
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
物質が原子という粒で出来ているということはかなり早くから使われていた考えです。
粒の存在は気体、液体の拡散や混合である程度確かめられます。でも実体としての原子はわからないままでした。分子という塊についてはなおさら「?」でした。見えもしないのに何故そういうことが言えるのかという反対論は根強かったようです。アボガドロの分子仮説というのがあります。「仮説」というのがついたままで教科書に載っていました。20~30年前でも「仮説」がついていました。ある分野の人達は分子が実在するとしてどんどん使っていました。有機化学の分野での使われ方はかなり先に進んだものだったようです。でも反対する人は「仮説」としてしか認めていませんでした。
分子の実在が公に認められたのはアボガドロ数の値が確定してからだということです。ペランの「原子」という本が岩波文庫にあります。その本の中に「いくつかの方法で求めたアボガドロ数がほぼ同じ値になるということはその元にある分子という実体が確かに存在するするということを示している」と書かれています。ブラウン運動の理論はアインシュタインですが測定はペランです。アインシュタインはブラウン運動の理論でノーベル賞をもらっています(1921年)がペランもこの仕事でノーベル賞をもらっています(1925年)。分子の存在の確定は20世紀になってからだという事です。それに従って原子も確定したことになります。
ちなみにアボガドロ数の意味でロシュミット数と呼んでいたこともありました。理化学辞典では0℃、1気圧で1cm3の気体の中に含まれる分子の数を最初に測定した(1865年)ことからの命名であるとあります。」個々の測定は結構早いのに個別のこととしてしか認められていなかったということのようです。
アボガドロの法則が発表されたのは1811年です。
ご回答は大変参考になりました。
ペランという人は、単にアインシュタインの示した実験を行ったというだけでノーベル賞をもらえたのでしょうか。
ウー(呉健雄)女史は、パリティ対称性の破れに関して、ヤン(楊振寧)とリー(李政道)の示した実験を実際に行った人ですが、ノーベル賞はもらえませんでしたよね。
ウー(呉健雄)女史がノーベル賞をもらえなかったのに、ペランがノーベル賞を受賞できた理由は何でしょうね。
ご回答していただき、どうもありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
完全に証明された時期は知りませんが,
化学の分野ではドリトンの時代(19C初頭)には,ほぼ原子・分子という考え方が,確立されていたようです.
物理の分野では,マックスウェルやボルツマンなども気体分子運動論で原子・分子の存在を主張していました.(統計力学の不幸な点は,量子論的な効果を入れないとうまく説明できないのだが,その当時は量子力学がまだなかったという点だと思います.)しかしうまく説明できない要素もあり,アインシュタインのブラウン運動に関する論文(20C初頭)が決定的な裏づけになった様です.(マッハなどがかなり批判的だったので,化学の分野よりかなり遅い認知だったそうです.)
ご回答ありがとうございました。
アインシュタインのブラウン運動の論文が高く評価されているということですね。
ご回答大変に参考になりました。
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