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プロ野球界で、実績を残した選手はたくさんいますが、そのことよりもむしろおもしろいあるいはユニークなエピソードで有名な選手はいますか。現役、O.B.メジャーリーグ等いずれでも構いません。

私が思い浮かぶのは宇野勝です。中日の'80年代を中心にスラッガーとして活躍し、本塁打王などのタイトルを獲得するなど名選手なのですが、そのことよりも、なんといっても、飛球を頭でヘディングし、好珍プレーという番組ができるきっかけになったことなど、非常にユニークなイメージの方がどうしても先行してしまう選手でした。

試合中、あるいはプライベートなどは問いません。具体的なエピソードを添えていただくとありがたいです。また、宇野選手についてもっと詳しいエピソードを知っている方も歓迎します。

A 回答 (8件)

ユニークな選手だと



まずは何と言っても新庄剛志
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%BA%84% …
http://2chart.fc2web.com/shinjoy.html
・阪神からの5年12億円契約を蹴ってメジャーリーグに挑戦(年俸約2200万円)
・年俸2200万で2000万のフェラーリを購入。しかし税金の事を考えていなかったので親戚の援助を受ける
・自腹を切って札幌ドームに広告を出し、新庄シートという座席をつくり野球少年を招待する
・被り物を被って試合前練習をする

井川慶
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%B7%9D% …
http://2chart.fc2web.com/igawa.html

・大のゲーム好き
・阪神の独身寮に居座り続けて最後は追い出された

初芝清
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%8A%9D% …

・いつも一発サイン
・ヘビメタ大好き
・よくベンチに突っ込む

宇野勝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%87%8E% …
http://2chart.fc2web.com/uno.html

等など。

この回答への補足

それにしても新庄は来年以降どういう活躍をするのでしょうか。俳優、参議院議員など話題に上っていますが、各方面からひっぱりだこですね。野球解説、コーチという道には進まないのでしょうか。今後の活躍が楽しみです。

補足日時:2006/10/14 20:55
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

新庄剛志
今年の話題を独占した感じですが、きのうのスポーツ新聞は胴上げされたヒルマンの写真ではなく新庄が1面になっているものが多かった。ホークスファンの私からすると今年のハムで脅威だったのは、打の小笠原、稲葉、投のダルビッシュ、八木、武田久、マイケル、守備の森本などでしたが、そのチームを一つにまとめたのは新庄なので、彼の貢献も計り知れないものがありますね。

井川慶
試合での姿、毎年のメジャー志願などしか知らなかったのですが、意外と質素な生活をされているようですね。メジャーになっても寮を出たがらないのは、他にイチロー、吉村裕基(横浜)などいます。体調管理をしっかりストイックにやるのはすばらしい。野茂も新人時代すしを90個食べたというエピソードがあるが、70~80個というのもさすが野球選手の胃袋ですね。

初芝清
彼の屈託のない笑顔が好きですね。小泉孝太郎の番組でヘビメタ好きのことは紹介されていました。人を包み込む暖かさを感じる選手です。ベンチなどに突っ込んでキャッチする場面はよく見ました。'98年くらいだったと思いますが、福岡ドームでの対ロッテ戦を3塁側内野席で見たとき、初芝のサード柳田聖人への強烈なライナーが飛んできたが、柳田自身もキャッチしたとはいえ、あまりの突然の強烈なライナーだったので、びっくりしていた。私も大砲のようなすごい打球だと驚きました。

宇野勝
原辰徳に東海大に誘われたというエピソードはおもしろいですね。ゴールデングラブを取れなかったのは、ヘディング事件の印象が強すぎるようですね。元祖珍プレーで、何かとこのときの映像が使われるのは気の毒ですが、実は守備、特にショートは得意だったようです。

お礼日時:2006/10/14 18:45

ユニークというと少し違うかもしれませんが


現役時代ほとんど外見年齢が変わらなかった
大豊泰昭選手も挙げてみたいなと思います。

必死にファールフライを追いかけて
その結果帽子が脱げるたびにネタにされたりとか
当時の星野監督から挨拶のときに
「帽子を脱ぐな」と言われた事があるとか。

あと星野伸之投手の超鈍球も挙げていいかと思います。
200勝まで後一歩に迫るほど優秀な投手でしたが
当時正捕手だった中嶋聡捕手にすっぽ抜けた球を
素手(右手)でキャッチされてそのまま投げ返されたり
(そのときは球審にまで笑われたとか)
その中嶋捕手が二塁に投げるのよりも遅いとか
当時日ハムにいた晩年の落合選手に盗塁されたとか
デッドボールになっても痛くないとか
遅いゆえの逸話には事欠かないと思います。
その代わりかつて観客から
「遅い球のせいで試合時間が延びる」
という野次を受けたのをきっかけに
投球のテンポを早くすることに心がけていたため
星野投手が先発した試合は早く終わることでも有名でした。

あと、遅い球つながりで中日の山本昌投手
この方はラジコンやクワガタ、カブトさらにはTVゲームなど
大人気ない趣味&性格を持っていることで有名で
オフのスケジュールはゲームの攻略時間を中心に組み立てるとか
一説にはクワガタ、カブトにお金がかかるから
まだまだ引退するわけには行かないとか
ほほえましい逸話がたくさんあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大豊選手もまさに大砲で中日や阪神で活躍しましたね。王さんの一本足打法もトライしましたが、うまくはいかなかったようです。でも、フォームは王さんに似ていると思いました。

星野伸之、山本昌いずれも私は同世代なので、若い時期からずっと活躍は見ていました。星野投手は本当に球が遅くて、でも今思うとなぜあのスピードでスカウトしたのかとも思いますね。でも、球が遅いなりの努力や工夫もあって、ロースピードの投手としては大成しました。ブルペンで直球とカーブを投げるのをプロ野球ニュースか何かで見ましたが、同じフォームでボールをうまく隠してリリースするので、球種が見分けにくい。本当に見事だなと思いました。清原が非常に苦手にしていたそうです。130km/hが150km/hくらいに感じるとか。今の和田毅投手も似たタイプの投手だと思います。球が速くならない投手に夢を与えているかもしれませんね。

山本昌はあのおおらかな性格がとても好きですね。ラジコンはプロ並の実力で何度も入賞など果たしている。大の大人ですが、子供っぽい趣味が多いですね。でも、何かいい意味で似合っていますね。200勝は狙っているでしょうが、何かお金や権力などに執着がなさそうな、というよりも自然と転がりこんでくるような感じがします。そういえば、中日の納会など選手・スタッフやその家族も集まっての食事会のとき、当時の星野監督があいさつをしているときに、山本昌の当時まだちびっ子だった息子が星野の長い話にしびれを切らして「早く、終われ」と言ってしまった。星野監督にもそれは聞こえ、「じゃ、早く終わらないかんな」と終えてしまったが、山本昌夫妻はもうたじたじで、食事会の間中ずっと下を向いていたそうです。

お礼日時:2006/10/15 17:15

♯3さんの外山さんに一票。

ペリカンと呼ばれた長い顎を思い出します。(S50~53ホークス)同じくホークスに居た青野修三、パッとはしなかったけど何かしてくれる人だった記憶があります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。外山さんは人気ですね。長いあごが特徴だったのですか。今で言うと、横浜の門倉健投手あたりをどうしても思い出してしまうのですが。なかなかマニアックですね。

お礼日時:2006/10/15 03:20

ものの本をながめながら見つけたエピソードをつらつらと。



ユニークといわれてなぜか真っ先に思い浮かんだのは後藤修投手。
1952年~63年の現役生活で7球団に在籍しました。
(松竹、東映、大映、巨人、近鉄、南海、西鉄)
1選手の球団の身売りや吸収合併と関係ない在籍球団数としては最多かも?
…しかもこれだけやっていて通算18勝ってのが物悲しい…

1953年に毎日オリオンズに在籍したレオ・カイリー投手は
駐日米軍兵士が本業で、いわばアルバイトで8月だけプレーしました。
わずか3週間程度の在籍期間でなんと6勝0敗、打っては.526という成績。
アルバイトでやっていた選手になんともなめられたものですが、
そのくらい当時の日本野球はアメリカに比して低レベルだったのでしょうね。

(ユニークというのとはちょっと違うかもしれませんが)
江藤慎一選手は中日時代の1964年、65年と2年連続で首位打者を取っています。
これだけなら大してユニークじゃなさそうですが、何せこの頃はONの全盛期。
ONが揃っていた1959~74年の間に
ON以外で打撃三冠タイトルを2年連続で取ったのは実は彼1人だけです。

また、江藤選手は「12球団から本塁打を記録」した最初の選手です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私もあまり知らない時代の話が多いので、興味深いですね。

後藤修投手
全く初めて聞く選手です。松竹というのはのちの大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)のようですね。実働12年で18勝、7球団の在籍ですね。どういう理由で何度も移籍を繰り返したのかわかりませんが、興味深いですね。今思いつく移籍の多い選手といえば、富岡久貴(現役:西武→広島→西武→横浜→楽天)の5球団、落合博満(ロッテ→中日→巨人→日本ハム)、石井浩郎(近鉄→巨人→ロッテ→横浜)の4球団くらいでしょうか。

レオ・カイリー
同じく初耳の選手ですね。まだ、日米の実力差が大きい時代だったのですね。中日の監督をした与那嶺も日系の選手でしたが、まだ戦争の名残がある時代という感じがします。

江藤慎一
このころになると名選手であれば、知っている選手も多くなりますね。王さんが一本足打法で活躍し始めた1962年から長嶋が引退した1974年までは、王、長嶋の2人で本塁打王と打点王は独占、首位打者もお話のとおり、江藤慎一が2年連続、中暁生(1回)、若松勉(1回)と、この3人が割り込んだ以外はやはりONが取っています。でも江藤は2,000本安打は超えており、名球会入り。充分名選手ですが、生まれた時代が少し運が悪かったかな。太平洋で監督兼選手だった時代は覚えています。

>また、江藤選手は「12球団から本塁打を記録」した最初の選手です。

ということは、調べてみると中日→ロッテ→大洋→太平洋→ロッテと延べ5球団の所属ですね。

お礼日時:2006/10/14 22:19

野村克也「選手」。



有名ではありますが、南海時代にフロントから「チームを取るか、女(現夫人)を取るか」と問われた時に
迷わず「女を取ります」といって南海を追放されてしまいました。
また、普通は行きたい球団を選択しがちですが、高校生でありながら「どの球団に行ったら
すぐに活躍できるか」を冷静に試算した人でもあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。'73年の優勝は前期南海優勝、後期阪急優勝で、後期南海は阪急戦には1勝もできなかったが、これは手のうちを隠した死んだふり。プレーオフでも、巧みな戦術でリーグ優勝を勝ち取りました。監督兼捕手で大活躍の時代。でも、そんな中、このころサッチーがベンチの中まで入り込むなど、私生活で随分チームを振り回したようですね。

少年時は極貧生活であったため、どこのチームであればレギュラーが取れるかと考えるのもわかりますね。先輩捕手の怠慢やケガなどで、うまくチャンスを掴み、名選手・名監督になりました。球団からすると最も期待されてない選手でありながら、最も出世した例と言えると思います。

お礼日時:2006/10/14 21:16

巨大コミュニティサイトで、拾ってきたネタです。


既に、知っていたらごめんなさい。
赤星選手は、電車車掌の免許を持っている。
下柳投手は、ホークスを出されたとき、「ホークスを一番愛しているのは自分」だと言って泣いた。
五十嵐亮太投手のバッグには、自分のプロ野球カード、トレーディングカードがぎっしり。

この回答への補足

あまり早い時間から球場に行くことがないのでわかりませんが、最近は選手にサインを求めるときは、子供などは色紙よりも選手のトレカにサインしてもらうことの方が多いのかもしれません。昔のカルビーやBBMも時々集めたりしますが、毎年いろいろアイデアを練っているようです。選手も自分のカードが製品化されているのはうれしいのかもしれません。

野球とは関係ありませんが、歌手の藤井フミヤもデビュー前は国鉄に勤めており、寝台列車「さくら」などの誘導などやっていたようです。鉄道マンも野球選手や歌手もあこがれの職業ですね。

補足日時:2006/10/15 06:00
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
赤星選手はJR東日本出身ですね。テレビで車掌のアナウンスをやったりしていたと思います。
下柳投手はホークスに愛着があったのですね。でも、それをバネにしてか日本ハムや阪神での活躍の方が印象が強いですね。
五十嵐投手は自分のトレーディングカードも集めているのですね。松井稼頭央も20世紀のベストナインショート部門に選ばれ、そのトレーディングカードをもらって、他のベストナインの選手から直筆のサインをもらっていました。プロ野球選手で、トレーディングカードを集める選手はいるのでしょうか。

お礼日時:2006/10/14 20:10

昭和45~46年頃、ヤクルトで活躍した外山(とやま)義明という投手(?)。

(?)がつくのは、投手であり、打者だったからです。
先発投手でありながら、打順が1番だった記憶があります。また、投げないときはよく代打で登場しました。
巨人vsヤクルト戦の9回に代打で出て来て、サヨナラホームランを打ったはずです。
でも、その後、故障して、ロッテなどに移籍しましたが、活躍の機会に恵まれなかったと思います。
なにせ子どもの頃の記憶なので、あいまいなところが多いのですが、参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.swallows-fan.com/biographical/ta/toya …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。外山義明選手というのは、正直初耳です。投手であり、打者としても活躍したのですね。桑田真澄や松坂大輔も代打でヒットを打ったこともありますが、投手、野手兼用選手というのは、今はほとんどいないですね。

お礼日時:2006/10/14 19:00

永淵洋三。

入団時の契約金で、酒の飲みすぎで作った借金を返済した男です。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E6%B7%B5% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。永淵洋三選手は漫画「あぶさん」で有名ですが、現役時代のことはリアルタイムでは知りません。首位打者を張本と分け合うほどの巧打者のようですが、昔はよくいた二日酔いしても試合に出る豪快な選手の一人のようです。グラウンドに吐きながら試合に出るというのは、きっと昔はパ・リ-グは観客も少なかったからできたとも言えるでしょう。でも、まさに侍ですね。

お礼日時:2006/10/14 18:55

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