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似たような質問の繰り返しで恐縮です。
「真の自分」という言葉は、自分自身の、内的自意識・魂・こころ・人格、それらの概念をすべて含む
ものと考えてください。(どうも「真の自分」をぴたりと言い表せる言葉がないです)
みなさん、自分の「真の自分」を考えたとき、それは理性だと思いますか? 感情だと思いますか?
それとも両者を従える超越者だと思いますか? 「真の自分」は真実在だと思いますか?
それとも物理化学現象が作り出す幻影だと思いますか?

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A 回答 (66件中11~20件)

怒っちゃいませんけど、ね。


oni_ocです。またまた曲解されてるようなので、

>「真っ向から否定する」ような非礼は、質問者の私にはできないことですし、
>また、私の思想が完璧に正しいとも思っていませんので、
ん~、論拠なしに「無意味」と言われる方が「非礼」じゃないすか?
たしかにmori0309さんにとって飲み込めない意見なのならば結果的に
「無意味」なんですけどね。

「断罪」する気はなかったとおっしゃるのであれば、
「《などない思想》《すぎない思想》という言葉」
これは使うべきではないでしょう。
これ、まるで、「なんでもかんでも否定する思想」
って意味にしかとれませんよ。
こういった公開の場で、一般的な認知のされていない、
御自身の考えた造語を無闇に使うのは誤解以外の
何ものも産み出さないと思いますが。

>私はoni_ocさんはじめ、ozapanさんやstomachmanさんから
>「目的などない」「意味などない」「あるのは事実のみだ」ということを
>何度も何度も説かれたような気分になっていました。
いや、実際そうかもしれませんが(笑)
僕は僕のスタンスでしかモノを見れませんから、他のお二方の考えは
わかりかねますけれども、僕の立場と考えだけから言わしてもらえば、
mori0309さんは御自身の想念に重きを置きすぎなのではないかと、
考えております。
(例えば自分の造られた造語を説明もなく使われるところとか(笑)<しつこい>)
なので、僕はNo.85035で前置きしたとおり、
>ここに書くのは哲学とか心理学とかでなく、僕の知覚で得た知識から得た、
>僕なりにねじ曲げられた世界観であることを御承知頂いたうえで。
このスタンスで、ずっと書かせてもらっています。
これをまず、御理解ください。

と、すると、これ、ひっかかりますね、僕の思考回路では。
>■求めるべきものは「事実」ではなくその背後にある「真理」のはずである。これは文学か?
御自分でいわれるとおり、「真理」はあるとすれば、「事実」の背後にあるんでしょう。ならば、ここで僕の疑問

「事実の蓄積を分解、分析することからしか答えは出ないんじゃないの?」

これが導き出されます。とすると、「事実にすぎない」と切り捨てる
もしくは、下に見るのはちょっとおかしい。
事実は、「真理」の部品であり、それぞれ独立では存在しないんじゃないすかね?
で、例え話。
もし、「真理」だけを知っていて、「事実」や「物質」を持たない神がいたとして、(しつこいようですが、僕は無神論者です)「真理」から、「元素」を作れるか??

いや~無理でしょ。
mori0309さんが「事実にすぎない」といい、「真理」の下に「事実」を置くなら、僕は「真理にすぎない」といい、「事実」の下にある答えに過ぎんと言っても構わないのです。

問いなきところに答えはない。
問いだけがあって、答えがないことはままあるのですが、
答えだけがあって、問いがないことはないのでは?

と、すれば、 mori0309さんの「人生」という「事実」から発せられたであろう、「問い」はもちろん「事実」と密接に結びつきあっているのですから、「事実」をおざなりに下なかに「答え=真理」はありません。
ここに上下はありません。つまり「事実」を無視した「真理」などありうるべくもないので、「事実にすぎない思想(造語)」は「想念」または「妄想」に過ぎなくなるのではないですか?


>■哲学が真に問うべき問題は「自分(mori0309)とは何か」「自分(mori0309)はなぜここ にいるか」「自分(mori0309)はいかに生くべきか」ではないだろうか。

まー、そうですけど、「自分(mori0309)」とまで、限定するのはどーなんですか?これ、マズイですよ。「自分」でいいでしょう。だって、mori0309さんひとりのための学問でもあるまいし。ある程度の普遍性がなけりゃ、学問として成立しないでしょ。
そういう意味において、僕は「普遍を投げ捨てれば不毛になる」というようなことを書いたわけですが。


>oni_ocさんのこのような考察は、たぶん正しいのでしょう。事実なのでしょう。でも哲学
>は事実を究明する学問ではなく、事実の背後にある意味や価値を問う学問なのではないで
>しょうか。oni_ocさんの考察は身も蓋もないのです。(ご気分を害されたらごめんなさい)

えらい曲解ですね。こりゃまた。
ちゃんとmori0309さんの引用されてる部分の最後で僕は
> でも、だからこそ人間は「いいことしたい」んではないでしょうか?
って肯定してるんですけど。人間が社会を形成する上において、不可欠な要素であるってことなんですけどね。もちろん単純に肯定はしてないこともみとめますけど。

>このような話を聞いた人(特に若い人)はどう感じるでしょうか。「そうか良心なんか
>ないんだ。”立派に生きる”なんて無意味なんだ。自分の好きなように生きて、好きなよう
>に生活を楽しめば、それでいいんだ」と思いこんでしまうのではないでしょうか。

そうですか??
これって、「胃袋はごはんを消化する器官です」って聞いた人が、
「ああ、そうなんだ、じゃ、今僕の胃が痛いのはストレスじゃなくって、
食べ過ぎのせいなんだ」って誤解するって言ってるのと同レベルじゃないですか?
僕は仕組みと成り立ちを説いたに過ぎません。<これが『すぎない思想』?
それによって生じる誤解まで僕は背負うことになるのでしょうか?
だとしたら、学校の先生なんてのは大罪人だな(笑)<opazanさんスイマセン


>ですが、神という言葉を捨ててしまうことで、同時に、人間の体の中か、
>心の中か、どこかは分かりませんが、きっとあるはずの「善きもの」まで、
>すっかり 投げ捨ててしまう。それまでも「無い」と思ってしまう。それに
>よって本当に「善い」 ところのない人間になってしまう。

これまた、曲解。別に僕は、
>きっとあるはずの「善きもの」まで、すっかり 投げ捨ててしまう。
なんてことはしてません。ただ、なにもかも、どっか遠くにいるエライ人(神?)
が、お造りになって、全てを握っているっていう、宗教及び神に対する
考え方に「?」と思うといっているだけで、別に投げ捨てる気はありませんよ。
ただ、事実の連鎖のなかで、己のなすべきことをきっちりなそうというのが信念ですから。
なので、神に与えられた「自由」なんていらないのです。
もともと「自由」なんですから。


>●悲しいかな「好きなように生きて、好きなように楽しむ」のが、なんで悪いの?
>という質問が、子供だけでなく大人からも平気で出てくる御時世になりました、、、、、

そういう輩と一緒にしてます?
ひょっとして?
僕は、そういう輩は「自分」の周りに圧倒的多数の「他者」がいて、
その存在は「自分」より大きいと認識できない、またはそれらとの
関係性を保てない人間の発想だと思いますが。


>●オカルト的ですみません。「真の自分」を議論の俎上にあげることの困難性を感じて
>います。と言うのは「真の自分」が100%分かってしまったら、ではその「分かった自分」
>は何なのかという点が一点。それと「真の自分」は人間くさい質問など投げかけてくるような
>存在ではないと感じられるのが一点、です。

なんども言うようですが、どれか一つって発想がいけないんじゃないんですか?
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>> stomachmanはまぎれもないエピキュリアンなんじゃないかと思えてきますねえ。


> それでよいんじゃないでしょうか。快楽だってほんものを求めたら、これはやっぱりむずかしいでしょうから。

えーと、stomachmanがスケベであることは認めますけど....
「エピクロス=快楽至上」ってのはちょっと違う。元来デモクリトスの原子論から来てるもので、物質を離れた精神(霊?)、のようなものを認めず、万物は原子の離散集合の過程である、という考え方から展開される還元論的な思想です。今見ると笑っちゃうような素朴なものですが、意外にポイントを突いていたりして、感心してしまう面も多々あります。
 で、善行・利他的行動なども合理的な説明を求めた結果が「自分が気持ちよくなるため」ということに帰着する。これを「ひたすら快楽を求めるのが人生じゃあ」ってのは、微妙にずれてます。
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 補足拝見しました。

んー、あんまり「反論」とは感じなかった…なぜだろう?
 最初の黒丸から四番目の黒丸までの部分、「自分の本質は自分で創る」という僕のこれまでの意見に照らして、それほど距離はないように思います。特に最初の黒丸のところで、「抽象の罠」を回避しようとされているところとか。
 ただ、《などない思想》《すぎない思想》に関しては、oni_ocさんも言われるように、正しくないとお考えなら、しかるべく論拠を提示した上で反論されるべきでしょう。「宇宙に目的はない」「進化は進歩ではない」などについて、僕はそれなりに根拠を示しながら論じてきたつもりです。人間の歴史にも、生物の歴史にも、それから宇宙の歴史にも、「上位のもの」「普遍的なもの」につながる一本の線は引けない。現実はいたるところ「微分不能」であるような「非線形」で、いたるところに「不連続」があり、それは一本の線を引くことによって見えなくなる。しかしその「不連続」をこそ、見なければならず、また尊重しなければならない。…それが僕の考えです。

 そろそろいったん幕引きという感じですが、有意義だったと思います。哲学って「これは何?」という問いに対して「これですよ」と答えを返せば済む世界じゃない。レポートや試験の対策で質問を寄せる人たちにとっては、解答欄を埋める答えだけが大事なんだろうけれど、本当に大事なのは問い詰め、論じ合い、思索する「過程」なのでしょう。そのためには「教えてgoo」ではやってはいけないとされている(らしい)「議論」は必要です。(考えようによってはこのWebに「哲学」カテゴリーは不向きなのかもしれません。)
 さて、でも、まだ終わったわけではありません。続きは「本能ルーム」でやりましょう。「進化」の話が出てきたところで、「本能」という切り口に繋がってくる…ほんと、mori0309さんは質問するの上手だなぁ。
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この回答へのお礼

ozapanさん、いつもありがとうございます。
「宇宙に目的はない」ということと「「非線形」で「不連続」である」という
ことは、同じことではないでしょうか。そして、私の「宇宙はより大いなる自由を
生み出す性質を持っている」ということとも、同じだと思うのですが、どうでしょう。
言葉遊びになっちゃいますか?
oni_ocさんにお返事を書かせていただきました。お読みいただければ幸いです。

お礼日時:2001/02/07 02:04

だいぶ下のほーの、ozapanさんの神学。

(おっと、先ず覆面。)
 やー。stomachmanのドライモードの考えと概ね一致しています。スピノザの神。梵天。この神にとって、ヒトのイトナミなど、床下に転がってる石ころに生えてるカビみたいなもの。それに目的があるとは思いもしないし、それどころがそもそも気が付いてない。何の気無しに床下掃除をしてあっさり地球は消滅してしまう、というような干渉は57億年以内にないとも限りませんが。こうなると「銀河ヒッチハイカーガイド」でも楽天的に過ぎます。んな訳で、stomachmanの「神」は在るなら自分の内部にある。もちろん不完全もいいとこです。みんな個々にその中途半端な「真実在」を抱えている。
 自分が何も残さないでいずれ消滅する。やですね。でも、控えめに見ても300億人中300億人ぐらいはそれだけです。名前まで1000年残ってるのは1000人ぐらいじゃないでしょうか。年に一人出るかでないかですヨ。stomachman自身は死後30年ぐらいは何らかの意味で世の中にポジティブな影響を残したい(借金じゃなくて)、などと慎ましやかかつ大胆な希望を内緒で持っておりますが、どうすりゃいいのかさっぱり分かりません。やっぱり出来ることと言えばドーブツとしてDNAをリレーしていくだけなのかなあ。優秀なヒトで子供を持たないヒトが多いのは、忙しいだけじゃなくて、誰でもやるようなDNAリレーより面白いことをやっちゃったからかも知れません。(「ゲートウエイ」第一部の壮絶な冒険みないなの。この本、第二部以下はゴミですが)。それも出来ないけどやっぱりやだ、と思う方はこの世でない世界に夢を託すんでしょう。宗教の出番です。分からんことはオマカセ。
 しかしとりあえず、この世界について知らないことだらけである。自分の右足と左耳の区別もつかないような貧相な見識で、ソモサン人生とは、なんて言ってみても始まらないんじゃねんだろか。昔の哲学者の言ってることはやっぱり寝言みたいだし現代の哲学者は絶滅危惧種らしい。それよりは分かりやすい所からちょっとずつでもお勉強しなくちゃアカンのではないか。stomachman自分で言うのも何だが斯様に謙虚な態度を取っているんでありますが、mori0309さんにはじれったくてやってられないかな?

 んー。こう書いてみると、stomachmanはまぎれもないエピキュリアンなんじゃないかと思えてきますねえ。
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この回答へのお礼

stomachmanさん、ありがとうございます。
> stomachmanの「神」は在るなら自分の内部にある。もちろん不完全もいいとこです。
> みんな個々にその中途半端な「真実在」を抱えている。
mori0309もそうなのです。(って同感するトコロじゃないですか?)
> stomachmanはまぎれもないエピキュリアンなんじゃないかと思えてきますねえ。
それでよいんじゃないでしょうか。快楽だってほんものを求めたら、これはやっぱり
むずかしいでしょうから。
すみません。stomachmanさんの軽妙自在の文章にたちうちできませんで、、、

お礼日時:2001/02/07 02:13

『などない思想』『すぎない思想』といってしまうことで、『なぜ?orなんなのか?』の疑問をかたずけてしまうことが、不毛だといってられるきがします。

そんなに単純明解に『なぜ?orなんなのか?』を語ってしまってよいのかという素朴な疑問『?』が、『不毛』という言葉になったのではないでしょうか?oni_ocさんが憤慨されているのは、下の文面からうかがえました。言葉ってホント難しいですoni_ocさん怒らないで、あなたがここにいままで書き綴ってきたのもちゃんと読んでいますよ、mori0309さんはみなさんから寄せられるお考えを真にうけとめられていますよ。彼の回答を読んでいると次第に考え方がひろがってきているのが読んでてよく伝わってきます。oni_ocさん、mori0309さんが>『正しいけど意味がないような気がするのです。(間違っていたらごめんなさい)』と、いっているならば、意味がないことはないという切り口で、あなたなりのこのテ-マに更に突っ込んで書いてもらえませんか?そうすることで、また違った考えが生れるかもしれない。お願いです。怒らないで下さい。ここのみなさんの論議すごく考えさせられることたくさんあります。決して、ここの論議無駄じゃないと思います。文字だけのやりとりです、言葉の行き違いで終わりにしてしまうのは残念です。
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この回答へのお礼

littlekissさん、いつもありがとうございます。
oni_ocさんにお返事を書かせていただきました。お読みいただければ幸いです。

お礼日時:2001/02/07 01:58

>私は《などない思想》や《すぎない思想》は不毛に思えてしょうがないのです。


>oni_ocさんのご回答は、私には
>「名画はなぜ美しいの?」「それは絵の具の組み合わせによるただの視覚的快感です」
>「名曲はなぜ素晴らしいの?」「それは空気振動によるただの聴覚的快感です」
>のように聞こえてしまいます。
>正しいけど意味がないような気がするのです。(違っていたら、ごめんなさい)

な~んか、えらい曲解ですねぇ。
僕は、僕なりに、今まで僕の見知った体験や知識を総合して、
目の前にある事実を分解して見せているだけのことですよ。
ないものをないというのが不毛ならば、麻薬中毒患者の幻覚も事実としなければなりません。

しかも、『などない思想』『すぎない思想』ってなんです?
どうやら、僕の意見がお気に召してないということはわかりますが、
人を批判するのなら、『気がするのです』で終わるような文章でなく、
はっきりと、『意味がない』理由を論じてください。

あなたが、自分の気に入らない発想や意見を排除しようとしているのなら、
『気がするのです』でいいんでしょうが。

そして、それがあなたの内的自我意識とやらの発露なんですか?
だとすれば、自分のした質問に回答している人間に理由も論じず、意見を
『などない思想』『すぎない思想』として『不毛』とし、
『意味がないような気がします』で、曖昧に断罪するあなたの内的自我意識っていうのは、
『良心』でなく『感情』に支配されている『ような気がします』

受け入れにくいと思うだけで、断罪するのは、
オカルトもしくは疑似科学の分野のことであって、
科学もしくは思想の1ジャンルたる哲学で語るべき方法論ではありません。

否定したいのなら、曖昧にでなく、真っ向から否定してください。
それが、哲学って奴だと思いますが。

そして、『普遍』を途中で投げ捨てるのなら、
この議論は「まっ、十人十色ってことで」という完結を見ることになり、
あなたの疑問は完全なあなたの内的世界の話でしか有り得なくなります。
となればこの議論に出た意見の全てが『不毛』となるでしょう。

なぜなら、あなたの内的世界だけで完結する話であれば、
あなたにしかわからない話になり、誰にも関係なく、
そしてどんな破天荒な存在を抱えていても誰にも関与のしようがなく、
答えはあなただけのもであり、他の誰も知らないものであるからです。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、お返事が遅れてすみませんでした。
私の勝手な造語である《などない思想》《すぎない思想》という言葉を、説明もなしに使って
しまったため、oni_ocさんに不快感を、お与えしたこと、謝ります。
ただ「不毛」という言葉はozapanさんやstomachmanさんのご回答に対するお礼や補足のなか
でも使わせていただいた言葉で、決してoni_ocさんのご回答を「排除」や「断罪」しよう
などと思ったわけでは、まったくありませんので、これだけは、どうかご理解いただきたいと
思います。それから「真っ向から否定する」ような非礼は、質問者の私にはできないことで
すし、また、私の思想が完璧に正しいとも思っていませんので、それが結果的にはoni_ocさん
が曖昧とお感じになるようなお礼を書いてしまうことになってしまいました。これも、どうか
ご容赦いただきたいと思います。
●《などない思想》《すぎない思想》という言葉は、以前から私が使っていた言葉ではなく
このQ/A欄で回答者の皆様にお礼や補足を書いているうちに、自然に私の口から(ではなく
指先から)出てきた言葉です。私はoni_ocさんはじめ、ozapanさんやstomachmanさんから
「目的などない」「意味などない」「あるのは事実のみだ」ということを何度も何度も説か
れたような気分になっていました。だから私はozapanさんへの補足のなかで、自分の考えを
次のように、率直に述べさせていただきました。
■哲学が真に問うべき問題は「自分(mori0309)とは何か」「自分(mori0309)はなぜここ
にいるか」「自分(mori0309)はいかに生くべきか」ではないだろうか。
■抽象的に「《人間》とは何か」「《人間》はいかに生くべきか」を問うても、「正しい
だけで何の役にも立たない結論」しか得られないのではないか。
■求めるべきものは「事実」ではなくその背後にある「真理」のはずである。これは文学か?
哲学そのものなのではないか?
●> 人は、自分がいいことをしていると思い込みたがる生き物です。
> そして、宗教はアヘンです。当然神も、宇宙意識もアヘンです。
> そのことを思うと脳内麻薬の分泌が活発になるとも言います。
> その脳内麻薬の陶酔感が、そのおのおのとの一体感の正体です。
> そして、こんな幸せな、こんな美しい自分が理想の自分であり、
> 真なる自分であると錯覚します。
> 「いいことしたい(良心)」ってのは「ぎぶ・あんど・ていく」な発想なわけです
> 何も美しいことだけではないんですね、これ。裏にはいろいろ本能も渦巻いちゃっている
> 可能性も否定できません。
> 善なる行為すら、種の保存の法則に依っているかもしれない。
> そして、取り引きの材料としようとしているのかもしれない。
> でも、だからこそ人間は「いいことしたい」んではないでしょうか?
oni_ocさんのこのような考察は、たぶん正しいのでしょう。事実なのでしょう。でも哲学
は事実を究明する学問ではなく、事実の背後にある意味や価値を問う学問なのではないで
しょうか。oni_ocさんの考察は身も蓋もないのです。(ご気分を害されたらごめんなさい)
このような話を聞いた人(特に若い人)はどう感じるでしょうか。「そうか良心なんか
ないんだ。”立派に生きる”なんて無意味なんだ。自分の好きなように生きて、好きなよう
に生活を楽しめば、それでいいんだ」と思いこんでしまうのではないでしょうか。
●「○○などない」「○○など○○にすぎない」という言葉で表される思想は、人を、厭世
的にさせ、無為にさせ、無責任にさせる。人のこころを砂漠化する。そう感じるので、私は
それを《などない思想》《すぎない思想》と呼び、「不毛だと思う」とさせていただいたの
でした。
 「安直に神を連想させるものを語るのは、争いや災いとなります」とoni_ocさんはおっ
しゃいますが、oni_ocさんの思想もまた、人の心を荒廃させる危険性をもっているのでは
ないでしょうか。神という思想が人々の思考の自由を奪い、争いすら起こさせる危険物で
あることは認めます。ですが、神という言葉を捨ててしまうことで、同時に、人間の体の
中か、心の中か、どこかは分かりませんが、きっとあるはずの「善きもの」まで、すっかり
投げ捨ててしまう。それまでも「無い」と思ってしまう。それによって本当に「善い」
ところのない人間になってしまう。これはたいへん恐ろしいことだと思うのです。
●悲しいかな「好きなように生きて、好きなように楽しむ」のが、なんで悪いの?
という質問が、子供だけでなく大人からも平気で出てくる御時世になりました、、、、、

おっと、大慌てで訂正します。私はクソマジメな道徳ガンコオヤジではありません。
人前で倫理道徳などを説く輩は、毒舌を浴びせられて当然と思っています。人前でキレイ
事を言うなんて、とてもハズカシくてできません。ここは覆面サロンなので、ちょっとだけ
青臭いことを言わせていただいているだけです。「言論による世直し」など絶対にやっては
いけないことと、固く信じておりマス。(脱線しました)
●「善きもの」を感じるのは「脳内麻薬の陶酔感」のせいだとしても、それは「事実」で
あり「意味」でも「価値」でもないです。脳が「善い」と感じる「事実」に「意味」や「価値」
を自ら見出さなければならないのだと思います。それこそ「生きる意味の創造」であり、
人間が真に自由であることの証であると思います。
●oni_ocさんは
> この議論は「まっ、十人十色ってことで」という完結を見ることになり、
> あなたの疑問は完全なあなたの内的世界の話でしか有り得なくなります。
と指摘されていますが、十人が一色になることはありえないし、なってはいけないと思い
ます。私はできるだけたくさんの方に「自分」というものをどう考えているか、お話を
聞きたかったのです。哲学論議に「完結」はありえないと思っています。
●性善説と性悪説(このカテゴリでも質問が出ていましたが)、唯心論と唯物論。両者の
論争時代は、はるか昔のこととなり、いまでは両方とも否定されて、性”無”説と
唯”事実”論がはばをきかせているような感がします。物質だって内実はスカスカであり
空間の小さな小さなしわの集積体みたいなものですよね。だから現代思想においては、科学
法則や科学理論のみが真に存在する「事実」とみなされているように思います。ですが、
私はmori0309という「自分」が科学法則によって決定論的に存在させられて、決定論的に
生きているものとは、全然、思えないのです。もっと他に「真実在」があるのではないかと
思ってしまいます。「自分」というものは、本当に、いくら考えても、いくら考えても、
不思議な存在です。私のすべての問いは自分を不思議に思うことから発しています。
しかし、また、「それは「真の自分」が発している問いなのか」と言うと、どうもそうでは
ないのです。(と感じられるのです)
●オカルト的ですみません。「真の自分」を議論の俎上にあげることの困難性を感じて
います。と言うのは「真の自分」が100%分かってしまったら、ではその「分かった自分」
は何なのかという点が一点。それと「真の自分」は人間くさい質問など投げかけてくるような
存在ではないと感じられるのが一点、です。
●なんだか文章の締めくくりができなくなってきました。このへんで、いったん失礼します。

お礼日時:2001/02/07 01:56

No.101693の以下の文章に付け足し。



>医学が進んでいなかった太古の昔には
>病気になった人を悪魔つきの様に
>今、考えてみれば「そんなことで、病気が治るはずがない」
>と思われるかもしれませんが、そんなことはないんですねぇ。これが。
>御存じの方もいるかもしれませんが、人間の体は、
>「プラシーボ効果」ってやつで、病気が治るケースがあるんですね。
>(「プラシーボ効果」:『これはAという病気を治す特効薬ですよ』
>などといいながら、患者にただの小麦粉のカタマリを投薬する。
>そうすると、患者の20%前後はその暗示で、実際に治ってしまう。
>だから、インチキ健康法に必ずといっていいほど、
>『私はこの健康法に命を救われました!』なんて人がいるのは
>奇跡でもなんでもない。もちろん「プラシーボ効果」は実際に医学的に
>実証されている。医療の現場でも投薬量を少なくするためのテクニック
>として用いられたりもしている。)
>
>で、結構この「プラシーボ効果」ただもんじゃない。
>太古の昔に、神や、その使いとされている人々のおこしたと言われている
>奇跡にも多数のプラシーボ効果が含まれていたのではないかと思われます。

以下追加

まさしく、「信じるものは救われる」です。
これ、でもどのような作用かまだ、はっきりしてないんですよね。
体内の自己治癒能力と関係してることは確かですが、
ただ、一つ言えることは「治る」と思って治ったのは
「治す」と思って治すのとは意味合いが違いますね。ってことです。
つまり、「意志」でなく「誤解」または「暗示」「勘違い」が治してるって
ことなわけで、これは「意志の力」ではありません。
誤解のないように。

ま、「勘違い」にしろなんにしろ、病気が治るのはいいことですが(笑)


で、以降本文に戻る。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、ありがとうございます。
私は《などない思想》や《すぎない思想》は不毛に思えてしょうがないのです。
oni_ocさんのご回答は、私には
「名画はなぜ美しいの?」「それは絵の具の組み合わせによるただの視覚的快感です」
「名曲はなぜ素晴らしいの?」「それは空気振動によるただの聴覚的快感です」
のように聞こえてしまいます。
正しいけど意味がないような気がするのです。(違っていたら、ごめんなさい)
ozapanさんの回答への補足も、お読みいただければ幸いです。

お礼日時:2001/02/03 03:46

>人は、自分がいいことをしていると思い込みたがる生き物です。


>そして、宗教はアヘンです。当然神も、宇宙意識もアヘンです。
>そのことを思うと脳内麻薬の分泌が活発になるとも言います。
>その脳内麻薬の陶酔感が、そのおのおのとの一体感の正体です。
>そして、こんな幸せな、こんな美しい自分が理想の自分であり、
>真なる自分であると錯覚します。
>そして、それを信じると、こんないいことがあるんだよ~~、
>と誰かに伝えたくなります。いいことしたいから。

ってなことを書いといて、ナゼ「いいことしたい」のか
を書かないのはおかしいですね。補足です。
一言で言うと、mori0309さん言うところの「良心」ですね。
ではでは、「良心」たぁ、なんだ?となるわけですが。
人の持つ良き心 <ってそのままやんけ
ではでは、なぜそう言った良き心を持ち合わせているのか、
考えてみましょう。

人間ってのは哺乳類ですな <言うまでもない。
で、哺乳類の特徴は?
哺乳すること <当たり前
では、哺乳は何をもたらすか?

親にとっては、育児という義務。
子にとっては、育児される束縛。

これは、生まれてすぐに、とりあえずは一人でも生きていけるような体裁
をもつ動物との大きな違いですね。

で、ここになお、人間なんざぁ、胎内に10月10日もいるとか、
生まれた後、ろくすっぽ身動きもできないとか、
なんていう保護せざるを得ないっていう条件が有り余ってます。
で、なおかつ、たいがいの人は赤ちゃんを「かわいい」と思います。

つまるところ、生物として、(一人立ちが遅いという点において)未成熟?
だからこそ、社会という保護し、保護される関係を必要とします。
で、このような、保護せざるを得ない幼生を抱えた生物である
人間は、必然として、保護に専従する人間を必要とします。
これが、一般的にいう母親。

で、それをさらに外敵から守りつつ、食料を得なければ、
子供は死んでしまいます。
ここで、父親登場。

というようなわけで、人間は種の保存の為に、
家族という単位で行動するようになったと説明できます。
で、父と母の間、母と子の間、父と子の間には様々な不可欠な結びつき
が存在し、この単位の結束を深めて行きます。
このへんが家族の紀元。

で、このあたりに、当然として、「いいことしたい(良心)」の源泉があります。
要するに種の保存のために不可欠な要素として、「いいことしたい(良心)」
は組み込まれている可能性がヒジョーに高い。

で、ここまでの流れをまとめますと「いいことしたい(良心)」ってのは
「ぎぶ・あんど・ていく」な発想なわけですな。

何も美しいことだけではないんですね、これ。
裏にはいろいろ本能も渦巻いちゃっている可能性も否定できません。

たとえば、誰でも経験しているであろう、こんな事例。

恋人、友人もしくは家族の誰かが何かの理由で非常に困っていました。
で、あなたは、その人を助けたいと思い、いろいろ手を尽くして、
その悩みを解くようしてあげました。
あなたは、非常に感謝され、深く礼をされました。
で、あなたは、
「そんなこと気にすんなよ、俺とお前の仲じゃないか」
てなことをいいました。実際、その人の為に苦労することは、
そのときのあなたにとって、ぜんぜん苦労とは思えませんでしたし。
あるとき、その人があなたに恩を仇で返すようなことをしました。
あなたは烈火のごとく怒り猛って、
「お前には、あんなことや、こんなこと、それにああいうことまでしてあげたのにぃぃ~~」などと言いました。


さてさて、思い当たる節はありましたか?
人は善なる行為をのちのち、取り引き材料にしてしまうくらいに
愚かでもあります。

おかしいですね~、そのときは苦とも思わなかったはずなのに。
取り引きに使うときは、さも苦労したように言ってしまう。
愚かで、御都合主義このうえない。

しかし、ま、その善なる行為自体は責められないんですがね。
でも、その善なる行為すら、種の保存の法則に依っているかもしれない。
そして、取り引きの材料としようとしているのかもしれない。
でも、だからこそ人間は「いいことしたい」んではないでしょうか?

以上、なが~~い補足でした。
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 泊まりの仕事に出ておりまして、ご返事が遅れました。



 「歴史に進化などない」「宇宙に目的などない」ということが、人間にとって、また僕にとって、どのような意味を持つか、でしたね。
 端的に答えてしまうと「意味は無い」となるでしょう。人間にとっても、僕にとっても。
 というのは、もともと、「歴史を通じて人間は進化している」「宇宙には目的がある」という見解自体に意味が無かったからです。気に障ったらごめんなさい。でも、そうなんです。「人間は《普遍》に近づいてなどいない」「宇宙に目的などない」ということは「事実である」と申し上げていいと思っています。だから、その事実が何らの変更をも被っていない以上、特に意味は無い。

 そのこと自体が持つ意味は、特にない。…でも、だから何も語れないというわけではありません。「目的」について、考えてみましょう。(ここから下はtabioさんのご発言についてのレスも兼ねます。)
 「目的」は、「手段」との相関関係を軸に論じられるのが西洋思想史での伝統ですが、ここでは少しちがう切り口で考えましょう。「目的=目指されるもの」ということで。
 目指されるもの、です。ということは「目指すもの」があるはずです。「目指すもの」にとって「目的」とは何でしょう。
 「価値あるもの」であることはまず確かでしょう。では、その「価値」はどこから生じたのでしょうか。「目的」それ自体が「われこそ価値ある者なり」と宣言した? …ということではないでしょうね。むしろ「目指すもの」が「価値あるものと判断した」ということでしょう。目的の価値は、実は「目指すもの」から生まれている。
 ここから、次のことが言えると思います。すなわち、あるものについてその「目的」が問題となる場合、そこには対になる「目指すもの」の存在が前提され、しかもこの「目指すもの」は、少なくとも感覚を持ち、快と不快の判断が可能であり、快を志向する意志を持つ存在である。ということです。つまり、人間を含む動物という「目指すもの」が存在して初めて「目的」は云々できる。
 さて、リンゴは何故落ちたのでしょうか。ニュートンに万有引力の法則を発見させるため? …でも、それがすでに発見され、その目的が果たされた現在でも、世界のどこかのうっかり奥さんの掌からリンゴは落ちつづけています。何のために?
 その答えはありません。単なる物理現象・自然現象です。目的など、ありはしない。同様に、素粒子も何か目的があって陽子を作っているわけではない。水素からヘリウムに変化する過程も、恒星内部での核融合反応のせいであって、それ自体に目的があるわけではない。(「お星様を光らせよう!」「うん! そうしよう!」と言って、水素くんたちがおしくらまんじゅうを始めたりとか…微笑ましい光景ではありますが、擬人法的表現の域を出ません。でも、めっちゃかわいいぞ>水素くんたち)
 生命の発生も同じことでしょう。自然界の随所に見られる「自己組織化」という現象。これがある時たまたま、自己複製可能な物質塊を生み出した。そこから、増大しつづけるエントロピーへの儚い抵抗としての「生命」が始まった。…「意志」などの介在を考えるまでもなく、自然現象として説明できることです。
 生物の進化も同じです。目的などない。「人間を生み出すため」などという目的をでっち上げるのは、まさしく人間中心主義的傲慢以外の何物でもない。生物たちは環境に適応して生き延び、あるいは適応できずに死滅してきただけです。そこに「進歩」などありはしない。

 さてそれで、「進化も目的もないとすれば、人間は自由に意味や価値を創造していけるということになるのではないか?」というご質問についてです。
 これについては、すでに申し上げた答えを繰り返すことになります。
「自分自身の《本質》は、自分自身で作るのだ」
ということです。
 これも、ただ単に繰り返すだけではなんですので、少し切り口を変えて述べましょう。
 ある出来事に意味があるかないか、このことは「時間」をどう捉えるかによって変わってきます。「時間」です。これの捉え方には、大雑把に言って三通りほどあります。
  一、始まりも終わりもない、無限直線でイメージされる時間
  二、円環状に閉じた、無限に循環する時間
  三、始まりと終わりをもつ、有限直線でイメージされる時間
 その時間の中において、出来事に「意味」が生じるのは…「三」だけです。「一」では、一つの出来事の「意味」は、無限に引き伸ばされる時間の中で無限小に希釈されます。「二」では、まったく同じことが繰り返されるわけですから、新たなものは何も生まれず、また何も減ずることがありません。「三」の場合のみ、「終末」へ向けた諸々の出来事の「原因」や「結果」として、一つの出来事が不可欠の「段階」を形成する。「意味」を持つわけです。「終末」に照らして、「意味」を持つのです。言い換えれば、「目的」に照らして、「意味」を持つのです。
 「三」のような時間の捉えかたは、キリスト教に代表されるものです。「最後の審判」ですね(ホントは2000年前に終わってなきゃいけなかったんですけど…)。でも、僕は先ほど「宇宙に目的などない」と言いました。ということは、科学的に考えて説得力のある時間の捉えかたは「一」ということになります。すると…どうなります?
 そうです。「わたし」や「あなた」の生は、無限小に希釈されます。「無意味」です。「わたし」や「あなた」の生の意味など、宇宙を貫く時間に比べればビフィズス菌のおならよりも空しい。
 でも、幸いなことに(「幸いなことに」です)、僕たちは始まりと終わりとで区切られた時間を与えられています。この始まりと終わりは、母親と死神によって与えられる崇高な贈り物です。この時間の中で、僕たちは無意味な世界に投げ出されており、しかし同時に、いずれ終わる未来へ向けて自分自身を投げつけていくことができます。他者との関わりから自身の意味をつかみ取り、この自身の意味を他者に投げ返していく。そういう営みができます。「意味」は作っていくことができるのです。

 この場所でこういう対話をしていること自体、その証明でしょう。

この回答への補足

ozapanさん、いつも、ていねいで分かりやすい回答、本当にありがとうございます。
前回は、私が宇宙を擬人化して「意志がある」などと言ったり、宇宙観と世界観と人生
観をごちゃまぜにしたような幼稚な文章を展開したため、ozapanさんが少しひいてしまった
かな、と感じました。また同じようなことを書きますけど、お許しください。

> 「わたし」や「あなた」の生の意味など、宇宙を貫く時間に比べればビフィズス菌の
> おならよりも空しい。
これってozapanさんがいつも批判している感傷的な価値判断じゃありません?
> 母親と死神によって与えられる崇高な贈り物です
「死神」「崇高」だなんて、、、揚げ足とられちゃいますよぉ~(軽口たたいてすみません)

★以下、断定的な口調で書きますけど気になさらないでください。ozapanさんに反論する
わけではないです。ozapanさんや他のみなさんに、これまでいただいた回答を自分なりに
理解して書いてみた、自分へのさらなる問いの文章です。
●アメリカという国に《アメリカ人》というアメリカ人がいないように、この世には《人間》
という人間はいない。《人生》という人生もなく《目的》という目的もない。だから《人間》
の《人生》の《目的》などあるわけがない。
 だがしかし《人間》ではないmori0309は、日々を「mori0309の人生の目的」無しで生きて
いくことはできない。自分を「ただ本能やegoに突き動かされて生きているだけのもの」だと
か「適応法則によって坂道を転がり続ける石ころ」だとか、そんなふうに自分を断じて生きて
いけようはずもない。 これは文学か? 哲学そのものなのではないか?
●「生きる」とは「自分の自由を信じる」ということだと思う。mori0309は、あらゆるもの
から自由でありたい。《人間》が作って《人間》にあてはめようとする《思想》《法則》
《法律》《制度》《歴史》《時代》《教義》《自分(ego)》それらのもの、すべてから自由
でありたい。もちろん《などない思想》からも《すぎない思想》からも。
 思考を停止させられ、マンネリロボット・教義奴隷・口真似オウムと化されてしまうことは
死を意味する。私はつねに「生きて」いたい。「真の私」を失いたくない。
●哲学が真に問うべき問題は「自分(mori0309)とは何か」「自分(mori0309)はなぜここ
にいるか」「自分(mori0309)はいかに生くべきか」ではないだろうか。抽象的に「《人間》
とは何か」「《人間》はいかに生くべきか」を問うても、「正しいだけで何の役にも立たない
結論」しか得られないのではないか。求めるべきものは「事実」ではなくその背後にある
「真理」のはずである。(《真理》ではなく) そんなものは無いと論者諸氏は言うだろうか。
 再び問う。 これは文学か? 哲学そのものなのではないか?
●mori0309には「mori0309の人生の目的」は与えられていない。自分で創るしかない。その
とおりだと思う。それを求め続けること、それを日々新たに問いなおすことが、すなわち
「生きる」ということそのものなのだと思う。そしてこの世には無数の違うmori0309がいる。
その互いの問いの投げかけあいが「社会」「時代」「歴史」「宇宙」を創る。まさしく
「実体は偶有性の総体」なのだと思う。「宇宙」からは、なにものをも除外することはでき
ない。
「全部まとめて宇宙やんけ。ちゃうか?」(pzapanさんの別室での言)
●私には私を生み出した宇宙を、自分とは隔絶したものとは思えない。宇宙の「真理」と
mori0309の「真理」がまったく無関係であるはずがない。これはオカルト思想だろうか。
 宇宙の「目的」という言葉がダメだというのなら「性質」という言葉に代えよう。宇宙
には「より上位の自由を生み出す性質がある」と言えないだろうか。上位という言葉も尊大
だと言うのなら「より複雑で寛容な」とでも言おう。mori0309が宇宙性質の顕現体であると
いう表現は、詩にすぎないのだろうか。
 自然はあらゆる場面でマンネリを嫌う。大自然の恐ろしいほどの多様性とダイナミズム、
留まるところを知らぬ上位への自己組織化。私には、宇宙全体で大交響曲が鳴っていると
思えてならない。

★なんだか、やっぱり反論になってしまいましたね。ごめんなさい。そしてまたしても
ひとりよがりな、エッセーもどき。普遍性などまったくないです。なくていいです。
★ozapanさんはじめ、たくさんの方に熱のこもった回答をいただき、本当に感謝いたして
おります。こんなに知的興奮を感じることは久しくありませんでした。いくつもの偶然に
導かれて、この質問を出すことができて、本当によかったです。勉強になりました。
(やっぱりmori0309は偶然に突き動かされている石ころ?)
補足やお礼の場をお借りして持論をまくしたててしまったこと、みなさまにお詫びします。
私の平素考えていたことは、たぶんもう出尽くしました。さらに追加や補足のご回答をいた
だけることを期待して、あとすこし閉じずにおこうと思います。
★みなさん、ありがとうございました。

補足日時:2001/02/03 03:34
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この回答へのお礼

ozapanさん、ありがとうございます。またすこし時間をください。(これバッカリ)

お礼日時:2001/02/01 01:00

おおお。

既に話は形而上学の世界へ....

●mori0309さんの精神衛生がマジに心配になってます。

共産主義は典型的宗教であると思っているstomachmanでした。
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この回答へのお礼

stomachmanさん、ありがとうございます。
> mori0309さんの精神衛生がマジに心配になってます。
大丈夫! わたしゃはっきょうしてませんってばってばってばあぁぁぁわ、、、
ウチはどこ?

お礼日時:2001/02/01 00:59

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