プロが教えるわが家の防犯対策術!

自己犠牲とは?

ひとは皆、自己犠牲の性質を宿しているのではないですか?

自己を犠牲にして、得られるものを、本能的に知っている気がします。

それは、今の自分にとって可能な範疇で行われる場合がほとんどでしょうが、あるときには、自己の器を越えた自己犠牲を発揮する場合もあります。

それによってなにかが得られると、ひとは知っているのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

犠牲とは選択であり、ある種取引ではないでしょうか。


ある人の犠牲により誰かが助かる。八百屋でお金を出して大根を買う。違いが無いようにおもいます。とても邪悪な言葉です。

ただ、hosiboshiさんが言っておられるのはそれではありませんね。この種の問いを自問するときいつも思うのですが、定義された言葉はそれ自体とはかけ離れてしまうということです。花と言う言葉は今目の前にあるそれとはまったく違うものではないかと思うのです。
犠牲という言葉を調べれば無数の関連する言葉がでてきます。時代、人、視点、により様々な答えが出てきます。しかし、今、目の前で誰かをかばい死んだ人を見れば恐らく言葉を失うでしょう。どこの図書館にもそれを表す言葉は見つからないと思います。
私が言いたいのは、いくら言葉を追いかけても言葉には表現できない、捕まえることができないものがある、と言うことです。言い換えれば思考によっては理解できないことがあると言うことです。

なんだか取り止めがなくなってきましたのでこれくらいにします。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

言葉は心を越えない。

歌にありました。

ありがとうございます。言葉にできないなにかを受け取ることができました。

お礼日時:2007/09/28 20:46

hosiboshiさま。



自己犠牲とは他者がそう判断したのであって、本人にとって自己犠牲かどうかは分からないと思います。

人は常に何かの欲求によって行動し、自己の感情を満たすために行動を決定していると思います。

ならば、他者が自己犠牲と判断したその行為も、本人にとっては何らかの意味、価値があったはずで、
本人が自己犠牲に快感を感じるタイプで無い限り、自己犠牲とはいえません。
自分の行為の意味づけは自分にしか出来ません。
逆に自分自身の観念、人生感、思想が変われば自分自身の行為の意味も180度変わってしまうかもしれません。

同じように、人の行為を自己犠牲・・と判断する場合はそう判断する人の観念、人生感、思想が反映されます。
ですから人によって違う判断もありえます。


>自己を犠牲にして、得られるものを、本能的に知っている気がします。

おっしゃるとおり、本人は何らかの目的のためにそのような行為(自己犠牲と判断される)を選択したのです。

家族を愛するためか・・・自己の高い理念のためか・・国家を愛するためか・・深い慈悲心から来るもののためか・・

人によって種々様々でしょう。
中にはこの世的な喜びよりも精神(魂)の充実、喜び、至福のために自己犠牲と思われる行為をとる人もいることでしょう。

でもそれは自己犠牲とはいえません。
心(魂)の内に、真の幸福を得ている可能性があるからです。


>それによってなにかが得られると、ひとは知っているのでしょうか?

おっしゃるとおり、人は自分の行為の目的を魂の奥底では知っているはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>おっしゃるとおり、人は自分の行為の目的を魂の奥底では知っているはずです。

すごい言葉ですね。
そうですね。
悪行には良心の呵責を、どんなに拭っても感じてしまいますし、なにかをすればなにが起こるか、頭の中ですら見当をつけていますからね。

人生の目的も、魂は知っているのでしょう。

お礼日時:2007/02/06 21:45

御質問は神風特攻隊のことじゃないですよね。



サービス残業のことでしょうか。
まぁ、会社が儲かればボーナスで返ってくると人は知っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>神風特攻隊

思い浮かんだことの中のひとつには含まれていました。

私達のご先祖様は、皆、すごい人達だったのです。

お礼日時:2007/02/03 11:38

それぞれの存在意義が遺憾なく発揮される信頼関係の完成において、人は自分自身を超える事ができると期待されえます。

それは、自分も他人も損なわないという意味の、平等観、それに、慈悲観というものです。ちがうでしょうか。

この回答への補足

何度でも、挑戦してでも味わってみたいものだとおもいます。

補足日時:2007/11/11 20:56
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。

そういう人間関係において、人は、自らの力を超えたものを発揮できる。

それはとても未熟ですが味わったことがあるので、よくわかります。

>自分も他人も損なわないという意味の、平等観、それに、慈悲観

そうですね。

それが確かにありました。

お礼日時:2007/02/03 11:45

自己犠牲で得られるものはありません。


自己を犠牲にして得られるものがない
純粋に利他的な行為を自己犠牲と呼びます。
自己犠牲で何かを得ようと画策することは
自己欺瞞です。
自己犠牲を行ったという、その傲慢さゆえに
得られる代償により多くを求める。
そのようなずるい行為を、事前に見抜くことが大切です
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自己犠牲でなにかを得ようとすること。

それは確かに、黒 とされることです。

しかしそれをも越えようと、人は、するものです。

人間には理解できないもの、頭ではわからないものがあります。

しかしそれでも、だからこそやろうとするような…

お礼日時:2007/02/03 11:47

法則名 それもいうなら




メンデル では?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

これでいいのかな?

http://www1.kcn.ne.jp/~mituto/mat44.htm

お礼日時:2007/02/03 11:54

No.5です。



法則名 思い出しました。
自然淘汰。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自然淘汰 ですか。

すごい…ですね自然はやっぱり。

お礼日時:2007/02/03 11:54

>あるときには、自己の器を越えた自己犠牲を発揮する場合もあります。


>それによってなにかが得られると、ひとは知っているのでしょうか?


自己犠牲は他人へのやさしさを本質的に持っているから起こるのか?

<アダムの呪い>に自己犠牲を何故やるのかについての考察が書いてあります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83 …

それを要約して私なりの例えで話すと、、、、
銀行強盗にあい人質となった10人に対して犯人が「一人だけ殺して後は助けてやる。誰か立候補しろ」と言ったとします。
誰か進んで立候補するでしょうか?


では、別の例。
家族全員が人質となり、一人だけ殺して後は助けてやると言われた場合、家族の長たる立場の人が「自分だけ殺せ」と申し出ないでしょうか。

前者は赤の他人、後者は遺伝子がある程度似ている人たちの集団。


鳥でも我が子を逃がすために、傷ついたふりをして、捕食側の標的が自分に向くよう演技したりします。

ミツバチの世界。
働き蜂はこの世にいる6週間の間づっと、女王蜂とその子供たちの世話してすごす。
子供がいない働き蜂はみな優しいので、他人の子供のために一生を犠牲にしているのか。
蜂の姉妹の間で共通する遺伝子は、人間のような50%ではなく、75%。
働き蜂にとって、女王蜂の姉妹は自分の子供より遺伝子的に近い。
自分の子だと自分と子では50%しか共通しないが、女王蜂が産んだ娘たちだと75%。
だから外敵が襲ってきたとき、自らが死に至る高熱を発して相手を焼き殺して自分も死んでも、自分の遺伝子の75%を持つの姉妹たち(女王蜂が産んだ娘たち)を助けるわけです。

つまり無意識というか備わっている種の保存の本能によって自己犠牲は行われている。
赤の他人より近い人と助けるようにできている。
つまり利己的遺伝子がそうさせている。

赤の他人を救う人。 います。
氷が張った湖に飛行機が墜落し、ヘリコプターが救助に向かい、浮き輪を投げると、それを他人に渡してばかりいて、とうとうその人は湖に沈んでしまいました。
これは他人より先に自分が助かるなんて英雄的ではない、と思ったのか、他人を助けることが喜びで、それを喪失するのは死よりつらいと思ったのか、いろいろ考えられますが、いずれにせよ利己欲により引き起こったことだと思います。

ただ、この利己欲は遺伝子が発しているのではないと考えられる。
従って持って生まれたとき備わったのではなく、生まれて人生を経験していくうち獲得した欲。

本質的に備わっていない。

本質的に持っていない欲望によって起こった自己犠牲をする人は増えるか?
「いや、本質的に備わっている他者への思いやりで自己犠牲をはらったのではないか 人間はすばらしい」という見解にわたしは賛成できません。
なぜなら、そういう人は自分の子供をそうでない人より多く残せないから。
事故にあうまえに、子供を残していたとしましょう。
その子供も同じ自己犠牲好きなので、やはり赤の他人に自己犠牲してしまいやすくなる。
その家系はあっという間に絶え、もう自己犠牲好きな遺伝子を持つ家系が21世紀に存続するはずがないから。

突然変異で遺伝子レベルで起こったとしましょう。
そうなるとその子孫はその遺伝子を伝えていくかもしれない。
ただ、絶滅も早いです。
なぜなら自殺とまではいかないが死に易い遺伝子なので、子孫を増やせない。 
突然変異である日なったとしても、生存できない。子孫も絶滅する。
また突然変異が同様のことが起こっても、すぐ絶滅する。
そういう遺伝子を持っていない種が反映する。
だって自殺遺伝子を持っていないのだから当然繁殖しますから。


これをなんの法則と言うか忘れました。
すごくシンプルな中学生でも知っている名だったのですが。。。。
弱肉強食じゃあなかったような気が。。。。
だめだ 法則名を思い出せない。
すいません。


あと、他人の罪を背負って刑務所に入る人も同様。
拘束される期間が長いので、子孫を多く残せない。
従って他人に罪をかぶるのは自己犠牲のためではなく、自分の子供を助けようとする時引き起こる。
自分の遺伝子を持つ子供が、服役せず子孫を残してくれた方がいいから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

親が自己犠牲のひとだから子供も同じ遺伝子を有するとは限らないのではないですか?

結局は本人の心次第ですから。

物の見方には様々あります。

他人を押しのけて栄えようとする者はそれ以上の力に負けてしまいます。

自己犠牲を有する家庭なら、人の目にはつかないところで、人の様々な助けを得られるようになるのかもしれません。

ただの想像です。

お礼日時:2007/01/26 10:49

わかりにくくてすいません


誰かが種をまとめて「超個体」と名付けました。あたかも種全体がひとりの人間として振る舞うからだと思います。

調和のとれたものが存在できる、無作為的に色々タイプのものが生まれるが「調和できるもの」と「調和できないもの」(結果的にだが)では無論、前者がサイクルの輪に留まることが出来る。

利他的行動するものが何かを知っているとは考え難い。あらゆるタイプの行動(我々に今備わっているタイプ以外でも)が誕生して試行錯誤し選抜された?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

超固体。

人間はそういう広大な視点でも考えることができる生き物なんですよね。

身内の仲間内のグループでもそうですよね。

選抜された…

なるほど興味深い。

お礼日時:2007/02/03 11:59

hosiboshiさん、こんばんは。




獅子身中の虫
サナダ虫


よっしゃ!グザイ材料はこれで、何かこさえてまます。


おなかイテッ、テテテテ…って?


あっ!? 失礼しちゃう。


むしくだし、むしくだし

クスリはどこじゃ~


はぁーい!コレどうぞ


なんじゃ?
このにゅるにゅる…
、、、コレは?おぉ、、、


ハイ!サナダ虫


ゴクッ。と、お飲み下さいませ。ご遠慮なさらずに。ぐぐぐいっーと、



…うぅ…、っ、…ゴックン。(清濁+のむ)





おなかがいたくなるからムシって決めつけよくない。ムシにもいろんなタイプがいるんだよ。ムシが我が身を守ってくれる場合もあるしまたその逆もあり。


と、考えてみると…
自己犠牲、いつ何時どこで変なもん食べさせられるやもしれへんし、ここのとこの不況、食べるに困る状況にならんとも限らんし、そうなったら拾い喰いせんともいわれへん、何でも食べなあかん。好き嫌いいうてられへん。


おなかくださんように、ムシさんゴックン。
この時、のむ本人さんも辛ろおます。のまれるムシさんもこれまた辛ろおます。しばらくしますと、本人さん、たいがいのもん食べはっても少々のことではおなか痛うはなられへんとか、ようさん食べはってもそない激太りもしはらへん。本人さんだけがええ目におうてんのか?いえいえ、ムシさんもお宿ができたと外的に狙われることもなく体伸ばしておなかのなかでくつろがれておるそうな。共存共栄。危機意識が両者に芽生えはたらくからやないやろか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

素晴らしいかたちですね。

お礼日時:2007/02/03 11:52

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す