似たような質問の繰り返しで恐縮です。
「真の自分」という言葉は、自分自身の、内的自意識・魂・こころ・人格、それらの概念をすべて含む
ものと考えてください。(どうも「真の自分」をぴたりと言い表せる言葉がないです)
みなさん、自分の「真の自分」を考えたとき、それは理性だと思いますか? 感情だと思いますか?
それとも両者を従える超越者だと思いますか? 「真の自分」は真実在だと思いますか?
それとも物理化学現象が作り出す幻影だと思いますか?

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A 回答 (66件中61~66件)

> 「自分」がなくなってしまうわけでもなく、


> 自意識のアイデンティティは失われていないと思います。

「自分」と、“自意識のアイデンティティ”が説明されていません。

> うまく表現できないのですが、「自分」が脳のなかを移動しただけなのではないかと思います。
> 繰り返しになりますが、私が思うに「自分が自分でなくなる」つまり「自分がなくなる」とは
> 認識主体の消滅を意味し、主観的には宇宙の消滅となります。
> 多重人格症者は記憶が連続していないだけで、あるいは人格のベースとなっている記憶と連絡が
> とれないだけで、「主観的宇宙」が消滅するわけではないです、、、、、と思うのですが。

認識主体って何ですか?
自分って何ですか? < 繰り返しですがこれ重要なのに説明されていません
認識主体が肉体だとすれば、精神と切り放せないと自分で言っている事になります。
また、

> 理性だと思いますか? 感情だと思いますか?

これをわざわざ分離しているのは、先の肉体と精神が切り放せない、及び、“記憶が切り替わっているだけで~”にも反しています。
ある特定部分だけ合理的仮説を立てずに抽出して分割しているのに、その他は一体だと言っているのは「イルカより人間の方が頭が“良い(合理的に正当な基準の無い評価法)”」とさして変わらないと思うのですが。


atsuotaさんから引用すると、

>「精神」とは「肉体」の対であり、marimo_cxさんの言われる「私」(部品の集合)から「肉体」すな
> わち「物理的な部品(人工心肺などの人造物も含む)」を差っぴいた残りです。

まず先に……
すみません、atsuotaさん、誤解です、ファームウエアもハードウエア部品の一部です。切り放す合理的根拠がありません。パソコンのマザーボードからBIOS ROM抜いちゃうと起動しませんから、それと同じです。実装方法としてプログラムという方法を取っていますが、別にゲートアレイ(固定的な電気回路)で作っちゃいけないという事も無いのです。
人間の体で言うなら脊髄反射ってありますよね?別にあれだって実装方方法として小脳がやったって良いわけです。どこに何をどのように実装したって良いんですが、結局全体の一部であり、それが欠けると動かなくなっちゃいます。

さて、atsuotaさんのいわれる精神も結局部品の一つです。心臓や腎臓よりもえらいわけでも粗末な物でもありません。鼻毛は再生産されますけど、生えなくなっちゃったらやはり困ってしまう部品の一つです。
これらが全部集まってmarimo_cxなんですけど、じゃぁ、例えば肝臓だけ取り出して同じ議論をする事についてどう思いますか?

この回答への補足

あの、私は素人で、学術研究者ではありませんので、間違いがありましたら指摘してください。
言葉の厳密な定義も、私には無理です。今回のこの質問は、私が前に出した
●「生物」カテゴリの「違う精子だったら自分は生まれなかった?」
●「その他(教育)」カテゴリの「数学の才能と文学の才能は両立しない?」
のなかで、回答者の方々とやりとりしているうちに、同じ思索の糸から派生してきた質問です。
参照していただければ幸いです。

mori0309が、病気やケガによって脳以外の肉体の大半の臓器や器官を失って、他人のものや人工の
ものに取り替えたとしても、mori0309はmori0309であり続けることができますよね。性格はかなり
変わるでしょうけど自我意識の連続性が絶たれるわけではないですよね。連続性が絶たれるという
のであれば、それは死を意味しますから、病気をする前のmori0309は、もうこの世にいないことに
なり、mori0309は五感によって世界を感知することができなくなります。
この点を認めていただけないのでしたら、この場の議論の継続は不可能です。「自分」という
言葉の意味をまったく共有できないのですから。

「自意識のアイデンティティは失われていない」とは「自我意識の連続性が保たれている」
という程度の意味です。

「mori0309を構成している部品や機能は無数にあって、それが全部そろっていないとmori0309
 にはならない」 それは、もちろんその通りだと思います。
でも、その部品や機能は階層構造を持っていると思うんです。脳のなかですら階層構造を持って
いて古い脳と新しい脳では役割がちがうし、低次機能は高次機能に支配されていますよね。
私が質問文のなかに出した「真の自分」とは、さまざまな部品や機能の最上位にいる最高司令官
とでも思ってください。、、、、最高司令官という言葉はマズイですね。うまく表現できないので。
「真の自分」は独裁者ではないし、すべての情報が「真の自分」に伝えられるわけでもないです
ものね。「真の自分」は各部品や各機能の報告を受け取って、最高の意志決定をする、得体の知れ
ない何かです。それは「理性」や「感情」よりさらに上位にあると、私は感じています。それこそが、
私の肉体や、私の周囲に影響を及ぼし、未来を作っていく「真実在」ではないかと思っています。

ただしかし、脳細胞という媒体なしには「真の自分」は存在できないとも思います。媒体なしでも
存在できるとしてしまうと、それはもう神秘主義や生気論になってしまうので、思索のタガがはず
れてどこまでも飛んでいってしまい、帰ってこれなくなってしまいますから。

理性と感情を分けて考えたのは、人間の高次精神の傾向として、この二つがあると思われるから
です。(右脳と左脳?)
「認識主体」とは「真の自分」と同じ意味です。(自分でも気づきませんでした)

補足日時:2001/01/07 18:21
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mori0309さんの質問とmarimo_cxさんの回答があまりにも高尚なので、きわめて混乱しているのですが、ざっくりまとめると、



1.自分自身を認識している「もの」(認識主体ですか)は理性か、感情か、それとも両者を超える超越者か?
2.認識主体は真実在か、それとも物理化学現象が作り出す幻影か?

ということでよいのでしょうか?

まず1について。私は、理性も感情もatsuotaの「精神」の1つの側面であると考えています。「精神」とは「肉体」の対であり、marimo_cxさんの言われる「私」(部品の集合)から「肉体」すなわち「物理的な部品(人工心肺などの人造物も含む)」を差っぴいた残りです。
mori0309さんの言われる認識主体はまさにこの精神であって、それ以外の何物でもないと思います。
mori0309さんの言われる「両者を超える超越者」が何物をイメージされているのかよく分かりませんが、「精神」はまさにそれに当てはまるのではないでしょうか?

2についてですが、さらに質問を噛み砕いて、
「物理的存在なのか、それとも物理化学現象の幻影、すなわち現象に対する認識なのか」
と解釈することはmori0309さんの意図に沿うでしょうか?
私は一度は科学に触れた人間として「わからない」としか言えません。
科学とは物的証拠に基づく、もしくは物的証拠を仮定、推測する論理的思考ですから、「それが物理的存在か」という問いに対しては、存在が立証されれば「真」、立証されなければ「分からない(=現状では立証されていない)」の2種類の解しか提示できません。(論理的には、あるものの存在を仮定することで、すでに存在することがわかっているものの存在の否定が導かれるような場合は、仮定が誤り、すなわち背理法によって「偽」を証明できます。が、今回のケースでは精神の物理的存在を仮定したからといって他の物理的存在が否定されるようなことは、ちょっと思い当たりません)

う~ん。全然回答になってないような…

この回答への補足

atsuotaさん、いつも回答ありがとうございます。ご登場願えてうれしいです。

精神は物理的存在ではないですよね。空気振動を媒体とする音楽や、メモリ上で動くソフトウェア
みたいなものですから。(この比喩がまた誤解を生んでいくのですが)
だから科学的方法で精神の存在証明をするのは無理ですね。

精神が遺伝子や脳細胞や物理化学法則に基づく、細部のしくみの必然的展開形ならば、精神に自由は
ないことになり、それは虹や花火みたいなものですから、どんなに美しくて壮大でも物理化学現象が
作り出す幻影にすぎないと言えると思います。
しかし私は精神はそれらの奴隷ではないと考えます。肉体という媒体なしには存在できませんけど
いったん脳のなかで自己組織化臨界に達した「自我」は、自由な存在であると、感じています。
自由であるばかりでなく、物質世界に影響を及ぼすことができます。だから幻影ではなく、真実在だと
思えるのです。

「両者を超える超越者」についてはmarimo_cxさんの回答(No.74692)に対する補足をお読み
いただけたらと思います。

補足日時:2001/01/07 19:03
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> (精神分裂症や多重人格症のことを考えると、また違う議論になってしまうのですが)



次のネタに使おうと思っていました。
さらっと“例外扱い”してますけど、その合理的説明がなされていません。
その根拠は?

この回答への補足

marimo_cxさん、再々回答ありがとうございます。(回答じゃなくて補足要求ですね)

私はただの読書好きの一般人ですので、誤解がありましたら指摘してください。
テレビ番組で多重人格者の少女(父親の虐待が原因)を見ましたが、素人考えでは、脳のなかに
互いに非干渉の記憶領域ができてしまって、意識のフォーカスが一方に移ると、他の記憶領域に
記憶されている記憶はまったく関知できない。そんなふうに思いました。

この現象を考えた場合、自意識が消滅するわけではなく、「自分」がなくなってしまうわけでも
なく、意識のフォーカスが移動しただけで(性格はまったく変わりますが)、自意識のアイデンティ
ティは失われていないと思います。
うまく表現できないのですが、「自分」が脳のなかを移動しただけなのではないかと思います。
繰り返しになりますが、私が思うに「自分が自分でなくなる」つまり「自分がなくなる」とは
認識主体の消滅を意味し、主観的には宇宙の消滅となります。
多重人格症者は記憶が連続していないだけで、あるいは人格のベースとなっている記憶と連絡が
とれないだけで、「主観的宇宙」が消滅するわけではないです、、、、、と思うのですが。

補足日時:2001/01/06 20:35
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やはり予想通りの補則が付きました。

(笑)

> 現代医学では脳以外はほとんどの臓器が、他人のものや人工のものに取り替え可能ですね。

はい、これはとんでもない幻想です。
脳が全ての器官を制御していると思われているようですが、それは違います。
脳も脳以外の内分泌系によって制御されます。また、その内分泌系も脳によって制御されます。
例えばインシュリンは血中糖度を制御するホルモンです。血中糖度によって脳は眠気をもようしたりします。
仮に腎不全にかかった人がいたとします。透析によって辛い闘病生活をしいられます。幸運な事に腎臓の提供者が現れ、移植に成功します。
体調の改善で脳の活動自体変化します。一体どっちが本物の自分なんでしょう?健康でありながら他人の臓器によってそれが成り立っています。
さて、どっち?

もう一つ。
うつ病になってしまった人がいたとします。お医者さんで抗鬱剤が出ています。
お蔭様でこの薬がすばらしく良く効きます。さて、うつ病の自分と抗鬱剤を飲んだあとの自分、一体どっちが真の自分でしょう?医者にかかったのも薬を飲んだのも自分ですが、今の自分を維持するには薬が必要です。


> 「自我意識やこころは、脳内の生化学反応(?)が作り出す、言わば虹みたいなもので本当は存在しない」という程度の意味です。

思った通りですが、脳至上主義のようですね。
上記の問題を解決して下さい。


私がよく使う例です。
「イルカは大脳の表面積比が人間の2倍だが、言葉は喋れれないので知性は低く、人間より頭が良いわけではない」
これよく言われます。しかし、人間と違ってイルカはソナーを使えて、しかもリアルタイムに連続してしかも3次元で情報を処理する能力を持っています。
もしもこれがMPUだったとすると、使い方が違うだけで明らかにイルカの情報処理能力の方が優れています。
また、カスパロフに勝利したIBMのディープブルーですが、あれも基本は汎用機ですが、基幹部分にチェス専用演算回路を持っています。
そのため、あれをもしも天気予報に使ったとしたら、ワンランク下のノーマル汎用機に負けるもあるでしょう。この比較には意味を持ちません。

さて、脳に戻します。
人として、脳がすべてであったとしたら肉体はどうなってしまうのでしょう?
不幸にも後天的に失明される方の場合、失明されてまもなくは画のある夢を見るそうですが、長く経つと画の無い夢になっていくそうです。
これは体の変化で脳の働きが変ったという事になります。
これらの事が恐らく“幻影”とおっしゃっているのでしょうが、逆に

> それが存在しないとは思えないのですが。

この、“それ”を別格に扱うだけの仮設か根拠が欲しいです。背理法での論述でも結構です。


もう一度、

> 「自我意識やこころは、脳内の生化学反応(?)が作り出す、言わば虹みたいなもので本当は存在しない」

体の生体反応の結果できた“自我意識やこころ”だとして、なんでいきなり“本当は存在しない”に飛躍しちゃうんですか?
ビデオテープは録画の結果情報が記録されたのに、その情報は存在しない幻想なんですか?

この回答への補足

marimo_cxさん、再回答ありがとうございます。

私は精神は「物理化学現象が作り出す幻影」だとは思っていません。だから脳至上主義者では
ありません。脳はコンピュータで言えばメモリやCPUにすぎないのだと思います。
(脳をコンピュータに例えるのは誤解のはじまりかもしれませんけど)
「生物個体は遺伝子の乗り物にすぎない」などという表現にも見られるように、科学者のあいだ
では唯物論や還元論が優勢だと思います。それを意識して
「物理化学現象が作り出す幻影だと思いますか?」と質問したつもりなのでした。

臓器の交換や薬剤の投与による体調の改善で、脳の活動自体変化しますが、それによって自分が自分で
なくなってしまうわけではないですよね。自分自身のことを考えても「自分」という「内的自我意識」は
ものごころついたときから今日まで絶えることなく連続しています。「自分がなくなる」ということは
認識主体の消滅、つまり死と同じだと思います。

環境・経験・体調によって自分はどんどん変化していきますが、過去の記憶がなくなるわけでは
ないですし、肉体の内側からみた自我意識のアイデンティティは不変ですよね。
(精神分裂症や多重人格症のことを考えると、また違う議論になってしまうのですが)

ちょっと大げさですが、質問文に掲げた「真の自分」を、もう少し詳しく言うと
「五感によって世界を認識し、自分自身の存在をも認識し、自分自身を内省し、今日、明日を
 いかに生くべきかを問いつづけるこの私自身」「外から他人に観られる自分ではなく、内側から
 自分自身を見つめるもう一人の自分」
というようなことになります。

私は「真の自分」は真実在であり、幻影ではないと思っています。
「それが存在しないとは思えない」とは、そういう意味です。

補足日時:2001/01/06 18:37
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「真の自分」は既に定義されちゃっていますが、そもそも


自己は他との相対ですがら、それ自身に疑いを持ちます。

同じように、自分の理性も自分の感情も自己を形成する部
分に過ぎません。marimo_cxの心臓を取り出して、それが
真のmarimo_cxであるのではなく、marimo_cxを構成する部
品です。部品だけ取り出してもそれは“marimo_cxの部品”
であっても“marimo_cx”ではありえません。だって、
marimo_cxの抜いた鼻毛が真のmarimo_cxだったらかなりお
かしい。

理性も感情も体も、すべて全部揃わないとmarimo_cxは
marimo_cxたりえない、それらが揃っているのが“超越”で
はなくただのmarimo_cxフルセットというだけ。marimo_cx
のフルセットも部品の集合の相対なのでそれは絶対的な存
在でもない、真の自分という絶対は存在し得ません。

ちなみに、

> それとも物理化学現象が作り出す幻影だと思いますか?

これ意味解らないのですが……。

この回答への補足

marimo_cxさん、回答ありがとうございます。
現代医学では脳以外はほとんどの臓器が、他人のものや人工のものに取り替え可能ですね。
脳が保たれている限り失われず持続される(と思われる)内的自我意識・こころ・人格を
「真の自分」と、ここでは定義させてください。それが存在しないとは思えないのですが。
「物理化学現象が作り出す幻影」とは「自我意識やこころは、脳内の生化学反応(?)が
 作り出す、言わば虹みたいなもので本当は存在しない」という程度の意味です。

補足日時:2001/01/06 14:21
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以前の質問をみていないのですが・・・、「ジョハリの窓」というのをご存知ですか。

mori0309さんの哲学的「自己」とは異なり心理学的な話になりますが、自己には4つあり「自分が知っており、かつ他人も知っている自分」「自分が知っており、かつ他人は知らない自分」「自分は知らないが、他人が知っている自分」「自分は知らなくて、他人も知らない誰にも未知の自分」があると、こういう分け方があります。
 つまり、自分で知り得ている自分は、所詮一部です。従ってあえて言えば、理性でも感情でもなく、「『ここの部分が真実の自己、他の部分は自分ではない』、あるいは『これが全ての自己』と自分で思いこむ幻想」・・・に近い、です。
私は私の全ての断片、笑いも、思考も、匂いも、全て真実の私であると思っています。そう、思われませんか?

この回答への補足

kaleenさん、回答ありがとうございます。
「4つの自己」の話は知りませんでした。とても面白く思います。自己とか意識とか心とか
いう言葉は語る人によって意味や語感がずいぶんと違うものなのですね。
ここでの「真の自分」とは自分の肉体の内側に自覚される内的自我意識と定義させてください。
marimo_cxさんの回答に対する補足もお読みいただけたらと思います。
それから「以前の質問」とは「生物カテゴリ」の「 違う精子だったら自分は生まれなかった?」と
「その他(教育)」カテゴリの「数学の才能と文学の才能は両立しない?」です。
私としては同じ思索の糸から派生してきた質問です。参照していただければ幸いです。

補足日時:2001/01/06 14:53
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Q暴力とは 感情のよりは理性の産物だ。

 なぜなら 本能として感情のままに動く動物の物理的なチカラは 暴力とは言わない。

 それは 一面として自由意志によるものだと見られる部分が乏しいからでもあるが 実際の側面としては 獲物である相手の動物に対して こいついっちょうやったろかと思ったり 借りがあるから倍返しだと考えてチカラを振るうわけではないだろうからである。

 つまり 人間だけが いちいち相手とのいやな関係を思ったりしてそのゆえに危害をくわえようとする。のだと もしするなら 人間だけが 《暴力》をふるうのだ。

 【Q:暴力とは 相手の意志を無視することだ】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8286426.html

 から まさに――自由意志の振る舞いであるとともに――理性による産物である。



 糺してください。

Aベストアンサー

B様、こんばんは。


>「人間だけが いちいち相手とのいやな関係を思ったりしてそのゆえに危害をくわえようとする。のだと もしするなら 人間だけが 《暴力》をふるうのだ。」

いやいや。
「「暴力をふるう」が、理性による産物」で、(それは)人間だけ」とは、


>「なぜなら 本能として感情のままに動く動物の物理的なチカラは 暴力とは言わない。」

まあ、なんてますか。
「倍返し」とは、「「目には目を」というくらいでは(次からは?)済ましませんよ?」という、
一種の、まあ、「禁じられた「自力救済」」です。

・・・ところで、やはり「「自力救済」は禁じられている(→理性の産物)」わけで、
・・・そうした「法の網」をかいくぐって、「自力救済」を実現してしまう!?というところに、
一種の、まあ、「してやったり!」を覚える事は、あるのかもしれません。


>「「暴力をふるう」が、理性による産物」で、(それは)人間だけ」」

では、「水戸黄門」という勧善懲悪的なドラマにおける、
登場人物(たち)のチカラ(と、その淵源)関係について、ご説明ください。

Aベストアンサー

その「世の中」を広くする事が、その「原理」を
理解する上で効果的と考えた僕は、協力隊と海外
コンサルとして、8年間かけて世界11ヵ国で働き、
20ヵ国旅しました。
途上国暮しは、夜が長く、複雑な日本社会と距離を
おけるので、思索するのは絶好です。

Q円周率(π)が超越数であるということの意味は? そして真理とは?

数学カテゴリで質問しようかと思いましたが、やっぱり哲学カテゴリにしました。
以前、「ゲーデルの不完全性定理ってわかりやすく言うと何?」と質問したとき
回答者の方から『不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙する
ようなアルゴリズムはない」という意味です』というすばらしい回答をいただき
感嘆いたしました。これこそ「事実のもつ意味であり真理だ」と思ったものです。
そこで質問です。

【質問1】円錐の体積は円柱の体積の1/3、球の体積は円柱の2/3という具合
に、体積比はきれいな有理数値です。なのにどうして円周率(π)は有理数でも無
理数でもない超越数なのでしょうか?(無理数は超越数の一部かな?)
その意味するところを何か「うまい言葉」で表現することはできないでしょうか?
曲線と直線の本質的不親和性とか何とか、、、あるいは数という概念の限界とか
何とか、、、

【質問2】円周率(π)が超越数であるという「真理」は、造物主が創ったものなど
ではなく、人間が「円周と直径の比は?」という問いを発したからムクムクと姿を
現したものであると考えることができると思います。したがって「事実」は自然界
に自然に存在するが「真理」は人間が「問い」を発して「創る」ものだと思うの
ですが素人考えでしょうか。

【質問3】「真理」は広く一般に認められて「事実」となり、それがさらに高次の
「真理」を生み出す母体基盤となると思うのですが、どうでしょうか。

このところ、ぼんやりと考えている「ホントに素人」な疑問です。
どんな回答でも結構です。質問1~3のどれかひとつだけの回答でも結構です。
いろいろな観点からのお話をお待ちしています。

数学カテゴリで質問しようかと思いましたが、やっぱり哲学カテゴリにしました。
以前、「ゲーデルの不完全性定理ってわかりやすく言うと何?」と質問したとき
回答者の方から『不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙する
ようなアルゴリズムはない」という意味です』というすばらしい回答をいただき
感嘆いたしました。これこそ「事実のもつ意味であり真理だ」と思ったものです。
そこで質問です。

【質問1】円錐の体積は円柱の体積の1/3、球の体積は円柱の2/3という具合
に、体積...続きを読む

Aベストアンサー

質問1
 超越数って、なんかスッゴイ名前を戴いちゃって、完全に名前負けしてます。超越数とは「整数係数の多項式=0」という方程式の解にならない実数のことです。整数係数多項式とは係数に整数しか許さず、足し算、引き算、かけ算だけで構成される式(だから、冪を使って表現しても、冪の肩に乗るのは自然数の定数だけです)。だからまあ、一番「易しい」たぐいの方程式でしょう。「与えられた円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで描け」と言われてもできない。定規とコンパスだけで平面上に点を決める操作は、解析幾何学に翻訳するとすべて低次の整数係数多項式の方程式に帰着してしまうからで、どうやっても√πという長さが作れません。
 なお無理数とは「有理数でない実数」の事です。整数係数の方程式 nX-m=0の解はX=m/nですから、有理数は超越数ではない。すなわち超越数はみんな無理数です。無理数√2は方程式 X×X-2=0の解だから超越数ではなく、従って、超越数⊂無理数。
・実数と無理数に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=32339

 コンピュータのプログラムで任意の精度まで計算できる(「計算可能な」もしくは「構成可能な」)実数というのは、実は高々、自然数の個数と同じだけ(アレフ0個)しかありません。(証明はmori0309さんにお任せ。プログラムのゲーデル数を考えてみれば...)実数の個数はずっと多い(アレフ1個)ので、圧倒的多数の実数が計算不可能であり、また当然の事ながら計算不可能な数はみんな超越数です。で、πは計算できる実数。可愛いもんです。つまり、計算不可能な数⊂超越数。
・実数の個数に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=31937

 円に関係してπが出てくるのは、直径と円周の比、という所にポイントがあるんですね。面積と円周の比じゃダメです。円周も円の面積も、また円錐や球の体積・表面積も、みんな仲良くπの因子を1つずつ含んでいますから、お互いに比を取ればπは消えてしまいます。しかし、一般に半径rのn次元球の体積は
 nが偶数: V[n] = (r^n) {π^(n/2)}/{(n/2)!}
 nが奇数: V[n] = (r^n) 2 {(2π)^((n-1)/2)}/{n!!}
   (ただしn!!= n (n-2) (n-4) ... 1 )
です。円はn=2(2次元における体積=面積)、球はn=3(普通の意味での体積)。で、n=4次元だったら、
V[4]=(r^4) {π^2}/2
であり、円や球の体積との比を取るとπの因子が残ってしまいます。逆にn=1次元でも
V[1] = 2r
だから、πの因子が残ります。(1次元の場合の体積とは、直線上に中心Oを取り、そこからrの距離にある2つの点に印を付けて、その2点間の距離を測った物です。)
 ちなみにn次元の球の表面積はV[n]のrによる一階微分S[n]=dV[n]/drで表されますから、或る球の表面積と体積とではπの因子の次数はいつも同じです。(n=2の場合で言うなら、円の面積と円周との比を取るとπの因子は残らない。nが幾つでも同じ事です。)
・n次元球の体積に関する若干の議論は: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=19508

 円形の海があってその周囲が丁度直径の3倍である、という記載が聖書の中にあるそうで、円周率が丁度3じゃない事に悩んだヒトも昔は(今でも?)随分いたと聞きます。これは大地が平らだと仮定するからそうなっちゃうんで、仮に空間の曲率が正であるとしたとき(この場合球面上)の非ユークリッド2次元幾何学を考えると話は違います。円周率は円の直径に依って変化するものになり、これが丁度3になるような海の直径を割り出せます。すなわち、北極点を中心にしてこのような円形の海があったとすると、その円周は丁度北緯60°の所に来ます。地球の半径をRとするとき円周の長さ=2πRsin(π/6) = πR, 球面に沿って測った海の直径は=2R(π/6)= πR/3ですから、円周率は(πR)÷(πR/3)=3になります。(だから聖書学は球面幾何学を含んでいる?というのは例によって考え過ぎです。)
・非ユークリッド幾何に関する若干の議論は: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=30830

質問2
 とても重要な観点だと思います。「真理」という所を「概念」と呼んでみては如何でしょうか。数学にはいろいろな性質を表す言葉が導入されます。そしてそのような性質同士の関係を問う、などの問題を考える訳です。しかし(普通の数学の場合)これらの性質は、全部集合論の記号と論理式に完全に還元して表現することができます。素数であるとか、超越数であるとか、ゲーデル数であるとか言うのは、言ってみれば人間が発明した「概念」であり、本来は論理式のパターンに過ぎないものに名前を付けることによってヒトが創造した、と考えることもできます。
初めに言葉ありき。
 逆に「数の性質は初めからそこにあって、それを探求して発見して行くんだ」というケンキョな考え方もあり、どちらかと言うとこっちの方が普通でしょう。
・質問3に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=24901

質問1
 超越数って、なんかスッゴイ名前を戴いちゃって、完全に名前負けしてます。超越数とは「整数係数の多項式=0」という方程式の解にならない実数のことです。整数係数多項式とは係数に整数しか許さず、足し算、引き算、かけ算だけで構成される式(だから、冪を使って表現しても、冪の肩に乗るのは自然数の定数だけです)。だからまあ、一番「易しい」たぐいの方程式でしょう。「与えられた円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで描け」と言われてもできない。定規とコンパスだけで平面上に点を決める操作...続きを読む

Q真の宗教と真の科学

 
真の宗教は科学に頼らないし、真の科学は宗教に振り回されない。
宗教の正しさを科学によって裏付けようとする宗教は真の宗教ではなく邪教である。
宗教に依存する科学は真の科学ではなくエセ科学である。
宗教と科学はそれぞれ次元の異なる別々の世界だからである。
宗教と科学は融合するものではなく、分離し独自の道を歩むべきである?
 


 

Aベストアンサー

真の宗教は正しさを問われることはない。宗教は世の道、人の道の精神的な面を説くものであり、その教えに共感できない物に対して強制する性質のものではないのだから、証明を必要としない。

真の科学は物理法則以外の何ものにも左右されず、普遍のものである。科学はある系に対して実際に観測される事象の因果関係を証明するものであり、科学的手段を用いていない説明は単なる仮説として扱われるだけである。


従って、真の宗教と真の科学にはその性質において重なり合う部分はなく、人の「欲」だけが両者を繋ぐ鍵となりうる。

Q【哲学】世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界が存在している。自分が死んだ時点で世界が終

【哲学】世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界が存在している。

自分が死んだ時点で世界が終わる。

世界は己自身の中にあり、世界は内と外に存在する。

これらの言葉の解釈を発見した者は死を経験しないだろう

やっと気付いた「自分が世界に存在する」ではなく「世界の正体が自分」な件
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4900063.html

どう思いますか?

Aベストアンサー

自分が死んだ時点で世界が終わる。

この考えだと死を悟った者の中に不届き者がいて、運悪く核兵器のボタンを握っていたとしたら他の皆も運命共同体であの世行き。

それに近い人は過去に居たはずですが、今のところそこまでの愚か者は居ない。死ぬ間際は案外「自分が世界に存在する」に寄って亡くなる方が多いと考えます。


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