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古代の戦史やゲームや小説だと騎馬武者部隊vs歩兵部隊では何倍もの戦力差が有る様に描かれますよね。
何故でしょう?

そもそも騎馬武者と槍歩兵が一対一で戦っても互角の様な気もするし
集団戦闘時に歩兵隊が捨て身で馬を攻撃したり馬が歩兵を踏み殺したはずみで馬上武者が落馬するケースが多々あると思うんですが?

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A 回答 (7件)

 馬上で弓を引けたり、刀や槍で戦えると言う時点で、幼い頃から武芸の訓練を続けた証拠なので、戦国時代の日本の臨時に集められた農民主体の足軽より、単体の戦力で勝るのはまあ仕方ないかなとも思います。

格闘家と一般人が戦うような物です。

 まあ、戦国時代に組織だった騎兵部隊は存在していないと言う説も有るのですが…。

 スイスのパイクを主体とした部隊(傭兵としてヨーロッパ諸国から引く手数多だったので錬度は十分)相手ですと、重騎兵の突撃は容易に成功しませんでした。

 カラコール(ピストル騎兵)などの新戦術が生み出されましたが、最終的には高錬度の歩兵部隊を突破するには、大砲で歩兵の陣形に穴を空け、其処に騎兵を突入させるという三兵戦術が基本になります。(大砲は歩兵に強く、歩兵は騎兵に強く、騎兵は大砲に強いと言う、ジャンケンみたいな関係に成ります。)

 錬度が充分なら一兵種だけが極端に強くなると言うのは無いと思います。(ちなみに三兵戦術は、騎兵を戦車に置き換えれば現在でも有効です。)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9% …
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新田義貞は、泥沼の中を馬で強行突破しようとして、歩兵の放った矢を受け死亡しています。



蒙古襲来の時にモンゴル軍が使った「てつはう」は、大砲ではなく、大音量で馬をおびえさせ、騎馬武者を機能不全に陥れる兵器です。

馬だから、強いということはないような気がします。これが、カルタゴ軍が使ったような象であったら、かなり強そうですが。
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密集戦闘、特に白兵戦をベースにした戦闘というのは、


性質的にはラグビーやアメフトに試合のようになるわけです。
戦闘というと殺し合いだけを考え勝ちですが、
基本的に密集戦闘では相手を殺すことではなくて、
相手の組織を崩し、士気を崩壊させることによって勝敗が決まります。
戦闘では組織と秩序をいかに保つか、逆にいかに崩すかが
問題となるわけで、敵の殺傷もそのための手段の一つに過ぎません。

古代の騎兵は、鐙や装甲の関係もあって、衝撃戦法をあまりしませんが、
中世の騎士の突撃が一時期無敵のように振舞えたのは、
人馬の突入を押し留めるのが非常に困難なためです。
敵の突入をうけて陣形、隊列を裂かれてしまうと、統制が取れなくなり、
混乱し、部隊は組織として行動できなくなるので、後退を余儀なくされます。
そして後退はさらなる混乱をうむので、潰走につながるというわけです。
古代においては、騎兵はこのような役割ができなかったので、
二頭立ての戦車や、象が使われたわけですが、
ゲームなどで、騎兵の戦力を高く評価するのは、この突貫力を評価したものです。
通常、歩兵の3~5倍とするのが普通ですが、ちゃんとしたウォーゲーム(日本にはあまりないが)なら
騎兵のマイナス面も正しく表現しており、混乱の弊害や、突撃による人員損失等々、制限があるのですが、
そこらへんは詳しく言ってもわからんかな。

あと、騎乗そのものの利点も当然いくつかあります。
まず機動力があげられますが、機動力とはすなわち自分で歩かなくて良いということです。
疲労は戦闘では非常に重要であり、実際の戦場では丸一日歩き続けることになるのでわけですから
馬は命綱となりえます。
実際、アジャンクールの戦いでは、フランスの騎士は馬足を泥に取られて
大渋滞のなかで泥濘に落ちて、力尽きて溺れ死んだり、雑兵に首を掻ききられて
歴史的な大敗をしています。
重装甲になればなるほど、馬への依存は高まったわけで、
ワールシュタットのように偽装退却でも、重装甲騎兵は敗れるわけですが、
これは逆に軽装のモンゴル騎兵が馬の機動力を存分に使った例でもあります。
また騎乗のもうひとつの利点は、徒歩の兵士よりも高い位置にあるので、
位置エネルギーが利用でき、打突では有利となるだけでなく、
場合によってはスピードも利用できるわけで、ごく単純に考えても衝撃力はスピードの二乗にもなるので、
前述の突貫力と合わせて、騎兵が有利なポイントとなります。

しかしもちろんこのような騎兵の特徴に対しても、対抗策があり、
騎兵が歩兵よりも単純に強いというわけではありません。
対抗策をとれば、騎兵の利点は失われ、歩兵の数が圧倒的に力をもつようになる。
あ、基本的に馬を大量に容易するのは、古今東西で限界があるので、
騎兵と歩兵の比率が逆転するようなことはなく、騎兵は常に少数・劣勢です。
対抗策はいくつかありますが、柵、斜面、長槍(パイク等)、銃剣、方陣などが代表的です。
要するに動きを止めればいいということです。


ゲームの話でしたから、ゲームの話でいくと、
まともなウォーゲームならば、騎兵が常に歩兵よりも強力であるようなシステムで
設計されてません。特定の状況、たいがいは騎兵突撃のときだけ、
高い攻撃力をはっきできるようなルールが一般的です。
ま、日本だとウォーゲームが絶滅に瀕してますから、
ウォーゲームもどきで、単純に騎兵を歩兵よりも強いキャラ的に設定している場合が
まま見られますが、それはただの虚構です。現実を再現してないだけです。
日本でなかなかウォーゲームに接することが無いのでわからないかもしれませんが、
大隊規模の会戦級のルールブックの一つでも読んでみたら、デザイナーが
どういう風に戦闘を表現しようとしているかよくわかるのですがね。
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騎兵隊と槍歩兵隊という集団では槍歩兵が方陣形を組めば騎兵隊は攻撃できません。

しかし槍歩兵部隊も攻撃できません。

1対1では
競馬のレース場で馬が走ってくるのを物干し竿構えて止められますか?
実際の戦場では競馬ほどのスピードはだしませんが、いきり立った馬が駆けてくるだけでその恐怖に普通の人はにげます。
次に、騎兵はあなたを攻撃してきます。あなたはそれを防御しつつ攻撃しなくてはなりません。このとき攻撃してくる騎兵と(あなたが弱点だと思っている馬の足への攻撃)とあなたの注意は二分されます。
三つめに1のかたも書いていますが高さとスピードです。高さというのはそれだけですでにエネルギーがあります。また見晴らしも良い。
騎兵はスピードがあります。これもエネルギーでありランスチャージだと穂先は無くても当たれば吹っ飛ばされます。
当時の馬術は馬も歩兵を攻撃しました。オーストリアのスペイン乗馬学校にはそのときの技術が残っています。
それは後ろ足で立ち上がり前進し、前足でかいて歩兵を攻撃したり、後ろを向いてのキックなどがあります。
また追い詰めるときの馬の動きは闘牛のピカドールが牛を追い詰める動き、あるいはカウボーイの牛を追い詰める動きを見るとわかりますが、非常に早い。これは乗り手ではなく馬が自分の判断で牛を見てもっとも最適に相手を追い詰めるように自分で考えて動くのです。
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実際の戦闘では、機動力


これが大きく働きます。

戦争の教科書には必ず出てくる、カンネーの戦い
戦闘では、包囲して殲滅せよ。
というのが、基本です。後ろから回り込んで退路を断つということです。
回り込む=相手より素早く動く事が必要と言うことで、その際騎馬兵力は重要な鍵となります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3% …
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以下のURLを参考にしてみてください。



 http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/takeda …

現実は違ったのではないかというのが結論です。
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質問者の2倍の身長で 3倍の速さで動ける相手と喧嘩した場合を想定してください


1対1や多数対多数を
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Q騎兵に対しては、馬を倒すのは有効ですか?

歴史ドラマなどで騎兵戦を見ていると、騎兵に対しては馬を倒す方法が最も有効なのではと思ってしまうのですが、ドラマなどでその方法をみることはほとんどありません。
中世の戦争において騎兵に対し、
1.馬に矢を射かける
2.騎乗する兵士でなく、馬の胴体や足を槍や剣で攻撃する
などの方法でまず馬を倒してしまえば、騎兵は投げ出されてしまい、騎兵が無力化すると思うのですが、この方法がとられない(もしくはドラマでほとんど見ることがない)理由を教えてください。

Aベストアンサー

馬はとても貴重品でステータスのシンボルです 進軍するときの鼓舞のため とか 敵から逃げるときの最良の道具です 騎馬武者 騎上の兵の数は だいたい全体の1割ぐらいです(大阪の陣の時参考) そんなに少ないものです
武田の騎馬武者は 史実でも事実でもありません 信玄がまだ晴信といっていたころ 小笠原長時との戦で 甲斐の国境から油断させるように動かず 相手の怠惰を誘い 一方で 軍のなかから国人地侍の騎乗クラスだけを編成して 騎馬のみで 勝弦峠まで 長躯して 寝込みを襲って勝利したことが 他国に過大に伝わったため さも 騎馬での戦いが日常的にあると勘違いされておられる方がおおいですね 
戦いがはじまると 馬からおりて 徒歩で戦うのが この時代の一般的
なものです 馬の体高は 武士の元服にあわせて (元服は120Cmぐらい)
あかり1寸という基準がありますが それぐらい小さく 今の木曾馬クラス ポニーより少し大きい
時速6Kmぐらい それ以上のスピードで走ると 死にます 替え馬も引き連れていきます テレビの馬はアラブかサラブレットです
モンゴルの馬とおもってください マラソンはなんとかなりますが
スピードレースは 適していません 山を上るには適しています 
後ろ足が それに合うように発達しています
 

馬はとても貴重品でステータスのシンボルです 進軍するときの鼓舞のため とか 敵から逃げるときの最良の道具です 騎馬武者 騎上の兵の数は だいたい全体の1割ぐらいです(大阪の陣の時参考) そんなに少ないものです
武田の騎馬武者は 史実でも事実でもありません 信玄がまだ晴信といっていたころ 小笠原長時との戦で 甲斐の国境から油断させるように動かず 相手の怠惰を誘い 一方で 軍のなかから国人地侍の騎乗クラスだけを編成して 騎馬のみで 勝弦峠まで 長躯して 寝込みを襲って勝利したこと...続きを読む

Q帝国と王国の違いについて

帝国と王国の違いについて教えてください。

帝国の定義としては「ある特定の民族が他の民族や領土の支配をともなって統治している場合」という記述がありました。

歴史を見るとナポレオンは自らを皇帝と称しましたが、この時代のフランスは帝国ですか?

また明治維新以後敗戦までの日本は「大日本帝国」ですが、これは台湾や朝鮮などを支配していたからでしょうか?

ドイツは小王国に分かれていたのが統一されてドイツ皇帝
Kaizerを戴きましたが、ワイマール共和国が成立するまでは帝国だったと言えますか?

中国は明帝国、清帝国など、周辺の諸民族を柵封し、支配していたので帝国ですよね。

しかし、オランダ、スペイン、ポルトガルなどは植民地をもって多民族を支配していたのに、王国でした。

はっきりとした違いはあるのでしょうか。

Aベストアンサー

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。
古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取った国とその植民地をあわせて帝国と呼ぶことがあります。この場合、アメリカ合衆国やソビエト連邦のように君主国ですらない国についても帝国と呼ばれることがあります。

西アジア~南アジアではペルシャ帝国崩壊後、イスラム教のカリフ(後にスルタン)が皇帝と訳されるようになります。

ヨーロッパ圏ではローマ皇帝の後継を称する君主が名乗るものでした。エンペラーだのカイゼルだの、という称号はそれぞれ古代ローマのコンスルが有していた最高指揮権(インペリウム)、及びカエサルの名に由来します。ローマ帝国末期の東西分裂などのため皇帝位は大雑把に西系(ローマ教皇により戴冠)と東系(ビザンツ皇帝→ロシア皇帝)に分かれますから、皇帝が複数いる事態が異常とは思われていなかったようですが、相応の由緒と実質がないと他国が認めませんでした(ロシアの君主が皇帝となるのは1721年のことです)。

スペインが皇帝位を名乗らなかったのは、すでに本家オーストリアのハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位を名乗っており、分家たるスペイン・ハプスブルク家が皇帝を名乗るわけにはいかなかった、という事情があります。
ポルトガルやイギリス・フランスといった他の王家が皇帝位を名乗れなかったのも同様の理由によります。

ナポレオン1世もローマ教皇から戴冠を受ける、という形式を整えた点ではこのラインに属しますが、あまりにもなりあがりぶりが露骨だったため評判はよろしくありません。また、神聖ローマ皇帝がありながら皇帝を名乗ったため、皇帝位の価値を下げた、とする見方もあります。いずれにせよ、まずありえないことですがボナパルト家の人間がフランスの君主になった場合、その人物はフランス皇帝を名乗ることになるでしょう。

オーストリアはナポレオン1世による神聖ローマ帝国解体後も皇帝位を維持しました。ただしオーストリア皇帝、ということになったため、結果的にプロイセンが統一したドイツが、我こそは神聖ローマ帝国の後継国家なり、としてドイツ皇帝を名乗る余地を与えています。

東アジアでは始皇帝が皇帝という称号を発明しました。それまで分裂していた中原諸国を統一した、という点で、王という称号に満足せず、伝説の三皇五帝からとって皇帝と名乗ったとされます。
本来は天帝から天命を受けた者が皇帝として地上を支配する、という建前なので、皇帝が乱立する分裂状態は中華文明としては異常事態と考えられていました。
中央アジアの遊牧民たちのハーン位も皇帝と訳される場合があるのは、中華皇帝が大ハーンを名乗ったことがあるためです。唐のように遊牧民への威圧から皇帝がハーンを名乗ることもあれば、元のように遊牧民が中国を占領して皇帝になる場合もあります。

日本はまあ、夜郎自大、という見方もありますが、大陸及び半島に対しては欧州の海に比べ格段に波の荒い海で隔てられた別個の文化圏と見るべきでしょう。なお、天皇の称号の由来はどうやらかの則天武后によるようです。
今となっては日本の天皇は世界唯一の皇帝になってしまいました。

大韓帝国は日清戦争により清の冊封体制から外れ独立国となったときに李朝の王が皇帝を称し、皇帝と名乗るにはいささか弱小でしたが、独立した君主国であることを明示しました。

エチオピアの君主は15世紀ころから皇帝を名乗っていましたが、1974年に社会主義クーデタにより最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が廃位されました。

中央アフリカでは1976年のクーデターでボカサが政権を掌握、77年に壮大な戴冠式を挙行して皇帝を名乗りましたが79年に失脚しました。数々の残虐行為で何かと物議を醸した人物で、大統領と名乗っておけば十分なところを皇帝と称し、戴冠式まで挙げたのは彼の虚栄心のなせる業と思われます。

以下蛇足。
 奇人変人の類ですが、アメリカ合衆国皇帝にしてメキシコの護国卿ノートン1世、なんて御仁もいました。よーするに南北戦争前後、19世紀後半のサンフランシスコにいた浮浪者なんですが、なぜかアメリカ皇帝を名乗った人物です。当時のサンフランシスコ市民も相応の敬意を払って彼の発行した国債を引き受け、税を納め(商店主に月50セント)、汽車などの交通費は請求せず、衣装や靴が傷んだら洋品店が無料で代わりの品を献上(?)したとか。1880年に死去した際、彼の葬儀には1万人以上の市民が参列したといいますから立派なものです。

本来は他の方もおっしゃるとおり、皇帝の称号はある文明・文化圏における最高の君主が名乗るものです。
古代ペルシャの「諸王の王」という表現が一番ぴったり来るでしょうか。

××帝国、という言い方はかなりあいまいな基準によります。
皇帝を擁する大国を帝国と呼ぶのはもちろんで、オーストリア帝国とかムガル帝国、歴代の中国統一王朝などはそれにふさわしいものですが、これが中央アフリカ帝国となると歴史も由緒も???なところがあります。
このほかにイギリスやスペインのように、帝国主義政策を取...続きを読む

Q空手の技法「コツカケ(骨掛け)」は実在する技でしょうか?

こんにちは、お世話になります。

よく漫画で出てくる、空手家の睾丸を体内に入れ金的を守る技『コッカケ』。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%84%E3%82%AB%E3%82%B1

これは、本当に昔(そして現在)の空手家は実現できたのでしょうか? 

好奇心からの質問ですが、本気で気になっています。

以上です、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

先ず最初に。こういった技術はあります。出来る方もいます。

>これは、本当に昔(そして現在)の空手家は実現できたのでしょうか? 
「火の無いところに煙は立たぬ」です。
コツカケ(骨掛け)とは睾丸を腹中に引き上げるだけのものではなく、
肩甲骨を使って首と脇を閉じる(下のURLの動画で見れます)、肋骨を使って胸部を閉じる、恥骨を使って腹部を閉じる、といった操作も含みます。
単純に防御法ではなく、独特の力の出し方(チンクチ/一寸力)にも関連してきます。

(教えてくれるかは別として)沖縄唐手なら東恩納系統、または上地流など、中国武術なら短肢の鶴拳系武術や白眉拳、龍形大宗、南派蟷螂拳等にコツカケ(骨掛け)あるいはそれに類した技術が継承されていたと思います。

参考URL:http://www.wonder-okinawa.jp/023/009/002/001.html


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