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有名な武将の武田信玄と上杉謙信は、何故いつもセットで出てくるのですか?
お互いが強敵だったのは知っていますが、他に敵がいなかったのか、何か特別な因縁でもあったのでしょうか?
あるいは単に有名な作家の原作で取り上げられて、以来セット扱いになったのか教えてください。

また、川中島の戦いで敵に塩を送ったというのは嘘で、塩の運搬を妨げなかっただけだそうですが、
卑怯なことを嫌った昔の戦いで、塩の運搬を妨げなかったことが、それほど異例なことでしょうか?

お分かりになる方、よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

武田と上杉は隣接しておりお互いに敵対関係にあっただけです。


双方とも有名な武将で戦争に強く竜虎とならび称されたのでセットになっただけです。

共に他にも敵はいましたが永年にわたり度々たたかいました。

武田の領国は海に面しておらず、塩は相模や越後から移入するしかなかったのですが、これらの地方とは敵対関係にあり、相模の北条氏が武田を困らせる為塩の販売を差し止めたのです。

この時越後からの塩の販売を上杉は妨害しませんでした。
塩は生活必需物資であったので兵糧攻めと同様な意味をもちます。
武田の領国は海に面していなかったので間接的な兵糧攻めに等しく異例なことではありませんが特殊な手段で他に例はみられません。
しかし武士だけでなく領民まで狙う経済封鎖だったといえます。
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この回答へのお礼

分かりやすいご回答ありがとうございます。
塩についても、よく分かりました。

お礼日時:2006/12/29 23:25

まず、塩止めは事実かどうかわかりません。

平時の塩の購入ルートは駿河経由が中心です。武田は一時北条(相模)今川(駿河)と敵対したので、物資の封鎖はありえることです。ただし鉄砲や火薬ならともかく、塩のようなありふれたものなら当然他のルートから入ったでしょう。まず主要な街道(中仙道)で同盟国の織田領経由で、岐阜(美濃)から長野(信濃)にはいるでしょう。次に当時武田は西上野(群馬)に所領があるので、常陸(茨城)経由の塩を買い付けることが考えられます。あとは輸送に難儀しますが、越後経由や越中~飛騨→信濃といったルートもありえるでしょう。たとえ北条今川が塩止めをしても、他国の商人を利するだけのように思えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに塩がなくては、武器があっても全ての人々が困るでしょうから、
塩を止めるというのは有効な方法だったかもしれませんね。
塩の流通を止めたかどうかも、確かではないとは知りませんでした。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/12/31 12:56

武田信玄と上杉謙信がセットというのは・・・まあ、これは江戸の武田最強思想と、明治~昭和初期の講談ものを引きずっているとしかいえません。



江戸時代、甲陽軍鑑という書物が、軍事関連の書物の最高峰だったのですが、それが武田家の軍記物語なのです。
で、その中でもやはり人気があるのが川中島合戦。ちなみに、実像不明な山本勘助がここまで有名なのは、ひとえに甲陽軍鑑のおかげです。
幕末~明治に入ると、戦国時代のいろいろな武将が講談物、つまり赤穂義士伝とか、国定忠治みたいに、脚色を多少加えて、いろいろともてはやされたのです。真田十勇士と真田幸村とおなじで、実在の人物とはかけ離れたところでもてはやされたのです。
もっとも、信玄と謙信の場合は、「武田二十四神将」「上杉二十五将(まあ、これはちょっと違うのですが・・)」などの存在からも、脚色が時代を重ねるごとに増しているのが分かります。

ちなみに、信玄が死亡したときのエピソードである「敵に塩」は頼山陽という人が美談としたこともあり広まっているのですが、しかし実情は、どうも交易の都合上(軍費調達の必要上)から甲斐商人への塩販売を禁じなかった、程度のことであると考えられています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/上杉謙信
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/29 23:26

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