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最近思うのですが、自分自身で問題解決の努力をすることなく、第三者に
対して、安易に救いを求める人が多くなってきている様な気がします。

私は海外旅行が好きで、情報収集の為、ネット上にある様々な旅行サイト
を閲覧するのが楽しみなのですが、そう言った旅行サイトの質問コーナー
などを見ていますと、『海外旅行に行きたいが、どの国に行けばよいか?
また、どの国に行けば安全か?』などと言う、自分不在の質問を見かける
ときがあります。

海外旅行を計画しているのであれば、本屋さんに行けば、数え切れないく
らいのガイドブックがあるわけですから、まず、自分が興味を抱いている
国・都市に関して記述されたガイドブックを見るなりして下調べをするの
が順序ですし、その上で、その国・都市の治安状況若しくは、観光情報を
聞くのが通常だと思うのですが、これでは完全に、自助努力で物事を解決
するのを放棄しているようなものですし、まるで、『食事に行きたいが、
どこの店行き、何を食べれば良いでしょうか?』と、第三者に質問してい
るようなものだと思います。

上記の例はあくまでも一例ですが、最近、このような人が増えてきている
ように思います。あるメーカーに勤務している人も、『説明書を読まずに
『わからない』と言って電話する人が多く、理解する努力を怠っている人
に理解して貰うのは、至難の業だ・・・。』と、嘆いていました。

『アダルトチルドレン』と言う言葉をよく耳にしますが、これらのことも
何らかの関係があるのでしょうか?

A 回答 (9件)

hosseinさん、こんにちは。



私もそう感じます。
特に権利意識が肥大している人が多く見受けられます。
自身が努力する事無く、他者が自分のために働くのが当然の様な意識を持っていて、それがおかしい事に全く気付いていません。それどころか、それを指摘すると、烈火のごとく怒り出す始末です。
相手が公共機関や有名企業であれば、その傾向は更に強まり、消費者という立場を免罪符の様に使います。
大抵の場合、自分の失敗や未熟さ、経験の無さを棚に上げ、"自分が弱い立場にある"事をことさら強調するのも、このタイプです。
また、法律を傘に着ることも多く、自らのコミュニケーション力によって解決しようとせず、些細な事でも訴訟沙汰にします。

これは、やはり教育の問題だととらえています。
自由と権利がことさら強調され、義務が蔑ろにされているのでは無いでしょうか?
その結果、自己中心的でその事に気付かない人間が多くなってきているのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

『有名企業だから文句が言いやすい~私は消費者~何を言って許される』
このような短絡的な発想の持ち主は沢山いますね。ヒステリックな口調で
自己の正当性を主張し、我田引水した論法で話を展開し、自己の理不尽な
要求を相手に容認させようとする。誤解を恐れずに言うと、ある種の精神
疾患を抱えた人が増えてきているように思います。

お礼日時:2001/08/08 05:41

 こんにちは。



「安易に人に質問する」ようになってしまったのは、まさにインターネットの弊害でしょう。
 
 人に面と向かって聞くのは、はばかられるような事でも、
ネットなら気安く聞いてしまう、という事があるのではないでしょうか。
ネットだと思いついた事をすぐ投稿できるので、つい不用意な発言をしてしまったり、
誤字脱字が多かったりするのだと思います。
(私もあまりエラそうな事は言えないのですが...)

 「便利になる」が「楽になる」になり「ズボラになる」という図式が出来上がると思います。
その辺の事情をどこまで真剣に考えるかは、利用者自身にかかっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

インターネットの場合、電話と違い、時間などを気にせず利用できる利点
はありますが、それに伴う弊害も多々ありますね。また、匿名性が仇にな
るケースもありますし。便利な道具も使い方次第、ということですね。

お礼日時:2001/08/08 23:14

みなさんと同じ内容で、特に目新しい情報でもないで


すが、一言。

どうにも近年はそういった傾向が強いようですね。
情報乞食なる言葉もあるようです。

彼らに、「自分で調べることも大切」といった話をする
と決まって
「時間を有効に使いたい」
「知ってる人から聞いたほうが効率がいい」
といった答えが返ってきて、どうやら本気でそう思って
いるようなのですね。

そういった人種にとって、自分自身の時間を使うという
事はとてももったいないことのようなのです。

そして、それが回答者にとって非常に失礼であるとい
う認識自体が出来ないようなのですね。

社会人になっても、知識を「盗む努力」をせず、口を
開けて待っている雛鳥が、給料をもらえてしまうのも
問題なのかもしれませんが。
5年,10年たてば大きな差が出来るんですけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

興味深く読ませていただきました。

確かに、『知っている人から聞いた方が効率が良い』というのも一理あ
りますが、かと言って、何でも他人に頼るのはどうかと思いますね。
難解な、高度な知識を必要とするような事柄であればともかく。

時刻表が目の前にあるのに次の列車の時刻を訪ねる、案内板が目の前に
あるのに○○はどこ?と訪ねる、僅かな手間を惜しんで人に頼る人が多
いように思います。

お礼日時:2001/08/08 17:56

「一時の恥」で聞くのは「知識」ですね 「知恵」は会得するものだと思います。


それも自分で調べた上で解からなければ聞くのであり、調べもせずに聞いたものは忘れており「再度の恥」をかいています。

安直に何でも人に聞けば良い、と考えている様ですね。
又、そのような風土ができているのですね。

私事で恐縮ですが、
現役の頃 会社の机の抽斗には辞書・事典・ハンドブック等を常備し聞きにきた人には回答を教えるのではなくこれらで調べるように指示しておりました。
しかし多くの人は面倒だとブツブツ言っておりましたがね。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。

自身が苦労して得た情報は、自身の知識・知恵として末永く残りますね。
知識や知恵は、パソコンのように簡単にコピー&ペーストできる物では
ないですし。

お礼日時:2001/08/08 17:55

質問内容のいいたいことはよく分かります。

過去にも同じような質問が多数されています。#5さんの回答にもあるように、簡単に答えを得るのが当たり前だと思っている人が多いのではないのでしょうか?

>『アダルトチルドレン』と言う言葉をよく耳にしますが、これらのことも
>何らかの関係があるのでしょうか?

これは関係ありません。
『AC』に関しては一般書が増えてきましたので本屋で一冊かってちゃんと読んでみるとよいでしょう。この部分はまだ自助努力できると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

参考意見として拝見致しました。

お礼日時:2001/08/08 06:39

御質問の主旨とは少しずれるかもしれませんが、良い機会なので御容赦下さい。


物事/問題に対する答えは全てどこかにある、と考えている人が多いように感じます。どこかに模範解答集があると考えているのでしょうか。
自分で調べ、それを元に自分なりに考えて回答を出すことが出来ない人が多いです。というより、考えを積み重ねて回答を導くことが出来るとも思っていないようですね。考えるという活動を完全に放棄しているような人を多数見かけます。
何を聞いてもどこかに載っていた事を繰り返すだけ。能力の優劣はどれだけ模範解答を詰め込んでいるかだと考えている。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

『考えを積み重ねて回答を導く』、とても大切な行為だと思います。
また、社会生活を営む上で、必要不可欠な行為だと思います。

お礼日時:2001/08/08 05:45

本当に多いですね。

(苦笑)

仕事関係でよくあるのですが、自分でほとんど問題解決の努力
をせずに一方的に相手に依存してくる人がいます。

私の周囲では、30歳後半くらいが多いような気がします。
ちょうどバブル全盛の頃に社会人になった人たちですね。
自分で知恵を出さなくても、お金を出せば誰かが仕事を
してくれた時勢だったので、自分で努力するクセがつかない
ままの人たちです。

お金がなかなか出なくなった今でも、問題解決を人に頼る
クセが抜けずにいるような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仕事絡みの場合、『力の関係』がありますので、多少の理不尽も致し方な
いと諦めるべきなのかもしれませんが、しかし限度を越えた人はいますね。
社会全般が、幼稚化していると見るべきなのでしょうか。

お礼日時:2001/08/08 05:44

文部省の失敗です(笑)



小学生のうちから、そういう教育をしてきてるんですよ。
「とにかく、指示されたことだけできればいい。(自分で考える力はいらない)」って。

世代は、ちょうど、20歳後半くらいから、30歳後半くらいかな?
(私の世代ですね。その前に荒れたんで、上から押さえつけようとしたんですね。)

で、途中で教育要綱がかわって、「自分で考える教育」に変わってるんです。

だから、今、10歳代の方が、30歳代の人と話すと、
30歳代の人は、10歳代の人を、
「なんて、自己中心的な考え方なんだ。」と思い、
10歳代の人は、30歳代の人を、
「なんて、自分で考えることができない人なんだ。」と思うんです(-_-;)

私みたいに素直に育たなかった(笑)人間は、
こうやって、客観的に物事を見る眼を養ってますけど。

全員が全員、そうだってわけじゃないですよ。
でも、教育要綱自体が、途中でかわってるんです。

第三者に安易に答えを求めるのは、10歳代の若者よりも、
むしろ、20歳代、30歳代の人たちの方が多いはずですよ。
「自分で考える」って教育を受けてきていないんですから。
(学校だけでなく、親も、「勉強さえできればいい」で育てたので。)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

年代層による意識の差異はあると思うのですが、本件に関しては、年代・
性別による差はあまりないものと感じていました。

老若男女を問わず、社会全般的な傾向として、過剰に他人に依存する人が
多くなってきているように感じます。おとな不在の社会だと思います。

某アニメの主人公のように、『体は子供、頭脳は大人』でしたら良いので
すが、その反対では洒落にもならないと思います。

お礼日時:2001/08/08 05:43

「知識」の一杯詰まった「知恵」の空っぽな人間の増加ですかね。


メモリーにはデータ-がいっぱいあるのですが、それを活用するソフトがないのです。
安直にすぐ人に聞き、自分で考えることをしない人が増えていることは実感します。

osafuneさんの言われる通り教育に問題があると感じますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

『知識』と『知恵』のバランスが大切ですね。

『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』のごとく、他者から知識を得るこ
と自体は、必ずしも恥であるとは思わないのですが、最低限なすべき努力
を放棄し、その結果として愚問を発するのは、恥ずかしい行為ではないか
と思います。

お礼日時:2001/08/08 05:42

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