プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

仏の顔も三度まで、と申します、これでこのテーマは終了します。

自然の中に矛盾はあるだろうか、どうもなさそうな気がする。
そうすると、矛盾はわれわれが勝手に作って勝手に困っている、厄介なもの。

今回はカントのアンチノミーを拝借して矛盾について考えてみます。
と思ったのですが、カントの定式は、文字数の関係でとても制限内に収められません。

一気に予定していた、最終兵器の投入です。

「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」

この言葉が「クレタ人」から発せられたときだけ矛盾・逆説を生むのは何故でしょう。

自己言及があるからというご回答ではなく、
自己言及によって、どうして矛盾が起きてしまうのかを、
うまく説明できるのでしょうか。
お礼が遅れ気味になりますが、宜しくお願いします。

A 回答 (31件中1~10件)

こんばんは、fishbowl66さん。





「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」


クレタ人であるための条件


(1)常に嘘つきでなければならない
(2)邪悪な獣でなければならない
(3)食べ物に無関心でなければならない



以上 (1)(2)(3)の条件をすべて満たし得る者のみに
めでたくクレタ人の称号が与えられる



おや?あれれ?
当のクレタ人って
ホントにいるの?



オフレはあれど発したのは誰?



発したものがクレタ人であるかどうかはわからない。
いるかいないかわからないクレタ人という名の人。
そのものに与えられる称号「クレタ人」とはこれ如何に?
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この回答へのお礼

ふふふ、
「クレタ人」とは、名付けられたから、あるのです。
常に嘘をつく人の存在は解りませんね。

でも、結構真剣に学問的に考えられているようです。

お礼日時:2007/02/13 18:42

こんばんは、前回の質問から拝見させてもらっては居たのですが、なかなか時間が取れず参戦できず悔しがっておりました。


今回は少し時間が取れたので、ちょっと回答にチャレンジしてみようかと思います。とはいえ、カントは余り知らないので見当はずれな回答になってしまうかもしれませんが、、、。

さて、本題ですが、、、。

命題「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」が真だと仮定します。
そして、クレタ人であるためには、
(1)常に嘘をつくこと
(2)邪悪な獣であること
(3)食べ物に無関心であること
の、3つの条件を全て満たした場合となります。
そして、この命題をクレタ人自身が言った場合、
(1)の条件から、
(a)クレタ人であれば嘘を言ってるはずなので、この命題自体が「嘘」
になってしまう。
しかし、この命題が「嘘」なら
(b)クレタ人の第一条件である「常に嘘をつくこと」は真となる。
あれれ、矛盾している??

(a)の場合の矛盾は、クレタ人が本当の事を言ったので、「常に嘘をつく」という命題自体が成り立たないこと。
(b)の場合は、「常に嘘をつくこと」が「真」なのに、クレタ人が本当の事を言ったこと自体が矛盾。

(a)では命題自体が成り立たず、(b)だと、言った人が「クレタ人」で無くなることになる。
もし仮に(a)(b)ともに成り立ったと仮定すると、クレタ人が本当の事を言っているので、「クレタ人は本当のこともいう」という逆説が生まれることになる。

第二、第三条件を考える前に矛盾が発生してしまいましたね。
さて、ではこの命題自体を証明するにはどうしたら良いのでしょうか?
クレタ人以外の人が、クレタ人を観察する?
では、その対象となるクレタ人をどうやって見分ける?
この命題を使って見分ける?
では、もし命題通りの人物が見つからなかったらどうする?
仮にもし命題通りの人物がいたとして、その人はクレタ人以外の条件(例・日本人は黒髪で、肌が黄色く、短足である)なども満たしていたら?

この命題は「クレタ人」が存在していることが、大前提となりますね。
その上で、クレタ人には「常に嘘をつき、邪悪な獣であり、食べ物に無関心」であることが求められるわけです。
となると、この命題は演繹的ではなくて帰納的に証明されたはず。
ということは、「クレタ人」とされる人がこの命題を発したら、第一条件から、、、振り出しに戻るですね(笑)

なんだか、混乱してきたので今回はこの辺で、、、。
また時間があれば、もう少しマシな回答を考えたいと思います。
それまではこれでご勘弁を、、、(汗

この回答への補足

>それまではこれでご勘弁を、、、(汗
こちらこそ、御礼もせずに、何やらしてます。ご勘弁を。

クレタ人が「わたし」だったらどうなるのだろう。

謎を残して、お礼は後日。
本当に御礼の時間がなく書いただけです、しばらくお持ちく下さい。

補足日時:2007/02/14 18:53
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この回答へのお礼

お礼が大変遅れました、さぁ頑張るぞ。
それにしても、真面目に考えていただき、大変助かります。
一般的には「クレタ人は常に嘘をつく」だけで、矛盾するのですが、
実は、矛盾と逆説の違いも良く解らないのです。
逆説を辞書で引くと
「(1)衆人の予期に反した、一般に真理と認められたものに反する説。また、真理に反対しているようであるが、よく吟味すれば真理である説。[急がば回れ]の類(2)外見上、同時に真でありかつ偽りである命題」
(2)が曲者ですが、矛盾と同じといい加減に考えていた私も、実は混乱しています。

「クレタ人」が存在することが前提、確かにその通りですね。
三つの条件でどのような変化になるのか、じっくりと確認させていただきます。
ご回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/16 17:33

おはようございます、fishbowlさん。







えーっと、これ何かを考える参考になりませんかね?



これってなに?



あぁ…(*^^*)>゛゛゛すみません まだ 言ってませんでしたね



モンタージュ理論?←これです。



http://www.sorekika.com/dame.jsp?idx=310

参考URL:http://www.sorekika.com/dame.jsp?idx=310
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この回答へのお礼

モンタージュ理論ですか、これはあれに似ていますね。

あれ、それ、これこれ。

コンピューターのソフトに有るらしいですね。
女の子のでたらめな言葉が、なんとなく会話になってしまう奴、なんという名前でしたか。

いやいや、も、よいよい、に聞こえてしまう、心理ですかね。

なにやら、ラカン派マルクス主義者の好きそうな会話でした。

ところで、コンピューターが自動的にQ&Aに参加し、
無関係でも、意味の通った言説をどんどん投稿したらどうなるのだろう。

貴方は、機械ですか(笑。ご回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/16 17:53

「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」と繰り返してく言ってください、と日本語教室の先生が言って、それをクレタ人学生が「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」という言葉を発しても矛盾は起きないですよね。



参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

お見事、これは一本取られました、座布団一枚。

「咲いた咲いた、桜が咲いた」と
桜が散った後に、教室で教えられる生徒が
「桜は既に、散りました」と叫んだら、きっと天才ですね。

自己言及だけではないのかも知れません。

大変参考になります、ご回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/16 17:57

命題Aに矛盾がある、とは命題Aを真と仮定するとそれから、命題Bが証明でき、また命題Bの否定も証明できてしまう、ということを言います。


この場合は「クレタ人は常に嘘をつく」をBとすると両方証明できてしまいます。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
あれれ、うむ~、さっぱり解りません。

命題Aが矛盾する。

命題は一つの単独な判断ですから、
真・偽のいずれかか、嗜好的な表明か、或いは証明不可能な??
アンチノミーの事でしょうか、
一晩、考えてみます。眠れなくなってしまいそうですが(笑。

お礼日時:2007/02/16 18:56

こういうクイズ形式だと単細胞の私にはありがたいですね。

外してもあまり怒られそうもないし。

「クレタ人は常に嘘をつく」に関して、
「クレタ人は嘘をつかない」あるいは、
「クレタ人は(たまに)嘘をつく」であれば矛盾ではありませんから、
「常に嘘をつく」という箇所が問題になると思います。
常に嘘をつくという内容が真実であれば、そう言った内容自体が嘘になってしまい、ひとつの内容について真偽両方の判断が可能になってしまうということだろうと思います。
ここまでは言わずもがなでしょうが、
この矛盾が起きる原因は、主体が同じであるために、
「私は嘘をつく」ことを、「『私が』嘘をつくこと」で証明しようとするからではないかという感想を持ちます。
つまり、「嘘によって証明できることは無い」という根本命題(とはなり得ないでしょうか? )を無視しているからではないかという気がします。

いつも頭の体操をさせていただきありがとうございます。
せいぜい捻挫しないように挑戦させてただきます。
捻挫するほどの関節を持っているのか、という突っ込みは無しでご指導よろしくお願いいたします。
 

この回答への補足

ちょっと混乱してきましたので、また明日。

あれ、私は怒ったりしませんよ、矛盾。

補足日時:2007/02/16 19:00
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この回答へのお礼

今回も、異論はあるかもしれませんが(笑。
自己言及、つまり私の存在、クレタ人の存在が問題ですね。
そこで、命題
「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」

クレタ人は、常に嘘をつく。
クレタ人は、邪悪な獣。
クレタ人は、食べ物に無関心。
の三つに分解して、一次方程式を再構成すると、

常に嘘をつく人は、常に嘘をつき。
邪悪な獣は、邪悪な獣で、食べ物に無関心な人は、食べ物に無関心。

あれ~、何にも問題が無くなってしまった!
この先の、#9様が、指摘、最後まで詳しく見ていないのですが、
共通する部分があるのかも。

ますます混乱、捻挫なさいませんように、ご回答有難うございます。

お礼日時:2007/02/17 07:10

>「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」


この言葉が「クレタ人」から発せられたときだけ矛盾・逆説を生むのは何故でしょう。

自分から「馬鹿なんで」というのは
自覚しつつも、ちょっとは否定して欲しいというのがあります。
でもそう親しくない人から「馬鹿だから?」と指摘されると
ふざけた(関西)人以外は
ノリ突込み対処法で笑いを取ろう=「美味しい」
という場の共有概念(?)がなくただ辛いので、
クレタ人としてはせめて苦肉の先手を打ったのだと思います。

矛盾が笑いの現象の引金であり、矛盾が矛盾を呼べば順応が生まれます。
表の表は表。しかし、裏の裏は表になる。
想像力ある人は、怒りや悲しみ、苦痛も共有してしまいますが、
差異や差別区別分別で無関心になれるのは、
個の保存が働くためでもあります。
笑いは種と世界保存の為に、
どんなに開きのある間柄でも場の共有を覚えさせます。
笑いが矛盾から生まれるのもコピーミスなのではなく、
神の学習意欲により高度に発展したお陰なのでしょう?

財津和夫さんは「笑いこそ世界最大の最強の最終兵器である」という
名言を残されてます。(←生きて)

哲学カテに相応しくなるように頑張って推論してみました(汗)
いつも外して回答してしまう…。
勿論ワザとではなく、嘘なのでもないのです。

こちらこそ何度となくお世話になります。
ほにゃらかありがとうございます。
なんだかfishbowl66さんにありがとう。
何をどう期待してしまうのかわからないのに、
哲学が楽しいと思えます。
まだ無理せず頑張って欲しかった(←どっちやねん)
よろしくお願いします。※個人的にポエム、瞑想、オチ可。
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この回答へのお礼

>表の表は表。しかし、裏の裏は表になる。
これ美味しいネタですね。何処かで借用出来そう。ナイス

ところで、gooの哲学カテから入ると、
右上に、ほにゃらか形而左右学...と、
いやみですね、今回の質問は「貨幣の哲学」の宣伝が主目的だったのに(笑。

こら、自分は散々、CMをばら撒きながら、私たちの宣伝を禁止するとは

矛盾してません?


してません??
オチました。???ご回答有難うございます。
最終兵器がブーメランのように、戻ってきそうで怖い。

お礼日時:2007/02/17 07:21

先の回答に誤りがありました。


財津和夫さん⇒○財津一郎さんです。
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●答1: 「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」とクレタ人が言ったとき、それを聞いて何が分かるか。


 クレタ人のこの発話は嘘じゃないと仮定しますと、「クレタ人は常に嘘をつく」が真であることになり、仮定と矛盾します。だからこの仮定は誤りだと分かります。(誤った仮定を置いたから矛盾が生じたのであって、クレタ人の発話がただちに矛盾を生じた訳ではありません。)
 仮定が誤りであるということは、つまりクレタ人のこの発話は嘘だと分かります。
 さらに、実際に嘘を言ったクレタ人が居るということから、例えば「どんなクレタ人も常に嘘でないことしか言わない、という訳ではない」ということも分かります。
 さて、この発話は嘘なのだから、「(1)(2)(3)のうちの少なくともひとつに該当するクレタ人が少なくとも一人は居る: (1)常に嘘をつくというわけではないか、または、(2)邪悪な獣ではないか、または、(3)食べ物に無関心ではない」ということ(すなわち発話の否定が真であること)が分かります。例えば、食べ物に関心のあるクレタ人が一人でも居れば、「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」は確かに嘘です。
 それだけのことです。どこにも矛盾や逆説はありませんから、この例はご質問の趣旨を言うには適当ではないでしょう。

●答2: 「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」とはどういう意味か。「クレタ人は常に嘘をつき」が文字通り「常に」であるなら、絶えず嘘を言い続けていなくてはならない。クレタ人には寝る間もないのかいう心配もさることながら、嘘とも本当とも付かないこと、たとえば質問や推測を言う事もできないわけです。また「邪悪な獣」というのはクレタ人が「人」である以上は比喩でしょうし、「食べ物に無関心」というのは程度の話です。だって全く無関心なら、きっと餓死しちゃうでしょう。だから、誇張された表現であることは明らかです。 「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」を文字通りに取る方がおかしくて、 「クレタ人はしょっちゅう嘘をつき、獣のように邪悪で、食べ物にあまり関心がない」というほどの意味だと解釈するのが妥当でしょう。もちろん、それが本当のことなのかどうかは分かりませんが。
 それだけのことです。どこにも矛盾や逆説はありませんから、この例はご質問の趣旨を言うには適当ではないでしょう。

●答3: 単に「 『クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心』という言葉を、このクレタ人から聞かされた」という経験をしただけです。
 もし「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」と日本語で言ったクレタ人が、日本語など全然知らないとしますと、こりゃ声を出してみた、というだけのことです。その声は意味を担っておらず、真でも偽でもない、単なるナンセンスです。
 では、クレタ人が、自分の発話の意味を分かっていて発話したならどうか。それだって、何を言おうがクレタ人の勝手でしょ。一発ネタをカマシただけかも知れない。だから、それを単なるナンセンスであると解釈していけない理由はありません。
 ならば、そのクレタ人が、自分の発話の意味を分かっていて、しかも、まさにその意味を伝えようと意図して言ったのならどうか。つまり「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」というメッセージを伝えるために「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」と発話した場合です。しかしこの言葉は、発せられた途端に他者のものとなります。すなわち、意図の存在は発話からは伺い知れず、結局その解釈は、発話者ではなく受け手が決めるしかありません。だからやはり、単なるナンセンスであると解釈していけない理由はありません。
 発話をいちいち真に受けると矛盾だの逆説だのと心配しなきゃならんかも知れませんが、しかし単なるナンセンスだと思って、解釈などせずに聞き流すなり、せいぜい「なんでやねん!」とでもツッコめば、それでおしまいです。言い換えれば、(この例を含めて、あらゆる)「発話」は、命題ではないと解釈することが常に可能です。
 それだけのことです。どこにも矛盾や逆説はありませんから、この例はご質問の趣旨を言うには適当ではないでしょう。

 論理学で言う「矛盾」は、論理という体系の中にだけあります。ちっとも厄介なものなんかじゃなく、大いに活躍する有用な概念で、これがなかったら数学もできません。一方、世の中でしばしば言う「矛盾」は、多くの場合「こうあるべきなのに(こういう決まりになっているのに、こうすると宣言したくせに)、現実は違う」という、理想と現実、タテマエと実態の乖離を指している。論理学の用語とはまるで別の意味で使われていますね。論理学から見ればひどい拡大解釈ってことでしょう。では、自然界における「矛盾」とは何か。そりゃ「矛盾」という言葉をどこまで拡大解釈するかに依ります。たとえば、振り子を「おもりは下へと向かおうとするが、最下点に留まれずに行き過ぎてしまう、という『矛盾』のために静止できない」という風に描写することだってできるでしょう。
 でもそういう怪しげな拡大解釈は一切排除することにして、つまり論理学で言う矛盾に話を限定して、なお自然を探索して矛盾を見いだせるでしょうか。「自然を探索して」とは言うものの、もちろん矛盾は論理の中にしかないのだから、この探索を行うには自然を言語で描写してみなくてはなりません。得られた描写の中に矛盾を探す訳です。だからもし矛盾が見つかったとしたら、それは言語が自然を正確に描写できていない、ということに他なりません。すなわち、自然の中に矛盾が見つかったときには、自然ではなく言語が致命傷を受けるのです。実際、光は粒子なのか波動なのか、と問うたときに、古典力学という言語が破綻したのでした。

 高階論理で扱われる自己言及は、いろんなヘンテコを生じます。例えば

X:「あなたが『Xは真だ』と認めるならば、Xは真です」

 これは自己言及を含む高階論理の命題です。あなたが「Xは偽だ」と認めようが、あなたが「Xは真とも偽とも付かないものだ」と判断を保留しようが、Xが真であることが証明できる。そして、あなたが「Xは真だ」と認めたときにのみ、Xは偽になりうる。どこにも矛盾はありません。ありませんが、「Xが偽であるということと、自分が『Xは真だ』と認める、ということとが両立する」という状況が心情的に納得いかないでしょう。
 真・偽を問うていながら、あらゆる発話を真であるとつい思ってしまうというバイアスが抜け切らない、ってこと、確かにありますよね。このバイアスは、「Xは真である」と「私は『Xは真である』と認める」との混同と同根であるように思われます。(そして、多くの文章、特にプロパガンダが、Xと類似の構造を暗に含んでいるように思うのですが、どうでしょうかね。)さて、

> 自己言及によって、どうして矛盾が起きてしまうのかを、うまく説明できるのでしょうか。

 ひとことで「矛盾」と仰る中には、正真正銘の矛盾、すなわち「Aであるということと、Aでないということが共に証明される」というタイプのものばかりではなくて、『Xが偽であるということと、自分が「Xは真だ」と認める、ということとが両立するだなんて納得できない』のようなタイプの「矛盾」も含まれているのではないかと思います。しかし、後者は様相論理の体系を使って、「Xは真である」と「『Xは真だ』と認める」とをはっきり区別する形で整理でき、(心情的のもやもやを除いて)解決が可能です。

 だから問題は、正真正銘の方ですね。
 自己言及を含まない矛盾の例として
Y: 「Aであり、かつ、Aでない」
を考えましょう。「どんな命題Aも、『Aであり、かつ、Aでない』ということはない」から、Yを真にする解釈(モデル。すなわちYとAへの真偽値の割り当て方)はない。従ってYは充足不能です。また、Yは恒偽式であり、つまりYは常に偽という値を持ちます。
そして、その否定
¬Y: 「Aでないか、または、Aである」
はあらゆる解釈で真になる。Yは恒真式です。(¬はNOT、否定の意味です)

 自己言及があると、話が違ってきます。
Z: 「Zは偽である」
を真にする解釈は存在しないから、Zは充足不能です。しかし、Zは恒偽式ではない。Zに偽という値を割り当てることすらできないからです。
そして、その否定
¬Z:「Zは真である」
はどうかというと、¬Zをzと書くことにして、(さらに、¬¬ZはZと同じだとすると)
z:「¬zは真である」
すなわち、
z:「zは偽である」
となりますから、zとZとは全く同じである。もちろん、zも充足不能で、しかも恒偽式ではない。
 ともあれZとZの否定(z)はどちらも充足不能である。すると、「どんな命題Aも、AであるかAでないかのどちらかである」のなら、Zも¬Zも命題ではないことになります。
 
 ですから、『高階論理の言明(式)は全て命題である』という事を認めないか、あるいは、『どんな命題Aも、AであるかAでないかのどちらかである』という事を認めないか、少なくともどっちかの立場を取れば、辻褄は合いますね。

この回答への補足

以下は、偶々保存してあった、第三アンチノミーの定式です。
自由は存在する
【テーゼの証明】自由は存在せず、すべては自然の法則によって決定されていると仮定しよう。その場合、ある出来事には必ず原因があることになる。しかしその原因も出来事である以上、その原因がなければならない。そのように原因をたどっていくと、無限に背進する他ないが、そうなると自然法則の法則たる所以が崩壊してしまう。したがって自然法則を可能にしている第一原因として自由の存在が証明される。
自由は存在しない
【アンチテーゼの証明】自由は存在すると仮定しよう。自由とは原因と結果の諸系列をみずから開始することのできる能力のことである。そうするとその発端それ自身は自然の法則からはずれることになる。そうなると経験の統一さえも不可能となる。したがって自由は存在しない。
つまり、自由を仮定してしまうと、自然の法則が崩壊し、自然法則を仮定すると、自由が不可能となってしまう。(引用不明)

断念した質問は、カントが感性界と可想界という二分方を使っているのですが、そこで矛盾について考えたかったのですが、今回のご回答で、その件は解決済み。で、実は、私もカントには詳しいわけではありませんが、カントはこの二律背反(二律背反の証明は十二ほどあるらしいです、上記はそのうちの第三のものです)を理性の限界へつなげるのですが、逆に此処から、言語の不条理の証明のようなことは、成立しないでしょうか?

大変あつかましい、補足で、当然無視していただいても結構です。
重ねて大変有難うございます。

再回答を期待する気持ちと、良い回答を教えていただいた回答者様に負担をかけはしまいか、私の心理のなかに矛盾が同居していますね(笑。

補足日時:2007/02/17 08:15
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この回答へのお礼

これはお見事です。成る程、成る程。
前半の三つの答えはしゃくに障りますが(笑。
三度もつづけて、しつこく質問した甲斐がありましたね。

私も途中で、矛盾と偽りと欺瞞、或いは逆説と言った物が
混乱しているような気がしましたが、この様に説明されると納得出来ますね。
矛盾は主観のバイアス、思考の問題点を見つける理論的な道具、と言うことでしょうか。

お蔭様で、無事解決したようですが、言葉の不条理に関して、お知恵拝借。
補足に、断念したアンチノミーを書き込んでおきます。
論理的に分析していただけると幸いです。大変有難うございました。

お礼日時:2007/02/17 08:12

タレク人が「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」と発言したとき、タレク人はクレタ人でないので、矛盾は起きません。


クレタ人が「クレタ人は常に嘘をつき、邪悪な獣で、食べ物に無関心」と発言したとき、クレタ人はクレタ人であるので、矛盾が起きる可能性があります。

もちろん、クレタ国が二つあって、別の国のクレタ人がもう一方の国のクレタ人について発言したのならば、矛盾は起きません。それはタレク人とクレタ人が違うのと同様です。

クレタ人がクレタ人について発言するとき、発言者のクレタ人と発言内容の一部であるクレタ人が同一人物であると解釈してしまうとき、矛盾が生じる可能性がでてきます。

クレタ人が「クレタ人は常に嘘をつく」と発言したときに、もし発言内容が正しい(「クレタ人は常に嘘をつく」が真)のときには、発言内容の一部のクレタ人と発言者のクレタ人が同一人物であるとされるので、その発言者クレタ人の発言内容(「クレタ人は常に嘘をつく」が真)は嘘ということになります。これによって「クレタ人は常に嘘をつく」が真であることは嘘であり、その否定「クレタ人は常に嘘をつくというわけではない」ということになります。この命題は発言者のクレタ人が嘘をつこうがつかまいが、関係なく真であるので、矛盾は消えました。
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この回答へのお礼

これまたお見事、よく思いつきましたね。
ちまちま、強度計算を捏造するよりは、
クレタ人を捏造してしまえばよいですね。

元々、存在感の薄いクレタ人のこと、二三種類に増やしても問題なし。
ただ、最後の結論が、もう一つ解らなかったのですが、まいっか。
大変参考になりました。有難うございます。

お礼日時:2007/02/17 08:29
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