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今の彼の国は 「中国」 と呼びますし、その国の国籍をもつ人は 「中国人」 と呼びますよね。

この表現方法は、一体いつ頃から歴史に登場するのですか?

昔の秦や漢の時代に既にあったのでしょうか?  それとも現在の中華民国や中華人民共和国が成立してからでしょうか?

A 回答 (5件)

最初に使われたのは『詩経』だそうです。


今から3000年くらい前。
「中国」という呼び方があったので「中華民国」や「中華人民共和国」という国号が生まれたということのようです。

参考URL:http://kyoto.cool.ne.jp/jiangbo/china/edu/edu004 …
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この回答へのお礼

有難うございました。 地域の名前といえど、中国という呼称は意外に長い歴史を持っているんですねえ。 驚きました。

お礼日時:2005/12/29 10:06

中国とは中華民国からきています。


中華とは明の時代に「中華思想」というのが生まれました。革命後、国号を中華思想から取り中華民国となったのです。

 中国人という表現は日本人以外はほとんど使いません。国号も同様です。世界的にはチャイナ(China・支那)と言います。尚、日本人が支那という言葉を使うと差別表現あるよと言われます。
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この回答へのお礼

有難うございました。 私も実は興味があって 「支那」 という表現に対する意見を多く伺ったのですが、結局は戦時中の彼らに対する蔑称として使用された、不愉快だ、従って今後は使用禁止にする、という経緯になっているようです。 歴史に 「if」 はないと言いますが、もしあの戦争が無ければ、今でも中国人の事を支那人 (蔑称ではなく) と呼び、呼ばれる彼らにも何の抵抗感もないかも知れませんね。

お礼日時:2005/12/29 10:15

質問に対する回答になっているか分かりませんが、以前塾の講師から聞いた事を書かせていただきます。


中国という表現が明朝になってからの事です。

なぜ、明の時代かというとヨーロッパでは帝国主義を掲げて世界進出をし始めている頃です。

その時代までの王朝は、世界全体を一つの国としてみていて自分(王朝の皇帝)が世界皇帝だと思っていたと考える事が出来ます。なぜなら、中国独自の文化?冊封体制です。今の沖縄が琉球王国は中国にいろいろなものを持っていき、王としてその地域を治める事を認められました。

卑弥呼もそうですね。当時は、中国の皇帝に認められてこそ、真の統治者として認められたのです。だから、卑弥呼も中国に遣いを送ったのだと思います。

そもそも中国という言葉は、古く黄河文明の時代からあったと言われています。
長江文明と遼河文明があり、黄河文明が一番強い光;光=皇帝の権力=中心? まぁ、権力(光)が届く範囲(委任統治みたいな形の。)を”華”っといって、光が届く範囲全体を”中国”といっていたそうです。

ヨーロッパの世界進出に対して、明の皇帝ももともと領土という感覚がなかったはずですが、さすがにヤバいと思ったのでしょう。
国境を決めなければならなかった。そのためには、国対国のおつきあいが必要でした。
そこで、革命思想家の梁啓超が他の国から呼ばれている支那ではなく、中国を使いたいと。残している。 だから、この頃ですね、正式に中国という意識がはっきりとしたのは。

長くなりました。申し訳ありません。
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この回答へのお礼

大変、興味深いお話、有難うございました。 実際に使用されるようになったのは明の時代ですか ・・ いずれにしても中華民国の誕生よりはるか以前から使用されていたんですねえ。 勉強になりました。

お礼日時:2005/12/29 10:18

歴史上、中国、あるいは夏、といういいかたのほうが中華より前にありました。


#1さんの仰るように詩経がもっとも古い記録のようですが、ただここでいっている中国は現在の中国より狭い領域です。またいわゆる中華思想、外族に対し自分の側を中国(ないし夏)と称する使い方は西周ではなく東周戦国時代のあたりのようです。その際、例えば斉なら斉を中国とし、秦あたりを夷狄とする(春秋公羊伝)、あるいは韓を夏の正統とし、呉・越を蛮夷と呼ぶ(春秋左氏伝)といったいわゆる諸侯国による他国の蛮夷よばわりと表裏です。したがってこの時代の「中国」というのは書物により大差あり、またその広さはまあ諸侯の国ひとつかふたつぶんぐらいです。同様に「中華思想(という言葉はこの時代ありませんが)」も後代のものとはちがってもっと狭い地域を「夏の正統」と考える、という思想でした。
その後秦漢帝国の統一を見てやっとまあ私たちが中国とおもっているあたりが中国だということになりました(もっともチベットとかはこの時期もはいってませんが)
で、中華ということばですが漢代にもないようです。中国という名称は史記にも出てきます。ただ、地域名です。
国名は「漢」とか「唐」とか「大元」(元といういいかたは実は正しくないらしい)とかであって国名としては確かに中華民国(ただし略称)以来ということになります。
同じく中華思想も現代に続くものとしては明代に作られたものですが、日本の明治の「王政復古」同様、伝統を復活させるという大義名分ではありますが、その実過去のそれとは異質のものでした。
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この回答へのお礼

なるほど、中国という言葉はたしかに古くから存在するようですが、その時代時代によって、示される領域が随分と違うんですねえ。 とても勉強になりました。 有難うございました。

お礼日時:2005/12/31 09:09

 すいません。

これは規約違反かもしれないんですが。

 #3さんの「梁啓超」は明代ではなく、清末の人物です。誰か他の人でしょうか?
 解決次第。この補足要求は削除依頼をしてくださってけっこうです。よろしく。
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