日本陸軍が師団制を導入してしばらくは、四単位師団の編制が取られていました。すなわち、師団は4つの歩兵連隊を保有し、それを2個連隊づつ旅団にまとめて、2人の旅団長が指揮し、師団長はこの2個旅団を統括指揮するという編制です。
その後、三単位師団への改編が進み、師団に所属する連隊は3つとなったわけですが、ここでよくわからないのは、旅団の代わりに師団内の3個歩兵連隊を統括指揮する「歩兵団」が設置されていることです。
師団内に4つの連隊があれば、旅団という結節点を設けて運用するのが師団長の負担軽減の意味もあって効率的かもしれませんが、3つであれば、師団長が直接連隊を指揮してもあまり支障はないのではないでしょうか?
師団の基幹兵力である3個連隊の指揮権を歩兵団長におろしてしまったら、実際の戦闘の主務者は歩兵団長ということになり、師団長の存在意義が希薄になってしまうような気がします。師団長は歩兵団長を経由してしか各連隊を指揮できず、歩兵連隊のみに歩兵団という中二階があるので、師団内の他の部隊(砲兵等)との連携がうまくいくのかも疑問です。組織論としてもむやみに結節点を増やすことは、運用や指揮命令系統の複雑化やあいまいさを招き、プラスではないと思います。
せっかく三単位師団にしたのに、わざわざ歩兵団長ポストを新設した理由については、
1.旅団の廃止によって生じる少将クラスのポスト確保のために無理やり作った。
2.軍団編成を持たない日本陸軍において、歩兵団長に事実上の師団長的役割を与え、師団長はその支援部隊指揮と上級司令部との結節点である軍団長的役割を与えるようにして、欧米陸軍の運用の仕方を実質的に取り入れようとした。(実際に軍団制を取り入れ、師団長を少将ポストにする制度変更を実施しようとしても、さまざまに困難があるので、事実上の扱いとして性格分けを図った)
のどちらかかなと思っているのですが、詳しい方ご教示ください。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
確かに歩兵団という結節の必要性は疑問です。
しかし、聯隊の数が3個であれ4個であれ、この程度なら一人の指揮官(師団長)が十分に運用できる範囲なので、歩兵団と同様に、旅団という結節の必要性も疑問とせざるを得ません。私は、この結節が存在する理由を次のように考えています。旧陸軍は、その草創期においては、師団ではなく「鎮台」を編制し、これが平時における最大の部隊でした。時代によっても異なりますが、鎮台は6個編制され、各鎮台は2~3個の営所(=聯隊区)を有していました。鎮台は、実力部隊として行動する場合は「旅団」となり(旅団長は鎮台司令官)、監軍部長(東部、中部、西部の3個監軍部が存在)が師団長となって各々2個旅団を指揮する仕組みでしたが、師団は常設の組織ではなく、戦時、臨時に編成されるものでした。
後年、鎮台制は師団制に移行しましたが、このとき、従来、師団長の指揮を受けるべき部隊であった鎮台(旅団)を、勢力の飛躍的な増大があったわけでもないのに師団に格上げしました。このため、師団と聯隊に挟まれた旅団の位置付けが中途半端となり、師団のなかに、聯隊と並列する形で2個の旅団司令部を編制してつじつまを合わせた(旅団司令部の下に実動部隊なし)のではないでしょうか。
ちなみに、旧制度の鎮台司令官(=旅団長)の階級が大佐又は少将であったのに対し、新制度の師団長(旧鎮台司令官)の階級は旧制度の監軍部長と同等の中将とされました(私は、帝国陸軍の師団長の階級が列国のそれより上位の中将である理由も、この辺りにあると考えています)。
そして、師団が4単位制から3単位制に移行したときも、中間結節たる旅団をそのまま兵団に移行させたのでしょう。このような中間結節は、平素から常設する必要性は乏しいものの、作戦時、主力とは距離的・地形的に離隔した場所でまとまった兵力を運用する場合などには必要なものなので、必ずしも無用の長物とはいえません。もちろん、少将ポストの温存という行政的な理由も無視できなかったでしょう。
なお、師団制移行に伴い、旧制度の監軍部長の戦時職は軍団長に格上げされましたが、軍団長たるべき新たな監軍部長の発令はなく、有名無実の存在であったところ、後年、監軍という制度そのものが廃止されています。
回答、ありがとうございます。
> 後年、鎮台制は師団制に移行しましたが、このとき、従来、師団長の指揮を受けるべき部隊であった鎮台(旅団)を、勢力の飛躍的な増大
> があったわけでもないのに師団に格上げしました。このため、師団と聯隊に挟まれた旅団の位置付けが中途半端となり、師団のなかに、聯
> 隊と並列する形で2個の旅団司令部を編制してつじつまを合わせた(旅団司令部の下に実動部隊なし)のではないでしょうか。
この解釈は、胸にストンと落ちます。
旧軍が解体して、新しく陸上自衛隊が編成されても、師団長は陸将(=陸軍中将)のポストになっているというのは、日本陸軍において師団長の地位がいかに上位であったかがうかがいしれますね。
No.2
- 回答日時:
私は、軍事については門外漢ですが。
明治維新以後の日本の軍制について、合理的な説明を探すのは無駄だと思います。
日本には、軍制について記された文書は、公には無いも同然です。
クラウゼビッツの『戦争論』(岩波文上・中・下巻)には、師団、旅団の機能的な差異が記されていたと記憶します。
そちらをお読みになった方がいいと思います。ただし、全巻で1000ページは超えます。
No.3
- 回答日時:
>日本陸軍が師団制を導入してしばらくは~ 師団長はこの2個旅団を統括指揮するという編制です ~ その後3個歩兵連隊を統括指揮する「歩兵団」が設置されていることです。
ここまでは「旅団」が「歩兵団」に代わったと解釈できます。
>師団内に4つの連隊があれば、旅団という結節点を設けて ~ 効率的かもしれませんが3つであれば、師団長が直接連隊を指揮してもあまり支障はないのではないでしょうか?
4つだと結節点が必要で3つなら必要でない、というのは貴方個人の感想であって、「歩兵団」を設けたという意味は、1940年当時の旧陸軍における「師団」というものの軍事価値(役割)が変わらなかったということだと思います。
その後、太平洋戦争が激化して動員が困難になるにつれて「師団」の価値も変化し、歩兵連隊を有さない、砲兵力もない「師団」が生まれることになったことはご存知の通りです。
>師団の基幹兵力である3個連隊の指揮権を歩兵団長におろしてしまったら ~ 師団長の存在意義が希薄になってしまうような気がします。
それは四単位時代でも同じことが言えるのではないでしょうか? また、歩兵連隊の指揮権を歩兵団長におろした、というのは誤解です。
>歩兵連隊のみに歩兵団という中二階があるので、師団内の他の部隊(砲兵等)との連携がうまくいくのかも疑問です。
その解釈も誤りです。この場で細かい記述は避けますが、「歩兵団」の運用は、歩兵連隊を基幹として砲兵、工兵などの支援部隊を包含した「支隊」を編成して師団の複合的な作戦に従事することにありました。また、「歩兵団」は師団編合から独立するという柔軟な運用がされていました。この役割を三個歩兵連隊のうちのひとつにさせようとすると、他の連隊との摩擦が起きる可能性もありました。(連隊は「横並びの関係」)
例) 南海支隊編制 = 第55歩兵団司令部 歩兵第144連隊 騎兵第55連隊第3中隊 山砲兵第55連隊第1大隊 工兵第55連隊第1中隊 独立工兵第10連隊第3中隊主力 第55師団通信隊の一部 輜重兵第55連隊第2中隊 第55師団第1野戦病院 その他
>軍団編成を持たない日本陸軍において、歩兵団長に事実上の師団長的役割を与え、師団長はその支援部隊指揮と上級司令部との結節点である軍団長的役割を与えるようにして、欧米陸軍の運用の仕方を実質的に取り入れようとした。
その考えかたが最も適切かと思います。
40年当時の旧陸軍における「師団」に軍事価値ということから申し上げると、そもそも「師団長は陸軍中将をもってこれに親補し天皇に直隷し部下の部隊を統率し‥‥」(『師団司令部令』)となっており、軍事上最小の「戦略単位」でした。いっぽう「軍」というのは基本的に戦時の際に臨時に編成されるものであって、通常平時において固有の隷下部隊と幕僚を有する最大の団隊の長は師団長であった、ということです。師団長が司令官と称するのもこういうところにあります。日本本土の例でいうと、40年8月1日に内地に軍司令部(東部・中部・西部・北部)が編成されたことにより、師団長はここで初めて軍司令官に隷属することになりました。
以上のことから師団長は、戦略作戦の指揮官として、各兵種複合団隊の長としての役割を果たすとともに「歩兵団」を設けて「縦の関係」を維持しつつ作戦に応じて戦術単位を増減し実戦にあたった、と見るべきでしょう。
旧日本軍の組織に関しては『帝国陸軍将校団』浅野祐吾 (芙蓉書房)83年 や 『失敗の本質・日本軍の組織論的研究 』戸部良一他 (ダイヤモンド社) 84年をおすすめします。
回答ありがとうございます。
> また、歩兵連隊の指揮権を歩兵団長におろした、というのは誤解です。
そうだったんですか。
>>日本陸軍において、歩兵師団の編成が四単位制から三単位制に換わった際に、その3個の歩兵連隊を統括するために旅団に代わって作られた部隊組織。
http://www.wdic.org/w/MILI/%E6%AD%A9%E5%85%B5%E5 …
という説明を鵜呑みにしておりました。
私自身も「4つだと結節点が必要で3つなら必要でない」と納得していたわけではないのですが、事実は違ったと言うことですね。
歩兵団の役割は、師団の一部を分派して支隊を編成する際の指揮官要員だったということですね。
陸自には旧軍には無かった「副師団長」が新設されていますが、ミニ師団的位置づけとなった旅団長に代わり、師団の一部兵力を独立運用することが期待されているポストと見ればよいのでしょうか。
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