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A 回答 (31件中11~20件)
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No.21
- 回答日時:
再びNo8です。
先ほどとは全然違うものになりますが、
普通の人になることです!(←前回は宇宙人になることと云ってたのに、笑)
お釈迦様が悟りを開いたキッカケとなったのは
普通の女性に施しを受けて
ごっつい新鮮だったからのようです。
極端を廃して丁度良い加減のものが
輝くばかりで
最も貴いものだと悟ったのですね。
それが「中道」。
「スジャータってどんな女性」という質問で
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1388288
自分が最初にした質問で
良識をお持ちの回答者に感銘を受けて以来
すっかりここにハマってますよ。
それを知ってだいぶ経つのに
普通でない故悟りません(苦笑)。
No.20
- 回答日時:
あらあら、改めて見ていたら frau さんだったのですね。
お久しぶりです。
私へのお礼の欄に書かれていたのは
「さとるの化け物」の話ではないでしょうか?
http://ww7.tiki.ne.jp/~iwao/pdf_youji/satorunoba …
こんにちは。
正規のお話をご紹介くださりありがとうございます。
でもタイトルがまんま「さとる」・・・。びっくりしました。おもしろーい!
No.19
- 回答日時:
再度の13です
いつも感心しますが、貴女は本当に論述の能力に長けていると想います。
幼稚にしか回答できない自分が恥ずかしくなります。
どんな回答にも直観を働かせ、真摯で、自愛に満ちた返答をしているのが伝わってきます。綱渡りで言えば絶妙なバランス感覚なんだと想います。
でも人生に目的、哲学にも標的があるとしたら、それは真理・幸福だと想います。
競馬の予想でも論述に長けていて説得力があるけど、全く当たらないという人もいるんです(^^
この世には二つの状態しかありません。
安定か、不安定かです。
この世は二極、またはそれ以上の混沌から”生まれて”います。
つまり”生まれる”の生みの親は「不安定」なんです。
だって「安定」からは何も生まれません。だからお釈迦さまは解脱して、
生まれるということが尽きたといわれているんです。「安定」にもい
ろいろなレベルがありますが、お釈迦さまは究極の安定状態になったんです。
だから我々には生来「不安定」という要素があって生まれてくるんです。
仏教ではこれを「愚か者」といいます(キリスト教では「原罪」というのかな?)
その不安定を安定させるため修行(生活)しているようなものなんです。
その修行方法は、自分の成りたいものに成ってそれを体験するという修行方法です。
たとえば、競馬をやれば「競馬をする人」に成ります。
タバコを吸えば「喫煙者」に成るんです。
練炭を買えば「自殺者」に成ります。
投稿をすれば「投稿者」に成るんです。
何かを想えば「何かを想う人」に成るんです。
この自然界は、いつでも、私が成りたい私に成らせてくれるんです。
私が「あいつなんか死んでしまえ!」と想ったら、私を「恨む人」に成らせてくれるんです。
自然はこの仕事を100%完璧にこなします。
絶対に! ミスしないんです。
だから、幸福に成りたかったら、呼吸を整え、想いを鎮めれば良いんです。
幸福とは安定です。
安らぎです。
呼吸を整え想いを鎮めれば、そのように成るよう、100%の自然のサポートが受けられます。
だって、この世はそのように出来ているからです。
心の波が静まれば、それまで見えなかった遠くの景色、遠くの音も聞こえてきます。
誰かがお釈迦さまを「世界の構造を解き明かした人」と書いてました。
どうやって解き明かしたかというと、呼吸を整え、想いを鎮めたからできたんです。
やることはたった一つ、簡単です!
呼吸を整え、想いを鎮める・・・たったこれだけです。
呼吸というのは普段、心臓なんかと同じで無意識に行われる自律神経の支配下に
ありますが、ちょっと意識を向けただけで手足を動かすのと同じ、意識的に動か
すことのできる体性神経の支配を受けるのだそうです。つまり呼吸は自律と体性
という二つの神経の支配下にあるそうなんです。
自律神経が自然のままの不安定な状態としたら、それを整えることは自然の支配
を意味すると想います。自然を「獣性」と名づけるならば、その対極にある
「理性(霊性)」の発展になると想うのですが・・・。
仏教は恐ろしいほど科学的だと想います。
これが上達すれば、「自分」という不安定な自然の産物の「治める者・支配者」となれます。
自然を支配するもの・・・それを神仏というのかも知れませんが。。。
迷妄に囚われず、心を健やかに保つことが「悟り」だとしたら、それは意識的に、気を抜かないことによってしか実現されません。
・・と、まだまだ言いたいこともあるのですが、お互いに幸福を目指しましょうm(_ _)m
ojizou-samさんのおっしゃること。簡素な中に深遠な意義が隠されている、誠実なご回答なので、安心して頂戴することができます。シンプルな食材だからこそしっかりした身体を作るような語彙とその要素はまるで精進料理のような(笑)。そして私の大好きな「あの方」にも似ているところも(笑)。
さて、呼吸について触れられていますが、呼吸は生命の根源ですよね。今ヨガなどのブームで呼吸がクローズアップされていますが、私も呼吸ひとつがそのような恩恵をもたらすとは思いませんでした。やはりマスコミの力は偉大です(笑)。
そのように、あたり前のことをおざなりにせず、少し意識を向けるだけで人生すら変わる。「成る人」について述べられていますが、そのように小さな行為でも主体性を持てるように、あたり前のことに気づきそれを実践する主体性を持ち続ければ人生の主体者にもなれる。だから情報って必要。いかんせんイメージの悪いマスコミも価値はあり、です(笑)。でも不随運動である呼吸もコントロールできるなんて新鮮な驚きです。
そして幸福も、小さな気づきにあると思います。形而下的な条件ばかりがの幸福論は主体性を奪います。でも利己的であるだけではならない。同時にその「理性」をいかに鍛えていくか。
ある邦画で「ダイアモンドは傷つかない」というタイトルの作品がありますが、こういうテーマについて考えているとき、なぜかふと浮かぶのです。・・・魂は神聖さを増していくごとに強くなり、どれほど傷つけられても本当は傷ついていないのではないか?と思います。だから魂とはダイヤモンドのように強く輝きを増す原石のようなもの、と捉えています。そのような過程もまた「悟り」の状態であると私は思います。
>お互いに幸福を目指しましょう
そうしましょう!
No.18
- 回答日時:
言葉は生き物
ご回答ありがとうございます。
私は心の問題についていつも考えてまた考えさせられていますが、まったく心という混沌、深遠さには頭を悩まされます。まったく親の言うことをきかない生意気盛りの子供、というものです。心は生々しい生き物だと痛感しております。そしてそれを代弁するのが言葉だと。でも言葉のもつ有限性を考えると、一体どれだけの「想い」を翻訳できるのでしょう。最初に言葉ありき、で人間としてのアイデンティティや文明や文化がある。そしてそれが誤解や無理解や争いを生じさせ「分裂」させる。それでも心は言葉を超える(そんな歌の詞もありました)んですね。まさに「言葉」同等に心も「生き物」だと思います。
No.17
- 回答日時:
簡単なことです。
たとえば数学の問題を考えていて、解答にいたった瞬間、「あっ、これが答だ。これ以外にない。」ということが分かるでしょう。
それが悟りの瞬間です。
もうひとつ、悟りとは「ものごとの相対性に気づく」ということでもあります。
たとえばそれまで「xxxがなければ不安だ。」「xxxがなければ
幸せになれない」という心を抱える自分がいたとします。
それは「xxx」という「ものごと」を絶対的なものだと思いなし、
だからこそ「xxx」がなければ不安=不幸だと思い込んでいたわけです。
先ほども言ったように「悟り」とはものごとの相対性に気づく=至る、ことですので
悟った瞬間に「事物の解決が」自分なりに出来るという境地を
得ることになります。
その意味で「自由=自らに由る」という境地でもあります。
詳しくは私の過去ログをご参照ください。
>「あっ、これが答だ。これ以外にない。」
まさにそうですね!正否を教えられていないにも係わらず身体でわかるときがある。たとえば稽古事でのレッスン時、教授されていることがそれまで頭で分かってても身体でわかってないとき「わかった」瞬間に出会うことがあります。それが進歩ということなのでしょうけれど、結局自分でわかる、しかないんですね。悟りは身体に降りてきて初めてわかることなのでしょうか。
悟りの瞬間というと、私は必ず昔日本話を思い出します。
タイトルは忘れてしまったのですが、ある男が囲炉裏でくつろいでいると自分を食おうと人間の仮面を被った魔物が訪ねて来た。魔物の方は人間をいつ食おうかと伺い、人間の方はどうやって逃げるか考えあぐね、まさに一触即発状態のとき囲炉裏の灰で焼いていた栗がポーンと弾けて魔物目がけて直撃した。それで魔物はあっけなく退治できた。という話です。(細かい部分はうろ覚えです)それが悟りというものだ、何かの本で読んだ記憶があります。それを思い出しました。
>悟りとは「ものごとの相対性に気づく」
個人的なことですが、今現在のテーマは絶対性です。他のお礼欄でもそれは述べましたが、相対的な世界に絶対的な心地をブレさせないこと、です。
とても参考になりました。ご回答ありがとうございます。
No.15
- 回答日時:
お釈迦様は人間の根本問題である「不安・苦しみ」を解決(悟)されようとして6年間寝食を忘れるくらい、やり残すことなく、難行苦行の修行をされた(あくまでも心の問題として)しかしお釈迦様は人間根本の問題の「不安・苦しみ」解決(悟を得る)事が出来ず、疲れ果てやせ衰え意気消沈され、菩提樹の木下で座られた、そして人間は自分の力では知恵では分別で「不安・苦しみ」取り除く事ができないと悟られた。
悟られた方は心が不安・苦なろうと、はからわないでしょう。 重要な点は「やり残す」ことなく修行をされた事だと思います、でないと借用心をしてしまいます(人間の不安・苦しみが解決できるとまた、また疑ってしまう)はからってしまう。たぶんNO9の回答者様と同じだと思います、「不安・苦・答え」探したがわからなかった。
心の問題は自力無効他力(あくまでも心の問題です)外の問題は自力です。
あくまでも、わたしの解釈ですが。
お礼が遅くなりすみません。
「>借用心」とは初めて知る語彙です。すごく興味深い言葉です。
お釈迦様は不安や苦しみをコントロールできる人智の及ばない力のようなものをもった方かと思っていましたが、実は非常に人間くさい方だったんですね。そしてそれは「あきらめ」ではなく、「悟り」なのですね。
「煩悩」をやり繰りしたり消去するのではなく存在を認めつつ手放すこと。すればおのずと涅槃の状態がやってくる。
「>「やり残す」ことなく修行」。私は人にとって最も重要なのは「仕事をする」ことだと思ってます。ある意味無心になれます(それが安定ならばある意味の幸福状態)。それがたとえ嫌な仕事でもどんな仕事でも。だから糧を得るための仕事でも家の料理や掃除でもいいんです。仕事の前提は肉体を維持させるためにするのですが、煩悩をしばし忘れさせるための意義もあるのかもしれないと考えています。また快楽や娯楽、休息だけで人は生きている実感を得られませんし。
・・・ちょっと話が脱線しました。
No.13
- 回答日時:
まず「悟り」とか「自由」「涅槃」「無心」「縁起」「因果」・・等々、いろんな言葉がありますが、これらは、それぞれ単体で存在しているのではなく、たった一つの状態を指し示した言葉なんです。
たとえば、自転車に乗っている状態を言葉で現してみると、「漕いでいる」「坐っている」「進んでいる」「止まっている」「風を受けている」・・・と、いくつもの無縁とも思える表現の羅列になってしまいます。
で、これらを机上に並べてしまうと、それぞれ違ったものが沢山あるように錯覚してしまうんです。「漕いでいる」と「止まっている」は明らかに違うもののように感じてしまうんです。
が、言っていることは、ただ一つの現象を示したことなんです。
仏教にも八万四千の教えがあるとか言いますが、たった一つのことを指し示しているにすぎないんです。
ところが、これが、自転車のように誰でもが体験できるレベルの話ではないので、机上の概念だけが一人歩きしやすいのだと想うのです。
ですから、悟りとは何か?を知ろうと思えば、それ以外のことにも触れていかないといけないので、それだけを知るということは不可能で、必然的にボリュームも増えてしまうと想うのです。
で、「悟り」とは、たとえば「ベンツ」です。
「ベンツ」と聞いて心が揺れ動く人にとって、ベンツは大切な大切な高級車です。
オプションで飾り立てて「どうだ俺のベンツは、みんながよけて走っていくぜ!」となるんです。【煩悩】
しかし「ベンツなんて所詮、ただの自動車だ」と悟った人は、ベンツと聞いても心が揺れ動かないので【不動心】、ベンツに対する特別な想いも無く【無心】、執着もないので【無執着】、それは、ただの鉄、ガラス、プラスチック、ゴム・・・の塊である【五蘊】と正しく観ることが出来るようになるんです。【正見】「ベンツ」なんて実体はどこにも無いと気づけるようになるんです。【諸行無我】
ベンツを悟っていない人はベンツに心を奪われ、奴隷的人生になるんです。【不自由】
ベンツを悟った人はベンツに心を奪われないので、支配者的人生になるんです。【自由】
心を奪われないとは、つまり動揺しない、不動、無心、・・・つまり『安定』です【涅槃】
脳細胞というのは興奮性の細胞でオンかオフしかないそうですから、この理屈で言えば、悟りとは、脳細胞がオフっている状態と言えると想います。
オフの状態でこの世を観れば、正しく観て取ることが出来るようになるんです。
これは私ではないのですが、以前にこんな質問もありました。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1799078
人間にとっての幸福とは、ずばり”安定”ですよね。
何の安定か?といえば、心が自律的に安定することなんですよね。。。
自分以外の何者にも依存しない、自律的に心が安定している状態です。
ベンツによって得られる安定は単なる鎮静作用であって、真の安定ではないということです。
我々はこの安定をいろんな角度から、いろいろな手段で達成しようとします。
ところが、いつのまにか目的と手段が入れ替わって、手段が目的化してしまい、肝心かなめの「自律的な心の安定」はいつのまにか忘れ去られてしまっているのです。
自律的に心が安定していれば、ベンツに縁ることもなくなるのです【少欲知足】
「悟り」とは寄る辺を持たない、自律的な幸福ではないでしょうか。
御礼が遅くなりすみません。
お久しぶりです。
具体的な説明で助かります。ベンツの例は大変愉快でした。つまり虚栄心も囚われの心ですよね。
また悟りとは、人それぞれ対象が違うが、自転車の喩えのように、真実はひとつ、というものがある、ということなのでしょうか。
そして物質至上主義の現代はとくに安定から遠いのかもしれません。反動的に「癒し」手段(グッズ)も流行り廃りが激しくて、癒されるのに取捨選択のストレスにさいなまされます。・・・
万物は変化し続ける限り、安定と相反し続けます。「外」の喧騒がある限り内なる安定を求めるのははかない夢・・・。だからこそどうにかして得るために賢人達は科学しつづけたのでしょう。
個人という絶対的価値に帰依しろといわれても干渉し続けるのは「ヒト」「社会」という相対的なものなのです。どう折り合いをつけるか。
また孤独というのは一見絶対的形のようなもので安定しているようですが最大にして強烈な不安定の素です。コレこそあらゆる災いの源になる。本能のひとつというのなら人間はゆりかごから墓場まで孤独に囚われた【奴隷的人生】なのでしょうか。そこからいかに【自由】になり【支配】できるか、が悟りというものなのでしょうか。同時に幸福も相対するものから得られます。無になることが悟りとしたら、賢人とは程遠い私のような凡人は、結局不幸も幸福も結局は人とのリンクでしか得られないのならば絶えずそれを求め、それを得るために自らも与え、そして待つ「しかない」のでしょうか。
「>心を奪われない」。個人的な話で恐縮ですが、最近やっとすこーしだけ奪われそうになっても奪還(?)できる心持ちになれてきました。
No.12
- 回答日時:
悟りについては、悟った人しか分からない、といった言い回しは、いろいろな宗教の様々な経典の中で何度も言われてきたことだと思います。
その通りだとは思いますが、私自身悟りとは程遠い状態ですが、個人的な解釈を述べさせていただきます。
悟りとは、極限的な修行の末に、脳内麻薬を制限する門をとっぱらった状態かと推測しています。
仏陀はさんざん肉体を苛め抜いたすえ、これじゃあかんといって、楽な姿勢で瞑想して悟りを開いたといわれています。
だから、極限的な修行というのは、肉体的なものだけでなく、精神的な徹底的瞑想等も含めます。
ともかく、普段とは違う刺激を脳に与え、脳を進化させる。
24時間脳内麻薬出っ放しだったら、死ぬのも怖くなくなるし、自我なんてものは笑い飛ばせるのでは。
お礼が遅くなりすみません。
>脳内麻薬を制限する門をとっぱらった状態
脳内レベルでは私の場合ズバリ「酒」ですね。
確かに肉体を苦しめても悟りにはならないと思います。むしろトラウマになってしまうのかなと。トラウマも悟りへの要素かもしれませんが、単に「痛い」という感覚機能の世界で終始してしまうのではないか?というイメージです。
例えば滝に打たれて修行するという行為がありますが、心の中に安泰というか満たされたものがある限り水の冷たさは内へと浸透しないのではないかと思っています。
>普段とは違う刺激を脳に与え、脳を進化させる
ある脳生理学者が言っていましたが考える前に実践する方が脳は刺激を受けるらしいですね。私はこれを「書を捨て町へ出よ」と受け取っています。
またここでも瞑想がでてきましたが・・・。心から湧き出るあらゆる想念に身(心)を任せることなのでしょうか。
>死ぬのも怖くなくなるし
確かに危険な誘惑。ときたまそう感じたことあります。深酒も潜在意識のディープな世界に誘いますが、いかんせん社会的にヤバくなってきますね。それでも「>自我」がなくなれば関係ないか(笑)。
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