【iOS版アプリ】不具合のお知らせ

結構みんな疑問に思ってると思うんですけど、探したけど無かったので質問します。
アメリカ大陸やアフリカ大陸、アジアの他の国って、
国交樹立もクソもなく問答無用で植民地にされたと思うんですけど、
日本って、不平等ではあるけれど条約結んで、割と対等に近い関係で独立を保ちましたよね。
例えばイギリスは、鹿児島だけ攻撃とかまどろっこしいことをせずに、一気に日本全土制圧とか何故しなかったんでしょう?

A 回答 (13件中1~10件)

 基本的に、問答無用で植民地となるのは近代国際法において「無主の地」となる、いかなる形態の政府も存在しない土地に限られます。


 国としての実体がある土地は、アフリカであれ西アジア・南アジア・東南アジアであれ南太平洋の島々であれ、はたまた北米のインディアンの土地ですら問答無用で植民地、となってはおりません。
 多くの場合、インカ帝国・アステカ帝国を滅ぼした16~17世紀スペインのやり口を除き、国交樹立=条約締結(不平等条約であることはいうまでもない)→何らかの口実を設けて欧米諸国による政治介入(内政干渉)を制度化→保護国化、と手順を踏んで、最後に植民地化されています。

 ちなみにアフリカの場合、19世紀まで各地に現地人による国家が存在し、奴隷などの交易品(!)は現地王国を通じて欧米と取引されていました。現地王国が健在である間は、基本的に欧州諸国は港湾+周辺地域程度の植民地しか獲得していません。
 19世紀前期に新規の奴隷輸出が停止されるまでに2000万人以上の黒人が奴隷として輸出された結果、黒人社会が崩壊したことから、欧米による植民地化に抵抗できる勢力が衰退してしまったことが19世紀半ば以後植民地化をとめられなかった大きな原因です。
 なお、黒人諸王国の中の例外として、エチオピアはアドワの戦い(1896)でイタリア軍に大勝し、独立を維持しました。エチオピアの独立維持は、同国が高原地帯の国で侵攻しにくかったこと、聖書の時代以来の伝統あるキリスト教国家であったこと、金やダイヤモンドなどの欧米が欲しがる資源がなかったためイタリア以外の列強が食指を動かさなかったこと、なども幸いしたと思われます。

幕末期~明治初期に日本に大兵力が送られなかった理由は距離の問題がまず第一でしょう。それでもたとえば中国あたりで兵員を募ることで日本侵攻軍を編成できたと思われますが、英仏露米ともそこまでする予算も余裕もありませんでした。
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この回答へのお礼

そうだったのですか。植民地化への流れは、ほとんど
スペインのアステカ帝国へのヤリ口しか知らなかったので、かなり誤解をしていたようです。
勉強になりました。
もう一つ質問いいですか?
日本は明治維新のあと、欧米の手を借りて富国強兵を行い、植民地にするのは不可能な強国になりますよね?
何故欧米はそんなことに協力したのでしょう。
植民地化するのに妨げになるだけだし、見返りは期待できないと思うのですが。

お礼日時:2005/10/12 20:26

確かにならなかった理由についての定説と言うのはあまり聞かないので、個人的な意見と言う事でしょうが、場所とタイミングと言うのが鍵だったのでしょう。


仮に先進国(侵略国)が1つだったら、他が来る前に一気にやられていたでしょうし、もっと先に国がある様なら通過地として支配を仕掛けられたと思います。
たまたまほぼ同じ時期に、中国を越えて英・仏の視野に入り、東進の果てにロシアがたどり着き、国力を成長させた米国の西進がたどり着いて4すくみになったのが大きい要因で、そういったアドバンテージを利用できる国内の力が2番目の要素でしょう。
米国の占領時に併合の意見もあったらしいですが、人口が多く意見の纏まり易い日本人を米国民にしたくなかったという俗説もあります。
結局戦争に勝ちつづけたのは英国と米国だけですから、負けた時点でそうならなかったのは、運が良かったとしか言い様がないですね。
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No.8です。

ご質問の件について若干。
(なお、古典的な意味での植民地についてのみ論じます)

 結論から言えば、日本は欧米の国内介入を許すような形の借款・外債募集を行わなかった(欧米もそれを強制しなかった)ために独立を保持し続けられた、ということになります。

 まず、他の方もいくつか触れておられますが、幕末~明治維新当時の日本は取り立てて魅力ある市場というわけでも、最優先で確保すべき天然資源の宝庫というわけでもありません。つまるところ日本列島は上海あたりを目的地とする太平洋横断航路や、北太平洋捕鯨の寄港地としてあればよい、という程度の存在ですから、日本列島にはそこそこ列強に協力的な政権があればよし、程度のものです(直接支配にはコストがかかります)。ですから、列強から無茶な要求を強制されることもありませんでしたので、自国産業・資本の育成に必要な時間を確保することができました。

 明治政府は、基本的に日露戦争まで欧米から無理・無茶な借金をせずに国家運営を行っていたので、借金の担保を口実に国内の諸利権(炭鉱採掘権や鉄道敷設権など)を欧米に売り渡さずに済みました。その代わり松方デフレなどの深刻な経済危機やら、海軍予算が足りず宮廷費から予算転用する羽目になるやら、といった苦闘を経験します。
 日露戦争の外債募集においては関税収入を担保としましたが、このときイギリス側からは当初、日本への税関監督官派遣を要求されたりしています。高橋是清がきっぱり拒否した上、戦況が(報道上)日本に有利となったためこの条件を飲まずに済んだわけですが、戦局次第では外債募集のために様々な悪条件を強制された可能性があります。

 欧米以外で日本に先行して富国強兵政策を採った国にエジプトがありますが、スエズ運河建設(総工費は当時の金額で一億ドル)や国内産業育成失敗(自国産の綿花を利用した繊維産業を育成しようとしたが、ついに自国資本と国内技術者による工場運営ができなかった)のため巨額の借金を英仏独に対して抱えて財政が破綻、1876年には英仏が財政管理を行うようになりました。その後、外国による干渉への不満からアラービー・パシャによる民族運動がおこると英軍が介入、1882年以降1954年までエジプトはイギリスの保護国となります。
 スエズ運河は戦略上の要衝ですから、どのみち列強の干渉は避けられなかったと思われますが、19世紀において下手に外国に借金をするとどういうことになるかの典型例として挙げておきます。
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No.10の方の意見はかなり過激ですが(笑)、大筋では間違っていないと思います。



欧米諸国は、別に世界制覇が目的で海外に進出したのではなく、主な目的は
貿易、つまりビジネスです。
ビジネスを進める上で、障害ができれば戦争します。
中国のアヘン戦争とか、薩英戦争、馬関戦争などですね。

しかし、戦争をするにも、口実は必要なんです。
自国民が殺された(生麦事件)とか、商戦が理由もなく砲撃されたなどですね。
そして最も効率がよいのが、内戦に介入して特定の勢力を支援することで、
その国の政治に干渉し、最終的にはその国を乗っ取る方法ですね。
実際、イギリスはインドでそれをやりました。

ですから、国がしっかりして外国につけいる隙を見せなければ、そうそう植民地
にはなりません。タイがそうですね。

日本の場合は内戦(戊辰戦争)とかがあったのですが、欧米諸国がインドや
中国でどんなことをしてきたのか、当時の日本の知識階級はよく知っていま
したので、薩長・幕府のどちらも、イギリスやフランスの後押しは受けましたが、
決して必要以上の外国勢力の介入は許しませんでした。
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長州藩と連合軍(馬関戦争)、生麦事件等で薩長は英国軍艦と砲火を交えましたよね(薩英戦争)。

長州藩に懲りて薩摩藩は大砲1基を今なら1億2500万円でたくさん購入して備えたのに、結局負けました。
実際、ペリー来航やハリス来日にしても、幕府はその対応に苦慮しました。条約(開国)を受ければ攘夷派が黙っていない、断れば国が危ないと。その頃、攘夷派は国中では会津藩を除けば、士気が高く、軍資金も豊富でした。馬関戦争、薩英戦争で攘夷派がね、討幕派に変わりました。武士がね、知ったわけですよ。かなわないと。英知を学んで国を強くしなければならんと。アロー号事件が駄目押しでした。


1853年のペリー来航がなぜあったのかというと、捕鯨ですね、このための基地にしたい。燃料の補給とか。それ以外にもうひとつ理由があったんですよね。中国との貿易で日本を中継基地にしたいと。お茶の貿易とかのね。

当事、清国では列強が進出していまして、清国がそれらを自由にさせまいと、押し込めるつもりで租界地を指定しました。英国、仏国、米国、露国と(遅れて日本も)それらの租界ありました。ちなみに治外法権を史上初めて打ち出しのが米国です。彼らが何をしたのかというと、貿易ですよね。お茶ですね。これで商人は設けようとしていました。でも、これ違うんです。アヘン戦争で知っているように、アヘンなんです。アヘンがね、清国で馬鹿売れでした。日本もね、実は狙われていたんですよね。ポルトガル、オランダの租界地(出島)が日本にもありました。ここからね、アヘンを日本人相手に売ったんですよ。でも、どうも反応が悪い。買ってくれないんでよ。日本人が。だから、日本は魅力がないと列強に知れ渡りました。アヘン儲かりますね。清国人はこぞって買ってくれます。清政府もね、初めは人民のことなんかどうでもいいから、ほっといたんですけど、その間にアヘンが蔓延しちゃってどうにも具合が悪くなったんですよね。それでね、林則徐が登場してアヘン戦争です。結果出ましたから、拍車掛けて売りまくりますよ。(1917年に帝国が阿片の輸出停止をし、国際連盟がアヘン禁止勧告をするようになって、租界も渋々とアヘンを自粛しだしました。でもね、アヘンの取引場所をフランス租界へと移して、供給者がイギリスから中国の軍閥にね、変わっただけなんです。)アヘンでね、清国保有の銀が底ついてしまいました。その当時は、銀本位制だったんです。アヘン中毒で身を滅ぼした人々は財産なんてありませんから、市中に流浪します。アヘンが必要だからどんなことでもしますね。
日本でも朝鮮総督府とか関東軍の費用ですね、これ現地調達を本国から仰せつかっていました。本国が面倒みてくれないということです。それで、アヘンを朝鮮人や清国(支那)人に売りさばきました。アヘンは国を滅ぼすとも言いますから、軍にとってなおさら都合のいいことでした。およそ5000トン、売っていますね。「阿片王」二反長音蔵がこれに貢献しています。日本で名高い財閥がこれで儲けていますね。財閥間で取り合いでした。

当時の米国は鉄道開通工事が急ピッチで進んでいました。鉄道王ハリマンですね。サボテン生えている砂漠をね、生えてない砂漠もありましたが、これの工事は過酷なんですよね。ギラギラと差す日光の炎天下の下で、重労働、とても出来ないものでした。当時はね。で白人は「こんなもの、安く有色人種にやらせばいい」と考えるものなんですね。当時の白人になってみればわかります。いい考えだ、となったわけですけど、黒人がもう自由にアフリカから引っ張って来れなくなっていたんですね、米国は。インディアンの数では足りない。ちょっと殺しすぎましたから。それでね、中国にアヘン流民が居るじゃないかと、こいつらをアヘンをえさにして米国へ引っ張ってくればよいとなったわけです。

米国はお茶、生糸、絹、陶器が欲しくて、ペリーを使って、日本を中継基地にして中国と貿易したがっていたわけではないんですね。アヘン売買と労働力とで中国が魅力的だったわけです。実際、たくさんの清国人が米国に渡って鉄道工事に携わっています。労働力の移民、これ「ブタ貿易」と言っていました。豚ですね。


日本が植民地化されなかった理由は、日本に魅力がある供給が出来ない国だった。これ以外にありません。米国はアヘン売買と労働力を中国(清国)に求めていた。ほかの欧米列強もそうです。
これ以外の答えはすべてデタラメです。そういうことです。


日本も戦後は植民地化されていますね。白人はこういうこともうまいです。我々、日本人が植民地人なんて、なかなか分かりません。
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ヨーロッパから最も遠いところに位置し,アメリカとは広大な太平洋を隔てている地理的条件が大きかったと思いますが,それに追加してタイミングの良さがあったと思います。


ペリーが来た1853年から1867年の大政奉還までの15年間が日本にとって最大の危機だったと思います。
その期間に日本に幸いした出来事を列記します。
1.クリミア戦争(1853~54)
2.インドのシパーヒー(セポイ)の反乱(1857~58)
3.太平天国(1851~1864)
4.アメリカ南北戦争(1861~1865)
1.2.3はアジアの勢力が欧米に対して抵抗した戦いだといえます。その抵抗に手を焼いていた欧米諸国は日本を支配できたかもしれない好機を掴めなかったということです。また,一番余裕のあったアメリカでちょうど南北戦争が起こってくれたのはラッキーとしか言いようがないと思います。
タイミングの
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過去に似た質問の回答をしていますので、参考までに読んでください。



『日本はなぜ(半)植民地にならなかったの?』
 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=274013
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戦争をするときに問題なのは、


「占領」と「破壊」です。
占領で最も困難なのは、両陣営の戦死者、及び占領地の非破壊です。
当時百万人都市をそう易々と「占領」は戦術的にできないのです。
それに占領は維持するのがとても大変なのです。
占領するのは「搾取する民衆」がいないと意味がありません。民衆蜂起が一番やっかいなのです。
それなら、自国に有益な条約を結んで血を流さずに優位に交易する方が楽だからです。

それに比べて、中国、朝鮮の戦争は「破壊」を目的としています。
なので簡単に都市を焼き、乱暴狼藉は常識、民衆を虐殺します。
古代より中国の領土が広がらないのは軍事行動が占領ではなく、破壊だから広がらないのです。


補足:江戸幕府は「徳川の軍事独裁政権」です。
そんな政権にケンカしようとするアホな国はいません。
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外国と紛争を起こせば江戸は火の海となり、


黒船4隻で国はなくなります。
4隻でたちまち植民地です。

アヘン戦争では、清は南方に全兵力の数十万人を投入していて、北方は無防備に近かったので、
黒船の速度を生かし、
黄海へ高速移動して千人たらずの兵力で首都を制圧して降伏させています。

日本で言えば、江戸に戦力を集中していれば、電光石火で京都の天皇を捕虜にするような事です。

幕府は、このような正確な情報でもって国政を責任をもって担っていました。
何も知らない志士達が、出来ない「攘夷、攘夷(武力排除)」と京都に登っていったのです。

日本を救ったのは、戦争回避、開国政策です。
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イギリスの事情として、アヘン戦争、アロー戦争に忙しかったということもありますね。


ちっぽけな島国よりも清の方が魅力的だったでしょうし。
日清戦争に参戦しようとしたときにはボーア戦争に忙殺されたりしましたし、タイミングが悪かったですね。

もっと遡ればオランダがなぜ日本を植民地化しなかったかという問題です。
アンボイナの虐殺によってイギリスを破り、インドネシアや台湾を手中に収めました。
ところが、台湾は鄭成功に奪われ返されました。
それなりの武力を持った台湾や日本を遠く外国から来た軍が支配するのは困難なのでしょう。

薩摩や長州が外国と戦いましたが、せいぜい浜辺までしか攻め込まれませんでしたし。
制圧するなら、最低でも数万人の兵が必要でしょうね。
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