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昔の中国と日本の関係について質問させていただきます。

前に、中国は欧米には触れさせなかった書物を日本にはあげていた、という話を聞いた事があります。
中国では身内と他人の線引きがはっきりしていて、身内に対しては愛情を注ぎ、他人には対して気を払わないそうで
それでは、当時の中国は日本の事を身内としてみていたのでしょうか?

あと、日本はその書物を換金して、無名の春画絵師の絵を買っていたというのは本当でしょうか?

A 回答 (5件)

中国の身内は愛情などという生やさしいものではありませんから勘違いしないように。


中国のそれは儒教による中華思想、つまり中国が一番偉いという思想のもとに服従関係を強要したものです。

儒教では徳で治めよという考えがあり、朝貢してくる相手には相応の礼儀を返しました。
日本は朝貢はしませんでしたが、漢字文化圏なので中国からすれば兄弟ということになります。
ご質問の内容はこの一環ということになります。

中国からすれば周辺国は敵対していようがいまいが、全て兄弟、
つまり中国が一番上で周辺国は中国を敬わなければいけないのです。
そして敵対していれば懲罰のための軍隊が派遣されるのです。

近年でそれが端的に出ているのがチベットやウイグルです。
中国はチベットに侵略しましたが、同時にインフラ整備をしてチベットを近代化しました。
中国人はこういいます。「チベット人は大人しくしていれば中国が豊かにしてやるのに」

これが中国人の考える身内の思想なのです。
大人しく従っていればよし、さもなくば徹底的な弾圧を加えるというものです。
しかし、実体は近代化開放を隠れ蓑にした中国による搾取です。
その辺を住民は敏感に感じているからこそ、チベットの人達が反発しているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
中華思想とは随分と傲慢なんですね。私には一生理解できそうにありません。
以前中国の方が、チンギスハーンは中国人と言っていた意味が少し分かったような気がします。

お礼日時:2009/08/25 00:11

欧米には触れさせない書物を日本にはあげて、それを日本は売って春画を買ったという話は、聞いたことが無いし、ありそうな話にも思えません。

出典が確かならともかく、まずガセでしょう。
だって、そのもらった本というのはおそらく皇帝から拝領したものでしょう。商人から買ったものなら、商人ならだれにでも売りますものね。そういう貴重なものを売って春画に換えるとは、日本に悪意を持つ人の作り話のように思われます。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
今思い出したのですが、どうやら春画に関しては遣唐使の話とごっちゃになってました。すみません;
書物を売ったのも私の見間違い、記憶違いかもしれません。

お礼日時:2009/08/24 23:45

柵幇体制に基づく対応の違いではないでしょうか?



近代以前の東アジアは、周辺地域に対して中国が圧倒的に強かったため、中国の政権に対して、東アジア諸国は臣下の礼を取るために使節を送り、中国を親分として崇めることを約束する代わりに安全を保障してもらう状況が続いていました。

朝鮮・日本・台湾・琉球・モンゴルなどの東アジア諸国にしてみれば、屈辱的と言えば屈辱的でしたが、圧倒的な中国の軍事力にかなう訳もなく、逆に臣従すれば中国との貿易の自由が認められたため(中国は当時市場としても地域でダントツに大きかったので、中国との貿易は儲かった)、臣従することで実利を得ていたという側面もあります。これを柵幇体制と言います。

清朝の時に欧米勢力が中国大陸に近づきましたが、欧米は臣下の礼を取ることを拒否していたため、清朝にとっては臣下の礼を取る諸国と待遇を差別する必要があったので、欧米以上に日本や朝鮮を優遇していたのは不思議ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
当時の中国は東アジアの親玉だったんですね。
じゃあ中国からしてみれば日本は子分その一ぐらいだったのでしょうか

お礼日時:2009/08/24 23:50

昔っていつのこと?



欧米というワードがあるとすると、清末・民国初期つまり、19世紀後半から20世紀初頭かな?

書物関係で言えば、中国には書籍リストにしか載っていないが、日本には現物があったということはあります。

中国では王朝が変わるときには、100年くらいの混乱期が生じます。(明→清などは、非常に短期に王朝が変わった例で、通常は世代をまたぎます)
この混乱期に、書籍を保管しているような知識人=読書人=地方の有力者などが、全とっかえになり、その時に書籍はなくなります。
日本はそれほどの混乱がなかったので、正倉院をはじめ、昔のものが現物で残っています。
また、遣唐使の昔から、清盛の日宋貿易、日明の勘合符貿易でも、主要な輸入品のひとつが典籍、つまり書籍でした。

日本はその書物を換金して、無名の春画絵師の絵を買っていたというのは本当でしょうか?

意味がわからない
春画どころか、浮世絵を積極的に当時、清末から民国初期に買っていたのは、欧米であり、日本は二束三文で売っていた。

この回答への補足

回答有難うございます。時代は19世紀頃のお話だと思うんですけどね・・
中国では王朝が変わるたびに昔のものは全てなくなってしまうんですか、なんだかもったいないですね。

ああ すみません書物に関しては、遣唐使の話とごっちゃになっちゃってました。
日本がまだ中国に遣唐使を派遣していた頃、大量に持ち帰った書物の中にはポルノ小説も入っていたそうで・・多分この話と書物がごちゃ混ぜになっていたようです;

補足日時:2009/08/24 23:39
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昔の日本の支配階級は大陸や半島からの渡来人でした。


なので親しみがあったのかも知れません。

こう言うたとえがあります。
これは今でも朝鮮半島の人たちが「恨」の心で持っています。

長男→中国、次男→朝鮮半島、三男→日本

こう言うものです。
日本は末弟なのです。
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この回答へのお礼

半島の方々は大陸で繋がってる自分達の方が島国の日本よりも偉いと思っているのでしょうね。
回答有難うございました。

お礼日時:2009/08/24 22:56

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