ホテルを選ぶとき、これだけは譲れない条件TOP3は?

今回の質問は,
タイトルにあるように『盲人の夢』についてでございます。

私たちは物の形,色,光という空間内物質を目というレンズで媒介し,
それを脳内で現像して認識します。
認識は自由な形として頭の中に残り,
頭の中で編集し映像をえがき
再生する。
これが私たちの夢の発生であります。
ところがここで疑問が出てくるのです。
映像が夢ではないのか?という問題。
つまり夢とは映像という視覚的情報の再生であって,
夢から映像を引くと夢は存在しなくなる。

映像という概念が脳に存在しない
盲人は夢を見ないのか?!

いや,音の情報はどうか?
音の情報も脳に認識化されているはずだから,
夢から映像を引いても『音の情報』は夢の中で自由に再生されるのではないか?
では盲人の夢とは「音」や「声」で構成された夢なのだろうか。
私はそうとは思えない。
何とは言えないが,
映像とは違った,
でも映像的な何かも見えるのではないだろうか?と思えて仕方がない。
それはいわゆる第六感なもの。
目で見たものを脳内で意識化したものが視覚であり,
耳で聞いたものを意識化したものは聴覚である。
それを逸した感覚。
まだ存在として認識化されていないものとして,
意識しようとした時に想像されうる形のイメージ?
抽象的な?

と私の考えはこんなものになっているのであるが,
これは『胎児の夢』についても関係してくるのかもしれないし,
マッタク私の憶測を一蹴する結果があるのかもしれないですが,
いかがなものなのでしょうか?
ここに一つ,回答的とはいえない回答をもらえたらと思います。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

先天性…う~んそうですね---


最初のコメントと矛盾する部分があると思いますが、ご了承下さい。
また、読み返したらすごい突飛で、訳分からないことになっちゃいました。

まずは形ですが、やはり先天性な障害であっても想像で構成することが出来るでしょうね。
正確(私達から見てという意味ですが)ではないかもしれませんが、それに近い形が脳の中で構成されていると思います。
ただそれが曖昧な形で構成されているのであれば、夢には出ないかもしれませんね。う~ん、例えば動物とかかな。
見たことも触ったこともない動物、ライオンにしておきましょうか。
ライオンは猫科で、顔の周りに毛が生えてて、とても大きいよ、と説明したとして、まず第一段階で「ネコ」が頭の中で形として認識されてなければいけませが、これは触った感触などから彼らの頭の中では構成できているとします。(実際とは違っているとしても)
しかし顔の周りに~や、大きいなどは想像できたとしても、彼らの中で「これがライオンだ」と決定しなければ曖昧な想像で終わってしまい、夢に出ることはないのでは…と思います。(う~ん、私達が見たことのない“ツチノコ”の夢を見ないのと一緒でしょうか。。。ゴメンナサイ、この回答を書いていて、自分で解らなくなってしまいました)

次は色ですが、そもそも「色」という概念がないのでは?
透明だとか、黒いとかそういったものでもなく、そもそも色の概念がないのかもしれません。
スゴイ突飛な考えですが、例えば人間の手足と同じように触覚がついている人が健全者とします。(この例えも異例すぎますね)その触覚は空気中の流れを読む機能とします。今の私が「触覚障害者」だとしても、そもそも触角がないので、どう言葉で説明されても、触角を通して感じることにピンときませんよね?それと同じかと…。

なんかグズグズですね、すみません^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうか!
盲人が思う視覚とは,
我々が考えている第六感や超能力の存在に近いと考えられる。
しかし,
それは我々の第六感や超能力とは違い,
(盲人にはそれが確認できないものであるが)事実としての存在がある。そう,いうなれば,架空的事実の(視覚)能力。
我々が五感以外の能力の感覚に対して,脳内でイメージし,
その全てを知りえることができない様に,
盲人も視覚という,四感以外の能力について答えを知ることはできない。
ただし,視覚という感覚の情報は形を変え,
触覚や聴覚を通して教えられる。
ここが私たちの第六感の存在とは違うところ。
それは『情報力の違い』である。
つまり,
≪第六感≫とは我々には架空であって存在は不定。そしてその情報はないに等しいのだが,
≪第五感≫盲人にとって視覚は彼らにとって架空ではあるが存在は事実であり,情報も大いにあるのである。

この『私たちには視覚として備わっているが盲人には架空的事実の能力』と言う数式や言葉や論理,私たちの脳内では一重にマトメルコトガデキナイ関係が,
盲人の夢への,
不可思議で曖昧な疑問へと変わったのだろう。

もし今後の人間に第六感的な能力が身に付き,
その中で私だけが五感しか持ち得ないままの,
いわゆる感覚障害者という存在となったのなら,
私はその能力について見せられ触らされて聞かされるだろうが,
私はその『架空的事実の能力』について一生知ることはできない。
その中でその能力を想像しなんども繰り返し考えたとしても,
それは事実に程遠いもなのだろう。

この『盲人の夢の世界』の焦点は
『盲人の夢』にあるのではなかった。

結局,私が『架空的事実の能力』の存在を認識し,
それについて考えてみればよかったのである。
そうすれば見えてきた。
しかし,答えは分からない。
分からないが本質となるものが少し見えたようだ。


回答者さんの文章を読んでいて何か分かったという感覚が得られましたが,しかし分かるという話ではないものなので,
本質に近づいたというか…とにかく,
前進したと思います。
本当にありがとうございました!
ぐずぐずどころか,私には全霊を込めた奮い立つ文章にかんぜられましたから。

お礼日時:2006/11/16 00:01

>ここに一つ,回答的とはいえない回答をもらえたらと思います。



「脳のなかの小人」
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生まれた(受胎した)時から見えない場合はともかく


少しでも見える(少なくとも色や動きを確認)できたのならそれなりの夢は見れるのでは?
後は映像無しの音だけの夢というのもあるかもしれませんし...
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夢は見るでしょうね。

ただ、私たちが認識している夢とは違うのではないでしょうか。
かなり素人意見になりますが…

目が不自由でも、耳が不自由でも想像することは出来ます。夢は脳の記憶を映すのでそれが夢となって現れるのでは?と思います。
ただ健全者には解らないですよね。
音に関しても乗用車、救急車、消防車、音は全て異なります。ただ、「その音は救急車だ」と認識しているからなだけで、頭の中では救急車とは似ても似つかない人間のような形で構成されているかもしれません。
その人の夢にはその人にしかわからない“何か”があるのでしょうね。

例えば寝ぼけている時とか、どちらが現実でどちらが夢かわからなくなる時ってありますよね。
目の不自由な人も同じようなことがあるんじゃないかなって思います。
私達が日常視覚で認識していること(色など)を彼らは脳で構成させているのではないかと思います。

もしかしたら目が不自由な人のほうが正確に物が見えているのかもしれません。
人間には現在の機能では認識できない色がありますよね。
もしかしたら彼らが耳にしたものをイメージした映像のほうがより現実に近かったりするかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

>音に関しても乗用車、救急車、消防車、音は全て異なります。ただ、「その音は救急車だ」と認識しているからなだけで、頭の中では救急車とは似ても似つかない人間のような形で構成されているかもしれません。その人の夢にはその人にしかわからない“何か”があるのでしょうね。 
 たいへん面白い考えですね!晴眼者であっても夢の映像イメージは異なった形であるという。考えれば考えるほどワカラナクナル。
なんせ脳のことを,いま脳が考えているんだもの。
ややこしっくって変になりそうですよね!
その“何か”が重要なのかもしれない。生まれつきの盲人の方の脳には一体どういった作用をもたらしているのか。

>もしかしたら目が不自由な人のほうが正確に物が見えているのかもしれません。人間には現在の機能では認識できない色がありますよね。
もしかしたら彼らが耳にしたものをイメージした映像のほうがより現実に近かったりするかもしれませんね。
 これは後天性の盲人だけに当てはまる,これまた面白い発想ですね。
前に色の映像イメージをもっているからこそ可能な,
視力を失ってからの色の映像イメージの強化。
いや,より本質に近づくイメージというほうがよいか。

私の言葉足らずで先天性と後天性について書いていませんでした。
次は,先天性というのを念頭においてから思考した
回答者様の考えを知りたく思います。
是非よろしくお願いいたします!!

お礼日時:2006/11/14 18:14

まずは質問の答えでは無いのですが。

今は「盲人」と言う言葉は使いません。(差別用語に入って居るのかどうかまでははっきり記憶していませんが)

眼の見えない方は「視覚障害者」耳の聞こえない方は「聴覚障害者」と言う言い方をします。

で、視覚障害の方でも生まれつき全盲の方ばかりではなく中途失明の方もかなりいらっしゃると思いますし、一口に「視覚障害」と言ってもぼんやりとでも物の形が認識できる、色ならわかる、灯りは認識出来る…等々人によって様々ですから、夢も視覚に障害のない人と同じに見る事は出来る人も多いかと思います。

生まれつき全盲の方についてはどうか分かりませんが何らかの形で物の形などをイメージ出来るかと思いますので同じ事ではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>まずは質問の答えでは無いのですが。今は「盲人」と言う言葉は使いません。(差別用語に入って居るのかどうかまでははっきり記憶していませんが)
 差別的観測によって使われる言葉は多種多様です。
『盲人』という言い方と『視覚障害者』という言い方がどちらが正しく,
差別的意味合いが少ないかは私には計れません。

>中途失明の方もかなりいらっしゃると
 私の言葉足らずで伝わっていないようでしてすいません!
この私の質問での盲人とは『全盲人』つまり先天性の方をさしております。説明不足で申しわけありませんでした。

回答とても参考になりました!また,考えが出ましたらどんどん回答していただけるとありがたいです。
是非よろしくおねがいいたします。

お礼日時:2006/11/14 18:00

2ちゃんねるが今ほど大衆化おらず,それなりに有意義な対話ができた時代,


身体・健康板に『目が見えない人でも、夢をみるのか?』という名スレッドがありました。
本物の盲人と思われる人が登場して,目あきの素朴な質問に誠実にレスを返しています。
そのうち聾の人まで参加して,不思議な対話空間が生まれていました。
Part3ぐらいまで続いたようですが,
過去ログ倉庫で最初のスレッドを見つけましたので,まずは読んでみてください。

目が見えない人でも、夢をみるのか?
http://ton.2ch.net/body/kako/1004/10043/10043745 …
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この回答へのお礼

ご回答まことにありがとうございます!
このスレッドを6時間近くかけて読了いたしましたが,
奇跡的な人間的出会いと対話に衝撃を受けました。

人間はわからないことだらけですね。

だがそれが面白い。わからないから面白い。

このスレッドにより考えが一層透明化いたした。
しかしよく見えるようになったが故に今まで見えていなかった部分まで見えて来て問題は続くばかりです(笑)

ただただ本当に参考になりました!
次は回答者様の考えを知りたいと思いますので,
お暇がありましたら是非書き込んでくださいませ!

お礼日時:2006/11/14 17:53

夢は、目で見るものでも耳で聞くものでもないので、映像でも音でもないと思います。


夢は脳内のデータの再生です。
盲人の場合、目で見たことはなくても、触覚や聴覚から得られたデータが脳内にあり、それが「想像」として脳内で再生(映像化)することはあります。
脳内の映像は視覚による映像とは違うものです。
生まれつき全盲の人が、洋服を選ぶとき「白いブラウスに赤いスカートを履きたい」と言うそうです。これは小さいときから「白は冷たい雪の色、赤は太陽のように燃える色」と教わっており、それを自分の中でイメージしているからです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>夢は、目で見るものでも耳で聞くものでもないので、映像でも音でもないと思います。夢は脳内のデータの再生です。
 脳内のデータの再生ですが,そのデータの中の映像部は私たち晴眼者が目で見て得たものではないでしょうか。

>盲人の場合、目で見たことはなくても、触覚や聴覚から得られたデータが脳内にあり、それが「想像」として脳内で再生(映像化)することはあります。
 想像とする基準はがない盲人に,触覚や聴覚で得るデータによってそれは可能でしょうか?
いやそれは可能なのですが,もうそうなってきた場合晴眼者がそれを想像することは不可能なほどに四次元的イメージだと思うのです。

>生まれつき全盲の人が、洋服を選ぶとき「白いブラウスに赤いスカートを履きたい」と言うそうです。これは小さいときから「白は冷たい雪の色、赤は太陽のように燃える色」と教わっており、それを自分の中でイメージしているからです。
 しかしそのイメージは触覚で得た冷たさ(雪)・熱さ(太陽)であって,
それがそのままの触覚的な色分けになっているだけで,
視覚的な映像イメージになっているとは言えないように思います。

面白い発想の回答ほんとうに参考になります!
また考えが浮かびましたら回答お願いいたします。

お礼日時:2006/11/14 17:34

私も、憶測なのですが。


以前、TVだか本だかで「夢と脳の関係」なるものを聞いたことがあります。

「夢とは記憶の再生である」

が、結論だったかとおもいます。
人の記憶は「海馬」に溜め込まれるのですが、必ずしも正確に全てを記憶しているわけではない。
諸々の事は「断片的に」記憶されていくのである。
そして、その「断片的な記憶」を「海馬」の中で「整理」するときに人は夢を見るのではないか?
また、「海馬」の中では(外の別のとこに引き出すだったかもしれません)、「音」も「映像」もごちゃ混ぜになるそうです。
また「空を飛んだこと」が無くても、聞いたことやTVなんかで観た映像が融合して「空を飛ぶ夢を観る」んだそうです。

この理論でいけば、生まれた時から盲目な方であっても、話を聞いたことを夢に見るかもしれません。
ただ、映像は「目で見た記憶」なので、その記憶がない人が話を聞いただけで映像化出来るかは「?」ですね。

弁証法的には、「夢は見るかもしれないが、映像の記憶がないので音だけである」となるでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答まことにありがとうございます。

先に皆様に,
一つ言葉足らずで誤解を招いているところがありますので,
訂正いたします。
この私の質問にあります『盲人』とは全盲人のことであり,
後天性ではなく先天性のものをさしております。
であるからに,生まれつき目がみえないモノとして話していまして,
私たちが目で見てきた概念が全て無いものとして考えていただきたいです。

>この理論でいけば、生まれた時から盲目な方であっても、話を聞いたことを夢に見るかもしれません。映像は「目で見た記憶」なので、その記憶がない人が話を聞いただけで映像化出来るかは「?」ですね。
 確かにそうなのです。基本となる映像がない盲人にとって,
想像は難く,その夢にみる映像は晴眼を持つ私たちとは異なった,
というかやはり第六のモノであるといいますか,
何かがあると思います。

それとこれは最近の自分の夢の話なのですが一つ。
普通夢は記憶にとどめておいたものや,記憶に強く残ったもの,
寝ている間に受ける刺激(声や匂いなど)によって影響され表現されます。
とことがそれはある夢体験によって
それ以上に夢とは自分の想像によって作られる部分があるのではないかと思うようになりました。
夢で考えている私がいる。私は脳内で次に起こるストーリーを練り上げる。キャストを選ぶ。そして選ばれたキャスティングによって組まれたストーリーの夢の中で私は動きまわった。
夢は受動的なものであるとずっと思い見続けてきたが,
最近私の夢は能動的なのです。

回答者様の考えが分かりかなり参考になりました。
また思いつきましたらご回答よろしくお願いいたします!

お礼日時:2006/11/14 17:05

ずいぶん前に、生まれつき全盲の方がテレビに出て言っていました。


「私には”見える”という事自体が理解できないので~」
何の話をしていたのか、その前後の内容も全く覚えていませんが、この発言だけが心に残っています。

回答になっていなくてすみません。
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この回答へのお礼

いえ、ご回答ありがとうございます。

回答にならない質問をしていることは自分でも分かっておりますので、
書いていただけただけでもうれしいです。
やはり,そう(見えるという事自体が理解できない)なんですね。

こうなれば一つ回答者様のお考えもいただければこれまた幸いでありますので、
よろしければtatsu01様、ならびに他に読まれた皆様も
考えもずばずばと
率直に書いていただければと思います。
よろしくおねがいします。

お礼日時:2006/11/14 01:21

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