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天安門事件以降の鄧小平は正式な肩書がなく、晩年はニュースなどで「最高実力者の鄧小平氏」と呼ばれていました。改革開放で高度成長のきっかけを作った功労者とは言え、あれだけ権謀術数の熾烈な中国共産党内で肩書無しで最期まで君臨できた理由は何でしょうか?

A 回答 (4件)

鄧小平は中国の近代化に大きく貢献した政治家であり、毛沢東の死後、権力の空白を埋め、外国との良好な関係を築り、中国を経済超大国へと導いた人物です。

  彼は権力の源泉となる軍の統帥者である党中央軍事委員会主席の地位を確保し、自身の腹心の配下を党総書記に据えることで主導権を掌握しました。 鄧小平は改革開放や一人っ子政策などで毛沢東時代の政策を転換し、現代の中華人民共和国の路線を築いた功績を中国国民に高く評価されており、最後まで君臨するのに、肩書など無用でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/05/23 09:39

軍権の最高責任者だったからです。


中国の軍権最高責任者は、党と政府の中央軍事委員会主席です。通常は、両方を兼ねるが、少なくとも鄧小平の時代は党の中央軍事委員会主席が中国の実質的な最高権力者だった。

毛沢東が大躍進運動の失敗などで国家主席を辞任し、引退して上海に引っ込んだが、党の中央軍事委員会主席の座はそのままだった。これが文化大革命で復活を遂げる原動力になったと言われる。
いつの世も軍事力を掌握しているモノが一番強いということだろう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/05/23 09:39

中華人民共和国は、国家最高の決議機関、全国人民代表大会の上に


中国共産党が在るからかと。

文化大革命の標的にされても生き残った精神力が根底に在るからかと
思いますね。
香港返還交渉後に、玄関でよろけた、鉄の女マーガレット・サッチャー
の姿を覚えてませんか、二枚舌の外交上手の英国の宰相が「やられた!」
の姿が世界に発信されたのです、鄧小平がどんだけ、したたかなのか
想像が出来ません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/05/23 09:39

国共内戦当時に一緒に戦った仲間や部下が解放軍の要職(司令官や国防相など)に就いていた


また、自分が見込んだ人間を共産党幹部として登用し(特に中央弁公庁などの組織の肝に)軍の支援と党内の人事・情報を握っていたからだろうと

春秋戦国時代からコネ(縁)の有る人間に登用してもらって〇〇閥を作って権力を握る、権力闘争するのが歴史的な慣習ですからね
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2024/05/23 09:39

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