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スキタイや匈奴、モンゴル帝国などの遊牧騎馬民族の軍隊(騎馬軍団)は突撃力と機動力に優れていたため、近代兵器(鉄砲、大砲等)が発明されるまでは世界最強であったと聞きました。これについて質問します。

1.遊牧騎馬民族の軍隊は具体的にどのような武装(弓、槍、剣、鎧、兜、盾など)だったのでしょうか。また、彼らの戦法はどのようなものだったのでしょうか(私のイメージだと、全員が騎乗した騎馬部隊で、全速力で疾走しながら敵に弓を放って走り去っていくというものですが、これで正しいでしょうか)。

2.遊牧騎馬民族の攻撃に対し、定住農耕民族は多くの場合どのような戦法をとって戦ったのでしょうか(スキタイに対するアケメネス朝ペルシャ、匈奴に対する秦・漢帝国、フンに対する東西ローマ帝国、エフタルに対するササン朝ペルシャ、突厥に対する唐帝国)。

3.万里の長城やハドリアヌス長城のような構築物は騎馬民族に対しどの程度有効だったのでしょうか。有効でなかったとすると、全員が騎馬である彼らは具体的にどのようにして高さ数メートルもある長城を乗り越えたのでしょうか。

4.現代から振り返って考えると、遊牧騎馬民族の攻撃に対してはどのような戦法をとれば最も有効だったと考えられるのでしょうか。

5.仮定の話ですが、もしも古代ギリシャのファランクスまたは古代ローマの密集重装歩兵の軍隊と騎馬民族の軍隊がぶつかっていたら、どちらが優勢だったと考えられるでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

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A 回答 (10件)

>1.遊牧騎馬民族の軍隊は具体的にどのような武装(弓、槍、剣、鎧、兜、盾など)だったのでしょうか。


騎馬民族により、主とする武器は異なります。
スキタイの場合は、槍騎兵が中心であり、騎馬の突撃力で相手の陣を突き崩す戦法を中心としました。
これは、ゲルマン人の騎兵も同じです。
一方モンゴル軍では、短弓を主要武器とした騎馬弓兵が中心で、敵の周囲から矢を射掛ける戦法が中心でした。

>2.遊牧騎馬民族の攻撃に対し、定住農耕民族は多くの場合どのような戦法をとって戦ったのでしょうか
これはいろいろ。
突撃してくる騎馬槍兵に対しては、途中に障害物をおいて騎兵の機動力を奪ったり、側面に伏兵をおいて攻撃したり、重装歩兵の全面に誘導して重装歩兵で粉砕したりしました。
モンゴル軍のような相手には、兵を前進させすばないようにしたり、広範囲に展開し、確固撃破されないようにしました。
障害物の多い所に誘導し、相手の機動力を奪うのも効果的でした。

>3.万里の長城やハドリアヌス長城のような構築物は騎馬民族に対しどの程度有効だったのでしょうか。
かなり有効で、モンゴル軍の場合、簡単に長城の突破はできず、西夏を滅ぼして西から迂回して中国を攻めています。

>4.現代から振り返って考えると、遊牧騎馬民族の攻撃に対してはどのような戦法をとれば最も有効だったと考えられるのでしょうか。
騎馬兵の機動力を奪うことが持つとも有効です。
要塞を造ったり、障害物を作る。さらに森を造れば、騎馬兵を完全に封ずることができます。

>5.古代ギリシャのファランクスまたは古代ローマの密集重装歩兵の軍隊と騎馬民族の軍隊がぶつかっていたら、どちらが優勢だったと考えられるでしょうか。
ケースバイケースです。
騎馬兵が、方陣の正面から襲い掛かった場合、ほぼ騎馬兵は負けますが、方陣の側面に回り込めば、方陣は簡単に崩壊してしまいます。
方陣の正面は、無敵の強さを発揮しますが、側面や背面を襲われた場合、1/10の兵でも簡単に崩壊させることができます。

騎兵対歩兵の戦いで、百年戦争の場合の事例です。
・クリーシーの戦い
丘の上のイギリス軍をフランス軍騎兵が攻撃
丘の上から弓でイギリス軍が攻撃、馬が射られて騎士が落馬続出
・アーザンクールの戦い
騎士の突撃を避けるため、イギリス軍陣地の前方に尖ったクイを立てて、そこで立ち止まるフランス軍騎士に矢の雨を降らせることにより、フランス軍壊滅
いずれも、フランス側の兵力は、イギリス側の3倍と5倍ありました。
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この回答へのお礼

詳細なご回答ありがとうございます。

万里の長城を突破できずに、結局西から回り込んで中国を攻めたのですか。一般には無用の長物の代表みたいに評価されている長城が、実はこれほど有効であったとは驚きました。これほど有効なのであれば、ローマ帝国はゲルマン人に対して、ライン川・ドナウ川を防衛ラインとして基本的には長城を築きませんでしたが、もし中国のような長城を作っていればどうなっていただろうかと想像をたくましくしてしまいます(非現実的かもしれませんが)。

スキタイが槍騎兵中心だったのに、1000年以上後のモンゴルになると騎馬弓兵が中心に変わっていたのはとても面白いことです。弓が槍よりも便利で効果的ということで槍が弓に取って代わられたのでしょうか。考えてみると、槍よりも弓の方が敵から離れているので、その分自身が倒される危険性も低くなりますね。
ちなみに今しがた中央アジア史の本を見てみたところ、モンゴル軍の武装について興味深い記述がありました。「モンゴルは9世紀頃、鉄製または硬質・軟質の皮製の鎧、及び、毛質フェルトを重ね合わせた鎧を利用していた。この鎧により首から腿までが守られていた。11世紀頃には、50種近くに及ぶ多様な兜が利用されていた。また、トルコ族から導入した木製または重ね合わせた皮製の盾を用いた。馬についても、頭部から尾までを守る皮製の鎧と、頭部を守る鉄製の防具があり、その奇妙な光景は敵に心理的な影響を与えた」。それにしても、騎馬民族の鎧兜については、日本や中国、西洋と違い、イメージすることが難しいですね。

ファランクスと騎馬軍団の対決について、とても面白かったです。ファランクスはやはり、側面や背後が弱点なのですね。それにしても側面に回りこみさえすれば、10分の1の兵力でも勝つことができたとすると、騎馬兵力側の優位はほぼ決定的のように思えます(もちろんギリシャ側はそうはさせじと工夫するのでしょうけど)。しかし、それは平地での話しであって、かりに遊牧騎馬民族がギリシャに攻め込んできても、ギリシャは平地が少ない地勢ですから、騎馬民族側も機動力をフルに活用できないかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 12:49

敵方を分裂させる戦略


1日抵抗したら3分の1を殺す
2日抵抗したら半分を殺す
3日抵抗したら皆殺し
これで敵を揺さぶったのです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
一昔前は、農耕民族は価値を作り出す考えの持ち主、遊牧民は価値を奪い取る考えの持ち主、だから遊牧民は野蛮であるということにされていましたが、遊牧騎馬民族も、普段は羊などを遊牧させながら、乳製品や毛、皮、肉などを中心に農耕民族と交易して平和裏に共生するおとなしい人々にすぎず、ただ、ひとたび強力な指導者(特にジンギスカンのような残酷な指導者)が現れて一致団結すると、恐ろしい軍団に変貌したのでしょうね。
項羽と劉邦の話で、二人のうち先に咸陽に攻め入った者が上位になると楚王に言われ、項羽は徹底的な壊滅戦法で進み、劉邦は寛容をもって進んだところ、項羽に対しては各地の抵抗が強くなって進軍が遅れ、結局劉邦が先に咸陽に入ったという話があります。この話がどこまで史実なのか分かりませんが、実際のところ、ジンギスカンの話を聞く限り、残酷なやり方というのは有効だったということでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/03 10:31

4は2となります



カンネーの戦いは
1 カルタゴ側の中心部の部隊の後退(欺瞞)
2 騎兵による包囲
この二点です。機動力のある騎兵の有効利用が鍵となっています。
これを、全軍騎兵によって効果的に行ったのがモンゴル軍です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC% …
これがワールシュタットの戦い

戦闘に勝つ基本は、自軍有利な体勢にすることにあります。
ローマ軍は土木工事で戦場を変え、モンゴル軍は運動量で戦場を変えたとも言えます。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

ワールシュタットの戦いの詳細を拝見しました。前回指摘されていたように、偽装撤退を行って敵軍を誘い込んだ上で、包囲射撃を行い敵を壊滅させるというのが、遊牧騎馬民族の得意の戦法なのですね。No.6の方が指摘されたカルラエの戦いでも、パルティア側は退却するふりをしているようですね。遊牧騎馬民族が機動力を最大に生かした形で戦っていることがよく分かります。

自軍に有利な体勢を構築することの重要性、とても参考になりました。土木工事で戦場を変えるローマ軍と運動量で戦場を変えるモンゴル軍がかりに激突していたらとても面白い結果となったでしょう。それで思い出したのですが、紀元前104年のキンブリ・テウトニ戦争では、ローマ執政官マリウスが1万を超すゲルマン人騎兵に対し圧倒的な勝利を収めましたが、マリウスの用兵術は相当優れたものであったと思われます。おそらく騎兵を誘い込んで包囲殲滅したのでないでしょうか。この戦いを考えると、騎馬軍団といえどもこちらの戦術次第では壊滅させることができることが分かります。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 11:29

蒙古軍が強かった最大の理由は人質をとったことにあるそうです


先ず攻め落とした城(城塞都市)に自軍の兵士を駐屯させそこの男は全て蒙古軍に編入して次の遠征に参加させる
裏切ったり働きが悪かったら人質を全員殺す
殺されてはかなわないから必死で戦う
だから強い
これを繰り返して兵員を増やしていった
総人口10万の蒙古が10万以上の兵を動かせたのはこの戦略があったからだそうです

日本を攻め落とすことが出来なかったのは日本の都市形態も影響しています
今まで征服してきたのは住民も城内に居住する城塞都市でした
日本は城内には誰も居住せずに戦いのときだけ主だったものが立てこもるだけです
これでは支配される人間がいないので蒙古の戦略が通用しなかったのです
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

人質戦法、考えてみるととても恐ろしいことです。戦って負ければもちろん恐ろしい運命(殺害、強姦、奴隷化)が待っていますが、かりに降伏したとしても、男は次の戦いに最も危険な最前線に盾となって使われ、女子供は人質でいざとなれば殺される、いずれにしても、悲惨な運命と言わざるを得ないです。

ところで、余談ですが、ジンギスカンの最初の標的となった中央アジアのホラズム帝国は、当初、ジンギスカンの侵攻に対し、軍事会議を開き、兵力集中策をとろうとしたにも拘わらず、内部分裂と裏切り(当時帝国内部ではムハンマド帝勢力と母親トゥルカンの一族が対立していた)を恐れ、結局、各都市で立てこもって抵抗することとなったため、モンゴル軍の各個撃破の餌食となってしまったとして、ホラズム帝国側の戦略のまずさを指摘する声が多いのですが、かりにホラズム側が兵力を集中して対処したとしても、勢いに乗るモンゴル騎馬軍団にはやはり打ち負かされていたのではないかという気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 11:23

1.モンゴルは諸民族混成軍なので、時期によって違うとしか、説明しようがないです。


一般に遊牧騎馬民族、というくくりなら、武器は弓でしょう。

2.経済力の優位を活用し、買収などで分裂させ、手なづける。戦っては負けます。

3.遊牧民の補給源である羊の移動を困難にすれば、非常に有効でした。軍隊のみの侵入なら、すぐに引き上げねばなりません。

4.2と同じ。

5.ローマの密集重装歩兵はカルラエの戦いで、パルティアの騎馬弓兵に惨敗してます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「戦っては負けるので、買収などで分裂させる」というのは高等戦略ですね。たしかに、遊牧騎馬民族は、モンゴル帝国におけるジンギスカン、フン帝国におけるアッチラ、匈奴における冒頓単于(バガトゥル・ハン:ヒルト説)など、有力な指導者が現れて分裂している部族を統合した時に大帝国ができているので、逆に、分裂させてしまうのが安全な策ということですね。しかも、ひとたび大帝国ができてしまうと手が付けられないので、平時から各部族が互いに分裂しておくよう常時手を打っておくということですね。

また、補給源である羊の移動を困難にするという戦法も興味深いです。直接対決を避け、補給路を叩くという戦法ですね。ただ、羊の移動を困難にするというのは、具体的にはどのようにすればいいのでしょうか。とても興味があります。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 11:20

こんにちは、No4です。



<5.について、アテネ軍はペルシャ騎馬軍と戦って勝っているということですが、その戦術は具体的にどのようなものだったかが分かるサイトなどがあればご教示頂ければ幸甚です。>

かなり有名な話です。 おそらく本当はご存知だと思うんですが、

マラトンの戦いです。 ネット検索したら、ウィキペディアにアテネ側の簡単な戦術についても解説されていました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9% …
~~~~~~~~~~~~~~~~
ペルシア軍は、騎馬部隊
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

だとか、アテネ軍が

~~~~~~~~~~~~~~~~~
ほぼ全軍を重装歩兵でかため、
~~~~~~~~~~~~~~~~~

だとか書かれているのが読めると思います。

なんと、兵力にかんしても不利な状況で勝ったんです。

ペルシア軍の方が多かったんです。

戦術というか、兵法って大事ですね。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

ご指摘のマラトンの戦いは小生も承知しておりましたが、すっかり失念しておりました。この戦いを見ると、仰るとおり少数が多数を打ち破っており、まさに戦術(兵法)の重要さが分かります。陣形を見るとペルシャ軍が包囲殲滅されているようで、その意味ではカンネの戦いと同じ模様ですね。ペルシャ軍が騎馬部隊を船で輸送したようで、ペルシャ軍が馬の輸送に苦しむ様子が目に浮かびます。元寇の際も、騎馬の海上輸送のため、モンゴル軍の本来有する騎馬突撃力が制限された旨を、井沢元彦氏の「逆説の日本史」で読みました。他方、マラトンの戦いでは騎馬が活躍していないようで、仮にペルシャ軍側が騎馬を十二分に活用できた場合、戦局はどうなったのか考えると興味が尽きません。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 11:15

こんにちは、



>2.遊牧騎馬民族の攻撃に対し、定住農耕民族は多くの場合どのような戦法をとって戦ったのでしょうか

三国志に、公孫瓉の白馬陣が、『草原に縄が張り巡らされていて、馬が走れなくて負けた』話が載っています。


<3.万里の長城やハドリアヌス長城のような構築物は騎馬民族に対しどの程度有効だったのでしょうか。有効でなかったとすると、全員が騎馬である彼らは具体的にどのようにして高さ数メートルもある長城を乗り越えたのでしょうか。>

チンギスハンは、漢民族から教わって(名前は忘れました)、どんどん城壁破壊をしたのだとか。

<4.現代から振り返って考えると、遊牧騎馬民族の攻撃に対してはどのような戦法をとれば最も有効だったと考えられるのでしょうか。>

戦術しだいだと思います。



<5.仮定の話ですが、もしも古代ギリシャのファランクスまたは古代ローマの密集重装歩兵の軍隊と騎馬民族の軍隊がぶつかっていたら、どちらが優勢だったと考えられるでしょうか。>

アテネ軍はペルシヤの騎馬軍と戦って勝っていますよね。

要するに、戦術じゃないかと。

ご参考まで
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

2.について、ご指摘を受け、私も三国志で該当部分を読んだことを思い出しました。長篠の合戦で信長は柵を設けて武田騎馬のスピードを減殺していますが、やはり騎馬に対してはその動きを封じ込めてしまうことが重要なわけですね。そういう意味からは長城も重要な意義があったわけですね。

5.について、アテネ軍はペルシャ騎馬軍と戦って勝っているということですが、その戦術は具体的にどのようなものだったかが分かるサイトなどがあればご教示頂ければ幸甚です。(たしか、アレキサンダー大王がペルシャのダレイオス帝と戦ったときは、逆にアレキサンダー大王側が騎兵をうまく活用して勝利したものと記憶していますが、アテネのことはよく知りませんでした)

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/01 15:08

一騎打ちではなく集団で襲いかかる(戦艦に襲い掛かる戦闘機)


馬で走りながら敵を蹴散らす(止まらないからやられにくい)
防具を用いないので動きが警戒(戦艦と戦闘機)
奴らは馬が無ければ戦闘力はゼロだから2メートルくらいの塀があれば防げる
長城は十分に効果があったからこそあれだけ長いものを長期間掛けて築いた
長城と呼んでいるが実際には防壁
蒙古の二回目の日本攻撃では上陸することが出来ずに沖で長期間停泊していた
海岸に防塁を築いていたので一回目のような騎馬戦が出なかった
一回目は海岸(砂浜)が主戦場だったので騎馬が有効に使えた
更に日本は小川などの自然の障害物が多く騎馬戦には不向きであった

騎馬に対抗するには馬が走れない障害物を設ける
アメリカがベトナムで戦車を有効に使うことが出来なかったのは泥濘地だったから

戦闘における戦力は装備や能力に比例し兵員数の二乗に比例すると言われている
装備や兵士の能力が100倍あっても敵の兵員数が十倍あれば同等と言うこと
中国を警戒するのはその点である
だから数が多く機動力に優れた方が強い
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「戦闘における戦力は装備や能力に比例し、兵数の二乗に比例する」とても貴重な文言ですね。以前、何かの本で、「騎馬は歩兵の●人分の威力がある」と読んだ記憶があります(●は5か20か50のどれかだったと思います)が、騎馬であることだけで有利な訳ですね。

また、仰る通り、元寇の二回目を見ると、防壁が有利なことが分かります。他方、ジンギスカンがホラズム(フワーリズム)帝国を攻めた際、サマルカンドやブハラなどの諸都市は防壁で守られていましたが、結局陥落してしまいました。これは、モンゴル側が持久戦を行い、兵糧攻めにしたからでしょうか。

ちなみに「防具を用いないので動きが軽快」とありますが、これは盾を使わなかったということでしょうか。あるいは、鎧も着用しなかったということでしょうか。ご教示頂ければ幸甚です。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/01 14:58

戦闘というのは、実際の戦闘になった時点であらかた、決まっている。



勝った側にとって重要なことは、いかに自分たちが負けそうなので、今、攻めないでくださいと相手側に思わせるかにかかります。いわゆる、兵は危道なり、とか、欺瞞の重要性です。
ということで

1 誘い込んで包囲殲滅
一部部隊が、敗退したように見せかけて、誘い込む。日本の戦国時代の島津家の戦術もこれ。
モンゴルが最強だったのは、騎馬主体の移動によって、作戦平面が広かった。敵側から見ると、想定外の方向から伏兵が出てきて包囲されたということになります。
モンゴルの征服軍は数年懸けて移動してから攻撃します。つまり、その間数年間は、訓練しながら移動しているので、軍としての練度が高い。

2 持久戦あるいは居住地の破壊

3 移動速度の低減による作戦
壁を壊して進んだ、逆に言えば、壊している最中に、兵力を集中し、包囲殲滅すればいい。

4 質問の意味が分からない

5 
戦えば、一般的には騎馬民族
戦力は 単純に言えば 兵力×移動速度(これは、ナポレオンが言ったと思う)移動速度によって、戦場で優位な地点を占めた方が勝つ。
ローマ兵が強いのは、土木工事によって、自軍が戦いやすいように、戦場を変えてしまったから。
第三者のレフリーがいて、競技場で戦わせるのであれば、騎馬民族圧勝です。ローマの強さは、戦場という競技場を自分で作ってしまうこと。
カンネーの戦いの後の、ファビウスのやりかたです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

騎馬民族の軍隊は、機動力を活かして包囲殲滅戦を実行していたということでしょうか。包囲するのは戦術上大変有利であると読んだことがありますし、たしか、カンネーの戦いも包囲殲滅だったですね(これは遊牧騎馬民族は出てきませんが)。単純に矢を射掛けて過ぎ去っていくというわけではなく、攻撃しながら包囲していくという、敵にとってはこの上なく嫌なやり方をされていたわけですね。参考になりました。

4.については、さきほどNo.1の方にもお詫びしましたが、私の質問の仕方が間違っていました。
4.の質問の趣旨は、「現代の我々がもし当時の時代に生きていたとすると、どのような戦法をとるべきか(例えば、我々が、遊牧騎馬民族を迎え撃つ定住農耕民の側の将軍だったとしたら、どう戦うのが最もよいのか)」ということでした。「現代から振り返って考えると」という誤解を招く表現をしてしまい大変失礼しました。この文言を削除して頂ければ幸いです。

5.は騎馬民族勝利ですか。ギリシャやローマのぎっちり集まった重曹歩兵集団はスキがないように見えますが、やはり包囲されてしまうと負けということでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/01 14:43

4.MLRSで集結してる地域(1km四方)を殲滅する。



 行軍してくる場所に地域征圧兵器をバラ撒く

5.騎馬民族
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

4.については私の質問の仕方が間違っていました。
4.で質問したかったことは、「現代の我々がもし当時の時代に生きていたとすると、どのような戦法をとるべきか(例えば、我々が、匈奴を迎え撃つ漢の将軍だったとしたら、どう戦うのが最もよいのか)」ということでした。「現代から振り返って考えると」という誤解を招く表現をしてしまい大変失礼しました。この文言を削除して頂ければ幸いです。他方、頂いたご意見は大変興味深いもので、MLRSという存在についてもはじめて知り、とても勉強になりました。

5.については騎馬民族という回答ありがとうございます。その理由を教えていただければさらに幸甚です。

よろしくお願いします。

お礼日時:2009/05/01 14:27

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