
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
明治大正時代の警官でも、非常時での拳銃携帯が確認されています。
サーベルである理由は、諸外国の警官がサーベル武装であったことから倣ったと考えられます。
当時の帯刀事情では、警官に限らず、公務職は帯刀が許されていた(士族の精神的保護の意味での帯刀許可だったんでしょう)ようですから、現実には、帯刀の威圧効果は、望めません。
海外に比較して、農村部まで大小(刀)の普及している日本では、帯刀は大きな効果はないとも言えます。
逆に公務職者の風紀・綱紀の側面での帯刀の意味があったかもしれません。
拳銃は、警官の護衛手段ではなく、威嚇・示威の目的で使われるものですが、当時の警官の質が高くなかった事情も含めて、拳銃携帯を許すことは難しかったと考えられます。
簡単に言えば、当時の綱紀があまりにも低品質だったために、拳銃が市販化される恐れがあったなどの危険性を勘案したのでしょう。
特に長州出身の野蛮人警官の野蛮な行為は多々あったようですから、警官の信用性を確保する・治安維持の目的で、警官を信じることも不可能だった背景もあるでしょう。
同時に、拳銃の質が低く暴発の危険性を考えると、高給取りの警官に貸与させることに不安もあったでしょうし、警官自身の士族的精神性からも拳銃を嫌ったなどの背景もあるでしょう。
ご回答ありがとうございます。
諸外国の華美な趣味に倣ったと言う感じはします。
日本は刀になれた国民ともいえそうですので、威圧感はさほどでなかったかもしれません。警官は氏族下がりのあまり質のよくないもんが中心だったのでしょう。拳銃までは持たせる寛容さがなかった。
No.6
- 回答日時:
余談ですが、警察官の帯刀が許されたのは1877年だそうです。
で、その頃、すでに郵便配達夫には拳銃の携帯が認められていました(1873年より)。これは、郵便強盗に対処するためです。
すくなくとも、この頃の当局は拳銃を護身用として考えていたのだと思います。
No.5
- 回答日時:
警察に拳銃が行き渡ったのは昭和30年代です。
サーベルは山のようにあった足軽刀などを改造して作ったので大量に配備できました。また、重犯罪が多発したわけではありませんので拳銃はそんなに必要としてません。
ただし、満洲・朝鮮国境の警察はサブマシンガンに機関銃まで持っていました。不逞●人(公式文書の●●鮮●とはっきり書いてあります)による村々への襲撃が相次いでいたためです。
終戦後、GHQの命令でサーベルを没収したら、今度は日本国内で暴力団や不良外国人が事件・暴動を起します。その結果GHQは日本軍から没収した拳銃を各警察に支給したのです。また、北陸本線でサラリーマンが不良外国人に襲われて死亡する事件が発生し鉄道公安官(現在の鉄道警察隊)が設置されます。昭和20年代前半で50%の配備率です。拳銃は日本軍の拳銃と米軍の拳銃でした。
No.1
- 回答日時:
拳銃も所持していましたよ
ちなみにサーベルはなまくらですよ、階級を表す☆の数のような物
『小さな親切大きなお世話、アナタの悩み辛口ママンが解決』
from maman
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