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古典・古文学が全然分からないド素人ですが、よろしくお願いします。

まず一つ目。
古館伊知朗さんと戸田菜穂さん?のCM(なんのCMかは忘れましたが)で
古館さんが「月日は百代の過客にして・・・」と「奥の細道」を読んでいます。
その途中で
「行きかふ年もまた旅人」のところを
「ゆきかうとしもまた・・・」と読んでいました。
「行きかふ」は「ゆきこう」と読むのではないのでしょうか?
と思ったので質問してみました。


もう一つは
松尾芭蕉の有名な俳句
「荒海や 佐渡に・・・」
ですが
「さどによこたふ」の部分は、よくテレビなどで
「さどによこたう」と読まれていますが、
「さどによことう」ではないのでしょうか?

全然分からないので
教えて下さい。

A 回答 (5件)

 本来は、仰る通りに読むべきなのでしょうね。

私も中学・高校の古文の授業では、そのように読むのだと教わりました。

 ご質問を拝見して、小学校で習った歌「春の小川」についての逸話を思い出しました。最初は「さらさら流る」「ささやく如く」と文語体の詞だったのが、子供には難しすぎるとして、現在の「さらさら行くよ」「ささやきながら」という口語体に変えられたのだそうです(いつ頃のことだったのかは分かりません)。

 おそらく「ゆきかう」「よこたう」も、これと通じる部分があるのでしょうね。テレビやラジオにおける言葉は、可能な限り一般に通じるものを用いるようになっていますから、せめて「ゆきこう」よりは「ゆきかう」、「よことう」よりは「よこたう」と発音すべきだという判断があったのではないでしょうか。

 なお、読み方については自信がありますが、その理由は全くの憶測ですので「自信なし」の回答です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
CMをきいて「あれっ」って思ったんだすよね。

ところで、
>テレビやラジオにおける言葉は、・・・・・・と発音すべきだという判断があったのではないでしょうか。

しゃべりの天才であり、言葉に誇りを持っていて、膨大な語彙数を誇る古館さんが上記のことをたとえCMであろうと受け入れることができたのでしょうかね?

お礼日時:2002/03/23 03:36

 #1の asadi です。



>しゃべりの天才であり、言葉に誇りを持っていて、膨大な語彙数を誇る
>古館さんが上記のことをたとえCMであろうと受け入れることができたの
>でしょうかね?

 古館氏が言葉に誇りを持っているかは私にはわかりませんが、彼が言葉のプロだということは知っています。その場面で「ゆきこう」と発音するよりは「ゆきかう」と読んだ方が耳に心地よい、あるいは流れに沿っていると判断すれば、プロとして当然「ゆきかう」を選択するでしょう。逆に「ゆきこう」と読むべきだと判断すれば、絶対に譲ることはなかったと思われます。

 ということで「制作者側の判断および古館氏の判断」というように訂正させて戴きます(いずれにしても、こじつけですが)。
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文語体の文章を読む場合,基本的に「あ段+う」→「オウ」ですから,「ユキコウ」「ヨコトウ」だと思います。


「蛍の光」の2番だったか,「さきく(幸来)とばかり歌ふなり」も「ウトーナリ」ですよね。
このへんは,歌を歌う場合は(ちゃんとした指導者に教わった場合は)きちんと直されるのですが,文章を朗読する場合は,最近では必ずしもうるさく言わない先生も多いようですね。
asadiさんが教わった先生は,そのへんをきちんと心得ておられたのでしょう。
ただ,「笑ふ」などのように現代語でも形が変わらない単語だと,つい「ワラウ」と読みたくなります。
古館さんがどう判断されたかは憶測の域を出ませんが,現代語に近い形のほうが一般の視聴者に分かりやすいという判断かもしれません。
コマーシャルということもあって,通じやすさを優先させたのでしょうか。(もっとも,視聴者に疑問を抱かせることでかえって注目を引く場合もあるでしょうけど…)
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前の回答を書いたあとで,もしや…と思って,念のため手元の古語辞典(小学館,全訳古語例解辞典第2版)を引いてみました。



それぞれの単語は,まず見出しが歴史的仮名遣いで書かれ,その下に現代仮名遣いが小さい字で書かれています。
そして,辞典の「使い方」のところには,「読み方が2通り以上ある場合には,一方の読み方を( )で囲んで示した。」として,つぎの例が上がっています。
した・ふ【慕ふ】シタ(ト)ウ

やはり,と思いました。
いくつかあたってみると,同様の例が次々と。
あふ【合ふ・会ふ・逢ふ…】ア(オ)ウ(ただし「逢坂山」はオウサカヤマ,あふぎ【扇】はオウギ,あふぐ【仰ぐ】はアオグのみ)
ならふ【馴らふ・慣らふ・習ふ】ナラ(ロ)ウ
にぎはふ【賑はふ】ニギワ(オ)ウ
はらふ【払ふ・掃ふ・祓ふ】ハラ(ロ)ウ
ゆきかふ【行き交ふ】・・カ(コ)ウ
よこたふ【横たふ】・・タ(ト)ウ
などとなっています。

「あふことの たえてしなくば なかなかに…」の百人一首は「オーコトノ」と読むのが普通ですが,散文の中で文末に「男が女に会ふ。」などと使われると,「アウ」でもあまり違和感がないように思われます。

ということで,「文語体の短歌・俳句・詩などでは,動詞の終止形・連体形が「あ段+う」となった場合「お段長音」になる傾向があるが,散文では必ずしもそうではない」ような気がします。

なお,関西方言では「逢(お)うた」「笑(わろ)うて」などのウ音便が優勢なので,たとえば関西の人と関東の人とでは,「ユキカウ」「ユキコウ」のそれぞれに対する自然さ(あるいは違和感)が違うのかなとも思いました。
特に,あふる【煽る】アオル,はそのまんま「アフル」ですし。もっとも関東でも「オウル」とは読みませんが…。
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まだ締め切られていなかったので,もう一つ補足します。


No.1の回答で出てきた,「春の小川」の歌詞が口語化されたのは,昭和17年3月発行の国定教科書「初等科音楽(一)」からです。
この教科書は国民学校初等科3年生用で,3年生の歌う歌詞に文語体はまだ早いということで一部改められました。
(一)なのになぜ3年かというと,1・2年生はそれぞれ「ウタノホン」「うたのほん」という題名の教科書だったからです。
時々,文語体の唱歌を懐かしむ人が,「春の小川」は戦後になって歌詞がつまらなくなった,みたいなことを言っているのを聞くことがありますが,戦時中のことだったのですね。
確かに戦後になって改められた歌もいろいろありますが(軍国主義的な歌詞など)。
(私も文語体の歌は好きですので念のため。)
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