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今回のワールドカップは、前回以上に、わくわく楽しみに見ていましたが、最後の、ジダン選手の退場事件で、すっかり、意気消沈してしまいました。

最高のサッカー選手が集まる最高の舞台で、最も最高の選手の最後を飾るその時に、その瞬間を台無しにすることが、意図的に行なわれた・・・なら、非常に悲しいことです。

開催中に、あるビジネス向けのサイトで、

「フランスでは上流階級はワールドカップの話を全くしない。上流階級が楽しむのはテニスで、サッカーは下品なものとされている」

という記事を見ていました。

「おもしろいものに上流も、下品も関係ない!」と思っていましたが、今回の事件で、“フランスの上流階級”さん達は、それ見たことかと言っているでしょう・・

貧しいアルジェリア移民の子供が、街角のサッカーから夢を叶え、世界のヒーローとなる・・、そういういい話が、「サッカーという舞台」では、平気で台無しにできる、それが手柄として賞賛さえされるなら、サッカーって、なんて悲しいスポーツだろうと思います。

貧しいゆえに世界で最も多くの人に愛されると共に、
貧しいゆえに最も大切なものを平気で傷つけてしまう。

これが、サッカーの本質なんでしょうか?

私はサッカーの、ど素人でよくわかりません。どなたかアドバイスをお願い致します。

A 回答 (8件)

ヨーロッパである意味そういう事があるのは事実です。


乗馬、ポロ、クリケット、フェンシング等々
上流が親しむスポーツは厳然としてあります。
テニスは今やサッカーに近い、大衆スポーツでしょう。

話しは変わりますが・・・
2・3年前イングランドのリーグ戦での出来事。
ラインから出そうなボールを追っていた選手が勢いあまって
観客席に頭からつっこみました。
選手の目の前にはイイ感じのおばあちゃんの顔がありました。
その選手は思わずそのおばあちゃんの頭を両手で抱いてほっぺにキスをしました。
真剣な勝負の中のハプニングにスタジアムは大爆笑の渦につつまれました。

この試合の対戦カードとキスした選手を思い出せないので私はこのコーナーで
訊こうと思ってましたが・・・

ここから先は架空の話しですが、このおばあちゃんの死んだダンナはきっとこのチームのファンで
イングランドサッカーがどん底であったころ、働き盛りだったくらいの年だったと思います。
負けた試合の夜はパブでしたたかに痛飲してぶつぶついいながら、帰って来て
ソファに倒れ込んだまま寝てしまい、奥さんは靴を脱がして毛布をかける・・・
そのころはサッカー場なんて荒れていて女子供の来ることのできない危険な場所でした。

月日は流れ、イングランドリーグの観客席も随分と様変わりしました。
なにかの理由で一番前列で見ていたおばあちゃん。死んだダンナがファンだった
チームの選手に試合中にキスをされる・・・
…あんたのファンだったチームの選手にキスされちゃったよ…
空想ですが・・・そんな空想がそれほど不自然な事とは思えないでできるくらい
悲しいにしろ嬉しいにしろ、人々の生活に根ざし、心を捉え続けてきた魅力と歴史を
サッカーは持ってます。

ジダンの事でいえばどんなサッカーでの栄誉より、人間としての冒されれば
我慢は出来ない人としての誇りがあるのだと言う事でしょうか。
アンリもなにかと言われていたようにも見えました。

むしろせっかくの優勝の価値を下げてしまったのは、イタリアの方かと・・・

1994年W杯では同じく決勝でPK負けたはしたもののバッジョ(イタリア)が
英雄になり人々の心に残り続けています。

温厚で知られたペレでさえあまりのひどいファールに相手に殴りかかった事がありました。
引退時、ペレの膝には無数のスパイクポイントのキズ跡があったそうです。

明るい太陽の光はまた暗い影を作ります。サッカーの人間のやるスポーツです。
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この回答へのお礼

いいお話を、ありがとうございます。

サッカーも進歩していっている・・を感じさせてくれるお話でした。
人間が進歩してこそ、サッカーの進歩がある・・ですよね。

ワールドカップも、素晴らしい選手同士の戦いだからこそ、激しく戦うだけでなく、最も互いに敬意を払って戦う試合になる・・
そんなふうに、人間も進歩していければと思います。

お礼日時:2006/07/12 13:38

わたしたちが普段の生活では体験できないかもしれない


とてつもない喜びや、呆然とする無残な結末…そういう人生の多様なドラマを
見せつけてくれるのが、世界中のサッカーファンを引きつける求心力だと思っています。

例えば、今回の日本代表の結果で世界との差に打ちのめされても
13年前のドーハの悲劇を体験して、悲しみから立ち上がって
前進することの尊さを知っていれば、悲嘆にくれることはありません。

暴力や差別に汚されても、より上を目指す意志や創造的なプレーがあれば
サッカーはまばゆい歴史を刻んでいくのです。
なので、ぜひこれからも悲喜両面のドラマを見続けてほしいです。

ちなみに…フランスは個人主義のお国柄で、まとまって何かに熱中するのを
醒めてみる風潮がありました。それを変えたのが98年W杯地元開催での
初優勝で、一体感を生みだした象徴がジダンでした。

ただ、いくら最高の選手の最後の試合で、どんな理由があろうとも
「頭突き」という行為だけは許せないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね、「とてつもない喜びや、呆然とする無残な結末…そういう人生の多様なドラマ」ですね。

他の方へのお礼にも書きましたが、今は、サッカーの大きさに気づかせてもらった・・と思い始めています。

でも、なるべく無邪気に楽しみたいので、「暴力や差別に汚される」のは勘弁してほしいと願っています。

お礼日時:2006/07/12 13:30

>サッカーって、悲しいスポーツ?


>おもしろいものに上流も、下品も関係ない!
と感じたのはあなたの感性ですね!?
そう感じたあなた流の見方でサッカーを見続けてほしいです。あなた流の感性でサッカーを語ってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「これってアリ?」的な質問をしたつもりでしたが、私の勝手な思いの部分が長すぎて、「語ってるだけ」と感じられたようですので、お詫び致します。

お礼日時:2006/07/12 13:25

失礼ながら、


> 貧しいゆえに最も大切なものを平気で傷つけてしまう
という考え方の根拠がわかりません。

そもそも「これは階級闘争か何かの一種なのだ」といように考え出したら、サッカーに限らず何でも悲しい側面が現れてしまうのは当然ではないでしょうか。

フットボール(サッカー)というスポーツが貧富の差なくどんな辛い生活の労働者にも等しく楽しまれるものであることは確かだと私も思います。その起源も市井にあったと思います。しかし一方で、かつて欧州貴族などのいわゆる「上流階級」によってスポーツとしてのサッカーが育まれ、広く世界に伝播したということも事実です。

あと報道を見る限りではフランスでジダンは暖かく迎えられているようです。素晴らしいプレイヤーだったことはみんな知っていると思います。

個人的には、世の中にはいい話もあればいやな話もある、だからサッカーは人生なんだ、などと思っていますが、いかがでしょうか。

「サッカーの歴史」という本がとても素晴らしいので、この機会にこういった本を読まれてはいかがでしょう?(ちなみにURLはアフィリエイトではありません)

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/sim-explo …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「貧しいゆえに・・」ですが、私の勝手なイメージです。
私の知ってる人で、お金持ちで育ちのいい人で、束縛されてないというか、自由に自分の思う通りに生きている人がいます。

でも逆に、経済事情や色んな事情があって、それが“コンプレックス”になっても、それを動力にして頑張る人たちがいます。

ジダンやイタリアの選手を見て、勝手にそういうイメージをしていました。

イタリアの選手は、ジダンに「そんなに俺のシャツが欲しけりゃ、後でやるよ」と言われて頭にきて、ジダンに言い返したそうです。

もしイタリアの選手が、誰かに蔑まれる環境に育ち、「いつか見返してやる!」とか「誰にも負けるか!」という激しい闘争心を燃やす人だとしたら、ジダンの言葉は、きっと神経を逆なでにしたのだろうと想像してました。

サッカー選手として大成功し、どんなに満たされても拭い去れない“コンプレックス”こそが、トップクラスのサッカー選手の情熱の中心にあるのか・・という想像です。

もう少し、サッカーが成熟すれば、せめて互いのコンプレックスを思いやるくらいの、互いへの敬意を持てるようになるかも・・・と、今は、思っています。

「サッカーは人生なんだ」・・なんかピッタリくる言葉ですね。ありがとうございます。

お礼日時:2006/07/12 13:22

サッカーはイギリスで生まれました。


そして、労働者階級を中心として広まりました。
今でも労働者階級の名残を残すクラブとかあります。(Westhamとか)

イギリスで生まれたスポーツということで、紳士的行為をするように目指してはいます。しかし、所詮はスポーツ。どうしても試合になると熱くなりラフプレーも目立ちます。
審判の目を隠れて反則をしたりもします。

しかし、サッカーはスポーツの中で唯一といっていいほど、世界中に広まっているスポーツの一つです。全世界(地域)に広がり、ワールドカップとなると予選で各大陸で出場国を決める為の戦いがあります。
世界で200の国と地域を越えると言われています。

ゆえに、世界中で愛されているといってもいいスポーツであるのも事実です。サッカーボールさえあれば、裸足でもサッカーはできるのです。
それくらい愛着をもたれています。

ブラジルでは貧困民の中からスター選手が生まれることが多いです。
サッカー選手になってスターにあると、それまでの人生とうって変わって薔薇色になるそうです。ジーコも、ロナウジーニョもロナウドもです。
それくらい人生をも左右させるほどのスポーツです。

これだけグローバルで人生をも転換させてくれるスポーツが他にあるでしょうか?

上流階級は上流階級と割り切って、気にせずに楽しみましょうよ!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
皆様のご回答で、消沈した気分もだいぶ回復してきました。

今回の退場事件が大きなショックであることは変わりませんが、「サッカーはもっと大きい!」、大きいからこそ、こういう事件も含まれてくる・・のかと思えてきました。

私にとってのワールドカップは、事件に消沈して終わりそうでしたが、サッカーの大きさに気づいて締めくくれそうです。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/12 12:02

ちょっと答えとは道がそれていますが。



フランスとUKはお互いにどこか嫌いあってる所があります。Britishがサッカーを好きだからこそ、フランス人が馬鹿にしている風向きがあるのかもしれません。でも、大嫌いといってるのではなく、庶民的でないだけだと思います。だから、今回のこともそれみたかとすべての人が思っているとは思えません。
フランスには移民の問題などでそれぞれの人が違った考えを持っていると思います。ふらんすだけでなく、世界ではそういった国が多いです。日本などはそういったことがないように見えるのは大半が純日本人だからかもしれませんが問題がありますよね。

サッカーは世界中で楽しまれているスポーツだからゆえに、そういった問題があるのかもしれません。悲しいスポーツだとしても、改善していく前向きな気持ちで考えていきたいですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうですね、なにか“気づき”を感じさせて頂きました。

サッカーは、人種や宗教も歴史も越えて、広く楽しまれているからこそ、「サッカーの中に、人種や宗教も歴史が含めている」ように思えてきました。

そう思うと今回の事件も、サッカーの素晴らしい魅力の裏返しであったと思えます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/12 11:55

 サッカーは残念ながら上品な紳士のスポーツとは云えないでしょう。

イギリスでは競馬やラグビーが紳士のスポーツであり、サッカーは競馬ならぬ競犬と同じように庶民のスポーツとみられているようです。
 私は素人サッカーを40年以上前に始めた人間で、人一倍サッカーというスポーツの魅力を知っているつもりですが、残念ながらプロのサッカー選手の汚さは他のスポーツに比べて目に余るものがあります。それが人間らしいといえばそれまでですが、ルールは無論のことですがルールの精神そのものを遵守する気風が育たない限り、品性を欠いた労働者風情のスポーツだという侮蔑的な見方をされてもやむをえない面があると思います。審判に分からなければどんな反則も厭わないどころか、それをやるのがプロだという誤った価値観、反則にはならないものの明らかにルールに反することを平気でやる気風などの悪弊があるのは悲しい事実だと思います。今回のジダンの件も「反則なならない汚い手」の挑発にのってしまった悲しい事件だと思います。
 世界でこれほど多くの国で多くの人たちに愛されているスポーツはサッカーをおいてありません。この素晴らしいスポーツをさらにレベルアプするためには、審判の厳格さを図ることが効果的だと思いますが、影響力のある人間によるメッセージの発信などによる、自発的な動きがあるといいですね。決められたルールの中での激しい戦いこそ、観る者を魅了してやまないはずです。ルールの厳格な運用は怪我人の減少という副次的な効果も期待できるでしょう。
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この回答へのお礼

大変わかりやすいご回答をいただき、ありがとうございます。

残念ながら、サッカーは高いレベル=プロほど、汚い手を平気でやる傾向があるんですね。

もちろん、むしろそういう選手は少数だろうと思いますが、高いレベルどうしの戦いこそ、強敵への敬意を大事にして、高い誇りをもって戦ってほしいと思います。

ご回答者様のサッカーへの愛情に共感させていただきました。サッカーを見るのはもう止めようかと思いましたが、明日に期待して、これからも見てみようと思います。

お礼日時:2006/07/12 11:49

やり返すだけの原因が作られたから、やり返したと考えます。

それをどう捉えるかの問題です。スポーツは理屈なく楽しい人にとっては、このうえもなく楽しく嫌いな人にどんな講釈をしてもムダです。人それぞれの感じ方があり、それを他人に押し付けることはできません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

北斗の拳っぽいですが、強敵を強敵と認め、敬意をもってこそ、強敵と戦う自分に誇りがもてる・・と勝手に思っていまして、準決勝までの試合では、サッカーでもそういう雰囲気を感じておりましたが、最後の最高の決勝では、そうならなかった・・・ので、「いったいどっち!?」と思い、質問させていただきました。

つい、私の勝手な思いの部分が長くなり、“押し付け”と感じられたようですので、お詫び致します。

お礼日時:2006/07/12 11:39

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