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県庁所在地を覚えていますが、なかなか覚えられません。
なかでも、「松山、高松、松江」の区別がつきません。
なぜ松がついた県庁所在地が三つもあるのでしょうか。
歴史的背景が理解できれば覚えられるかもしれません。
同じように、「津、大津」も区別ができません。
どなたか教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

県庁所在地名を覚える役に立つかどうかわかりませんが、雑学としては・・・



挙げられた県庁所在地の県は全て海に面しており、県庁所在地は全て港町であるのが一つのポイントと思います。港湾のある町は交易が栄え軍事上も重要拠点であることが多いので、明治以降も県庁所在地に選ばれたのでしょう。

「津」は太古からある言葉で港を意味します。また、松の木はご存知のように背が高く海沿いで最も目立つ木の一つです。この辺が「津」や「松」のつく県庁所在地が海沿いの県に多い理由ではないかと思います。

もう少し詳しく見ると、「松山」の地名は、1600年の関が原の合戦の直後に家康方の大名加藤嘉明が名づけています。(この地で没した崇徳天皇の「浜千鳥 あとはみやこにかよへども 身は松山の音をのみぞなく」の歌かから採ったそうです。)

「松江」の地名は1611年に堀尾吉晴が亀田山に城を築いた時に名づけたそうです。

「高松」も戦国時代の大名生駒親正が付けたと言われており、不思議に全て戦国時代の終わり~江戸時代初期に名づけられています。

と言うことで、生駒親正のケースはちょっと微妙なのですが、松山と松江は、間違いなく徳川家の「松平」をかなり意識してつけた可能性が大きいと思います。

ちなみに、「高松」は、かっては多加津(たかつ)の郷と呼ばれていたそうです。ですから高松の「つ」は本当は「津」の意味であったと思われます。
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この回答へのお礼

harihorereさん、ご回答ありがとうございます。
県庁所在地名を覚える以上の価値があったと思っています。

興味深いと思ったことは、このサイトの質問で「どうして都道府県名と都道府県庁所在地とが異なる県があるのか」という質問への回答と重なる部分があったことです。
すなわちその回答によると、両者が異なる県は明治維新期に幕府側についていたらしいのですが、これはharihorereさんの御指摘の、松山と松江は徳川家(幕府)寄りの大名が治めていたことと一致します。

お礼日時:2007/03/04 02:34

「両者が異なる県は明治維新期に幕府側についていた」ってのは, 結構ガセっぽいって聞いたことがあるんだけど.... 実際には「県庁のある (はずの) 地域の名前」が県名になってます.


例えば, 滋賀県の場合だと, 長浜県 (県庁は長浜の予定が後に彦根に移動, 県名も犬上県に) と大津県 (県庁は大津, 後に滋賀県に改称) が合併して (現在の) 滋賀県になってます. この「滋賀」の名称は, 県庁のある大津の属する郡名 (滋賀郡) に由来するものと思われます.
また, 三重県の場合はもともと安濃郡津に県庁があった (ので安濃津県と呼んでいた) のが一時四日市に移っており, このときに四日市の属する三重郡から三重県という名前になって (さらに度会県を吸収合併して) 現在に至っている模様.
ついでにいえば愛知県はほぼ尾張一国の愛知県 (もっと前は名古屋県) とほぼ三河一国の額田県が合併して (あとちょっとあって) できあがっています. 尾張徳川って, ある意味で「江戸時代の幕引き」もしてるんだけどなぁ.
っつ~か, よく考えたらなんで静岡県は静岡市に県庁があるんだ.... これ, 徳川宗家が封ぜられた藩 (駿府藩→静岡藩) だよ....
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松江は中国の淞江に似ているからつけられたといいます。

松平氏が支配する以前の命名だと思います。
旧制松江高校は松本高校などと区別するため「淞高」と呼んでいました。

松山:夏目漱石「坊ちゃん」
松江:小泉八雲(八雲たつ出雲・・・が名前の由来)
松本:北杜夫「どくとるマンボウ青春記」
文学でも何でも,自分の興味のある点で調べるといかがでしょう。

参考URL:http://www.bes.ne.jp/432_e/matsue/matsue.html
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私は松山、松山、高松、松本(これは県庁所在地ではありませんね)などには縁がない者ですが、日本の地図で県とか県庁所在地などは、特別な訓練もせずに、子供の頃(中学生)地図を読むのが好きで自然に覚えましたよ。

特別苦労するようなことではないのでは?
大体、日本の国の形を書けますか?その辺りから、始めると宜しいかも知れませんね。
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こんにちは。


今の県庁所在地の多くは戦国末から江戸初期にかけて入封した大名達によって開発されたところが殆どです。これは「城下町」という概念が生まれて戦国時代までは主として防御拠点であった城を都市として拡張性の高いところへ移すようになったことなどが大きいと思います。
そういった大名達は信長や秀吉にならってか、新しい城を築くに当たってその地を縁起の良い名前などにかえるということを結構やりました。日本においてそのように大っぴらに地名を変更したのは天皇以外では信長が初であるというような話もありますが、真偽のほどはともかくこうも短い期間に各地の地名がかえられたというのはそれまでなかったことではないでしょうか。
そうした大名達の付ける名に多かったのが「勝」「福」や「徳」それに「松」です。江戸時代には「大名は鉢植え」というようなことにもなりますが、城や町をこれからつくろうというものが「ここは仮住まいかもしれないから」などと思うことはなかったでしょう。誰もが長く繁栄する立派なものをという意気込みでのぞみ、名付けもそれを反映したものになった筈です。そうすると「松」なんていうのは常緑樹で生命力の象徴でもあり「末永く繁栄」にぴったりくる訳です。
松山・高松・松江以外でも信長の女婿で豊臣政権においても大名として生き残った蒲生氏郷などが黒川を「若松」(福島県会津若松市)、武田信玄に国を逐われ家康の計らいで舞い戻った小笠原貞慶が深志を「松本」(長野県松本市)とかえたりしています。一種の流行ともいえるものかもしれません。
あまり馴染みのない土地の名前がごちゃごちゃになってしまうのは仕方のないことです。歴史的な背景がわかれば例え行ったことがなくても「馴染みの土地」的な感覚を得られることもあると思いますが、それでも似た名前を取り違えてしまうようであれば、県名と結びつけてなんていうのはどうでしょう。「愛でる松の山」「香る高い松」・・なんて駄目ですかね?(笑)
余談ですが江戸時代には「松山」藩といっても「伊予松山藩」「備中松山藩」、「亀山」藩といっても「伊勢亀山」「丹波亀山」などダブっている藩名がいくらでもあり、その為に幕府の命令を勘違いして別な藩の城を解体するような事件もあったそうですから、県名や県庁所在地名がダブっていないだけ今のほうがずっと覚え易いと言えなくもありません(版籍奉還後こうしたダブりは全て解消されました)。まあ、そんなこといってみても覚えるのが楽になる訳でも何でもありませんが(笑)
そうそう、「津」は昔「安濃津(あのつ)」と呼ばれていたのでむしろそっちのほうがごっちゃになりにくかった気もするのですが、「津」なんて音一つの地名は珍しく、勿論他にそんな県庁所在地はないので覚え易くはないですか。「海に面しているのが津で湖のほうが大津か・・逆っぽいけどなあ」なんて一回頭に入れておくと案外忘れないかもしれませんよ。
何かダラダラ書いてしまってすみません。何か少しでもお役に立てれば幸いです。
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区別がつかないだなんて失礼な話ですね。

(当方松山人)
山田さんと山口さんと山本さんの区別がつかない何て言ってるのと本質的にかわりありません。

まあ県庁所在地だけ覚えようとしてもどだい無理な話で、その辺は歴史的背景を理解できれば~とお考えのように分かっていらっしゃることだと思います。
しかし、それでは名前が似ていることだけは理解できても、結局混同したままになるのではないでしょうか?

ゲーム感覚で覚えるのがお好きでしたら、桃太郎電鉄をお勧めします。パーティ用双六ゲームですので、各都市の大まかな位置を知ることが出来ます。
旅行がお好きでしたら旅行雑誌で知るのはいかがでしょう。名所名産などと一緒に知ることが出来ます。

名所名産で言いますと、
松山:道後温泉、タルト
高松:栗林公園(りつりんこうえん)、和三盆・(香川県西部を中心に)うどん
松江:宍道湖(しんじこ)、(近隣の)出雲そば・安来節

大津:比叡山、琵琶湖//京都市の隣、京都市大津区と揶揄されることがある。
津:(近隣に)伊勢神宮、真珠
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この回答へのお礼

Ichitsuboさん、ありがとうございます。

Ichitsuboさんは松山の方ということで、大変申し訳ありませんでした。
ゲームで覚えるのは名案です。理屈じゃないような気がしてきましたから。
もちろん、歴史的背景を知ることは、覚えるのとは別で大変興味深いです。

お礼日時:2007/03/05 02:15

こんにちは。


 「松」の付く地名が武士階級によって好まれたかもしれないことがharihorereさんの回答から窺えますね。辞書によると
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BE%BE …
松には生まれながらに優れた木であるという意味も含まれているようですから、これは武家の好む木であったと思います。この辺は調べればもっと色々と出てくるでしょう。
 それにしても等級を現す松竹梅がこの辺りに由来するとは知りませんでした。
 ところがその同じ松が僅かな風でも松籟の原因となり、賊の侵入する物音を聴き取りにくくする。こういう理由により武家屋敷に植えることは避けられた、という話も伝わっています。

 県庁所在地の話で私が面白く感じたのは大津に付いてです。
 元々井伊家彦根藩は彦根に城があり、琵琶湖沿岸では個々が最も大きな町でした。明治政府が出来た際にも、県民の間では旧来のように彦根に県庁を置くべきだという意見が大半でした。
 ところが井伊家と徳川幕府との関係もあり、城下町としてそれなりの戦に対する構えを持っていた彦根に県庁を置くのは政府側が却下。そこで京都御所からも近く監視が容易な大津を県庁としたとのことです。
 当時の大津は全くの田舎だったらしいですが、百余年を過ぎて尚滋賀県で第一の町といえば彦根であることに変わりがないようです。
 ここまで政治的な意図の働いた例はほかには無いかもしれませんが、調べるとまだ意外なものもあるかもしれません。
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この回答へのお礼

pote-nyanさん、ありがとうございます。
>ところが井伊家と徳川幕府との関係もあり、城下町としてそれなりの戦に対する構えを持っていた彦根に県庁を置くのは政府側が却下。
>そこで京都御所からも近く監視が容易な大津を県庁としたとのことです。
とはなかなか興味深いです。
それにしても、京都と滋賀の県庁所在地がJRの駅で二つしか離れていないことを知ったときは、大変驚きました。

お礼日時:2007/03/05 01:54

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