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問題を起こした後、言い訳をしていると
よく「言い訳するな。」と言われますが、
これはどのような思想に起因するのでしょうか?

また、外国でも「言い訳」することは
批判の対象となっていますでしょうか?

<補足>
私見では、失敗学の台頭もありますので、
きちんと失敗した原因を追究するという
意味で「言い訳」をきちんと聞いたほうが
よいと思っています。

しかし、現状では言い訳すると非難される
ことが多く、なぜ、そうなのかを
知りたいと思ったからです。

<注意>
言い訳することの賛否については
質問の対象にしていません。このQ&Aが
わかりにくくなりますし、へたを
すると議論しているとみなされて削除されます
ので、書かないでください。

A 回答 (7件)

はじめまして



失敗について、「原因分析をする」のと「言い訳をする」のとは、表面的には同じことでも意味が違います。それをどう捉えるか、どう分けていくかが、この話題にはつきまとうのでしょうね。


一般的な思想については分かりませんが、私がこの数年仕事をしてきて感じている思いとしては…「言い訳」は時間の無駄であるばかりか、問題解決の妨げになったり、当事者の成長にもならない行為かと。

この場面での「言い訳」とは、「自分の保身、利益確保のために都合の良い情報・論理を並べたてて説明する」行為をさします。
こういう言い訳をしている人は、自分の行動がもたらした結果を正しく評価せず、自己成長の機会を逃しています。そういう人が良い訳することでどうにか誤魔化してしまえば、周囲にも悪影響を与え、自分勝手な理屈がまかり通るようになってしまいます。それはその集団にとって、大きなマイナス要因です。


そういう観点からだと思いますが、原因を探るより「どうすればいいか」を考えろ、というビジネス本が出ていましたね。
「すごい会議」って本はご存知ですか?

私自身が成長したのは、トラブルが起きたときに、自分以外の要因に責任があると考えるのをやめたからだと思っています。例えば5人が共同で仕事をしたときに問題が起こったとしたら、その責任は一人20%ずつあるのではなく、一人ひとりに100%の責任がある、という考え方です。

人以外の要素が問題を起こしたとしても、それはその要素を管理していた自分や管理体制に問題があるからだと思えば、自分がやるべきことが明確になります。


組織として、相手が悪いといって動かないのは、例えそれが正しいとしても、良い結果にはつながりません。逆に、相手の責任分担であっても、それを助けていくくらいの気構えで臨めば、組織が活性化していくのです。

根底にあるのは、損して得取れ、という精神だし、One for all, all for one の精神だし、部下の不手際は自分の責任、という上司の背中だと思います。

ちょっとリーダー的な仕事をするにあたって、自分はそう思うようになりました。それができない人/組織は、うまくいかない。
だから、言い訳しないで、ってことです。


…言い訳している人を見るだけでムカつくってのもアリますけどね。
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言い訳しないことを美徳とする思想と、言い訳することを美徳とする思想とあります。


単に数ある見方、考え方のうちのひとつだと思います。
日本人は不言実行とか、どちらかというと多くを語らないことを好む傾向がありますね。
一方、欧米では自己を主張することを潔しとします。
日本人の気質は稲作文化によって育まれた部分が大きいという説があります。
集団で農作業をするので、出る杭は打たれる。皆と足並みを揃える。自己を主張することを恥とする。
こういった感覚が日本人にはあります。
一方、アメリカやフランスのように個人主義の国では、いかに自己を主張するかが人間性を表すといいます。
言い訳をしないでなんでも「すみません」と自分が悪いことにして終わらせようとする日本人に白い目を向ける欧米人は多いですね。

自己主張することを好むかどうかという点で、言い訳に対する捉え方も違うのかもしれません。
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古来より日本人の考え方の中に、「言い訳は女々しい」というものがあります。

この場合の「言い訳」はlinus1974 さんの言う「失敗した原因の追究」とは一線が画されていると思います。

通常の【言い訳】は、自分が失敗したこと、未完で終わったことの原因を、自分に帰するのではなく、他人や偶発的な出来事、自然現象などに転嫁し、「私が悪いのではなく、かくかくしかじかの事が原因で今回は失敗に終わった。出来れば再度のチャンスを!」と懇願することをさす場合が多いと思います。
それは特に武士の社会における掟のようなもので、失敗は何が原因であろうと、責任は本人が取るものとされていたのです。その掟に背くが如き行為が「言い訳」だったのであり、「言い訳」は命乞いに等しい行為であり、武士の風上にも置けない行為でもあったのです。

したがって、「男たるもの失敗は失敗、責任は自らにあると認めよ、言い訳などは女々しいぞ」という、武士道の中にある古い考え方が、現代社会においても何処かに流れているのです。

あなたが仰るように、今後のことを考えれば、もちろん失敗の原因をきちんと把握し、次の行動の指針を得るべきであることは必要なことです。「言い訳無用」など古い考え方であり、現代社会では通用しないものなのです。

ここからは上に立つ人間の、それこそ「思想」に掛かってくるわけです。すなわち、「言い訳無用!」とばかりにばっさり切るか、「何で失敗したのか言ってみなさい!」とか、「失敗の原因は何処にあるのか一緒に考えよう」という、前向きな姿勢を示すことが出来るか、物事の成否、それに関わった人間の将来に、大きな分かれ目が待っていると思います。
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英語では、dumbという単語が、元々おし、口べたという意味だったのが、


馬鹿、低能という意味でも使われています。つまり言い訳する能力が無い人間は馬鹿で低能という訳ですね。
「言い訳するな。」という言い方もありますが(Don't excuse.)、言われた方は弁解を止めません。

私が思うに日本では、口がペラペラ上手い人がその分得する社会になってしまうのを、とても嫌う風潮がある/あったと思います。
論語の中の「巧言令色少なし仁」が頻繁に引用されますし。

つまり言葉でなく、見える結果だけで、全てを判断すべきだと。
だから、言い訳すれば許されそうな状況でも、言い訳なしで罰なり何なりを受け入れよ、と。
思ってもいなかった結果に至り、言い訳の許されない状況に置かれてしまうかもしれないことを覚悟し、
それでもしたいことならやれ。してしまってから、「そんな積りじゃなかったのよ」と逃げるのは美しくない、
そういう日本の哲学なんだと思います。
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言い訳するなと言う方は、会社の上司なのでしょうか。


きっと、過度に、あなたに期待しているのだと思います。
誰でも、やってくれそうにない人に、仕事や頼み事はしないでしょう。
世界の舞台に立つスポーツ代表選手は、国民からの期待を背負って、戦いますが、例え、へまをしても言い訳をする人はいないようです。
あなたが無能ではなく、ギリギリの線で仕事などをしているので、失敗率は高いのです。
どちらかと言うと、僕も株で損をすると、客が来て、売買タイミングを逸したと、妻に愚痴ることがありますが、妻は聞き入れてくれなく、「あなたの損を 他人に責任転嫁するなんて、おかしいよ。」と冷たくあしらわれます。 
それから、失敗する頻度によっても、相手が「言い訳するな。」という言葉が出るのではないでしょうか。
あなたは、僕と同様に、自分の非を認めたくない性格と推測しますが、自分の能力以上なことをしているのですから、「言い訳」したい気持ちもわかります。
言い訳よりも、なぜ、失敗したのかの原因を追及し、学習していくことでしょうね。
持って生まれた能力や性格ですから、簡単には変えられません。
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言い訳を潔しとしない、


弁明は見苦しく、言いたいことを全て飲み込んで腹を切る・・・
やはり、原点は武士道でしょうか。
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私的な意見です。


基本的に言い訳は「自分の言動を正当化するために事情を説明すること。また、その説明。弁解」として使う人が多いからではないでしょうか。
思想よりかは言い訳の内容だと思います。
大抵の言い訳では「申し訳ありません」「すみません」という謝罪が無く「失敗の原因を客観的に説明せず、誰が悪い、そのときはどうの、忙しかった、そうなるとは思わなかった」など、自己弁護になりがちになります、そうなると聞いている方は「そうじゃないだろう、君の自己弁護を聞いているんじゃないんだよ」となり、要約して「言い訳はするな!」という言い方になると思います。

言い訳には
「筋道をたてて物事を説明すること。解説」
「過失・失敗などをわびること。謝罪」
という意味もあります。
失敗を客観的(他人事のようにとは違います)分析できて説明できる人に対しては、周りは言い訳しているという認識はないと思います。
あくまで私見です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃるとおり弁解的な言い訳は
批判の対象になりますね。これは
思想がどうのというよりは、
当然ですね。

お礼日時:2006/07/07 08:51

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