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歩兵第101連隊を通称「東部第62部隊」というようになったのはどのような決まり事でしたのか教えて下さい。

A 回答 (1件)

 その根拠は、1940年(昭和15)「昭和十五年軍備改変要領細則」による同年7月29日付陸密第1533号「通称号対照表」、8月1日付陸密第1524号および「昭和十六年度陸軍動員計画令細則」です。



 その目的は、支那事変拡大にともなう防諜上、部隊固有名の秘匿にありました。

 東部第62部隊というのは、通称号(部隊秘匿名)といいます。通称号は、「東部」という兵団文字符、「62」という通称番号からなっており、平時部隊通称号(含:在満・在鮮・在台湾部隊通称号)、戦時部隊通称号に分類され前者に該当します。

 歩兵第101連隊を例にとると、同年8月1日東京に於いて歩兵第1連隊補充隊(留守隊)を以て歩兵101連隊(第二次)の編成に着手し、同年12月4日平時編制を完結しました。以後通称号東部第62部隊と称しました。のち神奈川県溝ノ口へ移駐。1943年(昭和18)2月13日中国大陸派遣のため、第61師団臨時編成にあたり連隊は同師団編入となり動員業務に着手し戦時編制を完結、通称号を鵄第3062部隊と称し中国上海へむけ出征しました。これに伴い、溝ノ口に留守および補充業務を担任する歩兵第1補充隊を臨時編成し、同部隊は東部第62部隊を称しました。さらに1945年(昭和20)2月28日東京師管区歩兵第1補充隊と改称し東部第62部隊を継承し終戦に至りました。
 

 
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