
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
元寇時とすっかり早合点していました。
失礼しました。
秀吉の朝鮮攻撃の際は朝鮮側の武器は火器といえば木砲という木材製の大砲に強化の為のタガをはめたものが使用されました。
小銃に相当する火器は初期にはまだ知られておらず、弓矢が主力でした。
後期になると日本側からの捕虜や鉄砲製造技術者が朝鮮側に協力するようになり鉄砲の製造が可能になりました。
水軍では青銅製の大砲が明よりもたらされ軍船に装備されました。
白兵戦用の武器は槍、鉾、刀がありましたが刀はいわゆる青龍刀に近い斬るより打撃するものでしたから、日本刀の切れ味に相当するものはありませんでした。
従って日本軍は操法に優れた鉄砲の集団使用と日本刀による白兵戦で圧倒的に優勢でした。
しかし後期になるとまだ少数ながら鉄砲を備え、大砲も使用する朝鮮、明軍に敗北することがおおくなったのです。

No.5
- 回答日時:
一応解答欄ですので、
武田騎馬軍団が存在したと思い込んで回答している。
こう言う人間が存在すると言う定義の下での回答は無意味ですので記載すべきではありません。
きっぱり、
過去私が記載した内容(べべんべん)そのままだし、内容が薄い。
また、水軍=戦闘と言う定義も戦略的では無い。
補給路を断たれる。敵軍に退路を塞がれる。
などと言う愚策は無視した
太平洋戦争の海戦(戦果)のみを重視した考えだと思います。
また、史実的根拠が記載されていないのは不勉強が主因だと思います。
http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/cat_ …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%99%E4%B9%9F% …
もう少し、文禄・慶長の役に要点をまとめる努力が大切です。
No.4
- 回答日時:
元寇に元軍が「てつぽう」なるものを使用したという話しが誤解を生んでいるようですが、元軍の使用したのは手榴弾のようなもので、人馬を殺傷するのではなく破裂の音響で馬を驚かす為のものだったようです。
この耳にした事もない大音響に馬が狂奔し日本軍の騎馬武者は自由を奪われて狼狽しました。
最も大きい相違は元軍は集団戦術であり、日本軍は個人戦ないし騎馬武者に少数の徒歩従者が従う位の個人戦に近い戦闘法でした。
この為敵陣に突入すると徒歩の従者と切り離され、包囲されて簡単に討ち取られたようです。
元軍の弓は短いもので射撃速度が速く集団射撃が出来ましたが、日本軍の弓は大型でその数も少なかったようです。
また元軍は毒を塗った毒矢を使用したといいます。 この為矢を受けた日本兵は自由を失い戦闘を続ける事が困難でした。
日本軍はまだ槍を持たず長捲きという斬りつける武器でしたが使い勝手が槍に比べて難しいものでした。
元軍は旗信号、太鼓などの音響信号で自由に進退し機動力が優れていました。 この教訓により慶長の役では日本軍は沿岸に石垣を築き元軍の機動力を封じ込めました。
総合的に当時経験した事のない武器や戦術に日本軍はとまどい、以後の国内戦でこれらを取り入れ戦術の革命を遂げました。
No.3
- 回答日時:
#2です。
補足します。> 刀槍といっても、日本のものと大分違うでしょう。
刀についてはあんまり違わなかったみたいですよ。
もっとも、中国大陸の刀は非常に幅広なものが多く、切るよりも叩くことに向いているように見えますが。
また、この時期の日本の主な輸出品の一つは日本刀だったりもしていますから、数はどうあれ中国大陸には有ったみたいですね。
槍の穂先は、日本では突きに特化した形なのが普通で、精々十文字になっている程度のバリエーションですが、この辺は結構色々あったみたいです。横に突きだした刃が付いているが普通ですね。時代は結構違いますが、呂布のもっていた方天戟を想像すると近いものがあります。
といっても、雑兵がもつのは穂先がまっすぐの普通の槍だったようですが。
こういった近接戦用の武器で大きく違うのは、打撃武器があること(棍棒やその先にとげが生えたような武器)でしょうか。因みに言えば、鞭というと日本でいうところの棍棒である場合が多いです。
一番違うのは弓です。
日本では和弓を使いますが、中国大陸の弓は上下の長さが等しく小型のものか、弓が水平方向についているもの(クロスボウを想像すると近いものがあります)です。後者は、弩と呼ばれていて、有名なところでは諸葛孔明辺りの時代からあります。連射できた(だから連弩)ようです(実物も残っています)。矢は鉄製の毒矢が一般的でした。
No.2
- 回答日時:
> 少なくとも平和な朝鮮では鉄砲が不要な状況であり、伝来していない。
兵器としての価値を認められていない。運用方法(戦法)が確定していない。のではなく、単純に反乱を起こしてばっかりなので明に所持を禁止されていた、というのが事実に近い。どちらにしろ、銃はないに等しいです。
両軍とも、主力兵装は弓、刀・槍で、鉄砲隊は日本側に多数存在しますが、これが主力というわけではなかったようです。
因みにこの事情は同時期のヨーロッパ諸国でもそうで、戦国末~江戸初期は重騎兵の最後の時代に突入する時期ですね。ヨーロッパでの銃を主体とした最初の戦闘は30年戦争の際のグスタフアドルフによるものですが、1600を少し過ぎた頃のお話です。
もう1つ言うと、この時代に日本には騎兵隊も鉄砲隊も存在しません。武田の騎馬隊、というやつは、講談本のお話です。
こういう、兵科の独立が起こるのは、輜重隊及び主計隊を除いて、日本では明治期以降です。日本軍、というと統一的なイメージがありますが、正確に言うと、各大名家の家臣である家老・奉行etcに率いられた家臣集団で、その単位の中での弓隊や鉄砲隊(その主体は足軽)があります。
騎馬突撃は、100%、ないです。
騎兵で勝った日本の戦と言えば、義経くらいです。あとは、武田信玄が輜重隊を急襲するために騎兵を使った位ですね。両方とも鉄砲伝来以前です。
大体、日本における騎兵は将校ですから、将校だけを突撃させるわけもなく、足軽、家の子といった歩兵が周囲にいるのが普通です。
因みに戦うときは降りたという記述も見えますね。全部が全部降りたとは言いませんけれども。
水軍云々を言いますが、日本側水軍、朝鮮側水軍とも、勝因も敗因も陸戦です。根拠地を落とされると敗退する、というのが実情です。遭遇戦もなかったわけではないですが、戦略的に見るとあまり重要なことは起こっていません。

No.1
- 回答日時:
ウィキペディアに乗っていないんですね。
^^;鉄砲伝来
明 鎖国 勘合貿易
などのキーで探して下さい。
朝鮮侵略は別物として、
日本に鉄砲が伝来(1543)してから文禄の役(1592)
では約50年です。
約10年で製造技術(量産技術)が確定したとして40年程度で
性能と量に於いても世界有数の鉄砲保有国と化していました。
日本軍は当時、質量共に世界有数の軍事力を保有していました。
これが後に植民地化を防いだ理由にもなります。
少なくとも平和な朝鮮では鉄砲が不要な状況であり、
伝来していない。
兵器としての価値を認められていない。
運用方法(戦法)が確定していない。
と言う、幼稚な物(宝物程度)であった可能性が高いです。
NHKでは、朝鮮に鉄砲は伝来していない。
明の介入で鉄砲を使用しはじめるとあります。
鉄砲は、馬の全速力の突入に遭うと、
次弾装填、狙い、射撃の前に騎馬の攻撃にさらされます。
日本でも初期では厄介者(これでは槍10本の方が安い)
であったようです。
鉄砲の威力を痛感した。
鉄砲を運用して水軍を上手く使って逆手にとった。
太平洋戦争の航空機に例えると良いと思います。
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