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流罪はどうして廃止されたのですか?
教えてください。

A 回答 (5件)

参考URLによると、日本には明治41年(1908年)まで流罪があったそうです。


明治以後は、流刑地は北海道だったそうです。

しかし、その頃には既に北海道には内地から多くの人が移住し、
開発が進められていました。

もちろん、流罪が廃止された理由の中には、
人道的な面などもあったでしょう。
ですが、土地の開発が進み、交通機関が発達し、人間の居住範囲が広まった結果、
「流刑地」となりうる場所が存在しなくなったという理由も
また大きかったのではないかと思われます。

以上、超自信なしです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E7%BD%AA
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2006/08/27 16:22

日本における流罪は明治41年(1908年)まで存在しました。


当時の流刑地は北海道でした。
廃止理由は北海道の開発が進み、流刑地として適さなくなったためではないでしょうか?つまり、人跡未踏の地であれば、逃亡してもほとんど死ぬだけですから、あえて隔離しなくとも逃亡のおそれは少ないけど、周りに入植地が出来てくると、逃亡して助かるチャンスが増えるので、逃亡防止に流刑囚を隔離するコストがかかるようになったということでしょう。
英国などは当初は北米を流刑地としていましたがアメリカの独立により流刑地をオーストラリアに変えました。しかし、北海道同様、オーストラリア植民地の開発が進むと流刑は廃止されています。
フランスも海外植民地を喪失したので流刑が廃止になったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2006/08/27 16:24

日本における「流罪」というのは、


「罪人を遠隔地に追放し、その地での暮らしを強制する。それ以外については行政は関知しない」
という刑罰です。代表的な流刑地である八丈島では、流人は常に飢餓線上の生活を余儀なくされ、毎年一定の時期(八丈島で一番食料が不足する時期)には多数の流人が病死(餓死)したと記録されています。これは、「刑務所内で囚人たちに自給自足の生活をさせ、餓死者が出ても放置する」に等しいことですから、現代の人権感覚では容認できることではありません。

No1の方の紹介されるウィキペディアの記事では
「日本における流罪は明治41年(1908年)まで存在した。明治時代の流刑地は北海道で、流人は監獄に収監され、重労働を課せられた。」
とありますが、これはウィキペディアの誤りです。確か、日本で最後に八丈島等の離島への流刑が行われたのは明治の初期で、以後は現在に続く「監獄(刑務所)に収容しての懲役・禁固刑」に移行しております。

明治時代、北海道の「集治監」と言われる監獄に内地から送られた囚人が収容され、監獄の外部での鉄道建設等の労働を課され、危険な作業と劣悪な待遇で多くの犠牲者が出たのは事実です。ただし、これは「過酷な懲役刑」であっても「流刑」ではありません。

北海道の「集治監」は、帝政ロシア・ソ連がシベリアに設けていた「ラーゲリ」と同じ性格のものです。ロシア・ソ連のラーゲリでも、囚人が劣悪な環境の収容所に入れられて収容所外での過酷危険な労働を課せられ、多くの犠牲者が出ました。これを「シベリア流刑」と表現することもあります。ただし、これは日本の江戸時代までの「流刑」とは別の概念です。

イギリスの豪州流刑は「罪人を豪州に追放して勝手に生活させる」ものだったようですので、日本江戸時代の流刑と同じものになります。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます

江戸時代の流罪と明治の北海道はまたちょっと違うみたいですね。町村元外相の父が北海道で強制労働させてたような記憶があります。

お礼日時:2006/08/27 16:26

流罪は、流罪人の生活を流罪地で見なければなりません


余計な負担をかけるだけです
その昔の、高貴なお方の場合、流罪地でもそれなりに処遇したかも知れませんが、一般犯罪人などを送り込まれたら迷惑なだけです

強制労働をさせるとか、(流罪地の)監獄に収容するとか言うのは 流罪ではありません

もしかしたら、今の日本は、中国他の流罪地??
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2006/08/27 16:27

外国の法思想を取り入れたからです。



江戸時代までの刑罰は報復・懲罰であり、犯人に苦痛を与えることを目的としていました。これに対して外国の法思想は、刑罰の基本的目的を「教育」としています。つまり、刑罰によって犯人の反省・自戒を促し、かつ、刑務作業などを通じて社会復帰に必要な技能を修得させるのです。

流刑は、単に犯人を生活の本拠から切り離して苦痛を与えるだけの刑罰であり、教育的な意義がないので廃止されたのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
そういえばフーコーの本でそんな話を読んだ覚えがあります。

お礼日時:2006/08/27 16:28

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