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我々は自分や他人に精神がある事をよく認めますが

我思う故に我在り であろう存在 つまり精神とは一体何でしょうか?

命でしょうか?脳でしょうか?言葉でしょうか?思いでしょうか?

一体全体 精神とは何なんでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

私は誰でしょうか。

大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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脳内ホルモンの分泌量 です

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真理を探究する人にとっては最大の関心事の一つですね。



精神とは何か!
一番、言葉にし難い問題です。

物質としての現象とは正反対の現象である、と言えます。
ただ、物質現象も《心》を通してしか“知る”ことが出来ません。

自分自身さえも、自身の心があってこそ、ですよね。
だから人間の拠り所はすべて精神、という事になります。

その精神は、その《働き》に拠ってしか人は感じることができません。
《働き》が心そのものと言えます。

産声。
母の胎内にいれば安心だったものを、無理やり産み落とされて“個”となって、外気の冷たさに触れて“その事”を自覚し、だからその恐怖による叫び声。そして元の母親の胎内を求める母への呼び声。これが産声だと思えます。

精神とは意力。
haruさんの表現を使えばエネルギー。

今はこれを回答?とします。
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この回答へのお礼

Thank you

私の意見を言わせて頂くと 精神の主体であろう脳には外界から取り込んだ物質以外には

特に人間が知らないものは入ってない つまり生命がそうであるように物質から出来ている

脳内に限らず物質には性質があります。これが実は精神の質ではないかと思うのです。

脳には数多の脳細胞や各種伝達物質、ホルモン、微細電磁気があります

それらが外界の情報を記憶し思考反応しているのです。

物質はエネルギーと性質から出来ています。エネルギー(質量を含む)が脳で、性質が精神なのではないでしょうか?

性質という言葉が辞書の説明と私の語感と違うのが気になりますが。

お礼日時:2017/06/30 22:41

概念の一つです。



例えば、生体を構成する分子を集め組み上げて体温に熱しても、動物は作られません。
物質もそうです。私達は、既成物を基に複製を拵えたり、既存物に変化を与えたりは出来ますが、ゼロから何かを創造することは一切できません。それには天地開闢を待たねばなりません。
同じ理屈で、脳の回路や身体組織を合成できたとしても、我々が数億年にわたり潜り抜けてきた外部との切磋琢磨を再現できない限り、この我々に在るような精神というのは、宿らないと思います。この材料の集合体が精神である、という定義は決められません。構成要素が世界全部に渡っており膨大すぎるからです。
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この回答へのお礼

Thank you

確かに精神の構成要素は環境も入りますね。

しかし世界全部まで入るのでしょうか?

概念の一つ とか書かれると・・概念とは何でしょうか?と尋ねたくなりますねえ。

精神も生き物の様に材料だけでは言い表せないということですが

生き物はCHINOPS系の物質と呼吸、血液の循環ですねえ。循環が止まれば生き物でなくなります。

お礼日時:2017/06/30 09:04

人間と動物の違いです


賢いと愚かの違いです

太古の昔
人は禽獣と変わらず
親を敬う事も 恩を感ずる事もなかったのです
他の動物にはない 最後に出来た人間だけの脳です

そこに 道徳 宗教 哲学が生まれ 人間らい心が育ったのです
愛 慈悲 仁愛 自我 存在 理性 等などです

そして文明が開け 発展したのです

今 精神文化は明らかに衰退しています
哲学を持つ人がいないからです
自分の考えを主張するのでばく
大量の情報の中から 都合のよい言葉を選んで言っているだけです

政治家の失言などを見ていると プラトンの言っている事
がよくわかります

長くなるので 終わりますが 参考をぜひ

仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm

ソクラテス http://rokusann.sakura.ne.jp/newpag27.htm

九識論  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html
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この回答へのお礼

Thank you

政治家の失言は見てられませんね。本音が出るんですよね。

つまり自由と民主主義なんてものは建前で ただ偉くなりたい、票が欲しい

地盤、看板、何バンとか言って当選しさえすればいいという議員が多いですねえ

自民党だから当選する 考えは適当 という人も多いです

プラトンは何を言ったのでしょうか?

民主主義が最高とは思わないし、みんなが選んだ代表で、みんなが間違っていたら大失敗です。

哲学、宗教の徳を本当に備えた人が議員になればいいですね

宗教といっても宗教かというもの色々ですが。

お礼日時:2017/06/30 09:15

意識とは、自己(時間の流れ=記憶=過去=超光速)と環境


(空間の広がり=予測=未来=光速下)の相補分化=相対に
よる、階層現象の表面性(認識体(脳)>細胞>分子>原子>
素粒子>クォーク>超弦(量子定常波))に基づく、仮想的
非光速性に由来する時空的広がり。
その「相補分化」の実体は、不確定性原理における「位置と
運動量、時点と質量のそれぞれの確率の相補性(一方を確定
しようとすると他方が無限不確定(=無)に発散する)」です。

全ての存在は量子的な不確定性に基づいており、無限に詰
め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
潜在的な認識可能性の仮定断面の運動(プランク定数hの
収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対
的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パタ
ーン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての
宇宙を認識するのです。
「精神(心)とは何でしょうか?」の回答画像6
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この回答へのお礼

うーん・・・

分かり易く言えば何なんでしょうね?

説明が長く難しくて要点が分かりません。

お礼日時:2017/06/29 11:16

想いなのか、想いの主体なのか。


言葉なのか、言葉の主体なのか。
果たして想いや言葉に主体と言うものがあるのかどうか。
私とは、思いや言葉それ自体であるかもしれない。
口に発するそれではない言葉や、想いというものがない自分を想像出来るだろうか。

一方で、精神統一と言う言葉がありますが、漢字の字義を分解して考えて見たところ、精神とは、それをそれたらしめるもの、名付けるもの、形を与えるもの、形而上的な意味での命、即ち意味を与えるもの、となりました。そしてそれを統一するとは、完全にすると言う意味で、精神統一とは、意味を与えるものを完全にする、つまり、完全に見出すと言う意味になるのかなと。ザックリ言えばですよ?

精神とは、見出すこと。ここに主体も含まれる。但し、何かあらかじめあるものを見出すのではなく、見出す側が見出すものを規定している。従って、間違って見出せば間違った精神になる。深く見出せば深い精神になる。ありのままに見出せばありのままの精神になる。完全に見出せば完全な精神となる。完全な精神となったなら、世界の事象は全て完全に見える。
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この回答へのお礼

ありがとう

真理を何処まで認識出来るか分かりませんが、より見出すほど精神も明るく?豊かなものになるでしょうね。

想いの主体、言葉の主体でもあるでしょうね。そすると じゃあ言葉って何なんだという話も出ます。

精神を形成してるものは何なんでしょうねえ? 精神の正体は何か?

お礼日時:2017/06/29 11:10

「犬と肉」(いぬとにく)もしくは「犬と骨」(いぬとほね)は、イソップ寓話の一つ。

「よくばり犬」、「よくばりの犬」とも言い、日本に於いてはこの題の方が定着している。
あらすじ[編集]
ある犬が、肉(ソースにより骨だったりチーズだったりする場合がある)をくわえたまま橋を渡っていた。ふと下を見ると、見知らぬ犬が肉をくわえてこちらを見ている。犬はその肉が欲しくなり、脅すために吠えた。すると、くわえていた肉が川に落ちて流されてしまった。もう一匹の犬は、水面に写った自分自身の姿だったのである。
教訓[編集]
欲張ると、元も子も無くす。

関連項目[編集]

アイソーポス(イソップ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/犬と肉


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ナルキッソス(古代ギリシア語: Νάρκισσος, Narkissos、英語: Narcissus)は、ギリシア神話に登場する美少年である。
概要[編集]
ナルキッソスはギリシア神話の中でも著名だが、その話についてはいくつかの説がある。盲目の予言者テイレシアースは占って「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言した。
若さと美しさを兼ね備えていた彼は、ある時アプロディーテーの贈り物を侮辱する。アプロディーテーは怒り、ナルキッソスを愛される相手に所有させることを拒むようにする。彼は女性からだけでなく男性からも愛されており、彼に恋していた者の一人であるアメイニアスは、彼を手に入れられないことに絶望し、自殺する。
森の妖精(ニュンペー)のひとりエーコーが彼に恋をしたが、エーコーはゼウスがヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべり(別説ではおせじと噂)で助けたためにヘーラーの怒りをかい、自分では口がきけず、他人の言葉を繰り返すことのみを許されていた。エーコーはナルキッソスの言葉を繰り返す以外、何もできなかったので、ナルキッソスは「退屈だ」としてエーコーを見捨てた。エーコーは悲しみのあまり姿を失い、ただ声だけが残って木霊になった。これを見た神に対する侮辱を罰する神ネメシスは、他人を愛せないナルキッソスが、ただ自分だけを愛するようにする。
ネメシスは無情なナルキッソスをムーサの山にある泉によびき寄せる。不吉な予言に近づいているとも知らないナルキッソスが水を飲もうと、水面を見ると、中に美しい少年がいた。もちろんそれはナルキッソス本人だった。ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死んだ。また、水面に写った自分に口付けをしようとしてそのまま落ちて水死したという話もある。ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシス(Narcissus)と呼ぶ。また、ナルシスト(ナルシシズム)という言葉の語源でもある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ナルキッソス



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水面に映った姿ということで、
イソップ物語とギリシャ神話で似ていると思った。
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確認できました。

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この回答へのお礼

どうもです。

お礼日時:2017/06/28 19:49

もらってる回答に答えてからにしなさい。



病状なのだから。

もし答えないと決めたのなら そう言いなさい。

言わずに 次から次へと移り変わっていくと もう見捨ててよいのか

どうかが あいまいになります。

はやく見捨ててよいという状態になりたい。何で同じことを 十年も

おこないつづけるのか?
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この回答へのお礼

うーん・・・

なかなかベストアンサーが出ないので、やむを得ずこのようになってますが

ブラゲロンヌさんとは僕は考えが全然違うので見捨ててもらって構いませんよ

投稿拒否にしてもいいですよ。

これは答えじゃなくてお礼欄なんで 必ずしも書くとは限りません。申し訳ないですが。

お礼日時:2017/06/28 18:34

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