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明智光秀が落ち武者狩りにあったそうですが、
そもそも落ち武者がりがなんであるかよくわかりません。
落ち武者狩りとは何でしょうか。もちろん大体の意味はわかりますが、正確には誰が何のために実行し、何の利益があるのか、落ち武者狩りは処罰されたのか、どのくらいの頻度でされていたのかわかりません。
わかる方がいましたら教えてください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

落ち武者っていうと貧乏っちぃイメージがあるかもしれませんが、当時の農民達にとって彼らの身に着ける鎧や刀、身の回りのものは喉から手が出るほど欲しい物だったわけです。


無論、中には名高い武将の首を持って名を上げ、取り立てて貰おうと思った腕自慢もいることでしょう。

また、勝った方としても敵方の武将や、報復に燃える武士を野放しにしておくことはうまくありません。当時は現在のように情報網も発展しておらず、一度逃がしてしまうと捕らえるのは容易ではありませんでした。そこで、この落ち武者狩りを利用して懸賞金を懸け、現地の地理詳しい地元の農民達に見付けさせてた訳です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/22 14:47

損失補填と考えてください。


合戦になると、戦場になった町や田畑は荒らされたり焼かれたりします。
住民としては、その損失をどこかに補償して貰いたいのですが、負けた大名は潰れますし、勝った方も余りその気は無いです。
それでは住民が納得せず、勝った方が新たにその近辺を支配しようとしても、不満があれば巧く行きませんから、落ち武者狩りを黙認して、住民が負けた武士の武具や着物を剥いで、売って穴埋めをさせたり、大将に賞金を掛けたりします。
兵士たちも、織田氏のような傭兵はお金を貰っているので上司の指示に従いますが、他家は領内の農民を徴発して連れてきてますから、敵の城が落ちれば略奪を黙認して、彼らの収入とします。
木曽義仲の軍勢が京都で狼藉を働いたのも、そもそも略奪目当てで味方してるので、上の言うことなど聞きません。
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落ち武者狩りというのは2つの側面があります。


1つ目は自分の利益のためです。持っている鉄砲や武具を掠め取って自分の物にするか売り飛ばす物です。
または懸賞首ですね。大将の首をとれば金がもらえます。
2つ目は自衛ですね。合戦が起こると村が放火されたり略奪に遭います。それを警戒するためです。
処罰ですが、されません。なぜなら、やはり自衛のためです。
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一つ忘れました。


落ち武者の背景としては
・立身出世の世の中だから→有名な人の首を取って名声を勝ち取りたいから
・年貢等々、領主からの締め付けからの反抗
・とにかく金品を得たい
・その他
があると思います。
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村人・農民(百姓)が自分たちの利益のために実行


利益としては落ち武者が持っているもの(甲冑や武器、はたまた食料・馬等々)の略奪→物々交換のためなど

合戦が終わったら、その都度落ち武者狩りが繰り出していたのではないでしょうか?
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