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印象派についての説明で、
「見たままの自然を描こうとした」とか
「自然を忠実に再現した」などの記述がある一方で、

「見たままでなく作者の印象を描いた」とか
「心に残った印象を表現した」などと書かれたものがあります。

これって、全く反対のことを言っていますよね。
印象派って何ですか。

A 回答 (6件)

>「見たままの自然を描こうとした」


>「自然を忠実に再現した」

こちらは印象派の説明。
・・・形態の明確な描写よりも、それをつつむ光の変化や空気感など一瞬の印象を捉え、再現しようとした。【参考サイトからの引用】


>「見たままでなく作者の印象を描いた」
>「心に残った印象を表現した」

こちらは後期印象派(ポスト印象派)の説明では?
・・・見たままの自然を描く従来の印象派とは異なり、これらを主観的表現として再構成した彼らの描き方は、20世紀美術に大きな影響を与えた。【参考サイトからの引用】

参考URL:http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C0%BE%CD% …
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この回答へのお礼

明快な回答をありがとうございます。
わたしもそのように思います。

お礼日時:2007/01/24 11:00

質問者さんが言われるように印象派とは、「印象を書くから印象派なのか」と言う事で良いのでは?


印象と言う言葉は「見たり聞いたりして心に直接受ける感じ」又「強く感じて忘れられない事」という意味のようです。
私が思うには、質問者さんが言われている印象派についての4つの説明文は、全く反対の事であっても、すべて印象派の説明になるように思います。
そして印象派はそれを、絵によって表現したという事です。

「マネ」は、見ている物に新鮮さを感じたのか、明るく濁りの無い色で表現した。

「モネ」は、刻々と変わる光に興味を持ち、それを色に置き換えていった。

「ルノワール」は、女性の優しさ・美しさ・愛情等を感じ取り、明るい色で表現した。

「ドガ」は、踊り子・裸婦の一瞬の動きの中で、自分が感じ取ったものを描いた。

「セザンヌ」は、見る物にセザンヌ的に、形と色を感じ取り、描いた。

「ゴッホ」は、見た物に対して感じた、自分の激しい感情を色で表した。

「ゴーギャン」は、見ている物を平面としてとらえ、それを自分の内面で感じ取り、描いた。

というように、感じ方は色々あるんだと思います。

ただ、印象派の方達は、パレットの中で色を混ぜ合わせる事はしないで、チューブから出した色をそのままキャンパスに塗り込んだり、並べたりする事によって、色彩の表現をしたようです。
絵の具は色を混ぜ合わせる事によって、どんどん黒に近づいていき画面が暗くなってくるのですが、印象派の人達の色の使い方は、上記の様に色を混ぜ合わせず、色を並べたりする事によって描いたようです。こうすると、画面が明るくなるそうです。
上記のように色彩の表現をどのようにしたのか?という事も印象派と言われる1つの要因ではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
後期印象派を区別するのがいいと思いました。

お礼日時:2007/02/03 21:27

No.3です。



>はじめから、「見たままでなく作者の印象を描いた」とか
「心に残った印象を表現した」わけではないということでよろしいでしょうか。

簡単に言えばそういうことになるでしょうね。

あくまで実際の風景が基本にあり、それなしでは印象派はありえない
ということじゃないかと思います。

(あくまで、印象派の初期の段階はということです。
後期になると、いろいろ考えが複雑になってそれだけでは
語れないという面があるかもしれません。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり、印象派と後期印象派の問題だという気がしてきました。

お礼日時:2007/01/24 11:08

印象派の始まりは、1872年にフランスの新聞記者ルロワという人が


画家クロード・モネの描いた「印象-日の出」という絵を
皮肉っていったのか、その周辺のアーティストたちをまとめて
「印象派」と読んだのが由来です。

僕が今まで実物を見てきたたくさんの印象派絵画や、
自分が描いたことのある経験を元に言うならば、
実際の風景や静物を固有色でそのまま見えるとおりに
描いた結果、光を再現するに至らないことが分かりました。

その目の前にある風景の光というものを再現するには、
見えている色全てを、「光のつぶ」に置き換えて、それを
絵具で置いて(筆のタッチ一つ一つを光として)とらえることで
望ましい効果が得られるということに気がつきます。

とくにその効果を実感するには戸外制作を重要視しなければ
理解することが出来ないのです。

●要するに、≪作家の心の中の印象≫と≪見たままの自然≫
は相反するように思われますが、実際は作家自身が「忠実」に
再現するにはその人の印象で描く以外に手段はないのです。

この世の中にある絵画(とくに絵具を使って描いた絵)すべては、
あくまで作家の中のフィルターを通して制作されるものなのですから、
すべて印象であり、忠実であるのです。

それなら、写真はどうか?ということも言われかねないですが、
写真もやはり、撮る人によって十人十色あるわけで、これも
言ってみれば、「印象」であり「忠実」なのではないでしょうか?

しかし、心の作用と絵画制作を言葉で定義づけるのは、美術評論の
歴史を重ねても、簡単に片付けられるものではないということを
常々思うこのごろです。

質問者様の問題提起が、まさにそれを物語っています。

この回答への補足

つまり、画家の意識としては、「見たままの自然を描こうとした」とか
「自然を忠実に再現しようとした」ということであって、

はじめから、「見たままでなく作者の印象を描いた」とか
「心に残った印象を表現した」わけではないということでよろしいでしょうか。

補足日時:2007/01/23 09:12
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『印象・日の出』という作品の題名から「印象派」という言葉が生まれました。


http://www2.starcat.ne.jp/~lueur/text/essay/impr …

この回答への補足

ネーミングについて聞いているわけではないのです。

補足日時:2007/01/22 23:45
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この回答への補足

この中のどこに答えがありますか。

補足日時:2007/01/22 16:49
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