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人間誰でも、生きている間に1度は「死」について考えることも思います。私も今まで、いつか来る「死」というものがとても怖くて何度も眠れない夜を過ごしたりしてきたのですが、最近、考え方が変わり、それ以来死ぬことが全然怖くなりました!

私の考えだと、死んだ後は「無」になると考えているし、どこへも行かないと思うからです。ただ骨になるだけだなと素直に考えることにしました。ただ、生きている今の自分には「自分」というものが居なくなるなんて想像できないから怖いだけなんだと思います。その考えでいくと、確かに今までの家族や友達との思い出がすべて抹消されるのはイヤ(笑)でもまあ、その頃には・・・ここに存在していた「自分」というもの自体を思い出し、惜しむ「自分」もやっぱり居ないわけなので・・・やっぱ怖くないかな?それより今、確実にここに居る自分の生活を楽しみたいと思う気持ちの方が大きくなったからです(笑)それに、自分の遺伝子が子供からそのまた子供へと残されていけば心配することなんてないなあと考えるようになったからです。死があるから生がある。当たり前のことじゃないかと思うようになりました。それに死んだ後、苦しい顔をしている人は一人も見たことないじゃないですか?少なくとも、死んだ後、苦しい思いをすることは無いんじゃないかって(笑)
今ここに生まれた存在理由も分からないけど、とりあえず不思議で楽しいこの世を存分楽しめば良いんじゃないかと思います♪「どうせ死ぬから今していることなんて全てムダ」なんていう考えを持った時期もありましたが、まあ、そんなこと言ったって死ぬまでボーとしててもつまんない。だったら普通に何か楽しいこと見つけますよ。現実的にやることは沢山ありますしねえ。死ぬのがイヤと思うのは、今が楽しいから!ということでもあると思います。
そんなワケであなたの「死ぬことが怖くない理由」教えてください☆

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A 回答 (16件中1~10件)

ある小説で中国人の水兵の言葉です。


「人はその日死ぬとしれば勇者になれる。しかし、いつ死ぬか解らないから臆病になってしまう」
私も死ぬことは全く恐くありません。「今死ぬのは困る」
というのはあります。いま、私は人生が大変楽しいからです。
また、私は長期的な視野の自殺を考えています。人間は年老いて行くに従い、精神的、肉体的、経済的なターニングポイントが来ます。良くある人生計画の本の類で「何歳までに何をせよ」と計画を立てることを奨励していますが、なぜ、これらの本は「死」の計画は視野に入れていないのでしょう。人間どのような計画を立ててもそれがうまくいくかどうかは、解りませんが唯一確実なのは老いと死です。
また、私は結婚をしないことに決めましたが、結婚をし、子供と家族ができると、それを守る責任が生まれ自分が死ぬことによる家族の負担を考えると、死に対して臆病になるでしょう。
次に死後ですが、もし、霊が実在するものだとして、自分も霊になれば時間も場所も物理的な障害も無いわけですから、これほど楽しいものは無いですね。どきどきします。
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高校の頃一番死を怖がっていました。


大切な人が結構回りで死んでしまって、
その時考えたんですけど。
「人は死ぬために生きる」っていいますけど
「生きるために死ぬ」っていう考えもあるのではないかと。漠然とですが次の世界があって、死んでもどうにかなるんじゃないかなぁって。
そう考えていたらなんだか怖くなくなってしまいました。ただ痛い死に方だけは怖いですね。死が怖いじゃなくって苦しむのが怖いです。
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この回答へのお礼

そうですよ~!とにかくイヤなのは、苦しんで死ぬことですよねえ~。老衰で死んでも、打たれて死んでも・・・死んだ後は一緒かもしれませんが、とりあえず意識があるまでは苦しいでしょうからね~。
そこまで苦しかったら「早く死んで楽になりたい」って思うと思います。でもやはり、死が怖いのは生きている証拠なんですかねえ。とりあえず生きているうちを楽しめば良いんだと思います。いつか死ぬと言っても、それまで時間はまだありそうですから(笑)ぼーっとしててもつまんないから何かするのかなあ、生き物は。

お礼日時:2006/08/28 00:54

死ぬことが怖くない理由☆


ついに煩悩から解放される~と感じるからです。
そして、私に与えられた宿命を全うできたと感じるから。

日々これ修行と思っています。
時に(常に?)自分を支配する煩悩の数々、欲、嫉妬、ねたみ、虚栄心、とにかく自分の弱さにつながるものを、克服していくため日々修行をしていると。
といっても、生きるのが辛い苦しい、死にたいとかではなく、楽しく生きております。いかに楽しむかということも修行の一つであるとも思っています。

煩悩の中には、死にたくない、老いたくないという欲もあるわけで、逆説的に考えれば、そういった欲から解放されるのならば、死も悪くないかなと感じるわけです。
死にたくないと、この世にしがみつき、欲に縛られることもなくなり、無欲になれる、と。

後もう一つ、死があるから、生きているうちに楽しもうと考えるわけで、いつまでも終わりがないならば、ありがたみがなくなると思います。
若さとか、健康とか、それゆえの体力とか、海・空の美しさとか、もう色々なことの価値を感じることが出来るのも、死が徐々に近づいてくるからだと思っています。
死が近づくにつれ、ありがたいと感じるものが増えてきますよね。

だから、死は常に意識していて、もし死が訪れたなら、それを宿命として受け入れようと。
そしてそれまで、自分に与えられた宿命を全うできるように、きちんと生きていようと。
死があるから、自己を律することが出来るのかもしれないと思っています。

でも、家族がいたり、守るものがあると、死ぬのが怖くなるんでしょうね。

なんて、こんな人間に限って、実際死に直面すると、人一倍あがき、生に対してしがみついていそうですが…ゴタクお許しください。
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 昔(高校生の途中まで)はまったく怖いとも思わず、色々行動していました。


 そのときは自分の中だけで世界が帰結しているような感じで、何というか自分が死んだときは一緒に世界もなくなるような感覚だったと思います。
 死後というものを考えなければ、死ねば世界を認知することができなくなるので、ある意味正しいのですが、今になって思えばただの自己中心的考えだったと思います。
 現在死後を信じているわけではなく、死ねばただ消えると思っていますが、結局自分が消え、自分が関わったもの(家族など)は残って、世界は続いていくんですよね。
 
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この回答へのお礼

>そのときは自分の中だけで世界が帰結しているような感じで、何というか自分が死んだときは一緒に世界もなくなるような感覚だったと思います。

同じことを考えている方がいらっしゃるのでホっとしました!!実は私も(普段は考えていませんが笑)そう感じることがあるのですが・・・親に話をしても、「なんてジコチューなんだ」という反応をされるだけです(笑)幸せすぎて、周りの人に支えられながら生きていることを感じてない証拠ですかね(汗)
自分以外の人が亡くなったときは、自分はまだこの世にいますから「この世は続く」って確信できますけどね~。まあ死んだ人にとっては「この世は無くなった」って良いんじゃないですか??難しいです。

お礼日時:2006/08/28 00:49

 私は死ぬことが全く怖くありません。



 なぜなら死後の世界があると確信しているからです。特に宗教にはまってもいませんが、何か大きな見えない存在がいて、働きかけていると思っています。

 その大きな理由が、江原啓之という方の出演される番組です。今なら「オーラの泉」ですね。私は、それ以前から、「こたえてちょうだい」などで、江原さんの出演される番組を見ていましたが、まったくやらせには見えませんでした。あえて書きますが、私は信じやすい性質ではありません。

 しかし、死後の世界があるにしても、現世が大切な場であることには変わりありませんので、大切に生きることは大切だと思います。
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この回答へのお礼

死後の世界があると確信して生きていらっしゃる方もいるんですね。私はそれが怖いので、あんまり考えないようにしています(笑)
「オーラ~」私も見ています。死後の世界は信じていませんが、あの番組には、生きる勇気を貰っています☆まあ・・・死後の世界があるとしても無いとしても、やはり大切なのは今を生きることですかね。

お礼日時:2006/08/28 00:42

死が万民すべからく老衰でポックリ逝けるなら怖くないかも知れません。



でも、残念ながらそんな訳ないと私は思います。
死ぬのが怖いのはネガティブではなく極めて自然な事。
死が怖くないなんていうのは、ポジティブなんかじゃなく、何かが麻痺しているか能天気なだけなんじゃ?

人間なんて、多くの生物の屍の上に立っている存在に過ぎないとは思います。
死が怖いなんておこがましいかも知れません。
それでも私は、死が怖くないと思う人ほど怖いものは無いです。
人の死がそんなに軽いものなのかと・・・。
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この回答へのお礼

死を恐れるのは生きている私たち、共通で自然なことというのは私も思いますし、>人間なんて、多くの生物の屍の上に立っている存在に過ぎないとは思います。
これも共感です。
私の場合、異常なまでに「死」の心配をしていた時期がありましたので、自分に「怖くない」って言い聞かせているのかもしれないですね(笑)考えながら生活している方がよっぽど怖いし(?)それでもいつか来るものなので・・・だったら人生楽しまなくちゃなと最近気づきましたというワケです。

お礼日時:2006/08/28 00:39

死が無である場合、死ぬのが怖いの生きてる間だけです。


つまり、怖いと思うことにも終わりがあるのです。

ただ、死を無と考えると、死の近づく晩年は希望がないわけで、死への恐怖に期限はあっても、死ぬまでの間は精神的に苦しいでしょう。

だから、死後の世界を少しでも信じるこのできる人は、半信半疑であっても、もしかしたら死後の世界はあると思ってた方が晩年を心安らかに生き易いのかもしれません。

それに、最近は臨死体験の研究などあって、死後の世界の可能性がゼロとは言い切れなくなっています。それで、以前よりは、死後の世界を普通の人でも信じやすくなってると思います。

また、仮に死後に目覚めなくても、死後の世界を信じていた人がその思い違いでによって困る事はないです。彼らはその幻滅を意識することなく、ただ、一般の人と運命を同じくして無に帰すだけです。

以上をまとめると、
死が無としたら、すべての人に平等であり、これはこれですっきりしていていいと思う。
ただ、死後の世界について希望を持つ事も、死の恐怖を和らげるのに役に立つと思う。
ちなみに、自分は、死は無であるというのと死後の世界があるというのは、半分半分の可能性であると、今のところは、思ってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
hisyaさんの結論(?)すごいと思います!
そりゃ死後の世界なんて分かりませんけど、私の場合、とりあえず無と考えていた方が生きている間はスッキリですね。いきなり「死」ついて深く考えるより、これから歳を取っていく楽しみというものを考えていた方が楽しいかなって最近思います(笑)
まだ自分自身若いのにw

お礼日時:2006/08/28 00:34

 私は歳を取る事が怖いです。

 自分で歩けなくなるのが怖い。
 あまりやさしくしてあげられなかった祖母のさみしさや心境が、足元をすくうように身体の内からしみじみ判るのが怖いのです。

 話しは変わりますが、全く面白くないプレステのゲームを、あまりに面白くない故に、どこか満足出来るところが見つかるまでなかなかやめられなかった事が何度かあります(結局みつからないのですが)。
 ふと、そんな晩年だったらどうしようと思います。生きがいが無いのに健康には神経質なような、、、

 死ぬのは怖いですが、太く短く生きたいと願ってしまいます。
 ポジティブというより怖すぎてヤケクソですが、予感しながらお迎えを待つより、冒険でもして笑って死に向かって行きたいぐらいです。(もちろん気の迷いですが、気を悪くされた方にはすいません)。
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この回答へのお礼

>全く面白くないプレステのゲームを、あまりに面白くない故に、どこか満足出来るところが見つかるまでなかなかやめられなかった事が何度かあります。

あ、その考え分かりますよ、人生も同じかもしれないですね!もちろん、自分の死を見ることはできないでしょうが、精一杯生きて死ぬのと、未練があって死ぬのでは・・・死んだ後の自分(いないと思いますが)もスッキリしないかも(笑)

お礼日時:2006/08/27 09:36

死ぬことが怖くないって…


どうも信じられない。

本当に死と直面した事はあるのですか?
変人に監禁され殺されかけたとか、
不治の病の疑いがかかったとか。

そんな単純な事で死の恐怖から逃れられるなら幸せだと思いますよ。

死ぬことが怖くなかった時の僕は、死なんて老人になって来るものだろう、今は関係ないだろうと信じていた時でしたね。
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この回答へのお礼

身近に死はたくさん感じたことはあります。
まあ、私は「死」が怖くない!よりも、「死」を怖いと思いながら生きたくない!の方が正しいのかな?
そんなことばかり考えていた1週間後、例えば死んだとします。そしたら、ただ今のことだけ考え精一杯生きていた一週間の方がずっと良かったじゃないですか(^^)まあ、「こんな後悔も出来ない死後」だからこそ、毎日楽しく生きていこうと思うようになりました。人間の死はいつくるか分からないですから。

お礼日時:2006/08/27 09:34

死ぬことは怖くないです。

生物はいつか必ず死ぬ宿命ですから。
今日死ぬか、50年後に死ぬか、事故などで訳もわからずに死ぬか、病気の進行を感じながら徐々に弱っていくかの違いはあるかもしれませんが、死なない生物はない。

でも、明日死んでもいいとは思いません。
残された人のことを思うと、先に死ぬのは不安で心配で申し訳ないです。
自分の親とダンナよりは先に死なないよう、出来るだけ長生きしたいとは思います。
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この回答へのお礼

>死ぬことは怖くないです。生物はいつか必ず死ぬ宿命ですから。
生物的に考えるとすごい安心できるのは何故なんでしょうね。私もそうです。

>でも、明日死んでもいいとは思いません。
いつか来る死まで・・・やっぱり精一杯、そして楽しく過ごしたいですよね(^^)

お礼日時:2006/08/27 09:02

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Qタナトフォビア(死恐怖症)の症状を抑えたいです。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、何の為に生きているのだろうかとか、宇宙について考えてしまったりして、ここ数日は朝になるまで寝られず、起きている間も考えてしまいます。恐怖や絶望を感じてしまい、食事も無理をして行っている感じがします。情けないですが、自分の部屋で声を殺して泣いてしまうこともありました。

また、母親(60代前半)もいつか死んでしまって、火葬が行われるであろうことも考えてしまい、家で母親の顔を見ただけでも、涙が出そうになってしまいます。ニュースなどで人が死んだことを聞いても、その人について考えてしまいます。

先日、ネットで調べて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分もそれを発症していると思い、ここのような相談サイトを見て回ったのですが、理論的な理解はできても、感情をなかなか抑えられません。少し落ち着いているときと考え込んでしまうときが交互に来ている状況です。

10代の時に強迫観念症(これが正式名かどうかはわかりません)を複数発症したこともありました。(元々、そのような病気になりやすいのだと思います。)そのときは病院には行かず、程度の差はあれ、自分で症状を改善しました。

心が休まりません。どうすれば、タナトフォビアの症状を抑えられるのでしょうか。

強迫観念症の件で家族には迷惑をかけてきており、また、今回は対象が「死」ということもあり、家族には話していません。なので、ここで質問させていただいた次第です。

長文かつ乱文で申し訳ございませんがよろしくお願いします。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、...続きを読む

Aベストアンサー

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純に感性が鋭い事が原因なんだろうと思いました。
感性が豊かな人なら大なり小なりタナトフォビックであろうとも今は思っています。
死、はいかなる人であれ未知です。
DNAからは死を避ける行動を取るように恐怖という感情を引き起こすよう書き込まれています。
それなので死=恐怖は自然な感情です。ところが死が溢れているがゆえにいつまでも繰り返し
恐怖を引き起こす、どこかで麻痺するのが通常なんでしょうけれど、麻痺しないことが苦痛となる。
麻痺しないことは間違ってはいないと思うので病気だとは考えません。
ただ麻痺しないから困っている現状がある、それをまず客観的に捉えられるようにしました。

そこで繰り返し引き起こされる恐怖への対処法を考え、実行しました。

何をしたかというと、死、の反対を探したんです。
誕生ですね。意識して、意識を向けた結果、溢れる死と同じように
生命の誕生を至る所に感じられるようになりました。
毎日、毎秒、ありとあらゆる生命が生まれている一方で、死んでいく。
繰り返し、繰り返し、です。その感覚を得てはじめて万物流転をきちんと理解できた気がします。
自分の身に起こる死もまた、肉体が解体され、流転する。自然の流れなんだろうと。
そこに魂を信じる気持ちがあれば、輪廻転生も有り得る事とも思いました。

その一方で、死からも学びを得ました。何よりも如何に命が儚いか、です。
だからやはり誠に、生きて存在しているということ事態が奇跡なのだと知りました。
一期一会という言葉の持つ真の意味に触れることが出来たのも、死を思ったが故に。
今は昔、全ての時計に書いてあった言葉だそうです。メメントモリ(死を想え)と。
その昔は今で言うタナトフォビアが当たり前だったのかも知れませんね。
ちなみに朝生まれ、夜死す、それが繰り返されて日々となる、という考えもありますね。
なによりも人は思ったよりも簡単に死んでしまうものなので
限られた日々を一所懸命生きなさい、という智慧なのでしょう。

いつか必ず死にます。死後の世界の話で困るのは、結局死んでみないことには判らないですし、
折角まだ生きているのに、知りたいから今死のう、というのも違います。
なので死後の悩みは死後のお楽しみとしてひとまず置いておきませんか?
死後も意識が継続していましたら、その時にあらためて考える、としておいて
意識が無かった時は諦めよう、としてみましょう。
問題の死への概念ですが、死の意識を振り払うことは大変です。
だったら死に対してポジティブな意識を持つように意識を変えてみませんか?

私の辿った道のりです。
身近に溢れる命が死んでゆく、その切なく脆い命が故に、命に対しての愛おしさに繋がった。
儚さゆえの愛おしさだとしても、溢れる息吹に感じ入り、懸命に生きる大切さが
死を感じるが故に繰り返し伝わってくる。
その時にはじめて死の概念がそのまま命への慈しみへと変わりました。

残された日々を大切な人たちといとおしみ、生きる。それはかけがえのない日々となるでしょう。
命を見送り、自分の最後の時には、素晴らしい人生を過ごせれた、と悔いなく死ねるでしょう。
思い残すことが無いから安心して自らの命を自然へ帰す。
そんな心を最後の時に持てるよう日々、命を燃やして生きていきたい。
それこそが、死を想うが故に苦しみを生むことに対しての最大の対処法として
僕が今、まさしく実践中の毎日です。

繰り返しますが、命は儚いものです。お母様を想う気持ちは慈しみでしょう。
慈しむ思いがあるのですから、まずはお母様への慈しみの行動を取ってみましょう。
具体的に、日々の感謝の気持ちを手紙としてお渡しするのも良いでしょう。
あなたの笑い顔を見せることも、もちろんとても喜んでくださるでしょう。
何も出来そうになければ、ただ、傍に居る、たったそれだけでもとても大きな喜びでしょう。
愛情こそ、死への恐怖から解き放つ何よりのものではないでしょうか。

私事ばかりで恐縮ではありますが、何か拾えるものがありましたら何よりの喜びです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純...続きを読む

Q歳を取るほど死が怖くないのは何故ですか?

 若い人ほど死ぬことを恐れ、歳を取るほど満足したから?かどうか分かりませんが

 怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?


 個人的にはカウントダウンに入っている方が恐ろしと思うのですが
 
 いわゆる「お迎え」っていうものがあるので、宗教的な要因もあるのでしょうか?

Aベストアンサー

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?

A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親は子供が出来れば、子が死ぬなら自分の命を捧げる覚悟をするケースもあります。人生の目標が親であり、親として子供を育て上げることに目標があるなら、その人の人生は、満たされたことになり、少なくとも一つの大きな未練はなくなります。それは、死しても自分の子孫が残るということで果たされるからです。

苦と楽というのは、子供の頃に死を恐れることにも影響します。苦しみには仏教では四苦八苦というものがあり、生老病死に生きる上で必ず1度は味わうであろう、愛する人と別れる苦しみ、恨んでいる人や憎しみを抱くような相手と会う苦しみ、求めるものを欲する苦しみ(それが手に入らない苦しみ)、精神的な苦しみの4つを加えた8つの苦しみがあるのです。

死ぬ苦しみが、怖いのは年老いても実際には同じですが、子供の場合は、精神的な苦しみが少なく、憎しみを抱くことも普通に育てられていれば少ないはずです。さらに、愛する人が近くにいることも多く、別れる機会も少ないはずです。それに対して、漠然として理解できないのが死の苦しみです。

生きる苦しみは、病気をしたとき、人生において一人立ちをしたとき、生活を自分で設計したとき、子供が生まれ家族が出来たときと順番に、大きくなります。それらは、全てが苦しみではありませんが、生きていることの苦が、死の苦に勝っていけば、自分から死を選ぶようにもなります。

人の喜びや悲しみ、苦しみや、楽しみは人によって様々ありますが、その人にとってほぼ苦と楽は正反対の価値です。楽が10なら苦は-10なのです。ただ、人は慣れる生き物です。そのため、最初は楽が10でも次に同じ楽を味わっても、9に感じます。苦も不条理でなければ同じことですが、楽しか味わっていない人は、それを理解できないため、苦が緩和される前に、諦めてしまい社会に苦ばかりがあるように感じるようになります。
生まれたときから、一定の楽を味わえば、たいていの場合、年齢があがるにつれて、死は怖くなくなるでしょう。
何故なら、死に対する苦しみより、社会の苦しみの方が現実的で、恐ろしいからです。


最初から、死に直面するような社会に産まれ、育っていくと死を重んじるようになり、恐れるまではいかないでしょうが、死の価値を誇大に見るようになります。まあ、よい方向で教育されれば、最後まで生き抜いて、死の苦しみが少ない社会を目指すかもしれません。悪い方向で教育されれば、テロリズムに走り、自分の死を選ぶときに、多くの敵を一緒に巻き込むでしょう。

人の喜びは、価値のある物を手に入れたとき、人に評価されたとき、そしてそれらを合わせて自分の好きなことを好きなだけ出来るときなどに生まれます。死に対する感情は、その教育と幼児期からの育ちによってある程度は決まります。ある方法での死を喜びと錯覚させるように教えられれば、死は恐怖ではなくなるでしょう。
また、社会が苦しみの固まりだと感じれば、死は怖くなります。そして、一番よい死の苦しみを和らげる方法は、目標の幸せを手にして、幸せを一定程度勝ち取ることです。苦をある程度受け入れ生きることが、死を安らかに迎える方法かもしれません。

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?

A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親...続きを読む

Q死ぬのが怖くてたまらなくなる時があります、、、。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもらったりしていました。出産後は病院にも半年ほど通いましたが薬を飲んでもあまりよくなっているような気がしなくて、そう先生に言って薬を変えてもらっても同じような感じでした、そのうち子供が動き回るようになり現在は子供が相手になってくれる事もありそんなになくなりましたが今でもたまになります。
身じかな人が最近の数年で何人か亡くなったということもあるとは思います。
だんだんそんな自分に嫌気がさしてきてしまいました。
テレビや本もそういった事からは遠ざけるようにしています。そんな事考える暇がないようになにかやる事を見つけようとは思っています、こんなふうな気持ちになったときどんなふうにぬけだしたらいいのか誰か教えて下さい、、、やっぱり病院に通った方がいいんでしょうか。

26才主婦です。1才8カ月の息子がいます。
いたって普通の主婦です。小さい頃にもあったんですが
死ぬ事を考えるととてつもなく怖くなって動機がして涙があふれてきて体が震えていてもたってもいられなくなってこのままおかしくなるんじゃないかと思うほどです。普段はなんともないんですがたまにフッとその思いがよぎるんです。
学生や働いていて毎日忙しくしている頃にはありませんでした、結婚して子供ができて家にいるようになってからぼちぼちそういう事があるようになりなんども主人に話を聞いてもら...続きを読む

Aベストアンサー

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。

 あまり悲しみに襲われる頻度が高く、毎日過ごすのが辛いようでしたら、
やはり皆様の言われるとおり心療内科が助けになってくれると思います。
 また、書物や音楽も心のなぐさめになってくれると思います。

 それから、考え事は明るいうちに、または誰かが周りにいてくれる環境でする方が、気持ちが暗くなりにくいです。
 わたしの母親が「夜に書いた手紙は朝読み直せ」とよく言っていました。
「夜は心に『魔』がさすから」だそうです。もちろん、比喩ですが、
人間の心に朝夜のサイクルも少なからず影響があるようですから、
環境面もちょっと工夫されてみてはいかがでしょうか。
 あまりご自分を追い込まないで下さい。同じことを考える人は
たくさんいると思いますよ。

 わたしも、失いたくないものがたくさんあって、それを失うことを想像して
ふと、涙をこぼしてしまうことがよくあります。一人の夜とか、二人の夜とか、
寂しいときとか、、、。好きな人たちが死んでしまうことや、自分が死んで
みんなが悲しむ姿を想像したりして泣くことも、今の年になっても結構あります。

 その時、身近な人に「大丈夫だよ」って言ってもらえると、根拠はなくても
安心します。「絶対大丈夫なんてこの世にはない」って、理屈のわたしは
考えているのですけど、心は安心するのです。
...続きを読む

Qなぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。

何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。

僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。


そしてそもそもの話。

どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。
当たり前の話ですが。

じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。

しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。
自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。


もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。
ですが、そんな人は本当に極一握り。

僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。

じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか?


一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか?


ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。
あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。


その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。


じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか?



・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。



自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。


高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。


でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。


「俺、どうせ死ぬんじゃん」
「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」


ってことを。


これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。
趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。
ダイエットして痩せたこと。
何かに感動したこと。
新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。


これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。
そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。


こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。


別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。
恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。
特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。


単に、

「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」

という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。


巷には

「人間関係を円滑にする方法!」
「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」
「資格試験取得への第一歩!」
「10年先を見据えた生き方をしよう!」


みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。

結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。



・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。



こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、

「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」

って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、

「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」

こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。



この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。
仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。

冗談ではなく、本気で。


かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。


なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?
あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?


これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。

(回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレ...続きを読む

Aベストアンサー

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。
「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。

抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。
もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。
「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。
だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。
一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。

勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。
それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のこと...続きを読む

Q高齢者の方は死ぬのが怖くないのか?

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐怖を抱えているはずなのですが、
精神面・行動面、
すべての面において、
若者よりも落ち着いているように私には見えます。

少し失礼な言い方になりますが、
脳が老化すると、死への恐怖が鈍化するのでしょうか?
それとも本当は、心の中が死への恐怖でいっぱいなのでしょうか?

私が今80歳になったと仮定すれば、
とても死への恐怖に耐えられません。

そう考えると、ご年配の方々はつくづく偉大だなといつも思っているのですが、
本当のところはどうなのでしょうか?

教えてgooのユーザーさんにいらっしゃるかわかりませんが、
80歳を超えておられるご年配の方々に、
死に対するご意見を聞いてみたいです。

「もしも明日の午前0時に、突然死ぬとしたら、何がしたいか?」
という問いをよく自分にぶつけます。

「女性とたくさん関係を持つ」とか「おいしいものを食べまくる」とか
「気に入らないやつを殴りに行く」とか、
低俗で下世話な欲望がいろいろ浮かぶのですが、
結局いつも最後に出るリアルな答えは
「死への恐怖に耐え切れずに、ただ泣きながらそのときを待つだけだろう」です。

しかし、高齢者(特に平均寿命を大幅に超えた)の方々は、
「明日、いや次の瞬間に自分は死ぬかもしれない」という
恐...続きを読む

Aベストアンサー

高齢になると身体のあちこちにがたが来る。燃えるような希望がなくなる。パワーがなくなる。つまり心身ともに衰え、死期の近いことを悟り(ああもうそろそろだな)とあきらめがつくのです。
わたしは団塊の世代ですが、老化現象があちこちにあり、これが年と共に強まり、衰えて行くのだなということがわかります。淋しいことですがこれが自然です。死なないとこれまた大変なことになります。要するに神によって生かされている間はしっかりと自己表現して生きればいいんです。

Q死への恐怖…体験談、克服談を教えて下さい

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜も眠れません。
 母に話してみましたが、「あなたはまだ若いし不治の病に
なったという訳でもないのに不思議で仕方ない。お母さんは
死は全然怖くない。いつ死んでもいいと思ってる。」との
事です。母の感覚の方が普通だとは分かっています。
この世で唯一絶対の真実と言っても過言ではない「どんな人
もいずれ必ず死ぬ」事に恐れおののく自分が、貴重な時間を
無駄にしている大馬鹿者に思えてひどく落ち込みます。
 死について考えないように、考えないように、と考えれば
考える程思考がそちらに行ってしまいます。心療内科の
先生は、「気持ちの悪循環」だと仰いました。そして
「哲学者や宗教家が必ず行き着く究極の問いだ。一度
とことん考え抜いてみるのもいいかも。」とも。

 皆さんは同じような考えに囚われて、苦しい日々を送った
事がありますか?また、それを克服した出来事や方法が
ありましたか?そういった体験談を教えて下さると
嬉しいです。

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜...続きを読む

Aベストアンサー

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。
実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチャレンジしてますがいつも失敗しています。起きたときに、寝てしまったと思いますが、実際眠りも不思議な世界です。今も、実は夢の世界では?そうじゃないとどうして証明をするかなんて考えたりしますが、答えは出てません。
寝たことさえ認識できないのですから、死んだことも認識できないと思い込んでますが。ちなみにマトリックスの影響ではありません。

自分は、死ぬんだろうけど死なないよ、と考えてます。千の風の影響もないです。

いやー眠りって不思議ですよ。家では自分だけお休みなさいではなく出発しますと言ってます。どっかにいって戻ってきて起きる、という感覚なんで。死は戻ってこないということなんですかね。
絶対にどっかに出発してるんですが、どこかわからないんですよ。日々のことなのに。

とにかくhato-yomeさんは死にませんよ。

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。
実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチ...続きを読む

Q「老い」「別れ」「死」が怖い

今日で24歳になりました。
祝ってくださいという事ではありませんが
嬉しい嬉しくないどころか
毎年この日が来るのが辛いです。

何故なら自分や家族の老いが悲しくて
いつか別れが来る事を思うと苦しくて
必ず自分が居なくなる事が怖くてたまらないからです。
歳上の方はまだ若いだろうと思うかもしれませんが
歳を重ねる事自体が怖いのです。

みなさんも誕生日にはこんな辛い思いをしてるのでしょうか
いつもは効いている抗不安剤が全く効きません。
動悸が激しく、視界が暗く感じ
受信状況の悪いFMラジオの音量が最大になったような声が聴こえます。
考えたくなくても嫌というほど頭に入ってきます。
なにか方法はないでしょうか

Aベストアンサー

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。
そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生きてしまった」などと考えていましたが。

30歳頃には「いつ死んでもいい」とあっさり思っていました。
ただ親不孝の罪は犯したくなかったので、それだけは守りたいとは思っていました(これは10代の頃から)。

>なにか方法はないでしょうか
考えたくなくても考えてしまうわけですから、不老不死の薬を発明するとか、機械を作るとか、自分で解決する方法を考えてみるのはどうでしょう。
不可能と思われていたことが現実になっている例はいくらでもあります。
せっかく考えてしまうのですから、人より発明発見する確率は高いはず(ふざけているのではなく本気で言っています)。
私も12歳の頃からしばらくはそんなことをよく考えていました(15歳で人生を投げてしまったので何も考えなくなりましたが)。

ちょっと発明発見は……というのであったら、文章にしたためるというのはどうでしょう。
人は書くことや話すことによって自分の気持ちが整理され、それだけですっきりすることさえあります。
magatuさんの場合は「それだけですっきり」にはならないでしょうけれど、なぜ怖いのか、恐れるのか、もしかして書くことによって原因(?)のようなものがはっきりしてくるかもしれません。
原因がわかれば、それからどうしたら良いかも見えてくるかも。

私は12歳のときに「もうこれ以上年を取りたくない」と思いました。
そして、どうしたら良いか考えて考えて、でも、時は容赦なく流れ、現在37歳です(恐ろしい……)。

12歳の私が37歳の私を想像することなんてできたでしょうか。
37歳の私は12歳の私の気持ちを手に取るように思い出すことができます。
そうです。思い出すのです。
普段は忘れています。
ここまで来ると、年なんてどうでもよくなります。
私の場合は17~18歳くらいから段々どうでもよくなってきました。
15歳くらいでは「あれから3年も生...続きを読む

Q死ぬことばかり考えてしまい疲れました

数年前にうつを発病し、半年前に再発して現在も治療を受けています。
一日に何度も死ぬことばかり考えてしまいます。

思えば子供の頃から事あるごとに「死んでしまいたい」と考えることが多く、
うつ病と診断される前も後も「死にたい」と思う気持ちに大きな変化はありません。

実際に自殺の行動を起こしたことはないのですが、死に捕らわれることに疲れてしまいました。

うつ病の症状のひとつとして諦めるしかないのでしょうか?
それとも自分の中の何かのSOSなのでしょうか?

同じような経験をされた方、改善の方法などありましたらお聞かせください。

Aベストアンサー

「死にたい」と思ってしまうとのことですが、「今、すぐにでも死にたい」と思ってしまいますか?
人間、必ず寿命があります。この世に生まれてきた以上、必ず「死」がやってくる。避けられないですよ? 永遠に生き続けることができる人なんて、存在しません。
「死にたい」と考えるのではなく、「そのうち(嫌でも)死ぬ」と考えてみませんか?
「なにも今、死にたがらなくても、そのうち死ぬんだから待っていよう……とりあえず、ラーメンでも食べておくか。後悔しないように。」とゆったり構えてみませんか?
「死にたい」と思えば思うほど、「死」という暗くて冷たいモノは寄ってきます。そして最終的に、人をひどく疲れさせてしまう。
けれど、誰にでも「死」は近寄ってきます。ならば、それと上手に付き合っていって、最終的には離れて行ってもらいましょう。
「死にたい!」という(嫌な言い方ですが)積極的に死に向かってしまう姿勢を、「そのうち死ぬから待ってよう」と受身にするだけでも、同じく「死」について考えていても、ちょっとは違うと思いますよ?

確かに「死にたい」と思うのは、うつの症状の一つです。
でも、諦めるしかないものではないと思いますよ。

うつになるまでには、時間がかかったと思います。1日2日でなったものではないと思います。
ならば、治るのに時間がかかっても不思議じゃない。
とりあえず、もうちょっと待ってみましょう。

しかし「死にたい」と思いながらでずっと過ごすのは、辛いですね。
このことは、お医者さまに話してみましたか?
SOSだと思うのならば、何か思い当たるフシはありますか?

ひょっとすると、他の方も仰るように、お薬や治療法が合ってないのかもしれません。
まずは、主治医の先生のお話しましょう。

「死にたい」と思ってしまうとのことですが、「今、すぐにでも死にたい」と思ってしまいますか?
人間、必ず寿命があります。この世に生まれてきた以上、必ず「死」がやってくる。避けられないですよ? 永遠に生き続けることができる人なんて、存在しません。
「死にたい」と考えるのではなく、「そのうち(嫌でも)死ぬ」と考えてみませんか?
「なにも今、死にたがらなくても、そのうち死ぬんだから待っていよう……とりあえず、ラーメンでも食べておくか。後悔しないように。」とゆったり構えてみませんか?
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Q死が怖いです

人はいずれ死にます。それはどうしようもない事だと思います。
ですが、その事を考えると異常に怖くなります。
僕は特に宗教などは信じていませんので、
人は死んだら無になると思っています。
ていう事はこの無が永遠に続くわけですよね。
永遠にもう意識が手に入らないわけです。
それを考えると恐ろしくてたまりません。

なのでなるべく死については怖いので考えないようにしてるのですが、
時々ふと考えてしまうと異様な恐怖に襲われます。
どうしたらこの恐怖がなくなるでしょうか。
ちなみに21歳の男です。幼稚な質問でしたら申し訳ありません。

Aベストアンサー

はじめまして。31才・男です。

質問者様のご心境がどれ程のものかよく分かるつもりです!!
私も、幼少の頃から、度々このことを考えては一人恐怖におののき、周囲の人(例えば、父母・祖母など)をびっくりさせていたようです。私の方こそ愚かだったかもしれませんが、このことで母と口論になったことも度々ありました(苦笑)

もちろん、大人になってからも何度も何度も悩まされました。
質問者様が
>時々ふと考えてしまう
と仰るように、シャワー浴びてるときに突然このことが頭をよぎって、パニックになって風呂場からシャンプーの泡を付けたまま飛び出て、当時同棲してた女の子にびっくりされたこともありますから。。σ(^Дヽ^;)

はっきり言って、世間一般によくいう霊魂とか幽霊とかいうのが本当に存在するのならば、それの方が全然怖くないですよね!?むしろ、メチャクチャ嬉しいですよ!
でも、科学的合理的に考えれば考えるほど“死”=“(人としての)無”という現実的蓋然性は高まるばかり(例えば、人が物事を記憶するための機能を持つ前頭葉が“死”ことによって稼動しなくなる。⇒死後の記憶が無くなる⇒すなわち、人としての無、等)。。ww
また、たとえ医療・科学技術が進歩して、寿命を何万年、何億年延ばすことができたところで、それだけではいつか死んでしまうときの“死”=“(人としての)無”の問題解決はできませんもんね。

ただ、もし対策があるとすれば、我々人間の遺伝子情報の中には“恐怖”を感じる因子があるように聞いたことがありますので、それを除去することによって“恐怖”を抑制するという形であれば、近い将来に医療・科学技術の発展&倫理的ハードルのクリアにより、理論上は有効な物質的アプローチによる方法となるとも考えられます。
それから、大昔から人はこのことでずっと悩み苦しんでいたわけで、その中から“死”=“(人としての)無”ということを逆手にとって、「形あるものはいずれ崩れ去り、人はいつか必ず死ぬ(簡単に言えば「色即是空」)。だから、物事に悩むだけ無駄なんだ」という考え方が出てきました。これが仏教だったりするわけですよね。そのような“モノの考え方”“人生哲学”のような精神的アプローチが対極にある方法ですよね。

もちろん、そうは言っても、誰もが簡単に俗世離れした生き方が簡単にできるわけではないし、遺伝子操作等の方法も現実的には早々にできる対策とは言えないですよね。なので、やはり結論的に当面の対策としては“考えないようにする”ということしかなさそうです。

以上、結局煮え切らない物言いに終始してお粗末な回答となりましたが、多少なりとも参考になりましたでしょうか??
今回、私自身、質問者様のお悩みを私の回答で根本的に解決できるなど大それたことは考えてはおりませんが、少なくとも言えるのは、このことに関しては、私も現在進行形で“苦悩する者”ですし、逐一口に出さないだけで心の底から同じ苦しみで悩んでおられる方は大勢おられるはずです。
なので、本来であれば、少しでも人生を充実して送るための心のケアを図るべくこういったことを真摯に考え、話し合える場なり集まりなりあればいいのですが、現実生活の中では心の隙につけ込まれる悪徳商法等をはじめとする様々なリスクがあったりと、なにぶん気軽に相談できないジャンルですので余計に対処を難しくさせることも多いですよね。
その意味では、こういった投稿の場を利用して少しでもお気持ちを軽くする工夫をされるのも1つの有効な手段だと思いますよ!

なお、本当はここでご質問への回答としての範疇を越えてしまうくらいお話したいことはあるのですが、おそらく喋り足りなくなりそうなので今回は自重しようと思います(それでも十分長文回答になってしまいましたが・・苦笑)。
ではでは(´ーヽ`)ノシ

はじめまして。31才・男です。

質問者様のご心境がどれ程のものかよく分かるつもりです!!
私も、幼少の頃から、度々このことを考えては一人恐怖におののき、周囲の人(例えば、父母・祖母など)をびっくりさせていたようです。私の方こそ愚かだったかもしれませんが、このことで母と口論になったことも度々ありました(苦笑)

もちろん、大人になってからも何度も何度も悩まされました。
質問者様が
>時々ふと考えてしまう
と仰るように、シャワー浴びてるときに突然このことが頭をよぎって、パニッ...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む


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