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Wikipedia「マニラの戦い 」によると、
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1945年1月に連合軍はルソン島に上陸し、2月3日、アメリカ陸軍第14軍団(第1騎兵師団と第37歩兵師団)がマニラ地区へ突入し、その日のうちに連合国民間人の収容所となっていた聖トマス大学を解放した。
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となっています。

一方、高田正之氏著「こんなメディアや政党はもういらない」(84頁)によると、
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マニラのサントトーマス大学周辺で最後の決戦があったわけだけど、その一カ月前の昭和二十年の二月、日本軍は米国との最後の決戦の前に、サントトーマス大学に抑留していた白人三千人以上を全員米軍に引き渡している。
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Wikipediaでは、あたかも米軍が戦闘して、大学に抑留されていた連合国民間人を救出したと言っているように見えます。

一方高田氏の記述では、日本軍が戦闘中又は戦闘前に自主的に白人達を解放して引き渡したように読めます。

全員救出されたならば、高田氏の言が正しいように見えますが、どちらが真実でしょうか?

何か別の証拠があれば良いと思うのですが。

どうぞよろしくお願いします。


ーーーーー 破壊されたマニラ市ーーーーー

「マニラ市街戦で、聖トマス大学に抑留されて」の質問画像

A 回答 (1件)

高田市の記述の方が正しいですね。

 TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日本軍は何をしたのか?」の中で、アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏がマニラ市街戦を解説しています。 それによると「1945年2月3日、(マニラ市街戦が始まる前に、)まずマニラのサント・トマス大学にいた数千人のアメリカ人や連合国側の市民が日米両部隊の交渉の結果、戦闘を経ずに解放されます。ここでは非常に人命が尊重されます。その後、米軍はマニラを完全に包囲します。」と言うことです。
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この回答へのお礼

正に望んでいました御解答です。

本当に有難うございました。

お礼日時:2021/02/07 14:32

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