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明治35年頃、ロンドン留学中の夏目漱石が奥さんにあてた手紙で
「半年に2通しか手紙をよこさない」といってなじっている内容のものがあります。
当時、欧州日本間の手紙は何日くらいで届いたのでしょうか?
十日ぐらいで届いたのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

明治35年となると、日露戦争前でしょうか?



戦前であれば船便スエズ経由と考えると、二ヶ月弱と考えます。
おそらく戦中も、香港あたりでイギリス船にのせられるでしょうから、二ヶ月弱ではないでしょうか?

シベリア鉄道を通れるなら、1ヶ月でつくと思います。

1903年にシベリア鉄道は、清から奪った満州を通りショートカットする形で一時完成しています。しかし日露戦争でロシアは満州を失いました。その後ロシア領を通りシベリア鉄道が開通するのは1916年になります。明治35年近辺は、この一時的にシベリア鉄道がつながった時期にかぶりますので、シベリア鉄道経由で郵便がなされた時期があるやもしれません。

この回答への補足

ありがとうございます。
正確には明治34年2月20日の手紙でした。
1月に次女が出産しているはずの妻から何の連絡もなかったのでその催促の手紙です。
1ト月も2タ月もかかるようでは、十分なコミュニケーションがとれなくて当たり前ですね。

補足日時:2008/05/13 21:40
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そのものズバリの情報はしらないのですが、全部船便とは限らなかったかもしれません。



日本は開国し明治に入った頃は、アメリカに日本国内の海運と、日本―中国大陸間の海運を大きく頼っていた時期がありました。
西欧においつこうとしていた日本政府は、三菱に出資というかお金を融通し、船を買い付け、海運を自国でもつよう推進しました。
最初の頃は赤字つづきだったのですが、値下げと法人需要を開拓し、アメリカに価格競争と配達日数競争を挑み、これが功を奏して、日本―中国間の海運も日本が担うようになります。

同じ時期に、大陸にあったたしか上海あたりの日本領事館にポストを設置し、日本向けの郵便物も受付はじめましたが、その後大陸の日本人が進出している他に地域にもポストを設置していきます。この頃、欧米各国が設置したポストも現地にあったようなのですが、日本人の日本向けの郵便だけ受けるのではたかが知れていますので、欧米人居住者(ご存知のように上海など、いくつかの地域は海外国の租借地になっていた)の荷物も受けていたような気もします。
その場合、郵便局は現在の宅配の集荷基地でしかなく、日本向けのものは日本の三菱にまかせ、欧米向けのものは、欧米の業者に委託したり、ロシアの鉄道が開通したあとは、そこも利用していたと思います。

記憶違いでなければ、日露戦争後も、荷物の受け渡しは満州側の日本とロシア側で、列車を越えてやっていたような記憶がありますが、どの書籍にそれが書いてったのかを見つけるのがたいへんなので、ここは断言できません。

日本―上海間が日本の海運参加で早くなったので、もしかしたら全体で1ヶ月くらいで届いていたのかもしれません。
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