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A 回答 (15件中1~10件)
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No.15
- 回答日時:
竜樹と対比してみてはどうか?
ナーガールジュナ(龍樹)の「運動の否定の論理」
http://sukkiri.artet.net/?eid=1407414
厳密にいうと、
已(すで)に去られた<時間のみち>(世路)は去られない。
未だ去られない<時間のみち>も去られない。
現在去られつつある<時間のみち>も去られない。
ということになるらしい。
Q:人間は存在性の塊だと思いませんか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10039734.html
no.10へのお礼
存在はエネルギーの個性を単位と考えています。存在は一瞬一
瞬実現されますがアイデンティティとしての存続するものが多
いです。存続することは存在するために有利だからです。
存在性は働きとしてその存在、存続を実現する様に働きます。
ありありとして在るありありとして営むと言えるかと思います
。どうもありがとうございます。(興味を持って下さって)^^
竜樹 現在去られつつある<時間のみち>も去られない。
no.10へのお礼 存在性ははたらきとしてその存在、存続を実現する
様に働きます。
対比
現在去られつつある ⇔ 存在性ははたらきとして
<時間のみち>も ⇔ その(存在性自身の)存在、
去られない ⇔ 存続を実現する
竜樹は運動を否定する。対して、質問者は運動を肯定するのではないか?
ザ50回転ズ
「去られなーぁあーーーーーい」
ザ50回転ズのアルバム『50回転ズのギャー!!+15』~10th Anniversary Edition~
disc1 の13. Saturday Night (Bay City Rollers カバー)
http://www.50kaiten.com/disco
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E50%E5%9B%9E%E8 …
No.14
- 回答日時:
悟りについていえば
ちょっとしたフィーリングもそうですね
誰でもある事です 高低浅深がありますね
深い悟りは 簡単な言葉や文字で表す事は不可能です
短文で書けるような悟りは クソ みたいなものです
深い悟りは すべてが分かった と言う事です
物理化学でも 究極の物理法則を探しています
神の数式とかね
本気で 何十年も研究していても分からない
天文などでも 空間が分かればすべて分かるといいます
仏法でも 空が分かれば 悟りです
さて 私の悟りは 言っても 理解されんから 言えない
私の悟りは 語ったらボロクソに言われて炎上してしまいました。
人間やAIが進化し続けてエントロピーを減らす そこに理想が実現すればと思っています。
人間を存在せしめてる性質の働きに気づけば悟りに近いと思います。
No.12
- 回答日時:
私が見つけたものは、真理といえるほど素晴らしいものではないですが、短文でいわせてもらいますと、、
ーいちいち否定したがる人(NO1のような人)は、相手の立場をまるで問題にしていないー
相手の立場の考え方の持つメリットに気付けないんですよね。
NO1の人は真理は言葉で語れないというけれど、
質問者さんの質問は各自の回答者が突き詰めた完成された考え(研ぎ澄まされた輝きのある)を引き出すというメリットがあるので優れた質問だと思います。
どうも質問を褒めて下さってありがとうございます。
真理は言葉では語れないというのはカッコイイですね。しかし何も語らなかったら何もわからないですねえ。
瞑想とかインスピレーションとかで分かるんでしょうか?
ビビって来るのでしょうかねえ?? ありがとうございます。
No.11
- 回答日時:
瞑想とは、どの様な心の状態を言うのでしょうか。
また、瞑想をすると、悟りが開けるとはどう言うことなのでしょうか。目覚めている時、自由自在にはこの宇宙を体験することは出来ません。五感から入ってきた刺激に基づいて、外界を心の中に再現するからです。しかし、眠っている時、貴方は五感から解放され、自分の欲求・悩み・記憶等に導かれ内界を作り出します。これが夢です。
夢であっても、花びらの鮮明な色や、その1枚1枚の形を克明に見ることが出来ます。木々の葉っぱの1枚1枚が風に揺れている様を見ることが出来、その葉っぱの擦れ合う音を聴けます。風や太陽の光を感じます。夢の中に出て来た人の声を、はっきりと聴けます。起きている時と全く同じなので、起きているのかこれは夢なのか判断が付きません。
しかし、眠っている間は、記憶する機能も眠っているので、それだけ鮮明な夢であっても、憶えておくことは出来ません。漠然とした断片的な印象が残っているだけです。
瞑想とは、起きていて夢を見ることです。起きているので、その夢を自分の意思でコントロールすることが出来ます。夢は、自分の意思とは関係なく進んで行きます。しかし、瞑想では、望む人に出会い、会話を楽しみ、望むものに触ることが出来ます。その感じは、起きている時と何ら変わりありません。また、記憶する機能も働いているので、瞑想を止めてもその事を記憶しています。
瞑想により、貴方は本当はこの宇宙そのものであったことを悟ります。貴方の心がこの宇宙を作り出していることを理解します。海の彼方を探さなくても、輝くものは私の中にあったのです。 今まで私だと思っていた存在は、私の中の小さな一人に過ぎなかったのです。
ではどの様にしたら、起きていて夢を見ることが出来るのでしょうか。
それには、先ず座ることです。横に寝てしまっては、本当に寝てしまうからです。そして、ほんの少しだけ目を開けます。僅かで構いません。眠ってしまうのを防ぐだけで良いのです。
そして、臍の下10cm位の所を軽く意識します。思考している時、意識は上の方にあります。何かを考えて、意識を脳の位置に持ってくると、瞑想の状態には入れません。何も考えず、全てを捨て去ります。すると、意識は、次第に下に降りて来ます。
悩みも欲も何かをしなければならないと言う意識も、全て捨て去ります。自分自身も捨てて下さい。何も要りません。何もしません。自分もいりません。瞑想に入らなければならないと考えてもいけません。何かを感じようとしてもいけません。すると、次第に眠くなって来ます。それを、僅かに目を開いて、ただ本当に寝てしまわない様にするだけで良いのです。
そうしていると、後ろの頭頂部の辺りで、音が響いてきます。その音は、瞑想の都度異なります。私の場合は、ピアノの音であったり、お経の声であったりすることが多い様です。その音に耳を澄ませます。それは、次第に大きくはっきりとした音になってきます。
すると、今度は、額の中央の辺りで、ひっきりなしに動き回っているものを感じます。大きさは一円玉位です。ウニの様に、何本もの黒い枝が伸びたり縮んだり様々な方向へ向いたりと、不規則に激しく動いています。その動きを妨げてはいけません。思考すると、その枝を操作することとなり、動きを止めてしまいます。それは、動きを止められると消えてしまいます。
その動き回るものは、全てになります。言わば世界の種です。それに頼り切って下さい。思考することは「自力本願」です。思考を止めて、私の全てをその動き回るものに委ねます。この世界の種に頼り切ることを、「他力本願」と言います。
その動き回るものに私を預け切っていると、それは次第に大きくなって行きます。その黒い枝の1本1本は、家や木や池や石などあらゆる存在にせわしなく絶えず変化しながら、絶えず動き回る様になります。そして、どんどん大きくなって行きます。
すると突然、広々とした空間が開けます。今までせわしなく変化していた存在の中に、私が入り込んでしまっています。私は、一瞬にしてそれに吸い込まれました。せわしなく動き回っていた1本1本の黒い枝は、実際にその空間の中で家になり、車になり、木になり、池となっています。 そして、無秩序に動き回っていたその存在は、車として規則正しく動き、木の葉として秩序通りにそよぐ様になります。 私がドアを開けると、ドアは動きます。私の行動に合わせて因果関係通りに、それは動く様になります。今まで、後頭部で鳴り響いていた音は、風の音や人の声となっています。これが瞑想状態です。
この世界は現実の世界ではないと言う意識はまだあります。しかし、現実の世界と全く変わりません。起きていて、広い周りを見渡している時と全く同じ状態です。風が吹くと髪がゆれ涼しく感じます。車の音も聞こえます。振動も感じます。すがすがしい空気を、深呼吸することも出来ます。 会いたかった人に会うことも出来ます。その人の肌は、ぷよぷよとした感覚があり毛穴まで見えます。話もします。
瞑想状態に入ってしまうと、もう思考しても大丈夫です。瞑想から醒めることはありません。私は、自由自在にその世界で思考し、活動することが出来ます。この世界は私そのものです。この木も家も宝石も人も、私の欲しいものは既に私のものです。私は、こんなにすばらしい世界を所有しているのです。これが本当の「あの世」です。
瞑想から醒めるには、その世界で大きく息をし伸びをして、頭を振って眼を覚まそうとします。 そうすると、現実の世界に戻ることが出来ます。
しかし、目の覚めたこの世界も、私の心が作り出しているのです。 実は、瞑想状態の世界と同じものです。一度、瞑想の世界を経験すると、現実の世界全体も、私の心が作り出したのであり、私自身であることを理解します。
今まで私だと思っていた一人は、「小さな私」であったことが分かります。感じている世界全体が、大きな私です。
生きとし生けるものは貴方自身です。ですから、それらに博愛を注ぐことが出来るのです。 他人も貴方自身です。ですから、汝の隣人を愛することが出来るのです。 敵も貴方の一部です。ですから、汝の敵を愛することが出来るのです。
これが、悟りの内容です。 この世の全ては貴方の物です。ですから、幸福なのです。
詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/meisoutohananika.html
No.10
- 回答日時:
私は悟ってないですが、仮に悟りがあるとしたらこういうものだろうという考えはあります
恐らく悟りとは例えるなら大統一理論であり、認識のブッラクホールだと思います
あらゆる認識、あらゆる批判を呑み込みその全てを一つの悟りに結びつけてしまう働きを持つ認識や思考における
非常に強力な引力を持つ渦、あるいは穴のようなものであると思うのです
このようなものが我々の脳に生じると何を見ても何を聞いてもその全てが一つの悟りを示しているように感じるようになる
そういった類のものであるだろうと思います
どんな数だろう0を掛けると0になるように、どのようなものからでも悟りを導いてしまう万能な回路こそが悟りの正体だと思います
そう考えると科学者も宗教家も悟りを得ようと頑張っているのが分かります
片方は万物を科学に結び付けようとし、もう片方は神で結びつけようとする
数学者なんかはピタゴラスが万物は数であるなんて言ってますね
haru27さんにおいては存在性思想ですか
悟りを得ようとする気持ちはよく分かりますけど
もっと身近な幸せに目を向ける方が人生を豊かにしてくれると思いますよ余計なお世話でしょうけど
悟ったと言われる仏陀は彼岸へ行って心の平穏を得たそうです
死ぬ前にそんな境地に至るなら結構なことですけど
まだ人生長いなら平穏よりももっと楽しいことを追求した方がいいんじゃないでしょうか
それに仮にあらゆるものが一つの悟りに結びつくならなにをしてても悟る可能性はあるってことです
だったら楽しいことをして悟った方がよっぽどいいですよ
悟った人は結構恰幅がいい人が多いですねえ
大統一理論とか科学でもやってるんでしょ?
この世で幸せならば無理に修行して苦行をしなくてもいいでしょうねえ
それでも悟りたいという人が居るのなら それが実現するといいですねえ。
悟りも色々な悟りの積み重ねでしょうけど、沢山のものがパッと一つにつながるのかもしれませねえ。
No.6
- 回答日時:
1.量子的時空相補性により、心(時間)と宇宙(空間)は相補分化する。
(認識)存在は確率波動性(量子的不確定性)を有し、不確定性原理において「ある値を確定しようとすると他方は無限不確定に発散する」という場合の2対の相補的不確定性、位置(S)と運動量(St)、時点(T)と質量(Ts)は、それぞれ時間性(記憶(自我仮説)=過去=超光速)と空間性(予測(環境仮説)=未来=光速下)の、原点(感受表面(量子相互作用)=現在=光速)からの対発生に由来している。
その「対発生」は、具体的な発生ではなく、階層現象(超弦(量子定常波)<クォーク<素粒子<原子<分子<細胞<個体(脳))の表面的定性化による仮想的非光速性に基づき、相対性理論の4次元ミンコフスキー空間における時・空軸の虚数関係によって等距離点に生じる0の面(界面原点)=ライトコーン(光量子の軌跡)として、全ての存在性を無へと還元するものだ。
即ち、宇宙とは心の内にのみ存し、環境は自我仮説の成立のための必要として派生しているのだ。
2.存在=意識ゆえに、生きる目的は物質的繁栄ではなく精神的充足。(幸福)
物質に目的はない。しかしその目的のなさはエントロピー増大=淘汰として進化を導き、結果的に生物として生きる方向性を与え、その事は意識に、意志の達成としての精神的充足の追求を目的化させる。
それは単純な快楽主義=「意志の強さ×達成度」の追求だけでなく、そうした結果を把握する「×意識を明瞭にする認識の深まり×結果の感受性」や、その目的を「×人生を通算した充足量の最大化する認識の深まり」の関数として得られる。
その「認識の深まり」は、一方で分業化=社会生命としての助け合いを可能にした。しかし、自己の生の社会的拡張を不断に把握できる認識の深まりを怠り、その自己チューな意識をして他律的に社会行動をとらせるため、お金や出世といったアメや、法規やモラルといったムチを発達させた。
その結果、生きる事は、自律的な生=助け合う喜びから、お金をもらうためにイヤイヤ働かされる=苦痛から逃げた結果に変質したのだ。
認識の深まりによる社会生命的自覚化(愛)=自律的社会行動(助け合い)=生きること自体による喜び(最大充足)こそが、人の真に生きる目的なのだ。
3.分業化=助け合いにより、人類は一個の生命体(社会生命)である。(生命)
我々の身の回りの衣食住の多くが世界中からやって来ており、もはや我々は一体の社会生命である。
かつては集落単位で戦っていたものが、地方、国家へと生存単位が拡大し、今やグローバル化しつつあるのだ。
そこにおいて、戦争はもはや誰の利益ももたらさない、国境に利権を持つ政治家や軍需産業、石油メジャーを除き。
産業、経済、情報のボーダレス化に導かれて、人的交流も活発化する時、物流に続いて人の意識もグローバル化し、助け合いとしての社会=生きる喜びに満ちた世界は実現する。
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