対し、ここで「休息」を、ということで、「ほっとした思い」が導き出されるのだとも言えます。
 
  意識が、課題に集中し、それに熱中しているとか、困難に直面してどうしようと困惑する場合、無意識の方で解決のヒントや、慰めや、色々な可能性を提示してくれます。この心の働きに敏感であるかないか、年齢や状況や機会、時運(カイロス)によって色々なようです。
 
  >何か共通するものがあるような気がして心配です。死ぬんでしょうか?
 
  「死」ということを考えられる、または感じられる場合は、「象徴的な死」と、「現実の死」の無意識による予感の二つが大きく分かれます。「現実の死」の予兆・予見は非常に珍しいことです(ただし、貴方に何か心当たりのあることがあれば、それは予知ではなく、無意識の適切な判断の可能性があります。心当たりあることとは、貴方が心臓などに重い疾患を持っているとか、近親者で大勢の人が、貴方ぐらいの年齢で、理由不明で病死しているなどの例がある場合です。この場合は、意識で考えても、そういうリスクがあるなあ、というのが率直な処で、予感・予知とは別になります)。
 
  「象徴的な死」ということなら、それは発達のステージの上昇はすなわち「古い自分の死」という意味で、合理的に筋の通った話です。(ただ、「死ぬんでしょうか?」という発想には、少し飛躍を感じます。発達ステージの切り替えが普通だと思うのですが、違う可能性もごく僅かですがあるように思います。その場合、専門の精神医などに質問される方がよいかも知れません……これは不安感が、もっと大きくなって来て、制御できなくなったような場合で、とりあえずは、ふとそう思う程度なら、心を自分自身に対し広く持って、様子を見られることです)。
 
  なお、以下のURLを参照してみてください。これは「夢」の話ですが、回答者が興味深いことを記しています:
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=210376
 
  成長のステージというものがあり、その時々で象徴的な「夢」を見ることがあるという話ですが、実は「夢」「空想」「ふと思い浮かんだ心のイメージ」こう言ったものは、無意識の心理学では、同じ意味を持ちます。
 
  こういう心理現象に何か展開があり、危惧するような内容でしたら、このサイトで、「心理学」のカテゴリーで質問されれば、分かるようであれば、再度回答させて戴きます(他のカテゴリーでは、質問が届かないことがあります)。
 
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心理学については専門家ではありませんが‥


ご質問の中にも書かれていますように,今まであまり使っていなかった領域をフル回転させていることにより,記憶領域が活発に働き始めているということが一つ考えられますネ。
もう一つは,仕事を通じて真剣に勉強されているということですが,その際に自分でも気付いていないようなキーとなることが五感を通じて認識されているのではないかと思われますネ。
自分でははっきりと気付いていなくても,その思い出される状況,風景,物等を連想させる何かのキーに触れているのではないでしょうか?
おそらくはこれらの二つのことが合わさっているものと思います。
別に死ぬ前兆というわけでは‥
以上kawakawaでした
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