
三途の川のほとりに木があり、奪衣婆と懸衣翁がいて、婆のほうは渡し賃(六文銭)を持たない人が来れば、その衣服を奪い取ると言われていますよね?
初歩的な質問で大変恥ずかしいのですが、渡し賃(六文銭)を持たない人とはどうゆう人なのでしょうか?棺に入れる際に、何かを入れ、あの世で十六銭に変わるということなのでしょうか?
どのように生きたかは関係なく、すべての亡者がこの婆と翁に出会うということですか?十六銭持っていても剥ぎ取られるのですか?
また、この奪いと合った衣服を木の枝に掛けて、その垂れ方によって生前での罪の重さが分かるらしいのですが、どのような垂れ方をした際は「重い罪」なのですか?普通に考えると、枝が折れそうなくらい、服が重いなどの考え方でよろしいのでしょうか?
ここで、裁かれ、三通り(橋、深い水、浅い水)のうちのどれかの方法で宋帝王の元へ向かうということでいいのでしょうか?また、途中、この三途の川で諦めてしまうということもあるのでしょうか?
哲学の世界ですので、一概には「これだ!」という回答がないかと思いますが、よろしくお願いします。
質問ばかりで大変かと思いますが、よろしくお願いします。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
これは、哲学っていうより仏教というか宗教の世界ですね。
ですので、いろいろな話があると思いますので参考程度にしてください。>>どのように生きたかは関係なく、すべての亡者がこの婆と翁に出会うということですか?
まず、国によって差がありますね。川を見たこと無いような国の人は、三途の川を見ないようですよ。
そして、川を渡るといっても、生前の生き方によって差があるようです。溺れながら苦しんで渡るとか、渡し船で渡る、水面を歩く、橋があってそれを歩いて渡る、空を飛んで渡るなど・・。もちろん橋を渡ったり・空を飛んで渡る人は濡れてないので、川を泳ぎきって濡れた衣服を取られてその婆と翁に重さを計られることもないです。
そして、すでに、お金も地位も関係ない世界なので、お金(六文銭)は無意味です。
泳いで渡ることになった人には、川底に自分の執着したもの(お金・ブランド品等、私の場合はセル画?)が見えるそうです。それを取ろうとすると、衣類はさらに重くなっちゃうでしょうね。
やっぱり、空を飛んで三途の川を渡りたいですね。
P.S.
友人Aのネコちゃんが死んだときは、三途の川の代わりに崖を登りました。川を見たことないネコだったのでそうなりました。あと、お迎えのネコちゃんたちが来たそうですが、頑張って崖を登るとき、マラソン選手の体に触ってはいけないルールと同様に、お迎えのネコたちが「頑張れ!」と応援はできても、手助けは全くできないそうです。どうも手助けしたくとも、まだ成仏していない段階なので、霊が人間に触れないのと同様に手助けできないそうです。これは、友人Aの友人Bの守護霊さんからのレポートでした。
回答ありがとうございました。
三途の川を渡ると言っても色々あるのですね。
もし、善人なら、濡れずに橋を渡れるということですね。なるほど・・。だから、枝も撓らないということですか~。
そして、すでに、お金も地位も関係ない世界なので、お金(六文銭)は無意味です。
↑そうなんですか~。では、何故、棺に小銭などを入れたりするのですか?これは、六文銭の事を意味すると思っていたのですが・・。
もし、お分かりでしたらよろしくお願いします。
猫も人間も同じなんでしょうかね?面白い分野ですね。深いですね。
No.8
- 回答日時:
詳しくないのですが哲学より先に民俗学か仏教の分野かもしれません。
いろいろな説が混じっているように思います。
以下、私の感覚ですが
渡し賃に六文銭というのは死に方についての美学という気がします。
旅人はいつ死んでもいいように衣服の裾に六文銭を縫い付けてあったとも言いますし、真田幸村でお馴染み真田家の旗印も六文銭、覚悟のしるしではないかと。
で三途の川を渡った後の裁きは生き様の戒めであるような気がします。
徳を積まないと地獄に落ちるぞという教訓であると。法のない昔はそういう言い伝えやしきたりなどが人を律していたのではないでしょうか。
三途の川を渡れないというと、不確かですが、子供は渡れず、こちら岸の「賽の河原」で石を積んで親が来るのを待つと聞いたような気がします。これも子供を大事に育てよという、親への戒めに感じられます。
脱衣婆についてはあまり知らないのでなんとも言えません。やはり執着を捨てろということですかね。
何だか支離滅裂になっちゃいましたが、仏教が伝播する過程でいろいろ追加されたものがあると思います。元が混交なら人それぞれの解釈哲学があってもよさそうですね。
>子供は渡れず、こちら岸の「賽の河原」で石を積んで親が来るのを待つと聞いたような気がします。
私も、これ何かで読みました!法のない昔から、今の時代へと繋がっているのですね。この世では、嫌な事件が多いですからね。
下の回答者さんも仰っていたのですが、仏教の分野が近いのかもしれません。
ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
ついでに、
「ここで、裁かれ、三通り(橋、深い水、浅い水)のうちのどれかの方法で宋帝王の元へ向かうということでいいのでしょうか?」
三途の川というものは、この世とあの世をわける境界線でしかありません。従ってこの川で「裁かれる」ことは一切ありません。この世とあの世をわける境界線ですがこの川のこちらとあちら側では価値観がまったく違うわけですね。
この世では、お金、地位、名誉、学歴なんかが価値のステータスですが、あの世では、これらはまったくカウントされないんですね。その人が持っている徳(人にやさしいのも徳ですよ)、正しい知識、正しい信仰などが価値のステータスなんですね。そこでこの世の価値は三途の川に捨てていくということですね。全員捨てないとわたれないのですが、捨て方に差異があるという程度の話です。
俺は総理大臣経験者だとか大金持ちだったとか、大企業の社長だったからといって迎えの船もこないんですね。泳いでわたってくださいということですね。それで、あの世にいくという意味の勉強が始まるということですね。あの世に生まれ変わるための儀式ですね。
裁かれているわけではありません。
三途の川を渡るとあの世の役人が次の指示をしてくれるということですね。多少のアドバイスはあるかもということだけです。老人や老婆は、その仕事をしている役人です。この仕事は、観音さまや菩薩さまがする仕事ではないですね。よほど立派な方はそのようなかたが迎えにくることはありますが、通常はないですね。
三途の川を渡って行き先の指示を受けると、何日もあの世の変わった風景を見ながら歩きつづけます。あの世の区役所のようなところにたどり着くのですが、まあ「そこが裁きの場といえば裁きの場」ですね。ここで一人一人の人生の一生分のビデオを見ることになりますから、その結果で次の行き先が決まるということですね。悪い隠し事などは、生きているうちに告白して反省しておくといいですね。また、ここでビデオを見た皆さんに喜ばれるためには、善行を行って徳を積んでおくことですね。あの世の価値観を持っているかどうかが分かれ目ですね。この世の価値観は一切通用しません。いつかは全員その場にたたないといけませんので、お楽しみにというところですね。
>三途の川を渡るとあの世の役人
こういう考え方もあるのですか・・。鬼の説、観音様の説、ただの役人、いろいろあって面白いです。
最近、ここのサイトを見ますと自分があまりに知識がないかと、いうことに気づかされます。
あぁ~、もっと博識のある人になりたいです。
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
死後の世界についての説明には諸説ふんぷんが有ると思います。
細かいところはそれぞれ違っているかもしれませんが、大まかな線では一致していると思います。
以下私が理解しているところを述べてみます。
まず、三途の川とは幽界(死んだ直後の霊が行く世界)と霊界(幽界を抜け到達した、それぞれの自分相応しい世界)を隔てる境界線のようなものだと思います。
奪衣婆とはたしか観音様の仮の姿です。懸衣翁も同様な存在です。
有りがたい観音様たちが、死者の霊が少しでもマシな、つまり幸福な霊界に行けるように、生前の物質欲や執着を捨てるように指導してくださいます。
霊界は想念の世界なので、思念が物質化して表現される世界です。
ですから、生前の物質欲や執着が、重い薄汚い衣や、穢れた毛皮のコート、鈍い光を放つダイヤモンドの指輪・・・などという形で表現されます。
観音様は、
「そんなものを身にまとっていては、貴方の不幸の種でしかありません。早く脱ぎ捨ててしまいなさい。」
とご指導下さっているのです。
ところが、真に大切なもの、つまり、慈悲、他者への同情、優しさ、などの価値が分からない死者の目には、尊い観音様の姿が鬼婆に見えてしまうのです。
彼らにとっては、最も大切な物質的なもの、衣装、宝石、金品が奪われては一大事です。
そんな命より大切に思えるものを奪う相手は、彼らにとっては鬼以外の何者でもありません。
霊界は想念の世界です。
尊い観音様でも邪念の歪んだ心を通してみると、醜い化け物に見えてしまうのです。
渡し賃(六文銭)とは物質的な執着の象徴として語られているのです。
六文銭すら手放すのを嫌がるような死人はロクナ霊界に行けようはずがありません。
そのままではおそらく、物質的執着だらけの、慈悲心の一つも無い守銭奴、又は他者へ何か親切を一つでもすることは損をすることだと信じているような、無慈悲な人々が集まった酷い世界で苦労しなければならなくなります。
観音様は慈悲心から衣を捨てる様に指導します。
六文銭とは執着のことですから、一つも物質的執着の無い人は殆んどいないでしょうから銭が無くて困る人はいないでしょう。
もし、執着がほとんど無い聖人が亡くなったならば、三途の川なぞ渡らずに、直接高い霊界に行けると思います。
>また、この奪いと合った衣服を木の枝に掛けて、その垂れ方によって生前での罪の重さが分かるらしいのですが、どのような垂れ方をした際は「重い罪」なのですか?普通に考えると、枝が折れそうなくらい、服が重いなどの考え方でよろしいのでしょうか?
衣とは執着の想念を象徴したものなので、勿論重いほうが執着が多いということになります。
衣の垂れ方によって生前の罪の重さが量られるのではなく、自分自身の物質的、この世的執着が重い想念(慾、妬み、恨み)となってそれが重い衣という象徴となって現れるのです。
自分自身の執着の深さを悟らせるために、わざわざ分かりやすく表してくれているのです。
自分で気付いて、自ら執着を捨てられるように・・という配慮からです。
想念は自分自身の内的なものなので、勿論、常に身につけています。
その自分自身を苦しめる想念を衣という象徴によって(想念は霊界では確固たる物質です)表し、それを捨て去る大切さを説いているのです。
従って、いくらお棺に銭を入れても、殆んど、何の意味もないでしょう。
参考になれば幸いです。
奪衣婆は観音様・・ですか。そういう考え方もあるのですか。興味深いですね。何かのサイトでは、鬼と書いてあったので・・・。
今、この生きてる時をちゃんと生きたいですね。あらゆる物が、混在してる世の中ですから、それをちゃんと見極め、あの世に行っても、恥ずかしくないようにしたいですね。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
>>そうなんですか~。
では、何故、棺に小銭などを入れたりするのですか?これは、六文銭の事を意味すると思っていたのですが・・。この由来については、「死者が渡し船で三途の川を渡れますように」って意味だと思っていましたが、No.3さんの回答が由来としては納得できそうですね。
なお、六文銭だけじゃあなく本来の意味を失ったものが、いろいろありますよ。
お線香って、本来は森の中で禅定するときの虫除け用ですし、お経も本来は、死者に「あなたは死んだんですよ。財産とか仕事とか家族から離れて、あの世の生活を始めなさい。」って諭す役割があるはずのものでしょうが、有り難みを出すために、わざと昔の読み方をしているようです。死んだ人は当然そんな言語を知りませんし、お経を読んでいる坊主自身が、死後の世界を信じてなかったりすることもあり、単なるBGMの意味しか無い場合も多いようです。
まあ、単にお骨をトランクルーム業として管理しているだけってところでしょうか。
>>猫も人間も同じなんでしょうかね?面白い分野ですね。深いですね。
ペット歴の無い猫は、ちょっと違うようですけどね。このときの猫ちゃんの成仏ストーリは、結構長くて、「なんか僕らより、猫ちゃんたちのほうが心のレベルは上じゃあないか?」と思わされる部分もありました。「深い」っていえば、崖に重なるように、迎えの猫には(川を見たことがあるので)三途の川が見えていたようです。なんか空間認識が3次元とは違うようです。
お迎え猫の中の1匹は、飼い主の帰天を待っているとのことで転生をずらしているそうでした。
また友人の守護霊さんに動物ネタをお願いしたいところですが、時代の要請もあって、最近はあんまりお遊びネタどころではないのかもしれません。「おまえら、もっとまじめなこともやれー!」って感じかも?
またまた、お返事ありがとうございます。
冥界の世界って本当に、未知数ですね(ってもし、分かってたら怖いですけど)。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
参考に
あの世とこの世を分ける三途の川は全員が渡るものです。渡らなければいけないと考えればいいんです。そこに例外はありません。従って三途の川を渡るために費用は必要のないものです。ただし、この川が曲者なので渡し賃(六文銭)の話が作られたのでしょうね。三途の川をうまく渡るには実際は三文の徳(善行)を持っていればいいだけなんですね。この徳がいつの間にか銭にかわってしまったということですね。確かに徳は目に見えないしあげられないので目に見える銭の話になったということでしょう。
三途の川を渡って、やれやれと服を乾かそうとするために木があるのですね。だから木は三途の川のあの世側に在るものなのです。確かにあの世側に老人や老婆(奪衣婆と懸衣翁)がいます。服を取り上げるということはありませんよ。この服は幽霊が着ている服(幽体)ですから遅かれ早かれ脱ぎ捨てるものです。脱ぎ捨てないと幽霊が霊(霊体)にならないからですね。この老人や老婆が川を渡っておろおろしている人たちに行き先を教えるのですね。道先案内ですね。木にかけた服による木のしなれかたで、アドバイスするぐらいですね。枝がぐんとしなっていると「ちょっと厳しい修行が待ってそうだね。」とかですね。そんな感じですね。誰しも遅かれ早かれ一度は経験しますから、三文の徳を積んでいればいいんじゃないかと思いますね。
No.1
- 回答日時:
>渡し賃(六文銭)を持たない人とはどうゆう人なのでしょうか?
お棺の中に六文のおカネを入れてもらえなかった人です。
>どのように生きたかは関係なく、すべての亡者がこの婆と翁に出会うということですか?
そうです。おカネがあるなしに関わりません。
>どのような垂れ方をした際は「重い罪」なのですか?
枝のしなり具合です。重い罪はうーんとしなる。
>ここで、裁かれ、三通り(橋、深い水、浅い水)のうちのどれかの方法で・・・
その三通りは、三途の川を渡るときです。
早速の回答ありがとうございます。
>渡し賃(六文銭)を持たない人とはどうゆう人なのでしょうか?
お棺の中に六文のおカネを入れてもらえなかった人です。
↑このように普通に「お金を入れてもらえなかった」という考えでいいんですね。参考になりました。
垂れ方は「枝」のしなり方ですか・・。勉強になりました。
>ここで、裁かれ、三通り(橋、深い水、浅い水)のうちのどれかの方法で・・・
その三通りは、三途の川を渡るときです。
もし、六文銭を持っていれば衣類は奪われないのですよね?その際は、どのように罪を裁くのですか?
奪衣婆、懸衣翁に会った跡で、三途の川を渡るということでいいのですよね?
再度の質問で申し訳ございません。
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