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 朝鮮半島の人の姓名は、金や朴などが多いにしろ、表面上は姓は一字で中国の人と見分けはつきにくいです。
1)このようになる前は、どんな名前であったのでしょうか。
2)朝鮮半島の人や台湾の人の名前には「○男」や「○子」が、ありますが、これはかつて日本の統治下にあった影響からきているものでしょうか。それとも、もっと以前からあったものでしょうか。

A 回答 (2件)

#1の方が仰る通りです。




>1)このようになる前は、どんな名前であったのでしょうか。

日本書紀に次のような記述があります。
(1)崇神天皇65年、任那国が(日本へ)『蘇那曷叱智』を遣わして朝貢した。(崇神紀)
(2)大加羅国の王子、名を『都怒我阿羅斯等』、またの名を『于斯岐阿利叱智干岐』という。(崇神紀)
(3)新羅王は、『微叱己知波珍干岐』を人質とし・・(神功紀)
(4)推古天皇18年(610年)、新羅の使人『沙喙部奈末竹世士』が・・筑紫へやって来た。(推古紀)
(5)白雉6年(655年)、百済の大使西部達率『余宜受』と副使東部恩率『調信仁』ら・・(斎明紀)
(6)白雉7年(656年)、高麗は大使『達沙』、副使『伊利之』を遣わして(天皇に)調を奉った。(斎明紀)
(7)白雉14年(663年)、百済は達率『金受』らを遣わして(天皇に)調を奉った。(天智紀)

このように、7世紀の中頃から朝鮮人の名前が唐風(中国風)に変化し、新羅による半島統一以後は全面的に唐風に変わったようです。


>2)朝鮮半島の人や台湾の人の名前には「○男」や「○子」が、ありますが、これはかつて日本の統治下にあった影響からきているものでしょうか。それとも、もっと以前からあったものでしょうか。

日本統治時代の政策の名残でしょう。↓

「創氏と改名」No.1
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/touchi/koseki.htm

「創氏と改名」No.2
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/touchi/sotsu.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。年代順に並べていただきますと、よくわかります。満州の名前ヌルハチなどと似ているような感じがします。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/25 15:08

統一新羅の時代に中国式を真似る前には


鬼室集斯や億礼福留・四比福夫みたいな4文字だったらしいですし、

元に降伏した後はモンゴル風の人名になってた事もあったらしいですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。当て字なんでしょうね。音読みでどう読むのかわかりませんが、おもしろいですね。

お礼日時:2006/11/25 15:04

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Aベストアンサー

 以前の私のQ&Aが多少参考になるかも知れません。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2559308.html
 識者さん達のご回答を見れば、古代朝鮮の人の名前は万葉仮名のように発音を漢字で当てており、沢山の文字が並んでいます。
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Aベストアンサー

回答4の
〈民族や国ごとに異なったアイデンティティを持たなくてはならないという発想そのものが十九世紀西欧で発明された考えかたであり、東アジアでは長いあいだ中国こそは唯一絶対の普遍的な人類の文明であるとされていたわけですから、それにならうのは当然のことです。〉
は間違いです。中国文明が卓越していたのは事実ですが、朝鮮族を除く中国に隣接した諸民族は、民族独自の名前を維持していたからです。
朝鮮の自主的な改名を考えるには、同じ地続きである満洲やベトナム、モンゴル、ウィグル、チベットと比較して、どうかと考えるべきです。
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モンゴルの南半分は、内モンゴルとして、ウィグルは新疆ウィグル自治区として、チベットはチベット自治区や青海省として中国に併合されましたが、モンゴル族も、ウィグル族も、チベット族も、民族独自の名前を維持しています。
結局、朝鮮族だけが、民族独自の名前を捨てて、中国風の名前に自主的に改名したのです。小室直樹氏は、朝鮮族の民族性には、事大主義が組みこまれていると言っていますが、それが当たっているような気がします。

回答4の
〈民族や国ごとに異なったアイデンティティを持たなくてはならないという発想そのものが十九世紀西欧で発明された考えかたであり、東アジアでは長いあいだ中国こそは唯一絶対の普遍的な人類の文明であるとされていたわけですから、それにならうのは当然のことです。〉
は間違いです。中国文明が卓越していたのは事実ですが、朝鮮族を除く中国に隣接した諸民族は、民族独自の名前を維持していたからです。
朝鮮の自主的な改名を考えるには、同じ地続きである満洲やベトナム、モンゴル、ウィグル、チベ...続きを読む


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