似たような質問の繰り返しで恐縮です。
「真の自分」という言葉は、自分自身の、内的自意識・魂・こころ・人格、それらの概念をすべて含む
ものと考えてください。(どうも「真の自分」をぴたりと言い表せる言葉がないです)
みなさん、自分の「真の自分」を考えたとき、それは理性だと思いますか? 感情だと思いますか?
それとも両者を従える超越者だと思いますか? 「真の自分」は真実在だと思いますか?
それとも物理化学現象が作り出す幻影だと思いますか?

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A 回答 (66件中11~20件)

怒っちゃいませんけど、ね。


oni_ocです。またまた曲解されてるようなので、

>「真っ向から否定する」ような非礼は、質問者の私にはできないことですし、
>また、私の思想が完璧に正しいとも思っていませんので、
ん~、論拠なしに「無意味」と言われる方が「非礼」じゃないすか?
たしかにmori0309さんにとって飲み込めない意見なのならば結果的に
「無意味」なんですけどね。

「断罪」する気はなかったとおっしゃるのであれば、
「《などない思想》《すぎない思想》という言葉」
これは使うべきではないでしょう。
これ、まるで、「なんでもかんでも否定する思想」
って意味にしかとれませんよ。
こういった公開の場で、一般的な認知のされていない、
御自身の考えた造語を無闇に使うのは誤解以外の
何ものも産み出さないと思いますが。

>私はoni_ocさんはじめ、ozapanさんやstomachmanさんから
>「目的などない」「意味などない」「あるのは事実のみだ」ということを
>何度も何度も説かれたような気分になっていました。
いや、実際そうかもしれませんが(笑)
僕は僕のスタンスでしかモノを見れませんから、他のお二方の考えは
わかりかねますけれども、僕の立場と考えだけから言わしてもらえば、
mori0309さんは御自身の想念に重きを置きすぎなのではないかと、
考えております。
(例えば自分の造られた造語を説明もなく使われるところとか(笑)<しつこい>)
なので、僕はNo.85035で前置きしたとおり、
>ここに書くのは哲学とか心理学とかでなく、僕の知覚で得た知識から得た、
>僕なりにねじ曲げられた世界観であることを御承知頂いたうえで。
このスタンスで、ずっと書かせてもらっています。
これをまず、御理解ください。

と、すると、これ、ひっかかりますね、僕の思考回路では。
>■求めるべきものは「事実」ではなくその背後にある「真理」のはずである。これは文学か?
御自分でいわれるとおり、「真理」はあるとすれば、「事実」の背後にあるんでしょう。ならば、ここで僕の疑問

「事実の蓄積を分解、分析することからしか答えは出ないんじゃないの?」

これが導き出されます。とすると、「事実にすぎない」と切り捨てる
もしくは、下に見るのはちょっとおかしい。
事実は、「真理」の部品であり、それぞれ独立では存在しないんじゃないすかね?
で、例え話。
もし、「真理」だけを知っていて、「事実」や「物質」を持たない神がいたとして、(しつこいようですが、僕は無神論者です)「真理」から、「元素」を作れるか??

いや~無理でしょ。
mori0309さんが「事実にすぎない」といい、「真理」の下に「事実」を置くなら、僕は「真理にすぎない」といい、「事実」の下にある答えに過ぎんと言っても構わないのです。

問いなきところに答えはない。
問いだけがあって、答えがないことはままあるのですが、
答えだけがあって、問いがないことはないのでは?

と、すれば、 mori0309さんの「人生」という「事実」から発せられたであろう、「問い」はもちろん「事実」と密接に結びつきあっているのですから、「事実」をおざなりに下なかに「答え=真理」はありません。
ここに上下はありません。つまり「事実」を無視した「真理」などありうるべくもないので、「事実にすぎない思想(造語)」は「想念」または「妄想」に過ぎなくなるのではないですか?


>■哲学が真に問うべき問題は「自分(mori0309)とは何か」「自分(mori0309)はなぜここ にいるか」「自分(mori0309)はいかに生くべきか」ではないだろうか。

まー、そうですけど、「自分(mori0309)」とまで、限定するのはどーなんですか?これ、マズイですよ。「自分」でいいでしょう。だって、mori0309さんひとりのための学問でもあるまいし。ある程度の普遍性がなけりゃ、学問として成立しないでしょ。
そういう意味において、僕は「普遍を投げ捨てれば不毛になる」というようなことを書いたわけですが。


>oni_ocさんのこのような考察は、たぶん正しいのでしょう。事実なのでしょう。でも哲学
>は事実を究明する学問ではなく、事実の背後にある意味や価値を問う学問なのではないで
>しょうか。oni_ocさんの考察は身も蓋もないのです。(ご気分を害されたらごめんなさい)

えらい曲解ですね。こりゃまた。
ちゃんとmori0309さんの引用されてる部分の最後で僕は
> でも、だからこそ人間は「いいことしたい」んではないでしょうか?
って肯定してるんですけど。人間が社会を形成する上において、不可欠な要素であるってことなんですけどね。もちろん単純に肯定はしてないこともみとめますけど。

>このような話を聞いた人(特に若い人)はどう感じるでしょうか。「そうか良心なんか
>ないんだ。”立派に生きる”なんて無意味なんだ。自分の好きなように生きて、好きなよう
>に生活を楽しめば、それでいいんだ」と思いこんでしまうのではないでしょうか。

そうですか??
これって、「胃袋はごはんを消化する器官です」って聞いた人が、
「ああ、そうなんだ、じゃ、今僕の胃が痛いのはストレスじゃなくって、
食べ過ぎのせいなんだ」って誤解するって言ってるのと同レベルじゃないですか?
僕は仕組みと成り立ちを説いたに過ぎません。<これが『すぎない思想』?
それによって生じる誤解まで僕は背負うことになるのでしょうか?
だとしたら、学校の先生なんてのは大罪人だな(笑)<opazanさんスイマセン


>ですが、神という言葉を捨ててしまうことで、同時に、人間の体の中か、
>心の中か、どこかは分かりませんが、きっとあるはずの「善きもの」まで、
>すっかり 投げ捨ててしまう。それまでも「無い」と思ってしまう。それに
>よって本当に「善い」 ところのない人間になってしまう。

これまた、曲解。別に僕は、
>きっとあるはずの「善きもの」まで、すっかり 投げ捨ててしまう。
なんてことはしてません。ただ、なにもかも、どっか遠くにいるエライ人(神?)
が、お造りになって、全てを握っているっていう、宗教及び神に対する
考え方に「?」と思うといっているだけで、別に投げ捨てる気はありませんよ。
ただ、事実の連鎖のなかで、己のなすべきことをきっちりなそうというのが信念ですから。
なので、神に与えられた「自由」なんていらないのです。
もともと「自由」なんですから。


>●悲しいかな「好きなように生きて、好きなように楽しむ」のが、なんで悪いの?
>という質問が、子供だけでなく大人からも平気で出てくる御時世になりました、、、、、

そういう輩と一緒にしてます?
ひょっとして?
僕は、そういう輩は「自分」の周りに圧倒的多数の「他者」がいて、
その存在は「自分」より大きいと認識できない、またはそれらとの
関係性を保てない人間の発想だと思いますが。


>●オカルト的ですみません。「真の自分」を議論の俎上にあげることの困難性を感じて
>います。と言うのは「真の自分」が100%分かってしまったら、ではその「分かった自分」
>は何なのかという点が一点。それと「真の自分」は人間くさい質問など投げかけてくるような
>存在ではないと感じられるのが一点、です。

なんども言うようですが、どれか一つって発想がいけないんじゃないんですか?
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>> stomachmanはまぎれもないエピキュリアンなんじゃないかと思えてきますねえ。


> それでよいんじゃないでしょうか。快楽だってほんものを求めたら、これはやっぱりむずかしいでしょうから。

えーと、stomachmanがスケベであることは認めますけど....
「エピクロス=快楽至上」ってのはちょっと違う。元来デモクリトスの原子論から来てるもので、物質を離れた精神(霊?)、のようなものを認めず、万物は原子の離散集合の過程である、という考え方から展開される還元論的な思想です。今見ると笑っちゃうような素朴なものですが、意外にポイントを突いていたりして、感心してしまう面も多々あります。
 で、善行・利他的行動なども合理的な説明を求めた結果が「自分が気持ちよくなるため」ということに帰着する。これを「ひたすら快楽を求めるのが人生じゃあ」ってのは、微妙にずれてます。
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 補足拝見しました。

んー、あんまり「反論」とは感じなかった…なぜだろう?
 最初の黒丸から四番目の黒丸までの部分、「自分の本質は自分で創る」という僕のこれまでの意見に照らして、それほど距離はないように思います。特に最初の黒丸のところで、「抽象の罠」を回避しようとされているところとか。
 ただ、《などない思想》《すぎない思想》に関しては、oni_ocさんも言われるように、正しくないとお考えなら、しかるべく論拠を提示した上で反論されるべきでしょう。「宇宙に目的はない」「進化は進歩ではない」などについて、僕はそれなりに根拠を示しながら論じてきたつもりです。人間の歴史にも、生物の歴史にも、それから宇宙の歴史にも、「上位のもの」「普遍的なもの」につながる一本の線は引けない。現実はいたるところ「微分不能」であるような「非線形」で、いたるところに「不連続」があり、それは一本の線を引くことによって見えなくなる。しかしその「不連続」をこそ、見なければならず、また尊重しなければならない。…それが僕の考えです。

 そろそろいったん幕引きという感じですが、有意義だったと思います。哲学って「これは何?」という問いに対して「これですよ」と答えを返せば済む世界じゃない。レポートや試験の対策で質問を寄せる人たちにとっては、解答欄を埋める答えだけが大事なんだろうけれど、本当に大事なのは問い詰め、論じ合い、思索する「過程」なのでしょう。そのためには「教えてgoo」ではやってはいけないとされている(らしい)「議論」は必要です。(考えようによってはこのWebに「哲学」カテゴリーは不向きなのかもしれません。)
 さて、でも、まだ終わったわけではありません。続きは「本能ルーム」でやりましょう。「進化」の話が出てきたところで、「本能」という切り口に繋がってくる…ほんと、mori0309さんは質問するの上手だなぁ。
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この回答へのお礼

ozapanさん、いつもありがとうございます。
「宇宙に目的はない」ということと「「非線形」で「不連続」である」という
ことは、同じことではないでしょうか。そして、私の「宇宙はより大いなる自由を
生み出す性質を持っている」ということとも、同じだと思うのですが、どうでしょう。
言葉遊びになっちゃいますか?
oni_ocさんにお返事を書かせていただきました。お読みいただければ幸いです。

お礼日時:2001/02/07 02:04

だいぶ下のほーの、ozapanさんの神学。

(おっと、先ず覆面。)
 やー。stomachmanのドライモードの考えと概ね一致しています。スピノザの神。梵天。この神にとって、ヒトのイトナミなど、床下に転がってる石ころに生えてるカビみたいなもの。それに目的があるとは思いもしないし、それどころがそもそも気が付いてない。何の気無しに床下掃除をしてあっさり地球は消滅してしまう、というような干渉は57億年以内にないとも限りませんが。こうなると「銀河ヒッチハイカーガイド」でも楽天的に過ぎます。んな訳で、stomachmanの「神」は在るなら自分の内部にある。もちろん不完全もいいとこです。みんな個々にその中途半端な「真実在」を抱えている。
 自分が何も残さないでいずれ消滅する。やですね。でも、控えめに見ても300億人中300億人ぐらいはそれだけです。名前まで1000年残ってるのは1000人ぐらいじゃないでしょうか。年に一人出るかでないかですヨ。stomachman自身は死後30年ぐらいは何らかの意味で世の中にポジティブな影響を残したい(借金じゃなくて)、などと慎ましやかかつ大胆な希望を内緒で持っておりますが、どうすりゃいいのかさっぱり分かりません。やっぱり出来ることと言えばドーブツとしてDNAをリレーしていくだけなのかなあ。優秀なヒトで子供を持たないヒトが多いのは、忙しいだけじゃなくて、誰でもやるようなDNAリレーより面白いことをやっちゃったからかも知れません。(「ゲートウエイ」第一部の壮絶な冒険みないなの。この本、第二部以下はゴミですが)。それも出来ないけどやっぱりやだ、と思う方はこの世でない世界に夢を託すんでしょう。宗教の出番です。分からんことはオマカセ。
 しかしとりあえず、この世界について知らないことだらけである。自分の右足と左耳の区別もつかないような貧相な見識で、ソモサン人生とは、なんて言ってみても始まらないんじゃねんだろか。昔の哲学者の言ってることはやっぱり寝言みたいだし現代の哲学者は絶滅危惧種らしい。それよりは分かりやすい所からちょっとずつでもお勉強しなくちゃアカンのではないか。stomachman自分で言うのも何だが斯様に謙虚な態度を取っているんでありますが、mori0309さんにはじれったくてやってられないかな?

 んー。こう書いてみると、stomachmanはまぎれもないエピキュリアンなんじゃないかと思えてきますねえ。
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この回答へのお礼

stomachmanさん、ありがとうございます。
> stomachmanの「神」は在るなら自分の内部にある。もちろん不完全もいいとこです。
> みんな個々にその中途半端な「真実在」を抱えている。
mori0309もそうなのです。(って同感するトコロじゃないですか?)
> stomachmanはまぎれもないエピキュリアンなんじゃないかと思えてきますねえ。
それでよいんじゃないでしょうか。快楽だってほんものを求めたら、これはやっぱり
むずかしいでしょうから。
すみません。stomachmanさんの軽妙自在の文章にたちうちできませんで、、、

お礼日時:2001/02/07 02:13

『などない思想』『すぎない思想』といってしまうことで、『なぜ?orなんなのか?』の疑問をかたずけてしまうことが、不毛だといってられるきがします。

そんなに単純明解に『なぜ?orなんなのか?』を語ってしまってよいのかという素朴な疑問『?』が、『不毛』という言葉になったのではないでしょうか?oni_ocさんが憤慨されているのは、下の文面からうかがえました。言葉ってホント難しいですoni_ocさん怒らないで、あなたがここにいままで書き綴ってきたのもちゃんと読んでいますよ、mori0309さんはみなさんから寄せられるお考えを真にうけとめられていますよ。彼の回答を読んでいると次第に考え方がひろがってきているのが読んでてよく伝わってきます。oni_ocさん、mori0309さんが>『正しいけど意味がないような気がするのです。(間違っていたらごめんなさい)』と、いっているならば、意味がないことはないという切り口で、あなたなりのこのテ-マに更に突っ込んで書いてもらえませんか?そうすることで、また違った考えが生れるかもしれない。お願いです。怒らないで下さい。ここのみなさんの論議すごく考えさせられることたくさんあります。決して、ここの論議無駄じゃないと思います。文字だけのやりとりです、言葉の行き違いで終わりにしてしまうのは残念です。
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この回答へのお礼

littlekissさん、いつもありがとうございます。
oni_ocさんにお返事を書かせていただきました。お読みいただければ幸いです。

お礼日時:2001/02/07 01:58

>私は《などない思想》や《すぎない思想》は不毛に思えてしょうがないのです。


>oni_ocさんのご回答は、私には
>「名画はなぜ美しいの?」「それは絵の具の組み合わせによるただの視覚的快感です」
>「名曲はなぜ素晴らしいの?」「それは空気振動によるただの聴覚的快感です」
>のように聞こえてしまいます。
>正しいけど意味がないような気がするのです。(違っていたら、ごめんなさい)

な~んか、えらい曲解ですねぇ。
僕は、僕なりに、今まで僕の見知った体験や知識を総合して、
目の前にある事実を分解して見せているだけのことですよ。
ないものをないというのが不毛ならば、麻薬中毒患者の幻覚も事実としなければなりません。

しかも、『などない思想』『すぎない思想』ってなんです?
どうやら、僕の意見がお気に召してないということはわかりますが、
人を批判するのなら、『気がするのです』で終わるような文章でなく、
はっきりと、『意味がない』理由を論じてください。

あなたが、自分の気に入らない発想や意見を排除しようとしているのなら、
『気がするのです』でいいんでしょうが。

そして、それがあなたの内的自我意識とやらの発露なんですか?
だとすれば、自分のした質問に回答している人間に理由も論じず、意見を
『などない思想』『すぎない思想』として『不毛』とし、
『意味がないような気がします』で、曖昧に断罪するあなたの内的自我意識っていうのは、
『良心』でなく『感情』に支配されている『ような気がします』

受け入れにくいと思うだけで、断罪するのは、
オカルトもしくは疑似科学の分野のことであって、
科学もしくは思想の1ジャンルたる哲学で語るべき方法論ではありません。

否定したいのなら、曖昧にでなく、真っ向から否定してください。
それが、哲学って奴だと思いますが。

そして、『普遍』を途中で投げ捨てるのなら、
この議論は「まっ、十人十色ってことで」という完結を見ることになり、
あなたの疑問は完全なあなたの内的世界の話でしか有り得なくなります。
となればこの議論に出た意見の全てが『不毛』となるでしょう。

なぜなら、あなたの内的世界だけで完結する話であれば、
あなたにしかわからない話になり、誰にも関係なく、
そしてどんな破天荒な存在を抱えていても誰にも関与のしようがなく、
答えはあなただけのもであり、他の誰も知らないものであるからです。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、お返事が遅れてすみませんでした。
私の勝手な造語である《などない思想》《すぎない思想》という言葉を、説明もなしに使って
しまったため、oni_ocさんに不快感を、お与えしたこと、謝ります。
ただ「不毛」という言葉はozapanさんやstomachmanさんのご回答に対するお礼や補足のなか
でも使わせていただいた言葉で、決してoni_ocさんのご回答を「排除」や「断罪」しよう
などと思ったわけでは、まったくありませんので、これだけは、どうかご理解いただきたいと
思います。それから「真っ向から否定する」ような非礼は、質問者の私にはできないことで
すし、また、私の思想が完璧に正しいとも思っていませんので、それが結果的にはoni_ocさん
が曖昧とお感じになるようなお礼を書いてしまうことになってしまいました。これも、どうか
ご容赦いただきたいと思います。
●《などない思想》《すぎない思想》という言葉は、以前から私が使っていた言葉ではなく
このQ/A欄で回答者の皆様にお礼や補足を書いているうちに、自然に私の口から(ではなく
指先から)出てきた言葉です。私はoni_ocさんはじめ、ozapanさんやstomachmanさんから
「目的などない」「意味などない」「あるのは事実のみだ」ということを何度も何度も説か
れたような気分になっていました。だから私はozapanさんへの補足のなかで、自分の考えを
次のように、率直に述べさせていただきました。
■哲学が真に問うべき問題は「自分(mori0309)とは何か」「自分(mori0309)はなぜここ
にいるか」「自分(mori0309)はいかに生くべきか」ではないだろうか。
■抽象的に「《人間》とは何か」「《人間》はいかに生くべきか」を問うても、「正しい
だけで何の役にも立たない結論」しか得られないのではないか。
■求めるべきものは「事実」ではなくその背後にある「真理」のはずである。これは文学か?
哲学そのものなのではないか?
●> 人は、自分がいいことをしていると思い込みたがる生き物です。
> そして、宗教はアヘンです。当然神も、宇宙意識もアヘンです。
> そのことを思うと脳内麻薬の分泌が活発になるとも言います。
> その脳内麻薬の陶酔感が、そのおのおのとの一体感の正体です。
> そして、こんな幸せな、こんな美しい自分が理想の自分であり、
> 真なる自分であると錯覚します。
> 「いいことしたい(良心)」ってのは「ぎぶ・あんど・ていく」な発想なわけです
> 何も美しいことだけではないんですね、これ。裏にはいろいろ本能も渦巻いちゃっている
> 可能性も否定できません。
> 善なる行為すら、種の保存の法則に依っているかもしれない。
> そして、取り引きの材料としようとしているのかもしれない。
> でも、だからこそ人間は「いいことしたい」んではないでしょうか?
oni_ocさんのこのような考察は、たぶん正しいのでしょう。事実なのでしょう。でも哲学
は事実を究明する学問ではなく、事実の背後にある意味や価値を問う学問なのではないで
しょうか。oni_ocさんの考察は身も蓋もないのです。(ご気分を害されたらごめんなさい)
このような話を聞いた人(特に若い人)はどう感じるでしょうか。「そうか良心なんか
ないんだ。”立派に生きる”なんて無意味なんだ。自分の好きなように生きて、好きなよう
に生活を楽しめば、それでいいんだ」と思いこんでしまうのではないでしょうか。
●「○○などない」「○○など○○にすぎない」という言葉で表される思想は、人を、厭世
的にさせ、無為にさせ、無責任にさせる。人のこころを砂漠化する。そう感じるので、私は
それを《などない思想》《すぎない思想》と呼び、「不毛だと思う」とさせていただいたの
でした。
 「安直に神を連想させるものを語るのは、争いや災いとなります」とoni_ocさんはおっ
しゃいますが、oni_ocさんの思想もまた、人の心を荒廃させる危険性をもっているのでは
ないでしょうか。神という思想が人々の思考の自由を奪い、争いすら起こさせる危険物で
あることは認めます。ですが、神という言葉を捨ててしまうことで、同時に、人間の体の
中か、心の中か、どこかは分かりませんが、きっとあるはずの「善きもの」まで、すっかり
投げ捨ててしまう。それまでも「無い」と思ってしまう。それによって本当に「善い」
ところのない人間になってしまう。これはたいへん恐ろしいことだと思うのです。
●悲しいかな「好きなように生きて、好きなように楽しむ」のが、なんで悪いの?
という質問が、子供だけでなく大人からも平気で出てくる御時世になりました、、、、、

おっと、大慌てで訂正します。私はクソマジメな道徳ガンコオヤジではありません。
人前で倫理道徳などを説く輩は、毒舌を浴びせられて当然と思っています。人前でキレイ
事を言うなんて、とてもハズカシくてできません。ここは覆面サロンなので、ちょっとだけ
青臭いことを言わせていただいているだけです。「言論による世直し」など絶対にやっては
いけないことと、固く信じておりマス。(脱線しました)
●「善きもの」を感じるのは「脳内麻薬の陶酔感」のせいだとしても、それは「事実」で
あり「意味」でも「価値」でもないです。脳が「善い」と感じる「事実」に「意味」や「価値」
を自ら見出さなければならないのだと思います。それこそ「生きる意味の創造」であり、
人間が真に自由であることの証であると思います。
●oni_ocさんは
> この議論は「まっ、十人十色ってことで」という完結を見ることになり、
> あなたの疑問は完全なあなたの内的世界の話でしか有り得なくなります。
と指摘されていますが、十人が一色になることはありえないし、なってはいけないと思い
ます。私はできるだけたくさんの方に「自分」というものをどう考えているか、お話を
聞きたかったのです。哲学論議に「完結」はありえないと思っています。
●性善説と性悪説(このカテゴリでも質問が出ていましたが)、唯心論と唯物論。両者の
論争時代は、はるか昔のこととなり、いまでは両方とも否定されて、性”無”説と
唯”事実”論がはばをきかせているような感がします。物質だって内実はスカスカであり
空間の小さな小さなしわの集積体みたいなものですよね。だから現代思想においては、科学
法則や科学理論のみが真に存在する「事実」とみなされているように思います。ですが、
私はmori0309という「自分」が科学法則によって決定論的に存在させられて、決定論的に
生きているものとは、全然、思えないのです。もっと他に「真実在」があるのではないかと
思ってしまいます。「自分」というものは、本当に、いくら考えても、いくら考えても、
不思議な存在です。私のすべての問いは自分を不思議に思うことから発しています。
しかし、また、「それは「真の自分」が発している問いなのか」と言うと、どうもそうでは
ないのです。(と感じられるのです)
●オカルト的ですみません。「真の自分」を議論の俎上にあげることの困難性を感じて
います。と言うのは「真の自分」が100%分かってしまったら、ではその「分かった自分」
は何なのかという点が一点。それと「真の自分」は人間くさい質問など投げかけてくるような
存在ではないと感じられるのが一点、です。
●なんだか文章の締めくくりができなくなってきました。このへんで、いったん失礼します。

お礼日時:2001/02/07 01:56

No.101693の以下の文章に付け足し。



>医学が進んでいなかった太古の昔には
>病気になった人を悪魔つきの様に
>今、考えてみれば「そんなことで、病気が治るはずがない」
>と思われるかもしれませんが、そんなことはないんですねぇ。これが。
>御存じの方もいるかもしれませんが、人間の体は、
>「プラシーボ効果」ってやつで、病気が治るケースがあるんですね。
>(「プラシーボ効果」:『これはAという病気を治す特効薬ですよ』
>などといいながら、患者にただの小麦粉のカタマリを投薬する。
>そうすると、患者の20%前後はその暗示で、実際に治ってしまう。
>だから、インチキ健康法に必ずといっていいほど、
>『私はこの健康法に命を救われました!』なんて人がいるのは
>奇跡でもなんでもない。もちろん「プラシーボ効果」は実際に医学的に
>実証されている。医療の現場でも投薬量を少なくするためのテクニック
>として用いられたりもしている。)
>
>で、結構この「プラシーボ効果」ただもんじゃない。
>太古の昔に、神や、その使いとされている人々のおこしたと言われている
>奇跡にも多数のプラシーボ効果が含まれていたのではないかと思われます。

以下追加

まさしく、「信じるものは救われる」です。
これ、でもどのような作用かまだ、はっきりしてないんですよね。
体内の自己治癒能力と関係してることは確かですが、
ただ、一つ言えることは「治る」と思って治ったのは
「治す」と思って治すのとは意味合いが違いますね。ってことです。
つまり、「意志」でなく「誤解」または「暗示」「勘違い」が治してるって
ことなわけで、これは「意志の力」ではありません。
誤解のないように。

ま、「勘違い」にしろなんにしろ、病気が治るのはいいことですが(笑)


で、以降本文に戻る。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、ありがとうございます。
私は《などない思想》や《すぎない思想》は不毛に思えてしょうがないのです。
oni_ocさんのご回答は、私には
「名画はなぜ美しいの?」「それは絵の具の組み合わせによるただの視覚的快感です」
「名曲はなぜ素晴らしいの?」「それは空気振動によるただの聴覚的快感です」
のように聞こえてしまいます。
正しいけど意味がないような気がするのです。(違っていたら、ごめんなさい)
ozapanさんの回答への補足も、お読みいただければ幸いです。

お礼日時:2001/02/03 03:46

>人は、自分がいいことをしていると思い込みたがる生き物です。


>そして、宗教はアヘンです。当然神も、宇宙意識もアヘンです。
>そのことを思うと脳内麻薬の分泌が活発になるとも言います。
>その脳内麻薬の陶酔感が、そのおのおのとの一体感の正体です。
>そして、こんな幸せな、こんな美しい自分が理想の自分であり、
>真なる自分であると錯覚します。
>そして、それを信じると、こんないいことがあるんだよ~~、
>と誰かに伝えたくなります。いいことしたいから。

ってなことを書いといて、ナゼ「いいことしたい」のか
を書かないのはおかしいですね。補足です。
一言で言うと、mori0309さん言うところの「良心」ですね。
ではでは、「良心」たぁ、なんだ?となるわけですが。
人の持つ良き心 <ってそのままやんけ
ではでは、なぜそう言った良き心を持ち合わせているのか、
考えてみましょう。

人間ってのは哺乳類ですな <言うまでもない。
で、哺乳類の特徴は?
哺乳すること <当たり前
では、哺乳は何をもたらすか?

親にとっては、育児という義務。
子にとっては、育児される束縛。

これは、生まれてすぐに、とりあえずは一人でも生きていけるような体裁
をもつ動物との大きな違いですね。

で、ここになお、人間なんざぁ、胎内に10月10日もいるとか、
生まれた後、ろくすっぽ身動きもできないとか、
なんていう保護せざるを得ないっていう条件が有り余ってます。
で、なおかつ、たいがいの人は赤ちゃんを「かわいい」と思います。

つまるところ、生物として、(一人立ちが遅いという点において)未成熟?
だからこそ、社会という保護し、保護される関係を必要とします。
で、このような、保護せざるを得ない幼生を抱えた生物である
人間は、必然として、保護に専従する人間を必要とします。
これが、一般的にいう母親。

で、それをさらに外敵から守りつつ、食料を得なければ、
子供は死んでしまいます。
ここで、父親登場。

というようなわけで、人間は種の保存の為に、
家族という単位で行動するようになったと説明できます。
で、父と母の間、母と子の間、父と子の間には様々な不可欠な結びつき
が存在し、この単位の結束を深めて行きます。
このへんが家族の紀元。

で、このあたりに、当然として、「いいことしたい(良心)」の源泉があります。
要するに種の保存のために不可欠な要素として、「いいことしたい(良心)」
は組み込まれている可能性がヒジョーに高い。

で、ここまでの流れをまとめますと「いいことしたい(良心)」ってのは
「ぎぶ・あんど・ていく」な発想なわけですな。

何も美しいことだけではないんですね、これ。
裏にはいろいろ本能も渦巻いちゃっている可能性も否定できません。

たとえば、誰でも経験しているであろう、こんな事例。

恋人、友人もしくは家族の誰かが何かの理由で非常に困っていました。
で、あなたは、その人を助けたいと思い、いろいろ手を尽くして、
その悩みを解くようしてあげました。
あなたは、非常に感謝され、深く礼をされました。
で、あなたは、
「そんなこと気にすんなよ、俺とお前の仲じゃないか」
てなことをいいました。実際、その人の為に苦労することは、
そのときのあなたにとって、ぜんぜん苦労とは思えませんでしたし。
あるとき、その人があなたに恩を仇で返すようなことをしました。
あなたは烈火のごとく怒り猛って、
「お前には、あんなことや、こんなこと、それにああいうことまでしてあげたのにぃぃ~~」などと言いました。


さてさて、思い当たる節はありましたか?
人は善なる行為をのちのち、取り引き材料にしてしまうくらいに
愚かでもあります。

おかしいですね~、そのときは苦とも思わなかったはずなのに。
取り引きに使うときは、さも苦労したように言ってしまう。
愚かで、御都合主義このうえない。

しかし、ま、その善なる行為自体は責められないんですがね。
でも、その善なる行為すら、種の保存の法則に依っているかもしれない。
そして、取り引きの材料としようとしているのかもしれない。
でも、だからこそ人間は「いいことしたい」んではないでしょうか?

以上、なが~~い補足でした。
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 泊まりの仕事に出ておりまして、ご返事が遅れました。



 「歴史に進化などない」「宇宙に目的などない」ということが、人間にとって、また僕にとって、どのような意味を持つか、でしたね。
 端的に答えてしまうと「意味は無い」となるでしょう。人間にとっても、僕にとっても。
 というのは、もともと、「歴史を通じて人間は進化している」「宇宙には目的がある」という見解自体に意味が無かったからです。気に障ったらごめんなさい。でも、そうなんです。「人間は《普遍》に近づいてなどいない」「宇宙に目的などない」ということは「事実である」と申し上げていいと思っています。だから、その事実が何らの変更をも被っていない以上、特に意味は無い。

 そのこと自体が持つ意味は、特にない。…でも、だから何も語れないというわけではありません。「目的」について、考えてみましょう。(ここから下はtabioさんのご発言についてのレスも兼ねます。)
 「目的」は、「手段」との相関関係を軸に論じられるのが西洋思想史での伝統ですが、ここでは少しちがう切り口で考えましょう。「目的=目指されるもの」ということで。
 目指されるもの、です。ということは「目指すもの」があるはずです。「目指すもの」にとって「目的」とは何でしょう。
 「価値あるもの」であることはまず確かでしょう。では、その「価値」はどこから生じたのでしょうか。「目的」それ自体が「われこそ価値ある者なり」と宣言した? …ということではないでしょうね。むしろ「目指すもの」が「価値あるものと判断した」ということでしょう。目的の価値は、実は「目指すもの」から生まれている。
 ここから、次のことが言えると思います。すなわち、あるものについてその「目的」が問題となる場合、そこには対になる「目指すもの」の存在が前提され、しかもこの「目指すもの」は、少なくとも感覚を持ち、快と不快の判断が可能であり、快を志向する意志を持つ存在である。ということです。つまり、人間を含む動物という「目指すもの」が存在して初めて「目的」は云々できる。
 さて、リンゴは何故落ちたのでしょうか。ニュートンに万有引力の法則を発見させるため? …でも、それがすでに発見され、その目的が果たされた現在でも、世界のどこかのうっかり奥さんの掌からリンゴは落ちつづけています。何のために?
 その答えはありません。単なる物理現象・自然現象です。目的など、ありはしない。同様に、素粒子も何か目的があって陽子を作っているわけではない。水素からヘリウムに変化する過程も、恒星内部での核融合反応のせいであって、それ自体に目的があるわけではない。(「お星様を光らせよう!」「うん! そうしよう!」と言って、水素くんたちがおしくらまんじゅうを始めたりとか…微笑ましい光景ではありますが、擬人法的表現の域を出ません。でも、めっちゃかわいいぞ>水素くんたち)
 生命の発生も同じことでしょう。自然界の随所に見られる「自己組織化」という現象。これがある時たまたま、自己複製可能な物質塊を生み出した。そこから、増大しつづけるエントロピーへの儚い抵抗としての「生命」が始まった。…「意志」などの介在を考えるまでもなく、自然現象として説明できることです。
 生物の進化も同じです。目的などない。「人間を生み出すため」などという目的をでっち上げるのは、まさしく人間中心主義的傲慢以外の何物でもない。生物たちは環境に適応して生き延び、あるいは適応できずに死滅してきただけです。そこに「進歩」などありはしない。

 さてそれで、「進化も目的もないとすれば、人間は自由に意味や価値を創造していけるということになるのではないか?」というご質問についてです。
 これについては、すでに申し上げた答えを繰り返すことになります。
「自分自身の《本質》は、自分自身で作るのだ」
ということです。
 これも、ただ単に繰り返すだけではなんですので、少し切り口を変えて述べましょう。
 ある出来事に意味があるかないか、このことは「時間」をどう捉えるかによって変わってきます。「時間」です。これの捉え方には、大雑把に言って三通りほどあります。
  一、始まりも終わりもない、無限直線でイメージされる時間
  二、円環状に閉じた、無限に循環する時間
  三、始まりと終わりをもつ、有限直線でイメージされる時間
 その時間の中において、出来事に「意味」が生じるのは…「三」だけです。「一」では、一つの出来事の「意味」は、無限に引き伸ばされる時間の中で無限小に希釈されます。「二」では、まったく同じことが繰り返されるわけですから、新たなものは何も生まれず、また何も減ずることがありません。「三」の場合のみ、「終末」へ向けた諸々の出来事の「原因」や「結果」として、一つの出来事が不可欠の「段階」を形成する。「意味」を持つわけです。「終末」に照らして、「意味」を持つのです。言い換えれば、「目的」に照らして、「意味」を持つのです。
 「三」のような時間の捉えかたは、キリスト教に代表されるものです。「最後の審判」ですね(ホントは2000年前に終わってなきゃいけなかったんですけど…)。でも、僕は先ほど「宇宙に目的などない」と言いました。ということは、科学的に考えて説得力のある時間の捉えかたは「一」ということになります。すると…どうなります?
 そうです。「わたし」や「あなた」の生は、無限小に希釈されます。「無意味」です。「わたし」や「あなた」の生の意味など、宇宙を貫く時間に比べればビフィズス菌のおならよりも空しい。
 でも、幸いなことに(「幸いなことに」です)、僕たちは始まりと終わりとで区切られた時間を与えられています。この始まりと終わりは、母親と死神によって与えられる崇高な贈り物です。この時間の中で、僕たちは無意味な世界に投げ出されており、しかし同時に、いずれ終わる未来へ向けて自分自身を投げつけていくことができます。他者との関わりから自身の意味をつかみ取り、この自身の意味を他者に投げ返していく。そういう営みができます。「意味」は作っていくことができるのです。

 この場所でこういう対話をしていること自体、その証明でしょう。

この回答への補足

ozapanさん、いつも、ていねいで分かりやすい回答、本当にありがとうございます。
前回は、私が宇宙を擬人化して「意志がある」などと言ったり、宇宙観と世界観と人生
観をごちゃまぜにしたような幼稚な文章を展開したため、ozapanさんが少しひいてしまった
かな、と感じました。また同じようなことを書きますけど、お許しください。

> 「わたし」や「あなた」の生の意味など、宇宙を貫く時間に比べればビフィズス菌の
> おならよりも空しい。
これってozapanさんがいつも批判している感傷的な価値判断じゃありません?
> 母親と死神によって与えられる崇高な贈り物です
「死神」「崇高」だなんて、、、揚げ足とられちゃいますよぉ~(軽口たたいてすみません)

★以下、断定的な口調で書きますけど気になさらないでください。ozapanさんに反論する
わけではないです。ozapanさんや他のみなさんに、これまでいただいた回答を自分なりに
理解して書いてみた、自分へのさらなる問いの文章です。
●アメリカという国に《アメリカ人》というアメリカ人がいないように、この世には《人間》
という人間はいない。《人生》という人生もなく《目的》という目的もない。だから《人間》
の《人生》の《目的》などあるわけがない。
 だがしかし《人間》ではないmori0309は、日々を「mori0309の人生の目的」無しで生きて
いくことはできない。自分を「ただ本能やegoに突き動かされて生きているだけのもの」だと
か「適応法則によって坂道を転がり続ける石ころ」だとか、そんなふうに自分を断じて生きて
いけようはずもない。 これは文学か? 哲学そのものなのではないか?
●「生きる」とは「自分の自由を信じる」ということだと思う。mori0309は、あらゆるもの
から自由でありたい。《人間》が作って《人間》にあてはめようとする《思想》《法則》
《法律》《制度》《歴史》《時代》《教義》《自分(ego)》それらのもの、すべてから自由
でありたい。もちろん《などない思想》からも《すぎない思想》からも。
 思考を停止させられ、マンネリロボット・教義奴隷・口真似オウムと化されてしまうことは
死を意味する。私はつねに「生きて」いたい。「真の私」を失いたくない。
●哲学が真に問うべき問題は「自分(mori0309)とは何か」「自分(mori0309)はなぜここ
にいるか」「自分(mori0309)はいかに生くべきか」ではないだろうか。抽象的に「《人間》
とは何か」「《人間》はいかに生くべきか」を問うても、「正しいだけで何の役にも立たない
結論」しか得られないのではないか。求めるべきものは「事実」ではなくその背後にある
「真理」のはずである。(《真理》ではなく) そんなものは無いと論者諸氏は言うだろうか。
 再び問う。 これは文学か? 哲学そのものなのではないか?
●mori0309には「mori0309の人生の目的」は与えられていない。自分で創るしかない。その
とおりだと思う。それを求め続けること、それを日々新たに問いなおすことが、すなわち
「生きる」ということそのものなのだと思う。そしてこの世には無数の違うmori0309がいる。
その互いの問いの投げかけあいが「社会」「時代」「歴史」「宇宙」を創る。まさしく
「実体は偶有性の総体」なのだと思う。「宇宙」からは、なにものをも除外することはでき
ない。
「全部まとめて宇宙やんけ。ちゃうか?」(pzapanさんの別室での言)
●私には私を生み出した宇宙を、自分とは隔絶したものとは思えない。宇宙の「真理」と
mori0309の「真理」がまったく無関係であるはずがない。これはオカルト思想だろうか。
 宇宙の「目的」という言葉がダメだというのなら「性質」という言葉に代えよう。宇宙
には「より上位の自由を生み出す性質がある」と言えないだろうか。上位という言葉も尊大
だと言うのなら「より複雑で寛容な」とでも言おう。mori0309が宇宙性質の顕現体であると
いう表現は、詩にすぎないのだろうか。
 自然はあらゆる場面でマンネリを嫌う。大自然の恐ろしいほどの多様性とダイナミズム、
留まるところを知らぬ上位への自己組織化。私には、宇宙全体で大交響曲が鳴っていると
思えてならない。

★なんだか、やっぱり反論になってしまいましたね。ごめんなさい。そしてまたしても
ひとりよがりな、エッセーもどき。普遍性などまったくないです。なくていいです。
★ozapanさんはじめ、たくさんの方に熱のこもった回答をいただき、本当に感謝いたして
おります。こんなに知的興奮を感じることは久しくありませんでした。いくつもの偶然に
導かれて、この質問を出すことができて、本当によかったです。勉強になりました。
(やっぱりmori0309は偶然に突き動かされている石ころ?)
補足やお礼の場をお借りして持論をまくしたててしまったこと、みなさまにお詫びします。
私の平素考えていたことは、たぶんもう出尽くしました。さらに追加や補足のご回答をいた
だけることを期待して、あとすこし閉じずにおこうと思います。
★みなさん、ありがとうございました。

補足日時:2001/02/03 03:34
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この回答へのお礼

ozapanさん、ありがとうございます。またすこし時間をください。(これバッカリ)

お礼日時:2001/02/01 01:00

おおお。

既に話は形而上学の世界へ....

●mori0309さんの精神衛生がマジに心配になってます。

共産主義は典型的宗教であると思っているstomachmanでした。
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この回答へのお礼

stomachmanさん、ありがとうございます。
> mori0309さんの精神衛生がマジに心配になってます。
大丈夫! わたしゃはっきょうしてませんってばってばってばあぁぁぁわ、、、
ウチはどこ?

お礼日時:2001/02/01 00:59

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先日、いかりやさんが亡くなられた時、息子さんが「父親に告知(余命を告知する事が)出来なかった」と言っていたんですが、愛する家族を病気などで失うと判っていた時(もしくは医者に言われた時)、言われた人は相手にキチンと告白しますか??それとも言わずに自分自身のかなでしまっておきますか??

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皆さんなら、どうされますか???

Aベストアンサー

こんにちは!
身内やごく親しい友人が末期がんで亡くなった経験があります。
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やっぱり本人の性格次第なのではないでしょうか?!

私は主人が余命いくばくもなくなっても言えません。隠し通すと思います。それは、主人の性格を考えてのこと。とても精神的に弱い人なので、告知したら一気に寿命が縮まりそう。

ただ、私自身がそうなったら絶対に告知して欲しい!
この旨は主人には伝えてあります。
どうしてか?と言うと、助かる見込みが無いなら、体が動ける状態のうちにしたい事をしたい!

主婦として私しかしらない家の事がたくさんあるし、残された家族が困らないようにやっておきたい事は山ほどあるし、人間としてやってみたいこともある。
行きたい所、食べたい物、遣り残した事などなど。

病院に入院させられて、動けなくなる日をじっと待つなんて私の性格では耐えられないからです!
かろうじてでも動けるうちに、精一杯人間らしい生活を送るために、私自身がそうなったら告知して欲しいですね!

Q暴力とは 感情のよりは理性の産物だ。

 なぜなら 本能として感情のままに動く動物の物理的なチカラは 暴力とは言わない。

 それは 一面として自由意志によるものだと見られる部分が乏しいからでもあるが 実際の側面としては 獲物である相手の動物に対して こいついっちょうやったろかと思ったり 借りがあるから倍返しだと考えてチカラを振るうわけではないだろうからである。

 つまり 人間だけが いちいち相手とのいやな関係を思ったりしてそのゆえに危害をくわえようとする。のだと もしするなら 人間だけが 《暴力》をふるうのだ。

 【Q:暴力とは 相手の意志を無視することだ】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8286426.html

 から まさに――自由意志の振る舞いであるとともに――理性による産物である。



 糺してください。

Aベストアンサー

B様、こんばんは。


>「人間だけが いちいち相手とのいやな関係を思ったりしてそのゆえに危害をくわえようとする。のだと もしするなら 人間だけが 《暴力》をふるうのだ。」

いやいや。
「「暴力をふるう」が、理性による産物」で、(それは)人間だけ」とは、


>「なぜなら 本能として感情のままに動く動物の物理的なチカラは 暴力とは言わない。」

まあ、なんてますか。
「倍返し」とは、「「目には目を」というくらいでは(次からは?)済ましませんよ?」という、
一種の、まあ、「禁じられた「自力救済」」です。

・・・ところで、やはり「「自力救済」は禁じられている(→理性の産物)」わけで、
・・・そうした「法の網」をかいくぐって、「自力救済」を実現してしまう!?というところに、
一種の、まあ、「してやったり!」を覚える事は、あるのかもしれません。


>「「暴力をふるう」が、理性による産物」で、(それは)人間だけ」」

では、「水戸黄門」という勧善懲悪的なドラマにおける、
登場人物(たち)のチカラ(と、その淵源)関係について、ご説明ください。

Q資格が効力を失う時

弁護士、弁理士、医師、作業療法士、理学療法士、通訳案内士等の資格が抹消される要因の一つに、
「業務を廃止した時」とあります。

これは、「試験合格後、何もしない」ということも当てはまるのでしょうか。
(いわゆる、取得しただけ)

それとも、本人の届出のみでしょうか?

Aベストアンサー

別に業務をやめただけで効力が消えることはありません。効力が消えるのは、各種法律を破ったり・その人が死んだり・更新しなかったり(しなくていいものもある)このようなことをしない限り効力は消えない。試験合格しただけでは取得したことにはなりません。そこから申請して免状または免許書という形でなければいけません。

Aベストアンサー

その「世の中」を広くする事が、その「原理」を
理解する上で効果的と考えた僕は、協力隊と海外
コンサルとして、8年間かけて世界11ヵ国で働き、
20ヵ国旅しました。
途上国暮しは、夜が長く、複雑な日本社会と距離を
おけるので、思索するのは絶好です。

Q人生の分岐点。その時失うものがなかった人へ。

こんにちは。

大学を両立しながら受験し、大学を変更し、医師へなりたいと思っているものです。

後期のセンター試験と大学の試験がかぶり、今からでも気持ちを高めてのりきっていきたいと思っています。

でも会社を辞めて中途採用に挑む人や、失うものがない状態で人生の方向性を決める人と比べたら自分の感じる辛さはまだ軽いとも思います。

そこで今あげた失うものがない状態から何かに挑戦したり成功した人の話しが聞けたらなと思い投稿しました。

何でもいいので話し聞かせてください。

Aベストアンサー

 医学部には5浪程度は珍しくないですし、10浪すら
普通にいます。私が以前見た東北大学医学部の入学者
分布では、2浪に山のピークがあり、そこから10浪に
向かって広がる大きな裾野がありました。

 ですので、いまの大学を卒業してから医学部を目指す
という方法もあるかと思います。3年4年になれば授業も
ラクになるので受験勉強もしやすいし、とりあえず大学を
卒業しておけばイザというときの保険になります。この
保険は、気持ちの上で大きくプラスになりますよ。

Q円周率(π)が超越数であるということの意味は? そして真理とは?

数学カテゴリで質問しようかと思いましたが、やっぱり哲学カテゴリにしました。
以前、「ゲーデルの不完全性定理ってわかりやすく言うと何?」と質問したとき
回答者の方から『不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙する
ようなアルゴリズムはない」という意味です』というすばらしい回答をいただき
感嘆いたしました。これこそ「事実のもつ意味であり真理だ」と思ったものです。
そこで質問です。

【質問1】円錐の体積は円柱の体積の1/3、球の体積は円柱の2/3という具合
に、体積比はきれいな有理数値です。なのにどうして円周率(π)は有理数でも無
理数でもない超越数なのでしょうか?(無理数は超越数の一部かな?)
その意味するところを何か「うまい言葉」で表現することはできないでしょうか?
曲線と直線の本質的不親和性とか何とか、、、あるいは数という概念の限界とか
何とか、、、

【質問2】円周率(π)が超越数であるという「真理」は、造物主が創ったものなど
ではなく、人間が「円周と直径の比は?」という問いを発したからムクムクと姿を
現したものであると考えることができると思います。したがって「事実」は自然界
に自然に存在するが「真理」は人間が「問い」を発して「創る」ものだと思うの
ですが素人考えでしょうか。

【質問3】「真理」は広く一般に認められて「事実」となり、それがさらに高次の
「真理」を生み出す母体基盤となると思うのですが、どうでしょうか。

このところ、ぼんやりと考えている「ホントに素人」な疑問です。
どんな回答でも結構です。質問1~3のどれかひとつだけの回答でも結構です。
いろいろな観点からのお話をお待ちしています。

数学カテゴリで質問しようかと思いましたが、やっぱり哲学カテゴリにしました。
以前、「ゲーデルの不完全性定理ってわかりやすく言うと何?」と質問したとき
回答者の方から『不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙する
ようなアルゴリズムはない」という意味です』というすばらしい回答をいただき
感嘆いたしました。これこそ「事実のもつ意味であり真理だ」と思ったものです。
そこで質問です。

【質問1】円錐の体積は円柱の体積の1/3、球の体積は円柱の2/3という具合
に、体積...続きを読む

Aベストアンサー

質問1
 超越数って、なんかスッゴイ名前を戴いちゃって、完全に名前負けしてます。超越数とは「整数係数の多項式=0」という方程式の解にならない実数のことです。整数係数多項式とは係数に整数しか許さず、足し算、引き算、かけ算だけで構成される式(だから、冪を使って表現しても、冪の肩に乗るのは自然数の定数だけです)。だからまあ、一番「易しい」たぐいの方程式でしょう。「与えられた円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで描け」と言われてもできない。定規とコンパスだけで平面上に点を決める操作は、解析幾何学に翻訳するとすべて低次の整数係数多項式の方程式に帰着してしまうからで、どうやっても√πという長さが作れません。
 なお無理数とは「有理数でない実数」の事です。整数係数の方程式 nX-m=0の解はX=m/nですから、有理数は超越数ではない。すなわち超越数はみんな無理数です。無理数√2は方程式 X×X-2=0の解だから超越数ではなく、従って、超越数⊂無理数。
・実数と無理数に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=32339

 コンピュータのプログラムで任意の精度まで計算できる(「計算可能な」もしくは「構成可能な」)実数というのは、実は高々、自然数の個数と同じだけ(アレフ0個)しかありません。(証明はmori0309さんにお任せ。プログラムのゲーデル数を考えてみれば...)実数の個数はずっと多い(アレフ1個)ので、圧倒的多数の実数が計算不可能であり、また当然の事ながら計算不可能な数はみんな超越数です。で、πは計算できる実数。可愛いもんです。つまり、計算不可能な数⊂超越数。
・実数の個数に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=31937

 円に関係してπが出てくるのは、直径と円周の比、という所にポイントがあるんですね。面積と円周の比じゃダメです。円周も円の面積も、また円錐や球の体積・表面積も、みんな仲良くπの因子を1つずつ含んでいますから、お互いに比を取ればπは消えてしまいます。しかし、一般に半径rのn次元球の体積は
 nが偶数: V[n] = (r^n) {π^(n/2)}/{(n/2)!}
 nが奇数: V[n] = (r^n) 2 {(2π)^((n-1)/2)}/{n!!}
   (ただしn!!= n (n-2) (n-4) ... 1 )
です。円はn=2(2次元における体積=面積)、球はn=3(普通の意味での体積)。で、n=4次元だったら、
V[4]=(r^4) {π^2}/2
であり、円や球の体積との比を取るとπの因子が残ってしまいます。逆にn=1次元でも
V[1] = 2r
だから、πの因子が残ります。(1次元の場合の体積とは、直線上に中心Oを取り、そこからrの距離にある2つの点に印を付けて、その2点間の距離を測った物です。)
 ちなみにn次元の球の表面積はV[n]のrによる一階微分S[n]=dV[n]/drで表されますから、或る球の表面積と体積とではπの因子の次数はいつも同じです。(n=2の場合で言うなら、円の面積と円周との比を取るとπの因子は残らない。nが幾つでも同じ事です。)
・n次元球の体積に関する若干の議論は: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=19508

 円形の海があってその周囲が丁度直径の3倍である、という記載が聖書の中にあるそうで、円周率が丁度3じゃない事に悩んだヒトも昔は(今でも?)随分いたと聞きます。これは大地が平らだと仮定するからそうなっちゃうんで、仮に空間の曲率が正であるとしたとき(この場合球面上)の非ユークリッド2次元幾何学を考えると話は違います。円周率は円の直径に依って変化するものになり、これが丁度3になるような海の直径を割り出せます。すなわち、北極点を中心にしてこのような円形の海があったとすると、その円周は丁度北緯60°の所に来ます。地球の半径をRとするとき円周の長さ=2πRsin(π/6) = πR, 球面に沿って測った海の直径は=2R(π/6)= πR/3ですから、円周率は(πR)÷(πR/3)=3になります。(だから聖書学は球面幾何学を含んでいる?というのは例によって考え過ぎです。)
・非ユークリッド幾何に関する若干の議論は: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=30830

質問2
 とても重要な観点だと思います。「真理」という所を「概念」と呼んでみては如何でしょうか。数学にはいろいろな性質を表す言葉が導入されます。そしてそのような性質同士の関係を問う、などの問題を考える訳です。しかし(普通の数学の場合)これらの性質は、全部集合論の記号と論理式に完全に還元して表現することができます。素数であるとか、超越数であるとか、ゲーデル数であるとか言うのは、言ってみれば人間が発明した「概念」であり、本来は論理式のパターンに過ぎないものに名前を付けることによってヒトが創造した、と考えることもできます。
初めに言葉ありき。
 逆に「数の性質は初めからそこにあって、それを探求して発見して行くんだ」というケンキョな考え方もあり、どちらかと言うとこっちの方が普通でしょう。
・質問3に関しては: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=24901

質問1
 超越数って、なんかスッゴイ名前を戴いちゃって、完全に名前負けしてます。超越数とは「整数係数の多項式=0」という方程式の解にならない実数のことです。整数係数多項式とは係数に整数しか許さず、足し算、引き算、かけ算だけで構成される式(だから、冪を使って表現しても、冪の肩に乗るのは自然数の定数だけです)。だからまあ、一番「易しい」たぐいの方程式でしょう。「与えられた円と同じ面積の正方形を定規とコンパスで描け」と言われてもできない。定規とコンパスだけで平面上に点を決める操作...続きを読む

Q【哲学・理性】世界人口73億人時代。世界で1番理性がないのは人間ではないでしょうか?どの動物

【哲学・理性】世界人口73億人時代。

世界で1番理性がないのは人間ではないでしょうか?

どの動物より理性がないから73億という種が存在している。

そう思いませんか?

理性があったら、こんなに人口って増えないと思うんですよ。

どう思いますか?

人間は理性がないのでこれだけ人口が増加した。

違いますか?

"理性がこの世界で1番ないのが人間"と習えば納得出来ますが、

人間は理性があるから世界の覇者になれたと習う今の教育だと何だか納得出来ない。

胸の奥底にそうじゃないと思うんだけどなあと思っても口に出せない。

人間は理性がないから世界の覇者になれたと習えば教育って凄いんだなあと思うけど、どうも納得出来ないことを教育として押し付けられると教育って洗脳だなあ。矛盾してんなあ。無駄だなあと思ってしまいます。

こんな屁理屈男は頭がおかしいんでしょうか?

この地球上で1番理性がない人間だからこそ世界人口が伸び続けている。

facebookのCEOは50兆円を寄付して貧しい人たちを救済するって言ってるけど、人間は理性がないので更に子作りを続け、貧困の国の人口が更に増えて、最終的に先進国をマンパワーで潰す未来しか見えない。

貧困国の救済は人間は理性がないので意味がないと思えてしまう。

理性があったら、こんな人間だらけの世界にはならなかったと思います。

【哲学・理性】世界人口73億人時代。

世界で1番理性がないのは人間ではないでしょうか?

どの動物より理性がないから73億という種が存在している。

そう思いませんか?

理性があったら、こんなに人口って増えないと思うんですよ。

どう思いますか?

人間は理性がないのでこれだけ人口が増加した。

違いますか?

"理性がこの世界で1番ないのが人間"と習えば納得出来ますが、

人間は理性があるから世界の覇者になれたと習う今の教育だと何だか納得出来ない。

胸の奥底にそうじゃない...続きを読む

Aベストアンサー

そもそもとして生物の本能を勘違いしています
生物は本来、自分の遺伝子を残そうとする本能を持っています
そのためには同種であろうと、邪魔になる場合は排除(極端には殺害)します
ですが人間には理性があるので、理性が勝っているうちは邪魔だろうと安易には殺害などの行動には移しません
そのために人類は社会を維持する事ができ、社会を構築する事で種全体の安定が図られ、
地上で最も広範囲に広がった大型の生物となっています

もし人類に理性が無ければ、確実に殺し合いになりここまで増える事はできてなかったでしょう

Q真の宗教と真の科学

 
真の宗教は科学に頼らないし、真の科学は宗教に振り回されない。
宗教の正しさを科学によって裏付けようとする宗教は真の宗教ではなく邪教である。
宗教に依存する科学は真の科学ではなくエセ科学である。
宗教と科学はそれぞれ次元の異なる別々の世界だからである。
宗教と科学は融合するものではなく、分離し独自の道を歩むべきである?
 


 

Aベストアンサー

真の宗教は正しさを問われることはない。宗教は世の道、人の道の精神的な面を説くものであり、その教えに共感できない物に対して強制する性質のものではないのだから、証明を必要としない。

真の科学は物理法則以外の何ものにも左右されず、普遍のものである。科学はある系に対して実際に観測される事象の因果関係を証明するものであり、科学的手段を用いていない説明は単なる仮説として扱われるだけである。


従って、真の宗教と真の科学にはその性質において重なり合う部分はなく、人の「欲」だけが両者を繋ぐ鍵となりうる。

Q【人間・理性】人間の理性って何ですか?理性って何ですか?

【人間・理性】人間の理性って何ですか?

理性って何ですか?

Aベストアンサー

色々な意味が定義されていますが、基本的には、
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
などです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/231038/m1u/%E7%90%86%E6%80%A7/
大雑把に言うと、『正しいことを考える能力』といったところではないかと思います。
理性は、生まれた後のしつけ、教育などによって育まれます。
対義語は「本能」で、これは、動物として生まれながらに持っている能力。
本能+理性=人間
という図式が成り立つでしょう。
動物の場合は、高等な類人猿などを除いて、基本的に本能のみで行動する。

Q【哲学】世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界が存在している。自分が死んだ時点で世界が終

【哲学】世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界が存在している。

自分が死んだ時点で世界が終わる。

世界は己自身の中にあり、世界は内と外に存在する。

これらの言葉の解釈を発見した者は死を経験しないだろう

やっと気付いた「自分が世界に存在する」ではなく「世界の正体が自分」な件
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4900063.html

どう思いますか?

Aベストアンサー

自分が死んだ時点で世界が終わる。

この考えだと死を悟った者の中に不届き者がいて、運悪く核兵器のボタンを握っていたとしたら他の皆も運命共同体であの世行き。

それに近い人は過去に居たはずですが、今のところそこまでの愚か者は居ない。死ぬ間際は案外「自分が世界に存在する」に寄って亡くなる方が多いと考えます。


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