No.3
- 回答日時:
「時空を超えて善であり、あるいは悪であること」のような気がします。
ただ、善悪に対してこのような普遍性を持つ解釈があったとして(個人的には、人間の可能性を阻害しないのが善、などという解釈も可能ではないかと思いますが)、
どこまで現実的有効性を持つのか、という点に関しての答えは用意されていないのかもしれません。
結果として非常に広義の定義にならざるを得ないように思います。
「善悪」に関しては安易に現実的判断を下さず、
「哲学的善悪」とすり合わせを行ないながら模索していく姿勢自体が「哲学的」と言えるような気もします。
この回答への補足
>時空を超えて善であり、あるいは悪であること
よく意味が分かりませんので、補足して頂けないでしょうか?
特に気になるのは、時空を超えるの意味です。
どうかよろしくお願い致します!
>「善悪」に関しては安易に現実的判断を下さず、
「哲学的善悪」とすり合わせを行ないながら模索していく姿勢自体が「哲学的」と言えるような気もします。
確かにそうかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました!
No.4
- 回答日時:
行動基準におけるカテゴライズの一種ですかね。
個人の利益よりは社会、あるいは共同体全体の、それもその個人が認識できるうえで最大の世界レベルにおける良し悪しというか。結局は個人的な経験に左右されるものであって人類全体、あるいは身近な二人の間ですら共有できるかどうかわからない概念だとは思いますが。
定義はともかく具体的な行動レベルだと完全に感性で判断するしかないだろうし。
>定義はともかく具体的な行動レベルだと完全に感性で判断するしかないだろうし。
確かにそうですよね。
アドバイスありがとうございました!
No.5
- 回答日時:
善悪については、哲学の大御所達が語ってきました。
その限りにおいては、行動の基準となるもの、と言えるかもしれません。
善悪が定められていないことについては、どう振る舞うことも自由ですが、その代わりどれかを選ぶということはできなくなる。しかし生きている限りは選択を迫られるので、何かしらの理由をつけてどれかを選ぶしかない。その時に設定される「行動の基準」が善悪である、と私は解釈しています。
しかし、ニーチェが登場してから、その様相はがらりと変わります。
善悪はどうやって生まれたか、とか、善悪を超越した彼岸について語られはじめたのです。
これは現代に大きな影響を与えています。
その後20世紀は、「善悪を抜きにした学問」として科学技術が進歩しましたが、大きな戦争や公害をもたらすことになりました。その反省を踏まえてモラルが問われる時代になったのが今です。
私が尊敬する思想家のウィトゲンシュタインは、善悪のようなものは「語りえぬもの」であるとし、それについては「沈黙しなければならない」と述べています。彼は善悪は哲学の問題ではない、と言い切っていますね。
私たちが「善悪」と日常使う時、どうしてもその局面に応じて判断された善悪のことを指します。将棋に例えれば相手の駒を取ることは目先の善ではありますが、その結果負けてしまってはなんにもなりません。目先の善悪に惑わされると、最終的な目標を見失ってしまうことが多いのです。
善悪を語ることは、賢慮の欠如なのかもしれません。
>生きている限りは選択を迫られるので、何かしらの理由をつけてどれかを選ぶしかない。その時に設定される「行動の基準」が善悪である
なるほど、確かにそんな気がしますね。
>善悪のようなものは「語りえぬもの」であるとし、それについては「沈黙しなければならない」
そんな見方もあるんですね。
>善悪を語ることは、賢慮の欠如
確かに、目先の善悪に惑わされて本質が見えなくなるのは、賢慮の欠如かもしれないですね。
詳しいご回答どうもありがとうございました!
No.6
- 回答日時:
ものすごく単純化して言うと、歴史的にみて最初に成立したのは、
共同体が決める規範=善悪でした。つまり、人間が集まって共同の
生活をするようになると、お互いの利害を調整するために、善悪の
基準が生まれてきます。「おらが村の掟」ですね。
もう少し進化したのが、宗教が決める善悪です。これは、キリスト
教に典型的に見られるのですが、小さなや民族を超えた超越神
というものがいて、それが全ての世界を創造した存在で、なおかつ
善悪をも司っている、という考え方でした。これが今までと何が違
うかというと、善悪は人間やその共同体が決めるものではなくて、
それをはるかに越えたところにあるのだ、という「革命的な」考え
を導入したことです。
今日でもアメリカでは妊娠中絶の善悪などに関して、日本では想像
できないくらいに厳しい議論が行われますが、これは「神の掟」を
守るかどうか、というレベルで、彼らが考えているからですよね。
この「神の決める善悪」という考え方は、20世紀になってニーチェ
が「神は死んだ」と宣言することで、だいぶ揺らぐことになりまし
た。ニーチェは宗教的な善悪を否定したのであって、善悪そのもの
を全て否定したわけではないと思うのですが、彼の思想が影響力を
もった結果、恐るべき事実に我々は突き当たりました。それは、
「善悪を決める決定的な根拠など、ないかもしれない」という、突
き詰めるととてつもなく恐ろしい考えだったのです。
「善悪の根拠はない」とすると、実は殺人でもなんでも、全てが肯
定されることになりかねません。そして、確かに善悪を決める絶対
的な根拠など、ないのです。「善悪に絶対的な根拠はない」という
考え方は、「善悪はああも言えるし、こうも言える」という、相対
主義の考え方を広げることになりました。
また、善悪はわからないのですが、「快楽」ならわかる、という考
え方も広がりました。「善悪」は考えると難しいのですが、「快苦」
は、誰にとっても明瞭なものだからです。「快=善」と考えると、
ある意味すっきりします。これに「他人に迷惑をかけてはならない」
という前提がついた上で(これがないと、殺人でもなんでもOKという
ことになってしまいます)、個人は快楽を追求してよい、という考え
は、資本主義的な価値観と相まって影響力をもつようになりました。
こうした風潮に対する反動で、善悪というものは、証明などしなくて
も、根拠などなくても、理屈抜きであるのだ、という考え方も根強く、
中でもそれを伝統の中に求めようとする主張が今日では強くなってい
ます。会津白虎隊の「什の掟」の最後には、「ならぬものはならぬもの」
という掟がありますが、善悪は、もはや考える余地なくあるものだ、
ということですね。また、イスラム原理主義のような、宗教的な善悪
に回帰していく傾向も、世界的には強いです。
突き詰めて考えると、例えば殺人がいけない、としても、それは人間
のレベルで考えている話で、動物まで広げて考えると、人間が牛や豚
などを殺して食べるのは正当なのか?などという問題も出てきます。
ニーチェ以降の私たちには、安定してものを語れるような地盤がなく
なってしまいました。哲学者は、無重力状態の中でなんとか善悪につ
いての解答を見つけようとしている、というのが、現在の状況といっ
てもよいのではないでしょうか。
>哲学者は、無重力状態の中でなんとか善悪につ
いての解答を見つけようとしている
そういう現状があるわけですね。
それにしても、善悪の基準を定めるのって困難ですよね。
歴史的背景からのとても詳しい説明によるご回答ありがとうございました!
No.7
- 回答日時:
#3です。
ご返事ありがとうございました。哲学は全くの素人でして、他の回答者の方々の見解を拝見でき非常に嬉しく思っております。
ご質問者の方にも感謝いたします。
「時空を超えて善であり、あるいは悪であること」に特に深い意味などはありません。
仮に「完全なる善悪」があるとすれば、それは普遍性を持ったものでしょうし、即ち時間や空間を超越した概念であるはずです
しかし、誰にとって「完全なる」なのかということを考えた場合、今度は「完全」とはどのような状態かという問題が出てくるはずです。
人間は他の生命を犠牲にしなければ生きられない存在であるという事実がある以上、
全ての状況に通用する「完全なる善」というものが果たして成立し得るのか。
これを特定して言語で表現しようとすることは、神の存在を確認しようとするのと同じぐらいに難しいことなのかもしれない。
しかし、表面的な現実的判断を安易に下さずに本質的善を模索しようとする姿勢自体が哲学的善であり、
そこから導き出される善は、完全とは言えなくとも次第に理想形に近づいていき、「完全なる悪」の放逐に多少なりとも有効な現実性を持ち得るのではないか、と思うわけです。
>完全とは言えなくとも次第に理想形に近づいていき、「完全なる悪」の放逐に多少なりとも有効な現実性を持ち得るのではないか
そうですね、確かに理想形に近づけば、完全なる悪の放逐に有効な現実性を持ち得るかもしれませんね。
補足に対しての詳しいご回答どうもありがとうございました!
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
古代ギリシャ哲学で、義だったか善だったか忘れましたが、今回 義も善も同一として考えるとして、、、、
集団全員が同じ思考だと、たとえ間違えていても、善としか思えませんよね。
これはいくつかの宗教が正義とう名目で大量殺人をやっていることと同じことです。
大量殺人 のっとり行為ですが、それは善だとその宗教は言い張っています。
その宗教全体が同じ思想なので、日本人が見て大量殺戮 強奪としか思えない悪事を、その宗教・国家は全くの善とて、暴力と威嚇と強迫により他の国を脅して文句を言わせないようにしている。
その宗教・国家がヤクザ・マフィアなわけです。
宗教という名の麻薬を信者に与え、奴隷としてしまった。
全くの欺瞞で愚かな宗教団体ですが、、、彼らは気づきもしない。
全体が同一の思想になるよう刷り込まれてしまったからです。
自分達の教義を疑うと死んだら地獄に落ちると刷り込まれたので、疑う自由も許されない奴隷が信者の実態です。
さて、古代ギリシャ哲学では、義を証明するにはどうしたらいいかと考えたようです。
それは、全ての善をその人から剥ぎ取ってしまうというやり方。
例えば何か善をやった褒美として名誉を与えられたら、その人はその褒美のために善をやったのかもしれないですよね。
あるいは誉めてもらうとたくらんでやったかもしれない。
それではその人が本当に義なのか証明できない。
そこで、その人から全てを奪うのです。
名誉も地位も財産も全て奪い取って、鞭打たれ槍で突かれ十字刑になろうと、最後まで善を訴え続けた場合、その人は善だとなる。
こう古代ギリシャ哲学では考えたようです。
確か紀元前、、、何百年頃だったか忘れました。
>集団全員が同じ思考だと、たとえ間違えていても、善としか思えませんよね。これはいくつかの宗教が正義とう名目で大量殺人をやっていることと同じことです。
そうですね、かつて日本でもオウム真理教がそうでしたね。
とても詳しい説明によるご回答ありがとうございました!
No.9
- 回答日時:
哲学的にとは哲学的な見解での善悪でいうならば、
その定義はありません。
その2極は社会的または倫理的かつ道徳的見解において
検証評価されるべきものであり
哲学的などという思考ゲームや理屈問答において
それを問うことは無意味です
善悪とは性善説や性悪説などの宗教的土壌に根ざした既成概念や
政治的背景に照合された思想的見地での善悪という
きわめて流動的で解釈に変化をともなうものまで、
標準化された基準値が、
時代や場所に左右されるものであり、また
個人レベルでの解釈によっても
その判断hあまちまちであります。
>その2極は社会的または倫理的かつ道徳的見解において
検証評価されるべきものであり
哲学的などという思考ゲームや理屈問答において
それを問うことは無意味
確かにそうかもしれませんね。
哲学において、善悪を問うのはおかしいかもしれません。
やはり、善悪は極めて流動的で、解釈に変化を伴うものなのでしょうね。
アドバイスどうもありがとうございました!
No.10
- 回答日時:
遅ればせながら、素人が少し。
善悪に関しては今まで色々と質問もあるでしょうし、
なかなか難しい問題のようです。
私見ですが、一先ず、カントから始めるのが分かり易いのではと思います。
「我々の住む世界においてはもとより、およそこの世界のそとでも、無制限に善と見なされえるものは、善意志のほかにはまったく考えることができない。」
「それだから常識がこのコンパスを手にして、およそ事の起きるたびに、何が善であり何が悪であるか、何が義務にかない何が義務に背くかを判別する技に熟達している様子を指摘するのは、極めてたやすいことであろう。・・・それだから誠実で善良あるためには、それどころか賢明で有徳であるためには我々は何を為すべきか、ということを知るのは、何も学問や哲学を必要としないのである。」道徳形而上学原論 岩波文庫
つまり、カントは、善悪については誰もが知っている。
しかし、感性や傾向性によって、善を実践することは容易ではない。としています。
ではなぜ、人は善悪について尋ねるのでしょう。
善は誰もが分かっている、しかし
私の善、あなたの善、私達の善、社会の善と考えると、同じ善が対立する事は容易に想像ができます。
そこで、色々な議論が現れてくるのですが、善悪に関しては、因果関係が確認できないというか、同じ行為が善とも悪ともとれる訳で、常識的な結果から善悪を判断する事は、哲学的な思考からは、少々ずれてしまうのかも知れません。
さてさて、
私はカントの説を一先ず信じたいですね。
善とは何かと問う事、善の根拠を追求する事は、善の名において、悪を行う議論のすり替えかもしれません。
例えば、道で子供が困っていたり、中学生が隠れてタバコをすっていても、あれこれ理由を付けて、見てみぬ振りをする事が多いでしょう、理由を付けるという事は、すでに、した方が善い、でも・・
私たちは、善とは何かについては、よく知っているのです。
>私たちは、善とは何かについては、よく知っているのです。
そうなんですかねー、いろいろ考えれば考えるほど自信ないですが・・・。
詳しい説明によるご回答ありがとうございました!
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