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テレビで見て感動しました。そこで混同しているのでどなたか整理して下さい。硫黄島とラバウル島(軍歌にもあるからこちらの方が知名度が高い!?)との位置関係、時系列、戦火の規模など・・ネットで検索しましたがいまいち把握できませんでした。どなたか愚弄な私の知識を整理してください。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

第二次世界大戦における日本軍の大きな戦略は


東南アジア占領→(資源確保→)アメリカ-オーストラリア間海上封鎖→オーストラリア孤立→オーストラリアと単独講和→アメリカと停戦をまとめる
というものでした。

この意味で言えば、真珠湾とミットウェー攻略はあくまで補助的な作戦という位置づけになります。実際山本五十六は両作戦の実行に進退をかける必要がありました。

さて、日本軍は開戦初期に東南アジア各国を電撃的に占領することに成功し、東南アジアの南端というか、オーストラリア、ニュージーランドの近海まで、その占領下におきます。
ラバウルはこの時の南太平洋地域の攻略拠点で、早くも開戦後まもない昭和17年1月には日本軍はここを占領しています。

その後同年3月にフィリピンのアメリカ軍が、オーストラリアに退却する(日本の完全占領は7月)に及んで、アメリカ-オーストラリア間の海上封鎖作戦は太平洋地域における日本海軍、もっと言えば日本軍の主要な戦線となります。

同年8月から連合軍の本格的な攻勢をうけ、徐々に日本軍はその拠点を1つまた1つと失い、最終的に航空拠点であったラバウルの航空戦力は完全に奪われ、事実上拠点としての意味を失います。

その後連合軍は北上し、サイパン、グアムを占領し、ここから日本に対して苛烈な航空爆撃を加えることなります。

硫黄島は、こうした爆撃隊の緊急時の着陸場所件補給基地として戦略的な意味があると思われ、また、爆撃隊に対する迎撃を行う際の一番早期のレーダー基地があるため攻撃を加えることが有効と思われたため、1945年に入ってからアメリカ軍はこの島を攻撃するのです。

戦火の規模としては、ラバウルでは1年半以上の長期にわたって最前線である中南太平洋方面の攻防に対して、航空基地として、後方拠点として重要な役割を果たしており、南太平洋地域の戦い全体がラバウル二関係する戦いともいえるので、関係する軍勢はのべで言えば陸上兵力10万以上航空機千期以上海軍の主要艦船数十隻ということになるでしょう。
この戦闘はまさに太平洋戦争の中核をなす戦いであり、戦略的にも最も重要な戦いであったといえます。
これに対して硫黄島をめぐる戦いは日本軍2万対連合軍7万+艦船多数+航空機多数の戦いで、一続きの戦いとしては比較的規模の大きな戦いであったというレベルです。
また、硫黄島の戦いはたとえ日本軍がここを防御できたとしても日本本土への戦略爆撃自体は止められないため、戦略的には重要度の高い戦いとはいえない戦いです。
アメリカとしては、島全体を占領することは戦略的にはそれほど重要ではなく、実際上陸開始から10日間程度で緊急避難基地として活動を開始しています。

ラバウルは中核的な戦いを支えた基地であり、硫黄島は終戦間際の絶望的戦いという感じです。
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硫黄島の占領は、日本本土空襲に影響を与えています。


日本本土に近い飛行場を得たため、'45年4月7日からP51マスタング戦闘機がB29の護衛として付くようになり、日本軍の迎撃作戦が一段と困難になりました。さらに沖縄陥落後にはP47サンダーボルト戦闘機も日本本土攻撃に参加、これに空母艦載機を加え、戦略爆撃機だけでなく小型機によっても本土が蹂躙されることとなったのです。

一方、そのころラバウルは補給を絶たれ、ほとんど放っておかれました。戦場が本土に近づく中、南太平洋に孤立して戦略的価値を失い、日本側からの攻勢もかけられなかったからです。
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ラバウルはオーストラリアのちょっと右上。

日本軍の中部太平洋攻略の際に非常に重要な役割を果たしました。地形も非常に良かったため、最大の先端根拠地でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90% …
戦闘の期間としては大戦初期(1942年1月占領)からとなります。
1942年8月以降からのガタルカナルでの戦いで戦力の大半を消耗し、1943年10月、11月のラバウル攻撃にて実質的な戦闘力はほぼ壊滅しますが、アメリカはそれ以上の積極的な攻撃はしなかったため、終戦まで日本が確保しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90% …

硫黄島は一応東京都。南1000kmぐらいの位置にあります。
直接の戦闘の舞台となったのは終戦間際の1945年2月~3月のみ。本土防衛のためのレーダー網としての最終防衛地点のような扱いで、アメリカ軍にとってみれば、グアム、サイパンからでも東京本土に直接届くので無視しても良かったのですが、丁度位置的に邪魔であり好都合な位置にあった(B-29の不時着ポイントに丁度よい)ので、攻略されることとなります。

・位置関係
日本のちょっと下というのとオーストラリアのちょっと右上という感じで全然違います。
・時系列
ラバウルは大戦初期~中期、硫黄島は大戦末期。
・戦火の規模
ラバウルの場合はあくまでもラバウル周辺の戦闘の中心で、硫黄島は硫黄島そのものが舞台です。規模の比較はラバウル周辺というのをどう捉えるかで変わります。
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硫黄島:日本の領土 映画上の戦闘は1945年02月19日(アメリカ軍上陸開始)~03月26日(日本軍組織戦闘終了)当たり


ラバウル:パプアニューギニア領ニューブリテン島 1942年より日本占領
ラバウル航空隊は日本海軍の航空隊 歌の元になった航空戦は1943年10~1944年02月頃。
1944年02月に残っていた部隊がトラック島(カロリン諸島)へ撤退した為事実上消滅。

硫黄島攻略戦:アメリカ軍の死傷者(21865名)が日本軍死傷者(20129名)
なお、栗林大将の最後はよく分かっていないそうだ。(遺体が見つかっていないので)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84% …
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