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最近リビアのガダフィ大佐についてのことに興味を抱いたのですが、彼はリビアの大統領なのでしょうか??大佐とは?すごくここのことについて無知なので初歩から説明していただけるかたお願いします。また、ガダフィとアメリカ、イギリスそのほかの国々との関係とは?リビアの情勢は現在どうなっているかなど、教えてください。お願いします。

A 回答 (3件)

『軍事板常見問題』より


http://mltr.e-city.tv/index02.html
「中近東FAQ」から
http://mltr.e-city.tv/faq02.html
リビア関連
http://mltr.e-city.tv/faq02.html#01003b06
【質問】リビアのカダフィ Muammar el Kadafi は、なぜいつまでも大佐のままなのか?
http://mltr.e-city.tv/faq02b.html#colonel-kadafi
【回答】ずっと大佐なのは、ニックネームとして本人が気に入ってるから。
 リビア革命評議会で将軍の称号を贈る議決がされた時は、そう言って辞退してる。

 ちなみに、革命時のカダフィはリビア王国陸軍中尉。
http://www.galenfrysinger.com/qadhafi.htm
 革命の翌年には軍籍を離れている、
 正式な肩書きは「革命指導者(=リビア元首、最高指導者とも訳される)
 他に首相等も兼任していた時期もあり、
 それがなぜ大佐を名乗ったかといえば、52年にエジプト革命を起こしたエジプトのナセル陸軍大佐に憧れていたから。

要はケンタの創業者が「カーネル」サンダースと呼ばれてるのと一緒

なお,リビアには大将以下複数の将官がいる。(軍事板)
【参照】
 「リビアのカダフィ大佐って何者?」
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_70.html

【質問】なぜリビアのカダフィは、反米強硬路線をやめたのか?
http://mltr.e-city.tv/faq02b.html#kadafis-change
【回答】リビア国内のイスラーム過激原理主義反政府ゲリラに対抗するため。

 88年に米国のパンナム旅客機がスコットランドの空港で爆破され、270人が死ぬという事件があった。
 このテロの容疑者がリビア人で、母国に逃げ帰っていることが判明したため、米国が容疑者の引き渡しを求めたがカダフィ氏は応じず、米国は問題を国連に持ち込んだ。
 国連はリビアに武器や石油生産関連機材の輸出を禁止することを決議し、その後2001年まで、経済封鎖が続いた。

 欧州の国々の中には、イタリアなど、エネルギー供給をリビアからの石油輸入に頼っている国があり、米国主導のリビア経済制裁を厳格には守っていない部分があった。とはいえ経済制裁でリビア国内での輸入品価格は高騰し、石油の売上げも落ちたため、人々の生活は苦しくなっていた。
 サウジアラビアなど、石油収入に潤う他のアラブ諸国の人々の生活レベルが非常に高いことと比べると、リビアの人々が反カダフィに傾いてもおかしくはなかった。

 こうした事情を背景に、リビア東部にある第2の都市、ベンガジでは、95年当時から反カダフィのゲリラ組織が作られ、東部の山岳地帯ではゲリラ戦の訓練も行われるようになった。
 軍関係者の中にも、トリポリのゲリラを密かに支援している人々がいるとされ、そこから武器供給や軍事訓練などの援助が行われたようだ。

 この反カダフィ・ゲリラ集団をイスラーム過激原理主義者とカダフィは見なしている(ただし、実際には欧米型民主主義を目指している反カダフィ・グループもいる模様)ため、米国のイスラム原理主義者攻撃は国内のテロ集団をやっつける援軍と思っている。そのため、カダフィは対テロ戦では、米国の味方になった。
 例えば、パンナム旅客機の犯人引渡し、賠償にも応じることになったし、米国のアフガーニスタン攻撃が始まると、
「米国の攻撃は正当。タリバンはイスラムではなく、無神論者だ」
と述べている。(2001年10月8日)

 また、米国としてもリビアの石油補給がイラク戦争で中東の石油情勢が不安定になるため、リビアが重要と考え、カダフィのリビアを米国対テロ戦争の味方にし始めている。
 これはチェチェンに苦しみ、かつ石油があるロシアと同様な立場になったと考えた方がいいようである。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/141012.htm
(引用終了)
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1980年代、リビアは、ちょうど今の北朝鮮のような感じで、よく国際的に話題になっていました。


その当時、リビアは世界中のテロ組織を支援していたからです。日本赤軍、旧西ドイツのバーダーマインホフ、カルロスグループ、アブ・ニダルグループ、パレスチナ過激派諸派、イギリスのIRA、イタリアの赤い旅団、スペインのバスク人分離独立派、トルコの灰色の狼などです。あまりの過激さにアメリカはカダフィを「砂漠の狂犬」と呼んだこともありました。
当時、アメリカには中東に特に仲の悪い国が3つありました。そのうちのひとつがリビアでした。(ちなみに、あとの二つはイランとシリア)
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はじめに、まず×「ガダフィ」 ○「カダフィ」です。


彼は「大統領」ではなく「実質的な国家元首」です。

彼が「大佐」のままでいるのは、彼が尊敬しているエジプトのナセル元大統領が、革命を起こして王政を廃止したときの階級が「大佐」だったからと伝えられています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%A2% …
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