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日本軍が重慶を空爆した理由を教えてください。

A 回答 (4件)

皆さんがおっしゃているように国民党政府が中華民国の首都を重慶に移したからです。

ただしあくまで扱いは臨時の移転だったのですが、ここでは便宜上首都として移転されたという表現を用います。
で、なぜ国民党政府が首都を移転しなければならなかったかと言うと、日本軍が南京に侵攻してきたからです。(この時例の”南京大虐殺”が起こったとされています。が、その真偽についてはここでは割愛させていただきます。)当時中華民国の首都は南京でした。少々余談になりますが、これは辛亥革命以来ずっとです。従って清が1912年に滅亡して以来1949年に中華人民共和国が成立するまで北京はどの国の首都でもありませんでした。

ここから先は蛇足かも知れませんが、日中戦争(日支事変)が泥沼化していった原因の一つをここに見ることが出来ます。つまり日本軍が点(都市)を繋ぐ戦略で大陸を侵攻したのに対し、中華民国はどんどん奥地へ(西部)へと隠れ込みかわしました。更には村や町の多くも日本軍が次の地点へ移動すると、それまで親日的であったのが反日的に変わるということがしばしばあったのです。これは面(大陸)で捉えた戦略だったと言えるでしょう。
そうして逃げ込んでいった重慶を爆撃してたたき出そうと考えたわけですが、おそらく重慶を攻略したとしても昆明あたりに移動されて余計戦域が拡大しただけだったはずです。私見かも知れませんが当時の日本軍にそれだけの戦線を維持する力はありませんでした。それは後の大陸打通作戦でも証明されるでしょう。
それからもう一つ、重慶爆撃は日本軍の行った唯一とも言える無差別絨毯爆撃で、零戦(当時は十二試戦)も初めて実戦参加しました。
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この回答へのお礼

「重慶空爆」への御回答ありがとうございました。
日本軍のイメージを一つ膨らませていただきました。

お礼日時:2009/07/13 00:00

重慶は けっこう攻めにくい要所なのです


日本軍が進軍しようとすると、狭くて険しい山道を
進まないとなりません
弱い中国軍相手でも、かなりの損害が予想されました
それに、ずるずると遷都されていっても、きりがありません

そこで、戦意を挫くことで 紛争の終結をねらったのが
重慶の空爆です

ただ、日本側は中国側の被害状況を把握できなかったため、
効果が見えず、太平洋戦争の開戦後に終結させることになります
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>日本軍が重慶を空爆した理由を教えてください。



当時の中国は、国民党が支配する中華民国が正当な政府・国でした。
戦時中、国民党は「首都を重慶に遷都」しましたから、攻撃目標になったのです。
交戦国が降参しない場合は、交戦国の首都陥落が降参となります。
先の大戦でも、連合軍は「沖縄・小笠原から首都」を目指して進軍しました。
東京・大阪・名古屋だけでなく、地方都市まで無差別爆撃を行ないましたが「首都が陥落していない」ので、日本軍部・政府・皇室は「徹底抗戦」を主張したのです。
流石に、1945年に入ると政府は「和議」を画策するようになりましたがね。

余談ですが・・・。
日本と中華人民共和国は、一度も交戦していません。
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国民党政権が首都を重慶に移したから。

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