No.5ベストアンサー
- 回答日時:
>日本軍は出身地別の部隊編成だったのでしょうか。
陸軍の歩兵連隊については、回答者さんのご理解でOKです。国内を各連隊区に区分し、その連隊区にある本籍地の役場から召集令状が来ます。徴兵検査も本籍地で受けます。
陸軍の兵科も砲兵、工兵などいろいろあって、必ずしも連隊イコール郷土部隊と云えないですが、陸軍の基幹である歩兵連隊は郷土部隊といえます。
陸軍の中では歩兵の人数が圧倒的に多く、兵隊さんといえば歩兵を連想するのが普通ですので、『日本軍は出身地別の部隊編成だった』という理解でよろしいかと思います。
>一番弱かったのが大阪出身の部隊だといってましたが本当でしょうか。
『またも負けたか8連隊』で有名?な第8連隊は大阪でした。
戦後になっても、マージャンや囲碁将棋などで、負けそうになると『またも負けたか八連隊』の地口がよく使われました。
小生が会社勤めをしていたとき、八連隊出身の人がいましたので、本当に弱かったのか、と失礼なことを聞きましたら、ニヤリと笑って『弱かった』という答が返ってきました。
この人は『また負けたか・・・』の謂れは知りませんでしたが、想像しますと、西南の役にまで遡るのではないかと思われます。
当時の政府軍の主力は百姓町人出身が多い鎮台兵でした。それで、旧武士主力の薩軍の白刃突撃に逃げ惑ったこともあったようです。
そのため、新政府は武士出身が多かった警視庁警視隊から選抜した抜刀隊などを組織して対抗しようとしたほどでした。
大阪鎮台の兵隊もも西南の役には出征しました。
大阪という町は江戸時代から町人の町として栄え、武士の数も少なく、またその武士も米俵の数を勘定する「そろばん侍」のイメージがありますから、大阪鎮台兵にはどうしても弱そうなイメージが付きまとって来ます。
西南の役で、大阪鎮台が連戦連敗であったという事実は確認されていません。
しかしそのような評判が立つ素地はあったように思います。
また、その後の出征でも、マスコミ受けのする華々しい戦果もなかったようで、大阪=商売人=勘定高い→命を惜しむ→弱い という評判を払拭できなかったと考えられます。
(1)九州の兵隊は勇猛果敢、(2)東北の兵隊は黙々として粘り強い というイメージがあり、前の大戦では実際に強かったわけですが、大阪の兵隊は『またも負けたか八連隊』とオチョクラレルほど弱くはなかったと思います。
まあ、しかし強かったとは云えんでしょうな(苦笑)。
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
「またも負けたか八連隊」は西南戦争の頃薩摩の兵隊達が言い出したものと言われていますが、実際のところはどうであったのかと主に日露戦争について調べられた方の話によりますと、確かに近畿・関西圏で編成された連隊には慎重で勇猛さに欠ける面が見られるものの、逆に九州・東北圏の連隊は勇猛ゆえの無謀が目立つといった具合で、単純に「どちらが強い」とは言えないようです。
要はやはり人々の持っている気質のようなものが傾向的に違うので、それがある面では有利に働きある面では不利に働くということでしょう。戦場では結果的に「損害が少ないほうが勝ち」ということもある訳ですが、やはり華々しいほうが目立ちますし「またも・・」を言い出したような人々から見たら「腰抜け」に見えることもあったのでしょう。
この気質の違いを「縄文人系」「弥生人系」の違いに結びつける話もあり、どこまで信用出来るかわかりませんが、実際現在でも自衛官に就く人数などを統計的に見ると明らかにこの傾向(縄文人系の九州・東北人が多く、弥生人系の近畿・関西人は少ない)にあるとか。
勿論単純にそれだけで結論の出る話ではありませんが、ある部分では中々説得力のある話でもあります。
No.4
- 回答日時:
当時の日本は幕藩体制が終わってまだ日が浅く、それぞれ旧藩のいわくを引きずっていました。
軍制については、徴兵のプロセスや管理の面で出身地別という形が合理的とされましたが、発足当時のそういった実情もあります。明治になってからの政争も薩摩藩等を長州藩が追い落とし、その西南戦争では薩摩に裏切られ辛酸を舐めた会津藩士が復讐心で頑張りました。
長州と会津の確執については、最近でも会津側が「まだ日が浅い」として和解に至らなかったというありました。
九州・東北と言うのはそういった過去の藩のイメージが精強という事と、農家出身者が多く厳しい環境に耐えられるという特性があったのかも知れません。
反対に大阪は東京より平均的に豊かな生活をしていたので、軍の生活はかなり落差があったと思います。
実際の戦闘に関しては、お互いが戦ったわけでもなく、日清・日露何れも個別の隊が戦うより全体で戦う大会戦が主だったので、どこが強かったというのはイメージの問題でしかなかったと思います。
No.3
- 回答日時:
旧日本軍は「郷土連隊主義」といって、軍の基幹単位である「連隊」-これが幾つか集まって戦略単位である師団になる-は、根拠地(衛戍地という)周辺からの徴兵者によって構成されていました。
#但し、管理職である士官は別
これはドイツをモデルとしたもので、士気高揚などに一定の効果があると期待されました(まるで知らない戦友よりは、郷土という結び付きがあった方が団結は高まる)
さて、「弱かった」とさんざんな言われようの大阪兵ですが、先賢御回答の通り、実際に弱かったのか、というとそうでもないようです。
当時の大阪連隊も「バカにされてはならん」とばかりに猛訓練をしていたらしいですし。
それでも「ノモンハン事変遅参」とか「WW2中もチンタラしてた」とか言われてしまうのは、一度付いてしまった風評は取れにくい、という所でしょうか。
たしかに猛攻撃の末、生存の10人で堡塁を奪ったとか、玉砕して果てたとか、そういう派手な戦歴はありません。
が、見方を変えれば「無謀な突撃事故の元」(cいしいひさいち)なわけでして、そう言うことをしない合理性、というのは蛮勇を好んだ旧軍の中では異端だったのかも知れません。
因みに、回答子は東北地方に住んでいるときに「インパール帰りの爺さん」と話したことがあります。
回答子「インパールですか・・・ほんっと、よく生きて帰ってこれましたね」
インパール爺「そりゃね、わたしゃ仙台の生まれじゃないから。栗駒の炭焼の伜で、山岳民族だから」
回「さ、山岳民族・・・」
イ「南方でもな、山なら大体同じ様なモンだ。町の連中とは鍛え方も違う」
・・・・経験者によると民族性は大事なようです。
回答ありがとうございます。そういえば八甲田山の遭難で生き残った兵士も実家が雪山のそばだったとかいう話を聞きました。やっぱり貧乏な地方出身のほうが精強な兵士としての素質があるのかもしれませんね。
No.2
- 回答日時:
またも負けたか八連隊
これは、単なる語呂合わせの良さからきた、都市伝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC4%E5%B8%AB …
基本的に合理的に行動できる軍隊が強い軍隊です。
ちなみに、私の祖父は第二師団、新発田連隊だったらしい、新潟だから。父は志願兵なので、陸軍少年航空隊。
回答ありがとうございます。大阪人はものの見方がシビアですね。世間で言われているのは誤解かもしれません。ちなみにおじいちゃんは中国で衛生兵だったそうです。戦時中やたらと待遇のいい部隊への勧誘があったそうです。戦況もかんばしくない中あやしいので断ったら戦後わかったことですが、どうもその部隊は人体実験を捕虜に対しておこなっていたらしいとか…。なんか妙にリアルな話しですよね。
No.1
- 回答日時:
回答ありがとうございます。「兵站はうまかったというはなしもある」というのに笑いました。これ読むとおじいちゃんの話は本当に当たっているのかもしれませんね。
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