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エリクソンの提唱する「統合性」。
もし、老年期に差し掛かるのを目前と認識し、
ごく一般的に所帯は持ったけど、
「熱い恋愛は一度もなかった」と気付いたとき
その人はどう動くと予想されますか?

できれば、専門の方、事例などあれば
教えてください。

言葉足らずで、恐縮いたします。
必要な情報はお答えできる範囲で申します
ので、よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

専門家でも何でもありませんが、確立していた(はずだった)自我同一性が崩れた時に人はどのような対応をするか、ということだろうと判断します。



人は常にこの繰り返しで生きているように思うのですが、主に環境の影響を受けて新たな価値観に目覚めた時、それまでのアイデンティティとの統合が求められるわけでしょう。
その成否はそれまでに獲得した個人の能力に委ねられるしかありませんから、年齢に関係なく「人それぞれ」というしかないと思います。

統合を達成できなくて自暴自棄・情緒不安定になる人もいるでしょうし、
逆に統合を達成したとしても、それまでのアイデンティティが勝利するのか、あらたな価値観にねじ伏せられるのかという結果によって違ってくるのではないでしょうか。
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 「熱い恋愛は一度もなかった」状態は、以下の通りと考えます。


○成人期「親密性/孤立」
 アイデンティティを獲得した後、男女の出会いと共に、孤独を癒す力を「親密性」とし、家族をつくる事であり、「親密性」を築いていく為に、これまで培ってきた心理・社会的な自我の力が必要です。
 そうでない時、「親密性」を異性との間に築く事が出来ずに、「孤立」と孤独感を感じます。又、相手に身を任せる様に頼り、妥協する出会いをしてしまいます。
 この場合、周囲の人達には、形式的な成人期の課題の遂行をしている様に見えます。
 *「熱い恋愛は一度もなかった」=見せかけの課題の遂行をしてきただけで有り、実は「孤立」と孤独感に苦しんでいます

 次に、老年期において、
○老年期「自我の統合性/絶望」
 老年期の人は、死に直面・意識した中で、生きていることは決して優しい事では有りません。死を受容し、これまでの生涯を全て自分のものとして受け容れる事で有り、これには、肯定的な部分も否定的な部分も「統合」して受け容れる事です。そして、次の世代への関心、人類への関心など家族や地域をこえた大きなものへの関心を持ち、生き続ける事が、自我の統合された状態と考えています。
 仮に、そうでなければ、死を待つだけになり、生きる尊厳は全く失われ、生きてきた意味が無いと感じ、「絶望」の状態になります。

>もし、老年期に差し掛かるのを目前と認識し、ごく一般的に所帯は持ったけど「熱い恋愛は一度もなかった」と気付いた時、その人はどう動くと予想されますか?
 心理的には、意識しているかどうかは別として、成人期から「孤立」を感じ続け、老年期で「孤立」「孤独感」に気づいた事により、「絶望」している状態になると考えます。どう動くかは、具体的な表現は回答出来ません。それが、自殺企図なのか、ふさぎ込んで抑うつ状態になるのか、心理状態として、絶望・悲観的な状態だと考えます。
 又、エリクソンのライフサイクル論にとらわれなければ、老年期の方は、喪失体験を伴う心理的過程も踏んでいますので、「絶望」=自殺とは、安易に考えにくいです。
 
 日本の場合、残念ながら、老年期の「統合性」に達することは難しいとされています。それは、児童期における「自発性」の危機的課題を解決せずに、過ごしているからです。この点は、回答をすると長くなりますので、ご要望があれば、仰って下さい。

この回答への補足

ご回答、誠にありがとうございます。
それで、よろしければ、続きをご教授いただけましたらと存じます。

補足日時:2006/07/24 22:31
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 #2の者です。

補足ありがとうございます。
>>日本の場合、残念ながら、老年期の「統合性」に達することは難しいとされています。それは、児童期における「自発性」の危機的課題を解決せずに、過ごしているからです。
 まず、説明をするにあたり、児童期における「自発性/罪悪感」の話しからします。
自発性とは、自分の衝動のまま動く、気ままに行動するという意味では有りません。外的・内的な力(内的=自分の衝動、外的=外からの要求)が統制出来る能力がついている状態で、自分の要求を表現する様になる事です。つまり、外的・内的なバランスを保ちつつ、行動が出来る状態です。
 自分が自分の行動の中心になる事であり、「自分」が心の中心に位置し、明確に占め始めています。この時期は、アイデンティティの基礎にあたります。
 仮に、これが上手くいかないと、行動が規範を犯し、はみ出た行動をします。この時、感じるのは、「悪かった」「失敗した」という罪の意識(罪悪感)です。
 (ここからが、前回の続きになります)
 これが、日本の場合、罪の意識が分かりにくいとされています。アイデンティティ論で言う、自発性が内的に希薄の為ではないかと考えられています。個人や集団を超えた原理・原則という点です。多くが「へ理屈」と受け止められているからです。規範・(それを犯した)罪悪感は、具体的な対人関係的レベル・社会的レベルに基づいた上でしか成り立っていないという言い方が分かりやすいですね。つまりは、個人・人間を超えた精神的世界に基づいた規範とは、なっていないのが現状だからです。

 分かりづらいですかね。
 世界における日本の特異性については、以下の方を参考にされて見てください。
○森 有正(哲学者)私が知る限り、5冊程、書籍が出版されています。
○鑪 幹八郎(タタラ ミキハチロウ)
 (京都文教大学教授、日本心理臨床学会理事長)
 「アイデンティティの心理学」
 「個人・社会・歴史」
 「アイデンティティ特集」

回答後、考えていましたが、結論の一部としての傾向が見られるものとして、熟年離婚もそうなんだと考えますが、シニア婚も最近、急増しています。
 厚生労働省の調査より 
60歳以上の初婚数が1994年:404、2004年:809件
再婚もほぼ2倍、1万416に増加。逆に60歳以上の離婚も2・5倍の1万6511です。
 理由は、確かに多様ですが、その背景には、
>「熱い恋愛は一度もなかった」と気付いた時、その人はどう動くと予想されますか?
 この答えなのかもしれませんね。
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